第2話 Courage

 翌朝、僕の席の前でサラが待っていた。

「おはよ!」彼女の手には小さな紙袋が提げられていた。

「……はよう」このセリフを発すること自体何年ぶりだろうか。朝は低血圧のキャラを演じているので、消え入りそうな声で返す。

 僕たちのこのやり取りに、教室の二割ぐらいの視線が向いた。そりゃそうだろう、自分でもびっくりしているぐらいだ。この教室で僕が誰かと、しかも女子と仲良さげに挨拶を交わすなんて。

 はいこれ、彼女が笑顔と共に紙袋を差し出した。何も言わず立ちすくむ僕に、サラは「昨日言ってたやつ」と付け加えた。

 正直言うと昨夜どんな会話をしたのか、僕はもう覚えていなかった。校門から駅までの十分余りは、相槌と周囲の目と一挙手一投足に意識が占領され、雑談どころではなかったのだ。彼女とは電車の方向が逆だったことが唯一の救いだったかもしれない。

 袋を受け取って中を見る。ああそうだ、思い出したぞ。つい昨日、彼女とたった一つ共通の話題が生まれたんだった。

 入っていたのは一枚のケース。白い無地のジャケットに細いゴシック体で『Exhaustion』の文字と、その下には同じフォントで『LastChild』と小さく書かれていた。

「……らすと・ちゃいるど?」

「あれ? 昨日言わなかったっけ」ケースの表面をしげしげと眺める僕に、サラが横から口を挟んだ。

「それ歌ってる人の名前だよ。ま、調べても何も出てこなかったけどね」

 僕はCDとサラの顔を交互に見る。いかにもカラオケのランキング上位から曲を聞きそうな普通の女の子だが、まさかこんな近くにこの曲を知っている人がいたとは。

「これ、買ったの?」

 サラに聞いてみる。

「それ昨日も聞かれた気がするけど……」

 サラが少し困惑したように笑った。昨日も聞いたのか。

「中学の時に友達から貰ったの。一回聞いてみてって言われてさ」

「中学の時か……」

 記憶が確かな限り、僕はこの曲を中学に入る前から知っている。その正体が知りたくて何度もネットで調べたけど、これの存在に至ることは無かった。

 なのに、その答えはまったく予想していなかった形で今、ひょっこりと現れた。感慨深いと言うか拍子抜けと言うか、実感が湧かないような気分だった。

「じゃ、返すのはいつでもいいからね。また感想聞かせて」

 古文担当の教師が乗り込んできたところで、サラは小さく手を振って戻って行った。それに合わせて周囲の人間の視線も二種類に動いた。サラに向けられた「なんであんな奴と」というタイプと、僕に向けられた「お前喋れたのか」というタイプ。

 そして、後者の中に暗い色の視線が複数含まれていたことに、その時の僕はまだ気付けないでいた。


 

 今日は適当に校舎の中を徘徊して、それから家路についた。

 家に帰ると上着を脱ぐのもそこそこに、リュックからCDを取り出す。紙袋は仄かに花の匂いがした。

 ケースを開くと、挟まっているブックレットに目が留まった。一曲しか入ってないくせに豪華だな。

 最初のページには青空を背景に歌詞の全文が載っていて、それ以降はずっとどこかの街の写真が続いている。トイカメラで撮影したような色調のズレた風景は、行ったこともないのに何故か妙な懐かしさを覚えた。

 写真は全部で十枚。夜の街灯、駅に停まる電車、アイスクリーム屋、図書館、コインランドリー、飲み屋が並ぶ横丁、書きかけの手紙、皿に乗った角砂糖、黒いインクの瓶、ショーケースに並んだヴァイオリン、そしてどこかの古いエレベーター。『LastChild』のセンスは中々に独特らしい。

 パソコンにディスクを入れ、イヤホンを繋げる。光学ドライブが過剰な唸りを上げ始めた。古いパソコンだからな、仕方がない。

 曲が再生される。サンプリングされたピアノロールをバックに、聞き慣れた男の歌声がした。動画で見る雑音だらけの音源とは違い、どこか落ち着いた曲調はまた違った印象を受けた。歌詞を目で追うと、聞き取れなかった部分も鮮明なメロディーとなって頭に流れ込んでくる。

 ずっと気になってはいたが、歌詞には頻繁に『お前』と呼ばれる人物が登場する。曲の前半は些細な日常の出来事を思い返すような内容、後半はどこか遠くに行った『お前』を待ち続けるという内容だ。一つ言えることは、巷に流れる恋愛ソングよりも歌詞の存在感が身近に感じる。この『お前』にはモデルとかいるのかな……。

 僕は想像する。サラはこの曲を聞いてどんな感想を持ったのだろう。今までCDを捨てずに持っていたってことは、多少は気に入ってるのかな……。他人に少しでも興味を持つなんて、僕らしくもないんだけれど。

