第81話 dog eat dog(ワン)
(1)
城下町・リトリアンナからヴェラッシェンド城の敷地に入る。
楠の林から城が聳え立つ小高い丘へ差し掛かろうかというところ、バーナードは道を外れ、楠の生い茂る林に入る。月明かりの他に頼るべきものが何も無い為、イェルドの視覚では殆ど何も見えない。
先を行くバーナードがスピードを落とした。気を遣われたのかと思いきや、どうもそういう事ではなく、「はぐれると命を落とす」危険があるという事らしい。というのも、この辺りの楠の林の奥一帯が、「隠密部隊以外立入禁止区域」であるというのだ。
そんな話をしていると、臙脂の服を着たヴェラッシェンドの隠密達数名から挨拶と業務連絡があった。所謂“表”とは違い、此処では「バーナード」の姿をしていても呼称は「アマンダ」である。成程、丁度この日のように、彼が変化できぬほど疲弊して此処に戻ることも多いのだろう。
「送迎助かりますよ、聖戦士長殿」
複数名の隠密と擦れ違ったが、イェルドが彼等と唯一交わした会話がこれだった。
開けた場所に出た。正面にある霊化した楠の巨木が、不気味に青白い魔法分子を放っている。曙の闇と相まって、幻想的な雰囲気を醸し出していた。複数名の人の気配はあるが、一切私語は無い。この静寂を守りながら、誰かがやってくるのを待っているようだった。
そう、イェルドは此処で何が行われるのかを全く知らない。
「(とても話しかけられる雰囲気ではないな)」
イェルドは、先刻から蹲って動かなくなった上官を見た。やはり、「何か」を待つ間、彼を守護しなければならないだろうか。そこへ、
「お前も来たのか。」
などと、露骨に不満げにイェルドに呼びかけた声があった。臙脂の装束を着た隠密たちに混じって、一際目立つ銀の髪――何と、先代皇帝の姿があったのだ。
政の第一線から退いたとはいえ「上皇」として皇帝・ランの補佐をしているといわれている彼と、まさかこんな所でこんな時間に
元帥が「緊急事態」と言った意味は直ぐに分かった。帝国屈指のエリート戦士が次から次へと楠の巨木に集まって来ている。大体50は集まったところで、上皇・デュトゥールが口を開いた。
「こんな時間に皆に集まってもらったのは他でもない、」
“緊急事態”が発生したのだと、彼も言った。
「本国中枢にペリシアの手の者が居る可能性が高いことは、皆もよく知るところと思うが、本日未明、――ランがそれを突き止めた」
帝国の精鋭達がどよめき始めた。勿論、彼等は所謂「皇帝の実力」に感嘆しているばかりではない。よりにもよって皇室に最も近い場所に、敵国に通じるものが居たという事実がショックだったのだ。その動揺の中で、
「イェルド、」
と上皇から指名を受けたばかりに、隠密達からの注目を一身に集めてしまったイェルドは、大楠の霊樹を取り囲む人垣の一番外れの方から、大きく気後れしながらも上皇の元へ進み出た。そんな彼に鋭い視線を放ちながら、しかし、何とも言えない表情で、
「読め」
とだけ伝えた上皇は、やや乱暴に「何か」をイェルドに投げ付けた。一見、丸めた紙のように見えたそれは、見た目より随分重たい。
(2)
自分の警護を買って出た青年がすやすやと寝息を立てているのを見て、不安を抱かない者が居るだろうか。
「全く……これでは任務懈怠と言われても仕方あるまい?」
ネハネは小さく溜息をついて、壁にもたれて眠る凍馬に毛布をかけてやった。
「(まあ、任務懈怠というならば、私もそうか)」
懸念というならもう一つ――故郷・ペリシアに残してきた者達のことである。ネハネの首元に触れる二つの赤い石は、この罪の分だけ重くなったかの如きで、何かを探すように宙を彷徨っていたエリオの手をフラッシュバックさせては彼女を苦しめた。
「(もう、言えやしない)」
――私は此処に居ります、などとは。
「……痛むか?」
よほど苦しそうに見えたのだろうか、何時の間にやら凍馬は目を覚ましていて、丁度顔を上げたネハネと目が合ったところだ。
「罰でも当たっているのだろう」
