第74話 ペリシア帝国革命(1)

(?)

 ふわふわと覚束ないランの意識が捉えたのは西に傾く陽の光だった。

「(何処だ? 此処は……)」

幾つも立ち並ぶ屋根の無い家々は、ソドムの低所得者集落を彷彿とさせるが、それにしたって人一人いない。黒くてか細い幹の樹木が点在する他は一面に薄(ススキ)が生い茂る其処は、まるで黄金の大地のようである。

 やおら、変声期を過ぎたばかりの若い青年の声が聞こえてきた。

“オレ達は、今までの戦いでアンチテーゼを導いたんだ”

見れば、栗毛の精悍な顔つきの青年である。凛とした彼の口調は穏やかで、しかし、強い意思を秘めているようだ。ランは息を呑んだ。

“ニンゲンもマゾクも殲滅させちゃダメなんだ、って”

一度、目を伏せた青年の表情が俄かに陰る。相当な戦いを乗り越えてきたのだろう。だからこそ得た哲学なのだろう。ランは大きく頷いた。しかし、彼のその気魄にまるで水を差すように、大きな溜息と女声が聞こえてきた。

“永遠の平和、か”

思わず苛立ったランは、つい、その不届き者を睨みつけてやろうと振り返った。

「(え?)」

色白で長身の女声の主は、ランと同じ亜麻色という髪の色をしている。堀の深い二重の目などは、よくよく見ると自分と結構似ているのだ。やや低めの彼女の声が後に続く。

“戦いを無くす事などできはしない。我々が進化を求めようとする限りだ”

それは、確かに否定できない――ランもつい、溜息をついてしまった。現に、自国はペリシアと戦争を続けてきた。その過程で刷新された魔法技術もあるし、あえて過去から発掘して再利用された禁忌の魔法技術もある。

“それも『シナリオ』に載っていたってか?”

続いて聞こえてきた声は、ランよりももっと苛立っている。声の主を見遣れば、やはり栗毛の青年なのだが、先程の青年ではなく、剣士である。

“戦争が無くならないなら、今よか減らしゃあ良い”

相当苛立っているのか、眉間には皺が寄り、口調もぶっきらぼうで、眼つきなどはその辺のチンピラ崩れの方がよっぽど可愛く見えるほど(!)である。しかし……

「(あ、双子か!)」

すぐにそれと解るほど、彼等は同じ顔立ちをしていた。

「(待てよ……)」

そこで、ランはふと我に返る。

「(ひょっとして、コイツ等……)」

彼等こそが、祖父・ヴァルザードと共に世界を変えたという『双子の勇者(ケツァルコアトル)』ではないか――ランはもう一度、聞こえてきた女声を振り返る。

“寿命の短い光の民は戦を忘れ、魔法を忘れ、『神』をも忘れるだろう”

低い、しかし、端々に威厳の滲む声の持ち主は、時の魔王リノロイド、もとい、エイダ・クォウツ・ファルテージだろうか。

“寿命の長い闇の民は『神』に近付こうとするだろう。魔法の技術は刷新され、神の意思、即ち、『シナリオ』を読めるようになるものも多く現れ、いずれは『神』を脅かす存在になり得る。そして、”

刹那、ランの背筋に確かな寒気が走った。理由はひとつも解らないが、意味深に、エイダと思しき女性は、こう続けたのだ。

“そして、そうなれば『神』は民に罰を下すだろう”

「(罰?)」

大きな“捕り物”があった翌日である所為だろうか。「罰」と聞いて不意に、ランの脳裏を過ったのは大きな月である。そういえば、今日などはやけに赤くて不気味な色をした月が出ていた。

 再び、ランの意識はふわふわと覚束なくなる。まどろみにもよく似た心地よさのある中、随分遠くから、青年達の声が聞こえてきた。

“未来の事なんて、オレ達にゃ一向に見えてきやしない”

苛立つ声の主は、きっと、剣士の方だろう。更に遠く、穏やかな声が聞こえてきた。

“神サマって、そんなに悠長な奴じゃないと思う”

これでは神への冒涜も良いところだ、とランは勝手にハラハラしていたが、時の『勇者』は怯みもせずに言ってのけた。

“きっと、多分、貴女が一人殺して傷付く度に、神サマも悲しんでるんじゃねえのかな”


――あのお伽話だと思っていた世界の大革命から、どうやら数千年が経つという。


 『勇者』と『魔王』は、今のこの時代をどのような気持ちで見つめているのだろう。

 未だ戦いは無くならず、一時など光の民の世界の秩序さえ危うくなってしまっていたが、少なくとも今、『勇者』と『魔王』は、争い合うどころか、むしろ「懇ろ」と言って良いくらい確かな絆で結ばれている。それこそ、“彼等”の葛藤のお陰であろうか。

