第73話 アカツキバカリ憂キモノハ無シ

(1)

 一仕事を終えたペリシア帝国軍元帥の下に、同時刻に起こった反政府軍組織「シェラード“赤い月”戦線」の暴動を鎮圧した部下が「報告」を持って帰ってきた。

「今回の暴動に動員されたと見られる敵の数は30名ほどでした。その殆どは掃討完了し、現在一部の者が自爆を謳って国立公会堂に立て篭もっている状況です」

直ぐに集まってきた側近達が機動部隊の派遣をメーアマーミー元帥に進言する。

「……難しいな」

それがメーアマーミーの率直な意見だった。ペリシア帝国国立公会堂は首都・セディアラの中央に位置する主要建造物ではあるが、そこに居住する住民はごく少数である上、現在は人通りも無い夜明け前である。

「自爆テロにしては効用が少ないな。暫くは奴等の様子を見て、目的を見極めたい」

例えば、公会堂に機動部隊を動員してしまい、肝心の城(パレス)の警備が手薄になってしまえば、それこそ国体存亡の危機である。

「御意に」

側近達の動きが慌しくなった。折々、それぞれが通称・“開かずの間”にさながら残された動かない皇子達を一瞥して行き過ぎるものの、誰もが唇を噛み締めたまま何も言葉を発しない。何せ彼等のこれまでは、曲がりなりにも、この皇子達を守護するために働いてきたようなものだったからだ。それが、現皇帝の「御一存」であっさりと抹殺の対象になってしまったのだから――

「(気の毒といえば、気の毒か)」

大きな溜息を一つ吐いて、巨大なボウガンを担ぎ直したメーアマーミーを見た筆頭側近・シュナイダーが、

「イオナ殿をお呼びしますか?」

と、竜王の出動を勧めた。本当に彼は気が利いている、とメーアマーミーは感心しながら、「いや、」と小さく笑った。曰く。

「まだ、後ろを許せるほど信じきれていない。互いに、な」


 赤を塗りつぶされたような激しい色の月が西の空に架かる。

 不穏な風がセディアラの夜明け前を吹き抜ける。

 警戒すべきは眼前の敵か、遠方のヴェラッシェンドか、或いは別にあるのだろうか……

 

 さて、「御意に」などと引き下がったものの、やはりシュナイダーは副官の召喚を独断で決めていた。長年メーアマーミーに仕えていた彼をして見れば、主の虚勢が見え透いた言動ほど敏感になってしまうのだ。

 ――それにしても、何とも不気味な色をした月だ、と老騎士も唸ったところである。

(2)

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 何が起こったのかもわからない――ペリシア帝国第二皇子・キリエは混乱していた。口の中が血塗れなのだが、もう彼自身ではそれをどうする力もなかったし、その状況さえ知る由もなかった。

「シュリ……」

でも、最愛の弟・シュリに呼ばれたからこそ、彼は“開かず”と蔑まれる扉を開けたのだ。キリエはそれを忘れてはいなかった。扉を開けたその時から今までの僅かな時間のことを、彼は何とか思い出そうとしているが、最早その焦りは無為に終わりそうだった。しかし、

「シュリ……?」

痛みも死も、それへの恐怖も、キリエの頭の中ではだいぶ前から覚悟してきたことだった。自分の心の弱さは自分が一番自覚していたからだ。

 それにしても、訪ねてきてくれた弟の姿も声も聞こえない――これはどういうことだろう、とキリエは体を這わせて何とか手を伸ばしてみた。

「シュリ?」

伸ばしたキリエの手に、触れたものがあった。複雑な形をしているそれは、多分、手の指であろう。これは、いよいよおかしなことである。

「……シュリ?」

何も見えないし何も聞こえはしないが、本当は、弟に何か声をかけられているのかもしれない――キリエは絶望した。本当に、自分は“無力である”ということを思い知らされたからだ。


 もう、起き上がる力もない。キリエはおそらく指であろうそれを確かめながら、祈りを込めた。

「シュリ……生きて……!」

回復の波動が“開かずの間”を満たしていく。

「生きて……」

――残された者へ捧げた安寧と幸福への願い。それは、確かな救済のチカラを宿す魔法分子結晶となった。

『回復呪文(ヒール)!』

能力も知恵も勇気も優しさも、はるかに自分より卓越した弟のために、せめて未来だけは残してやりたかったのだ――キリエの動機といえば、ただ、それだけであった。


 有明の月がやけに不気味な色を落としている。


 “開かずの間”から、漸く這い出てくれた最愛の兄は、真っ赤な顔をしている。

 その赤は強烈で、兄の美しい銀の髪や白くて華奢で繊細な体にも蔓延っていた。

「見てよ、兄上。月まで赤いヨ……」

しかしどういうことだろう。折角、“開かずの間”から出てきてくれた兄からは、何も返事が聞こえない。まだまだ見せたい景色があるというのに、こんなにも無感動ではやりきれなくなる。