ネハネは自分を笑ってやった。その彼女の表情が意外だったのか、彼女を一瞥した凍馬は、素っ気無く相槌を打つと、再び眠りに入ってしまった。
今日の月が、逃げるように窮屈な窓枠の端へ吸い込まれていく。世界はもう夜明け前だというのに、晴れない心を抱えたままで部屋に閉じ込められていては、もどかしさは募るばかりである。ネハネは大きく、一つ、溜息をついた。丁度、
「……お悩みか?」
と、またも彼女に穏やかな声がかけられた。
「済まない。また起こしてしまったか」
と詫びた彼女に、これは「寝言」だと寝ぼけた回答があったので、不覚にも、またネハネは笑ってしまったところである。凍馬からは、またも素っ気無く相槌が帰ってきた。
今度こそ凍馬にきちんと睡眠時間を取らせてやらねばならない、と反省した彼女の決意も虚しく、丁度この日の月明かりのように柔らかな声が聞こえてきた。
「どん底に居なきゃ見えない、大事なものもある」
目を伏せるな、と彼は穏やかに警告した。
その時である。勢い良く扉が開き、外から警護していたアイリーンが慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「“緊急事態”ですゥ!」
相変わらず間延びした甘い声で緊急事態を告げた彼女は、どさくさに紛れてネハネの真横に陣取ると、デーブルの上に何やらアンテナのような棒状の石を設置し始めた。
「何だ何だァ?」
寝ぼけているらしい凍馬も間延び声を上げた。
「隠密部隊アジトから中継入りマース!」
そう言ってやおらピアスを外し、テーブルに並べた“アンテナ”に取り付けたアイリーンは、淡く白い光を放ち始めたピアスの奇石に手を翳した。すると、光る石の奥の奥から、何やら音が聞こえてきた。
“こんな時間に皆に集まってもらったのは他でもない、”
これはランの父・上皇の声である、とアイリーンは説明した。アイリーンが奇石に更に手を近づけると、石の放つ音量が上がり、聞き取り易くなった。
“本国中枢にペリシアの手の者が居る可能性が高いことは、皆もよく知るところと思うが、本日未明、――ランがそれを突き止めた”
訊き馴染みのある名が飛び出したところ、凍馬とネハネは顔を見合わせた。
(3)
上皇から渡された(というか、投げつけられた)それは、何かを包んで遣された手紙である事は判ったので、イェルドは慎重に紙を解く。紙を解いて直ぐに金の鎖が零れ落ちた。これは――
「(ロザリオ!?)」
紙を広げて顕になった聖なる象徴と、そんなものより重たい事実が同時にイェルドの眼に飛び込んできた。
***
“ダイダロスは黒!”ランより――
***
ランからのメッセージを声に出した途端、周りに控えていた隠密達が色めき立った。
「まさか、ダイダロス殿が?!」「それは本当に姫様の筆跡か?」「何かの間違いでは?!」
思わぬ帝国の重鎮の名に、隠密達も俄かには信じられないようである。しかし、
「事実だ」
上皇がざわめきを鎮めた。
「徹底的に周辺を洗い出し、早急に政治的に処理されたい」
“政治的に処理”――この意味を正確に理解するのにイェルドは時間がかかった。要人を暗殺するとなると政治基盤が大きく揺らぐ為、この動揺を押さえる為に手を尽くせということらしい。
「もう一つ、続けて報告する」
上皇の声が更に緊張を増した。既に動揺する隠密は無く、しんと冷え込む早朝の風にそれぞれ身を引き締めていた。
「クーデターにより、ペリシア
未確認情報である旨付け加えて報告されたものの、各人に与えたインパクトは計り知れないものがあった。
「事実を調査の上、一両日中に報告をくれ」
御意、と声が上がり、隠密達が任務に当たる。一向に傍らのバーナードに動く気配が無いのが心配で、イェルドもとりあえずその場に控えることにした。
しかし、そんなイェルドを放っておかない者が一人居た。そう、この場で最も肝心な報告を避けた、上皇その人である。
「頼みがある」
そんな切り出し方をされるなどと思っていなかったイェルドは、慌てて彼を前に跪いたが、
「頼みがある。“白き勇者”、よ」
“勇者”などと呼ばれてしまった為に、思わず顔を上げてしまった。