 閉じこもってばかりの僕の世界が、少し広がったような気がした。明日、返すついでに聞いてみようか。先に話しかけてきたのは彼女なんだから、変に思われることは無いはずだ。クラスメイトからの視線は変わらないかもしれないけど……。

 慣れない経験をしたせいか、普段より気分が高揚していた。最近やってないし、久しぶりに少し進めるか……。

 僕はUSBメモリーをパソコンに挿すと、ワープロソフトを開いた。





「これ……ありがとう」

 紙袋をずいと差し出した。サラは一瞬呆気に取られ、そしてすぐに合点がいって表情が花開いた。

「あ。あれね! すっかり忘れてた」

 本当は受け取った翌日に返すつもりだったのだが、話しかける決心がつかずにあれから一週間以上が経過していた。毎日学校に持ってきてはいたのだが、僕のいない世界で楽しそうに笑う彼女を見る度に、足が自然と逆方向に向いていた。僕という異色をクラスの雰囲気に混ぜたくなかったのだ。

「どうだったどうだった? 私もあの動画見たけど、印象全然違うくない?」

 サラのテンションは誰と話すときでも全く同じだ。それが嬉しくもあり、少し悔しくもあった。別に彼女にとって僕は「特別」ではないから、仕方のないことなんだけど……。

「ま、まぁ、なんか優しい感じだよね……、うん」

 ありきたりな事しか言えない自分を呪う。腹から声出せ。他にもっと言うことがあるだろ。

「そうそう! ライブの方は音質は悪いけど、なんかそっちの方が曲に合ってるっていうかー」

「あ、そうだね……分かる分かるよ……」

 それ以上言葉が出てこず、沈黙してしまった。おい、会話のキャッチボールをしろ。なんでもいいから言葉をひねり出せ。

「あ……さ、サラさんは、どの辺が好きなの……?」

 なんとかして会話の糸を紡ぐ。冬なのにブレザーの下は汗だくだ。

「サラ」

「へ?」

「だめだよー呼び捨てじゃなきゃ。私もタクトって呼ぶから、いい?」

 お、おう。さすがに「ダメ!」とも言えないので僕は曖昧に頷いた。これまではほとんど名字の志田しだか、名前を文字って「死んだタクト」とかでしか呼ばれてこなかったもんで、いきなり名前で呼ばれるのはなんかこう、痒い。

「あ、あー……サ、サラは、『Exhaustion』気に入ってんの?」

 なんとか言えた。一歩前進だ。

「あーうーん、まぁなんてゆーか」サラは顎に指を当てて考える。

「あの曲ってさ、『お前』とか『俺』とか出てくるじゃん。べつに珍しくはないんだけど、なんかあの曲だけは本当に歌を届けたい相手がいるような気がするんよね。それがこう、共感を求める態度が無くて『本当に心がこもった歌!』って感じがするから、好きなのかな」

 ……すごい、僕が何となく抱いていた印象をサラは簡単に言葉にして見せた。まさにその通りだ。僕もその『手が届くような曲』という所に惹かれたんだ……。

 激しく同意をしたいが、適切な言葉が分からない。「それな!」はキャラに合わないし……。

「じゃあ確かに受け取ったから。ありがとね」

 ごちゃごちゃ考えているうちに、会話を切られてしまった。時計は一時限目の開始時刻を指そうとしている。

「あ、その」

 教科書を引っ張り出すサラに、僕は声を掛けた。これを逃すと、サラとの細い糸は永遠に途切れるような気がした。

「ん? どした?」

 教室にはクラスメイトがほぼ全員勢ぞろいしている。恥ずかしい。怖い。聞かれたくない。

「あ、あのさ」

 言え、言えよ。

「?」

「えっと……」

 勇気出せ、自分!


「……今週の土曜日、暇?」

 予想外に大きな声が出ていたらしい。教室の音が一瞬、止んだ。周囲の視線が一点に注がれる。やべぇ、やっちまった。ちょうど入ってきた生物科の教師は何事かとこちらを凝視する。

「うん、暇だよ。どっか行くの?」

 そんな中、サラだけは平然とこちらをまっすぐに見ていた。

「あ、あ……それはまた今度言う」

 消え入るようにそれだけ言うと、衆人環視から逃れるように早足で席に戻った。頭の中でさっきの言葉がぐるぐる回る。僕がCDを返すのに一週間もかかったのは、このセリフを彼女に言う覚悟を決めるためでもあった。だがお世辞にも上手く行ったとは言えない。

 丸めた背中に好奇の視線を感じる。ギリギリ僕に聞こえないように噂し合う声も聞こえてきた。サラは明るい女の子だし、友達も多いし、……可愛いし。僕と関わるなんて通常ではあり得ないような人間だから、変な目で見られるのは当然だ。

 でも、それでも、言ったんだ。言えたんだ。全身の力が抜けたように机にへたり込む。

 一限の授業は、寝て過ごそうかな……。

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