第80話 アテンダント
(1)
ペリシア帝国帝都・セディアラのスラムに、返り血をたっぷり浴びたグリフォンが着地したところである。その血痕など構わずにやってくる子供達の、金をどうのこうのという声を往なしつつ、シュリとエリオは組織の塒を目指す。
「新入りサンって、何してた人?」
不意に主の問うたこの質問に、少しエリオは面食らった。このシュリという男は、自分の事を少なからず知る人物だと思っていたからだ。やむを得ず、エリオは呼び起こして良いのかの判断をつけかねる、己の記憶の引き出しを開けてみる。
「……聖職者崩れですが、一応ペリシア帝国に役職があったようです」
エリオはゆっくり一度、瞬きをした――“皇帝参謀室”と表札までついた扉を開けると、正面にデスクがある。デスク上は整頓されている試しが無く、未決裁の書類が文字通り山積みになっている。後天性の近眼なのに意地を張って眼鏡をかけたがらないらしく、デスクの書類の一番上には常に眼鏡が乗っかっている。不肖・単細胞の副脳からは余計なお世話かもしれないが、エリオ「本人」は、なかなかだらしないらしい。
”お帰りなさいませ”という挨拶もそこそこに、未決書類を指差し、「こんなに溜め込んでしまっては困ります!」と怒鳴る女声がした。殺気立つその女性は、“傍にいて当たり前”になっていたような、そんな人……
「家族って、いたの?」
沈黙が続いて手持ち無沙汰なのだろう、シュリはやたらと話しかけてきた。副脳としては、未だ同調の糸口を掴みかねている「エリオ」に近付くチャンスではあった。
「家族……ですか」
刹那、脳が萎縮したかのように記憶の引き出しが狭まったのを、エリオは実感した。ここを深追いすると致命的であると判断した副脳は、慎重に思い出を探る――赤い石が二つ、ちらりと見えた。
「ゴメンね、止めよっか」
あまりに沈黙が続いたので、シュリの方が根負けしたようだ。
「思い出なんて、頼りないもんね」
そんな事を言って慰めてくれた主には面目ないが、一つだけ確信できることが、エリオにはあった。
「貴方とよく似た弟が居たようです」
(2)
なかなか寝付けず、とうとうイェルドは体を起こしてしまった。西へ傾くやや欠けた月が明るくなろうかという空に架かっていた。
“現皇帝は終幕を呼ぶ者である――その神託を授かって程なくして、アル殿は病に倒れてしまったんだ”
養父の友人は深く一つ息を吐いた。
“君が皇帝を守護する大義名分を失わないよう、アル殿も秘匿していたのだろうな”
どうやら、この度イェルドが聖戦士長を辞する運びとなったということで、彼はこの告白に踏み込んだようだ。
“君達は、……何とも無いのかい?”
故に、養父の友人はイェルドに容態を問うたということらしい。あえて省略された言葉がいやに鋭く喉笛に噛み付くので、イェルドは頷いたまま、言葉を失ってしまった。
リトリアンナの教会に泊まらせて貰うのは今日で最後にしようとイェルドは決めている。これ以上、養父の友人の好意に甘え続けるのも気が引けるのだ。ただ、ネハネは暫く此処から動かせないだろう。彼女の回復はイェルドが思ったよりもだいぶ遅れており、下手にペリシアの隠密の標的となり易いゲストハウス等よりは、このスラムの教会の方がよっぽど安全だからだ。ネハネの死霊使い《ネクロマンサー》としての能力は複数の敵を遠隔地から攻略するのには非常に向いているが、隠密のような熟練した
丁度、窓の外から聴き慣れた声が聞こえてきた。アイリーンがアマンダに「異常無し」と告げている。イェルドは壁越しに二人の会話を聞いていた。「イェルドと話がしたい」とアマンダは言っているようだったので、それならいっそ、こちらから出向くべきだろうと思ったイェルドは直ぐに支度を始める。が、間も無くアイリーンの小さな悲鳴が聞こえた。
「お急ぎでなければ、少しお休みになって下さい!」
寝室の窓から、アマンダがアイリーンに抱きかかえられるようにして辛うじて立っているのが見えた。イェルドは取り急ぎ、窓から外へ出ることに決めた。
「……アイリ、中を頼むわ」
呼ぶ前にやってきた部下に「ホンマ、良くできた子やな」と呟き、アマンダはアイリーンを配置に戻した。