 やりきれなさが、目蓋の奥の奥からこみ上げてきて、もうこの景色さえ、ぐにゃぐにゃに歪めてしまっている。これではいけない。兄に見せるべき景色が、こんなに歪(いびつ)なものではいけない。そうだ、せめて、この「赤」を借りようか。穏やかで安らかな兄を塗りつぶしているこの「赤」で。ぐにゃぐにゃに曲がりくねったこの世界を――

「ああああああああああああ!!」

シュリの叫声が城(パレス)を劈いた。

(3)

 「ランよ、」と、まだ時の魔王をそのファーストネームで呼ぶ不躾な青年もとい凍馬が、鞄をあさり始めた。つい、窘めるのも忘れて首を傾げたランに、間もなくインディゴブルーの花が差し出された。

「……アイツに、会うことがあったら渡して欲しい」

またも殊勝な事を、凍馬は言うのである。「アイツ」とは、無論、イオナの事である。

「ペリシアは、現在保守派と革新派に分かれている」

夜が明け始めるにはまだ早いが、夜明けと共にヴェラッシェンドへ帰還するつもりであるらしい。つまり、今がキャンプ撤収間際である。これを最後の機と見た凍馬から、現在のペリシア帝国の情勢について、どの隠密よりも正確な情報が齎されたところだ。


 ペリシア帝国軍元帥・メーアマーミーを筆頭とする保守派は、イオナを推してこのまま政権の中心にあり続けるつもりで居るようだが、ペリシア帝国第三皇子・シュリがそれを好く思ってはおらず、しばしば中小規模のテロが勃発しているという。

 イオナなりに、今の難しい情勢を上手くコントロールしているようだが、正直、ペリシアではいつ何が起こってもおかしくないそうだ――凍馬の分析は相変わらず的確である。

「その革新派勢力に、イェルドが追われていた。多分、この手の話を聞きつけて、工作の妨害でもしたんだろうな」

凍馬は何となくテントを見遣る。イェルドはまだ目覚めない。否、目覚めてはいるだろう。ただ、皆がそれぞれ親切心を発揮して、誰もあえて交代を告げないだけである。

「お前……あの小娘も救ってやってくれねえか?」

やはりというか、案の定というか、ヴェラッシェンドとペリシアの情勢について、凍馬は気にはしてくれていたようだ。「つくづく殊勝な奴だ」とランは失笑もしたが、今回は焚火の灰をかき混ぜるのは諦めた。代わりに、曰く。

「そのコサージュ、アンタが渡した方が良いよ」

まさかの「火の粉」に面食らった凍馬が見ると、ランは焚火の向こうでニンマリと笑っていた。何故か凍馬は、その余裕の笑みにいやな動悸を覚えた。

「オレが? 何で?」

そういえば、ランのこういう微笑み方をイオナはよくしていたような気がする。凍馬は、突き返されたコサージュを見つめて、ふとそんなことを思い出していた。

 

 丁度、暁の寒風に流され、さらさらと針葉樹林が揺れる音が聞こえてきた。

 インディゴブルーの色をした空が、いやに思わせぶりな夜である。

 “ハナが落ちてた。お前のか?”

と、持ち主に声を掛けたあの日は、陽光を透かした交譲木(ユズリハ)が風に揺れていた。

“ええ、アタシのものだわ”

そうコサージュを受け取ろうとした持ち主の女が、特別嬉しそうに見えたわけではない。

「……やっぱ解んねえよ」

と正直に凍馬は応え、くるくるとコサージュを回してみた。しかし、

「つべこべ言うな。男を上げろや、青年」

まるで酒に酔った壮年男性のような言動でこのように煽ったランの思惑が、ますます凍馬には難解となってしまっただけだった。ただ、

「アンタが返しに行き易いよう、アタシも外交努力するからさ」

これ以上の世話は焼けねえよ、などと笑ったランは、少なくとも頼もしく見えはした。

(4)

 ペリシア帝国帝都・セディアラでは、今まさに夜が明けようとしていた。シュナイダーからの応援要請に応じたイオナは、帝国軍本部を出て、反政府軍組織「シェラード“赤い月”戦線」の構成員が自爆を謳って立て篭もる国立公会堂へと向かう。


 冬の入り口から吹き込む風はとても冷たく、コートでも無いと風邪をひきそうなくらい寒い。しかし、ペリシアに戻って以来、多忙を極めているイオナには、正直、冬物の服を買い揃えている余裕は無かった。

「(この件が片付いたら、覚えていらっしゃい)」

イオナは元婚約者の顔を浮かべてニンマリほくそ笑む。防寒具を入手するに当たっては、身銭を切るつもりは毛頭ない。イオナの足は速まる。抜け目も引け目も無い彼女の脳裏に、幾つかのファーやレザーのコートが浮かんでは消え、浮かんでは消え、していた。