 しかし、まどろむランに、誰かが声を掛けてきた。


“相克をせねばならぬようだ”


***


 「……陛下、……陛下!」

ひんやりと冷たい風と聞き慣れた声に、ランはふっと我に返った。ふと並走する飛空騎を見れば、臣下である聖戦士長が困惑の笑みをくれた。

「ん? あ、悪ィ」

ランは苦笑した。ソドムからヴェラッシェンドまで、飛空騎を急がせても半日以上かかる。その移動が退屈に過ぎたランは、うっかり転寝うたたねをしてしまっていたらしい。

「(クソ、羨ましいな)」

やや後方に高度を下げて控えたイェルドの光明獣(ラハドールフォンシーシア)の上では、何をどう考えても明らかに睡眠時間が足りていなかった凍馬が、堂々と寝息をたてていた。

(2)

 まだ少し、右手に痺れが残っている――ペリシア帝国国立公会堂の様子を望遠鏡で確認したメーアマーミーが小さく溜息をついた。

「ボウガンなんて、慣れない武器使うから悪いのよ」

ふんわりと冷たい風に乗ってきた声が、“ご苦労様ね”と労いの言葉をかけてきた。

「フ……大人しく寝ていれば良いものを」

正直、今のメーアマーミーにとって、彼女は一番出くわしたくない人物であった。故に、彼は何とか意識を公会堂の方へ集中させることにした。

「こんな時に副官無しでどうするつもりだったのかしら?」

一方のイオナの方も、元婚約者に読心術(マインドリーディング)を警戒された事くらい、察していた。ただ、そうと知って今更動揺する彼女ではなかったが。

 「お前の代わりは誰も居ない」

やや間があって、メーアマーミーが応えた。

「え?」

かなりの場違いではあったが、その言葉は、この国から亡命するまでずっと、彼の口から聞きたかった言葉だったのだ。生まれ育った愛すべきこの帝国をより良く変えるために、共に戦ってくれることを信じていた、彼に!

 しかし、イオナの想いとは裏腹に、次の言葉がついでに付け加えられた。

「――竜王(マスタードラゴン)を基礎としたクローンの素体は、エリオに渡しておいた“ポープ号”しか残っていなかったからな」

つくづく、メーアマーミーという男は周到である。手段はともかく、目的を遂げるための確実な方法を瞬時に選択できる感覚(センス)が卓越しているのだろう。

「……クズね」

見事に、イオナは閉口するしかなかった。

 

 木枯らしが帝都・セディアラの街に吹きつける。

 徐に、メーアマーミーは着ていた外套をイオナに差し出した。渋々、イオナはそれを装備する。まだ、少し温かい。

「シュナイダー殿が、城(パレス)の応援に向かっているわ」

淡々と、イオナは本題を切り出した。

「此処に動きが無いんなら、パレスへ向かう要員を増やしても良いんじゃないかしら」

副官からの打診に、「そうか」と淡々と相槌を返した帝国元帥は、一つ唸った。

「甘いな。つくづく……」

大量に砂糖の入ったコーヒーを飲んでいる訳でも無い今、メーアマーミー元帥はそんな事を言うのである。

「え?」

その真意を確かめようとしたイオナが触れた彼の意識の中に、どういう訳だか、亡命した自分を処刑しに現れた時の彼の姿がフラッシュバックしていた。思わず、イオナも読心術(マインドリーディング)を放棄してしまった。

「此処の指揮権はお前に譲る」

漆黒のプレートアーマーを装備し、そう言い残したメーアマーミーは、やおら竜に跨ると、城(パレス)方向へ飛んだ。


 ペリシア帝国は、こうして、帝国最大の混沌の日を迎えることとなった。


(3)

 ヴェラッシェンド帝国に帰還したイェルドは、直ぐに国教会本部から召喚された。勿論、兄・凍馬について、尋問を受けるためである。


 門地や経緯について簡単な身辺調査をされた後で、イェルドは国教会教皇から単刀直入に本題を切り出された。

「皇帝陛下より更迭の命令が下される前に、聖戦士長の職を辞して頂きたい」

国教会の面子を保つ為の安全対策を、ということらしい。イェルドは、「考えておきます」という用意された回答を提出して、暫くぼんやり賢人達の説得を聞き流していた。


 イェルドとしては、「聖戦士長(アークビショップ)」の肩書きそのものに執着は微塵も無い。漸く勝手に慣れてきた城(パレス)の大聖堂からまた引越しをせざるを得なくなるのは面倒だが、止むを得ないとも思っている――いっそ、これを機に聖職を放棄しても良い、とも。