淡々と配置へ戻るアイリーンを見送り、イェルドは上官・アマンダの後についていく。そのスピードは、先程まで立つのもままならないくらい疲労していた人間のものとは思えないほど早い。
リトリアンナのスラムを潜り抜け、市中央の公園の噴水の前で、アマンダは止まった。成程、死角も少なく絶えず水の音が聞こえる其処は、内緒話にはうってつけの場所だった。
「ペリシア帝国軍から、お前宛に信号が届いた」
用件は簡潔に。アマンダはイェルドにそれだけ告げると、信号を解読した時に使用したと見られる荒い筆跡のメモを遣した。
沢山の数字の羅列に混じって、単語が幾つか混じったメモである。
その単語を順に拾っていけば良いのだろうが、あえて内容を確認しようとしたイェルドの眼前で、俄かに元帥の体勢が崩れた。
「イェルド、」
アマンダはイェルドに呼びかけるなり、溶けるように噴水の縁にもたれてしゃがみ込み、「頼みがある」と告げた。告げた声は男声であったので、どうもこの一瞬で“アマンダ”は“バーナード”に替わったようだ。
「――半刻後に起こしてくれ」
月の軌道は南西へ差し掛かる。イェルドはそれを見ていた。剣を抱えて束の間の休息で過労を凌ぐ“バーナード”の方が、どうやら「素」の姿であるようだ。
「(ペリシア帝国から?)」
半刻という時間に気をつけながら、イェルドはメモに書かれた単語を拾い、読み進めた。
***
イェルド殿へ
25日後 セディアラに着弾するもの 終りの時を齎す 貴方の助けが欲しい
――イオナより
***
「(随分、具体的なものが出てきたな)」
イェルドはメモを握り締めて月を仰いだ。“終りの時”は、「終幕」のことなのであろう。
「(でも、“セディアラに着弾するもの”?)」
イェルドは、渡されたメモを隈なく確認して慎重に単語を拾ったが、これ以上の手がかりを見つけることは出来なかった――彼はまだ、ペリシア帝国が魔法核弾を保有している事など知らない。
「(ランさんが直接関わることは無いのか)」
少しだけ、イェルドはホッとしたのかもしれない。ランがあたかも不吉の象徴として語られるのは、正直、聞くに堪えないのだ。
10分がまだ経たぬ内だっただろうか。遠くの方で高い破裂音が聞こえた。イェルドにとっては全く気に障らぬほどの些細な音でしかなかったのだが、それを聞いたバーナードは飛び起きた。
「……緊急事態だそうだ」
バーナードはそれだけイェルドに言い残して駆け出した。付いて来いとは言われていないのだが、彼の体調も気がかりだったイェルドは、あまり深くは考えずに元帥に同行した。
(3)
欠けた月が南へ差し掛かる。ペリシア帝国帝都・セディアラで最も背の高い建物であるペリシア帝国軍本部の元帥室から、イオナはぼんやりと月を見上げていた。
皇帝・ジェフ三世の「気の迷い」の如き思い付きで、全軍の統帥権とやらを一任されたイオナであったが、実質的にはメーアマーミーがイオナの名で動いてくれている為、今のところ大きな混乱もない。当の皇帝も、帝国軍に「確保」されたという建前で庇護されているのだからお相子だろうか。
ペリシア帝国始まって以来の帝政が終りを告げようとしている。史実上、ペリシア帝国はシュリ率いる反政府組織“シェラード「赤い月」戦線”に滅ぼされたことになり、この革命を鎮圧したペリシア帝国軍が共和制の名の下に執政するということになる。然して、このタイミングでの魔法核弾騒動である。
扉が開いて、帝国軍元帥が戻ってきた。「まだ起きていたのか」とでも言いたげな眼差しを向けられたイオナは、「何か問題かしら?」と首を傾げてやった。
「お前からの伝達事項をヴェラッシェンド帝国軍の隠密ラインに信号で飛ばしておいた。一両日中には、聖戦士長の耳にも届くだろう」
報告がてら、メーアマーミーは予めイオナが処理しておいた事務連絡に目を通し、必要なものにはサインをする。メーアマーミーに続いてやってきたシュナイダー率いる側近達が、決済の取れた書類を持って、また何処かへと消えていった。
「お前の安眠を妨げそうな報告があるんだが、今聞いておくか?」
なかなか物騒な前置きをわざわざつけて、メーアマーミーは切り出した。
「今聞いておかなければ、気になって安眠できそうに無いわよ」