(4)
上皇・デュトゥールの目が真っ直ぐイェルドを捉えている。
“勇者”など錯誤である、と誤魔化すわけにはいかなさそうな状況である。一体、上皇は何処まで事実を把握しているのだろうか。
「先日お前が私についた嘘など痴れたものだ」
上皇はそう言って眉を顰めた。
「お前の腕には“金のブレスレッド”、お前の双子の兄の凍馬の腕には“銀のブレスレッド”……開かずの扉を開けたのもお前達だ。疑いの余地など最早無いだろう」
下らん茶番だ、と言い捨てた上皇はイェルドを睨みつけた。
不機嫌な上皇のとばっちりを恐れたこの場の隠密達が、一目散にこの場から退散した。いや、傍らにバーナード元帥を残しているが。
今、そのバーナード元帥の口が開いた。
「シラを切っていたのは、我々も同じだろう」
そんな前置きをした彼は、デュトゥール上皇の御前に畏まっているイェルドの表を上げさせた。
「陛下に何かあったのか?」
バーナードはあった事を順番に話すよう上皇に促した。幾らか落ち着いたデュトゥールが切り出したのは、国体存亡に係わる重大事件だった。
「ランが、ダイダロスと一戦交え、副脳を移植されたようだ」
「な……っ!?」
自分でも血の気が引いてきたのが分かるほど、イェルドは寒気を感じた。
“『其れ』が『其れ』に絶望すれば『其れ』は自ら終わりを選ぶ。ならば、光の勇者よ、君は何とする?”
監獄島に拘留されている老婆の干からびた笑顔がイェルドの脳裏を掠めた。しかし、
「白き勇者よ、しかし、お前とランを引き合わせるわけには行かぬ」
思わず「何故です?」と食って掛かりそうになったイェルドは、何とか感情を飲み込んだ。しかし、動揺までは隠し切れなかったようだ。直ぐに上皇の声が荒くなる。
「“勇者”であるお前達双子は、“魔王”であるランにとって凶でしかない」
不服そうなイェルドを睨みつけたデュトゥールの殺気に呼び寄せられた炎魔法分子の影響か、冬の明け方にしては熱い風が吹いてきた。
「(そういえば……)」
イェルドは思い出した。丁度、この上皇と同じ事を言っていた者と半年前に出会っていたのだ。
光の民・ベルシオラスにある人魚の棲家にて、暗黒護神使の曰く。
“この世界に終幕を導く、所謂『魔王』を滅ぼすため、『
「(上皇は、全てを知っているのか)」
イェルドは確信した。上皇は、ランが『終幕ヲ呼ブ者』である事も、『
「(だが……)」
イェルドは口角を引き締めた。同じく、暗黒護神使の言葉を借りて、曰く。
“ドイツもコイツもでき損ないのグズばかり”
終幕を導く魔王は好戦的だが明朗快活・純粋無垢で思いやりに溢れており、魔王を討つべき双子の勇者はそんな魔王を心から慕っている。
そして、このことは“終幕”の回避を避けられない状況にしているのかもしれないが、残念ながら、
「彼女を傷付けてまで、終幕を回避しようなどとは思いません」
と、少なくとも勇者の片割れが本気でそう思っている。
「お前の私見など聞いてはおらぬ!」
案の定、上皇からは怒号が飛んできた。
「臣下として答えよ! 副脳の解除の方法を」
不意に、風が強く吹き抜けた。大楠の葉が涼しく、しかし、激しく音を立てる。それは、イェルドの抑圧された怒気に呼び寄せられた『風』属性の魔法分子であった。
「畏れながら、」
右のブーツに仕込んだダガーナイフを手に、イェルドは立ち上がる。
「イェルド?!」
バーナードは息を呑んだ。
(5)
ペリシア帝国・帝都セディアラのとあるスラムの一角で、シュリがやおら腰を下ろした。
「ゴメン、ちょっと休ませて」
多くの血液を失っている上に、急に傷を治したのだ。シュリの身体は疲労困憊しているのだろう。しかし、此処で焦って飛空騎を使ってはならない。スラムでは珍しく無いトタン製や紙箱製の住まいを吹き飛ばしてしまうからである。
「構いません。お休み下さい」
“私は何時でも此処に居ります”――エリオの脳裏に、自然とこのフレーズが出てきたところである。
“エリオ様、雑務は私が承りますので、今日はもう、お休みになってはいかがです?”