「シロかしら? それとも、クロ?」

ふとイオナが漏らした言葉に、先を行く老兵・シュナイダーが足を止めた。問われている内容は、勿論コートの色ではなく、現状の優劣である。

「……グレーかも知れぬ。或いは赤や青やも知れぬ」

丁度、不気味な赤い光を孕む月が西の空に落ちようとしていた。

「赤……」

イオナは足を止め、有明の月とは間逆に位置するペリシア城を振り返る。そう、何をどう考えてもテロリストが爆破したいのは国立公会堂ではないのだ。

「私は城(パレス)の警備に回った方が良いかも知れないわ」

警戒すべきは、反政府軍の一味が立て篭もり自爆テロの機会を窺っているという公会堂よりも、組織の実質的指導者にして第三皇子・シュリが本拠としていたセディアラ市街地の何処(いずこ)かも知れない。否、テロリスト達はもしかすると公会堂から切り札を持って更なる攻撃の機会を窺っているのかも知れないし、或いは、敵は既に公会堂には居らず、彼等の目的を正に果たさんとしているのかも知れない。勿論、彼等の目的とは武力による皇位継承であり、ひいてはペリシア帝国を機軸とする統一国家の構築である。

「パレスへは、私が往こう」

シュナイダーは、イオナにはメーアマーミーの居る公会堂に最も近いセントラルパークの応援に回るよう申し出た。

「貴方一人では危険過ぎるわ」

せめて自分も同行する、と進言したが、シュナイダーは拒否した。

「貴殿は今後のペリシア帝国に、最も必要なお方だ」

加えて、今回のイオナへの応援要請はシュナイダー一個人の独断であることも伝えられた。イオナはこの老騎士の提案を呑まざるを得なくなった。

「すぐに、パレスへ要員を送るよう、元帥に伝えるわ」

そう言って老騎士を送り出したイオナは、西の空の赤い月を仰ぐ。


「――嫌な月ね」


(5)

 一足先にペリシア城(パレス)に到着したシュナイダーが感じたものは、最早「妖気」と呼べそうなほど狂気じみた闇魔法分子の負のチカラからくるプレッシャーだった。

 辺りには粉々に砕かれたガラスが散らばり、そこらじゅうに炎魔法分子で灼かれた死体が転がっており、焦げ臭いとも血腥ちなまぐさいともつかぬ異臭を放っていた。

「まさか……!?」

シュナイダーは“開かずの間”へと急ぐ。嫌な予感が頭を過ぎったからだ。この老騎士、伊達に長く役目に従事してきただけのことはある。彼の抱いた“嫌な予感”は、間もなく現実となって、彼を困惑させたのだ。


 「(これは!)」

“開かずの間”には、ボウガンで射抜かれて倒れていた二人の皇子が取り残されている筈だった。しかしそこにあるのは、第二皇子・キリエの亡骸のみである。

「シュリ様か!?」

シュナイダーは途端、青ざめた。血のついた足跡が皇帝の居るロイヤルルームの方へ伸びている! ――間違いない。シュリは皇帝の命を狙っているのだ。

「シュリ様!」

シュナイダーは赤い足跡を追って行った。行く手、行く先々に、変わり果てた姿となったロイヤルガード達の亡骸が並ぶ。それにしても、帝国随一の精鋭を集めたロイヤルガードが束になっても敵わないほどの実力を、まさか第三皇子が備えていたとは、この老騎士も思いもよらなかった。彼は本気だ!

 「シュナイダー殿、……」

ふと、蚊の鳴くようなか細い声をかけられ、シュナイダーは声のした方を注視した。

「!?……その声は、フェイリィか?」

自分と同じ、帝国軍元帥側近の仲間が、半身を焼き尽くされて行き倒れていた。

「シュリ様が……」

回復呪文の波動さえ受け入れられないほどに深刻な仲間の損傷に、シュナイダーは思わず眉を顰めた。

「シュナイダー殿、……やられました……」

しかし、事態は想像をはるかに上回るほど深刻であったのだ。シュナイダーは、仲間が命懸けで伸ばした腕の示す先を見た。

「何ということだ……」


 あえて語られはしないが、ペリシア帝国城には、パレスを全攻撃から防御する為に張るバリアを作る魔導制御室が設けられており、有事の際には、其処が帝都防衛・国体保存の核となる。

 更に其処では、現在ペリシア帝国で最重要機密事項である“ある兵器”の格納・使用の一切をコントロールしていたのだ。

 しかし、現在、魔導制御室は一部を除き完全にダウンしている。

「何ということだ……!」

シュナイダーは床に崩折れた。

「神よ――」

何もかもがダウンしているこの部屋で、唯一淡々と動いているものがある。粛々と正確に時を数え続けているそれには、名前まで付いている。


 魔法核弾、と。

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