イオナはもう一度窓の外の月を見上げた。
「ヴェラッシェンド帝国皇帝に、第一皇女ラン・クオリス・ヴェラッシェンドが即位した」
魔王(サタン)の血統を継ぐ最後の者が敵国の皇帝となったことで、次なる大戦が世界の覇権を決める決定的な一戦となることは疑いようもなさそうだった。
「それは、まあ、予測できないことでもなかったわ」
イオナは口元を緩めた。一時的ではあるものの、ペリシア帝国軍に北部ヴェラッシェンドの侵攻を許したヴェラッシェンド帝国が国民にどう落とし前をつけるのか気になっていたところである。どうやら、皇帝の交代ということで民には納得してもらおうというところなのだろう。しかし、メーアマーミーの報告には続きがあった。
「先日、皇帝即位による特赦の実施がされたようだが、その中に――」
そこで、不自然に言葉を止めたメーアマーミーは、丁度、不審に思って振り返ったイオナと目が合った。
「――凍馬の名があった」
凍馬をヴェラッシェンド帝国軍に引き入れる為の方便だろう、とメーアマーミーは補足したが、イオナはその話の半分も頭に入らなかった。
「帝国の戦力を食い潰し、資産を散々他国にばら撒いてくれた凍馬には、せめて我が帝国軍に幾らか寄与してもらってからしょっ引きたかったのだが、残念だ」
表情を失ったまま一つも言葉を発さないイオナの顔色を窺っていたメーアマーミーが、声を殺して笑ったところである。イオナはやっと気を取り直して状況を整理した。
「確かな情報かしら。彼は群れないそうじゃない?」
その答えはとうに出ていたのだが、メーアマーミーは混乱している彼女の為、わざわざ回答してくれた。
「ヴェラッシェンド帝国の聖戦士長と凍馬は、不幸な事情があって生き別れた兄弟だそうじゃないか。ヴェラッシェンド帝国では、今この話で持ちきりだそうだ」
ヴェラッシェンド帝国と敵対することになるということは、予めイオナも覚悟していた事である。しかし、
「(アタシはトーマとも、敵対することになるのね)」
その想像をあえてしたことも無かったので、彼女は困惑してしまったのだ。イオナは欠けた月を仰ぎ見た。構わず、メーアマーミーは続ける。
「ヴェラッシェンドに派遣していた隠密兵の殆どと、今連絡が付かなくなっている。凍馬に殺られた可能性が高い」
メーアマーミーも月を見上げた。月の架かる南の大陸に位置するヴェラッシェンド地方は、もうそろそろ夜が明ける時間だろうか。
「お前の“お友達”はなかなか賢明じゃないか」
メーアマーミーの言う“お友達”が指している範囲が広過ぎるので、イオナはこれについての言及は避けたが、お陰でよく分かったことがある。
「アタシは“人質”ってワケね」
メーアマーミーという男にとって。そして、祖国・ペリシア帝国にとって。
「お前のことだ。そのつもりで私にのこのこついてきたんだろう?」
イオナは月の架かる窓から離れ、「そうね」と頷いた。
“今に合わない古臭い秩序なんて、アタシ等でぶっ壊してやろう!”
怯んでいたイオナのココロに、勇ましくそんな事を言っていたかの盟友の声が飛び込んできたところである。
「忘れるところだったわ。有難う」
一度は“永遠の愛”というものを誓い合った二人である。互いに言いたいことも、それを互いに言わない理由も、何だかよく分かるのである。
「――どういたしまして」
手を取り合ってそれぞれ違うところへ行こうとしたから、痛くなってお互いに手を離したのである。
手を取り合えば痛い目を見ることも分かっているから、もう二度と手を繋ぐ事など無いのである。
ただ、手を取り合っていた昔のことを、互いに「幼稚だった」と評価しておきながら、手を取り合っていた昔が確かにあったことを、互いに握りしめたままである。
「ヴェラッシェンド遠征を先送りにして欲しい旨、打診があるが、どう思う?」
メーアマーミーはイオナに意見を求めた。
「同意よ。魔法核弾の問題が解決しない以上、体勢が整えられないでしょう」
成程、とメーアマーミーが頷いた。どうやら、この方向で話を進めていくことになりそうである。
眠れぬ夜には良い仕事と言えそうだろうか。
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