先程から、副脳はエリオ「本人」の焦りを感じていた。いつも傍に居てくれて当たり前の「彼女」が、此処にいない理由をどうしても思い出せないのである。
「(いや……)」
と、エリオは思い直す。
「(思い出せないのではなく、単に、知らないのだろう)」
そうなると、エリオとしては、先程戦った黒髪の女の一言がどうしても気がかりとなるのである。
“貴方には待ち人が居たのだけれども、それも思い出せていないようね?”
かの黒髪の女、もとい、ペリシア帝国軍元帥副官・イオナは、エリオ本人を知っているのだろう、と副脳は分析する。
一体、「エリオ」は誰を待っていたというのだろう。不肖・単細胞である副脳で考えるに、どうも「彼女」が当該人物なのではないか。しかし、「彼女」は家族というわけでも恋人というわけでもなさそうである。
エリオはシュリの容態を確認した。世界に「終り」を導いた、シュリの容態を……
――汝ノ弟ハ 破壊ノ神ニ加担シ 終幕ヲ呼ブ者デアル。
突如、聞こえてきた声が引き金となり、エリオは身を引き裂かんばかりの激しい頭痛と目眩に襲われた。立っていることもままならず、彼はそのまま地に崩れてしまった。
――貴方の“行く手”はどちらかしら?
イオナの困惑した微笑みの意味が解るような、解らないような……とにかく、此処に居てはいけない気がしてならないのだ。
“まだ分かんねえのかよ?
しかし、エリオの脳裏に噛み付いてきたのは、これまでフラッシュバックした誰のものでも無い威勢の良い声だった。
“アンタのバカを止めてくれ、って言ってるお節介女がアンタの帰りを待ってるんだ! 悪態ついてねえでとっとと幸せになりやがれ!”
「(……待たせているのは、こちらの方なのだろうか)」
その答えを見つける前に、ふわり、と温かみを感じたエリオは顔を上げた。
「汚れちゃってるけど、無いよりはマシじゃない?」
シュリの細い目が、一層細く緩んでエリオを覗き込んでいた。肩にはシュリの白のフードがかけられている。
「シュリ様、」
思い切って、エリオは主に尋ねた。
「貴方は、私の事をご存知なのでしょうか?」
途端、シュリの口角が上がる。曰く。
「よく知ってるからこそ、副脳を取り付けたんだよ」
――赤い月が傾いた。
(6)
ダガーナイフを取り出したイェルドは、聖職者であるが故に強要されていた己の長い髪を掴み、
「……っ!」
その場でバッサリと切り捨てたのだ。
「イェルド・アル・ヴェールは、本日付で
これで、イェルドの、上皇の命に服する筋合いは無くなった。
「ふざけるなよ……」
デュトゥールの殺気が更に増した。隠密部隊にいたというだけのことはあり、そこらの兵士よりはよっぽど手強そうである。
「良いだろう。オレが全力でお前を阻止する」
顔の向きを変えたデュトゥールの義眼が鋭く光った。どうも、彼は本気でイェルドと一戦交えるつもりであるようだ。しかし、睨み合うイェルドとデュトゥールの間に割って入った者が居た。
「行け、イェルド!」
何と、今の今までイェルドの上官であったバーナードである。流石のデュトゥールもこれには動揺した。その隙に乗じて、イェルドはその場を後にする。「失礼します」とせめて言えただろうか。勿論、行く先は
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