「いやいや、何も、国教会を脱退しろとは言わないのだよ、イェルド殿」

今にも退会を切り出しかねないイェルドに、国教会の大賢者達が慌てて補足し始めた。

 国教会の立場からみたイェルドという人物は、今後の布教と政治的地位の確立の為、手放したくない人材ではあるようだ。即ち、“悲運な生い立ちで兄と生き別れてしまったイェルドが劇的に兄との再会を果たし、現皇帝・ランの計らいでその兄の罪までが消えたのは、神への篤い信仰心と功徳の成果の顕れである”、という広告の見出しでも用意しているのだろう。

「恐れ入ります」

イェルドは一応頭を下げておいたが、賢者達からのおべっかはまだ続く。

「君ほどのキャパシティーがあれば、まだこの先いくらでもチャンスはあるだろう」

「城務ではなく、いっそ政治に興味は無いかね? 君が望むなら国議会議員に話を通してみるが」

「既に帝国軍傭兵局が君と凍馬を戦力として確保すべく、交渉に乗り出すそうだ。しかし、せめて君だけでも政界で活躍できるよう、国教会は更なる支援を惜しまぬぞ」

イェルドの頭上では、権威ある賢者達がえらく饒舌である。

 こういう時、彼の気の利いた主君なら一喝して総員を黙らせるだろう。その絵面は簡単に想像できてしまったイェルドは、溜息をついて口の端の苦笑いを誤魔化した。

「停戦破棄まであまり時間が無いようです。引継ぎの都合上、辞職ならば近日中にも致します」

だからせめて、暫くは自分のことも兄のこともそっとしておいてはくれないだろうか――暗にそう含ませて、イェルドはさっさと退席した。

 

 そういえば、まだ聖戦士長たる証のロザリオは、退霊のお守りとして、ランの首にかけられたままである。

 彼女が今もなおそれを肌身離さず身に付けている理由などは、一応、イェルドも理解している。そう、彼女は、腕力で片付けられない、実体の無いようなものがとかく苦手なのだ。例えば霊(ゴースト)系の魔物であったり、例えば月が空にかかることを説明する力学理論であったり、例えば政治や法や皇室慣習であったり、――“もう会うべくも無くなること”であったり。

 

”私は、変わらない”


 あえてランにわざわざ確認した事は無いが、彼女は常に“理不尽”と闘っていたのだ、とイェルドは理解していた。しかしそれは、正解の半分でしかなかった。

「(理屈っぽい、と貴女は笑うでしょうか)」

向こうに見えるパレスを仰ぎ見て、イェルドはもう一つ溜息をついた。

 亡命中のイオナを保護するまで、ランは“パレス”というかの狭い世界でだって、独りぼっちだったのだ。「辛い」とも「寂しい」とも言えず、むしろそれさえ敵と看做して直向きに「強さ」に憧れていたのだ。そして、だからこそ、理解して救おうとしていたのだ。

 竜王・イオナが負っていた精神的な脆さも。

 “伝説の盗賊”・凍馬が隠していた空虚も。

「(貴女は、まだ私を救おうとしてくれているのですね)」

神など居まい、とイェルドは思っていた。


 ――今の今までは。


(4)

 ベッドで眠ったのは半年振りである――起き抜けのぼんやりした脳味噌でそんな事を考えていた凍馬は、しかし、ブロンドの妖艶な美女に顔を覗き込まれている今現在を受け流すべきかどうかの選択に迫られていた。

 否、実際に、迫られていた。

 まさかの夢かと思い、試しにゆっくり瞬きしてみたところ、ヌーディーカラーのグロスたっぷりの唇がゆっくり接近してきただけである。流石にどうしたものかと思った凍馬であったが、

「(据え膳といえば据え膳だよな……)」

とも思い直し、小さく覚悟は決める。が、いよいよ“据え膳”にありつくというところで、聞き慣れた声が、無回転で飛んできた枕と共に割って入ってきた。

「ええい! やめんかオッサン!」

何時になく、非常に荒い口調だが、これは自分の双子の弟の声である――凍馬は、一旦状況を整理し、確認した。


 罪が消えたとはいえ、盗賊の代名詞であった大罪人を城(パレス)敷地内に通すことを懸念した城務省の意向を最大限に汲んで、凍馬はヴェラッシェンド帝国軍の寮の空き部屋を使用させてもらっていた。勿論、元帥・バーナードにも話を通してもらっており、元帥の許可も出たという。

 然して、起き抜けに突然現れたこの金髪碧眼の美女と、一体どういう訳か彼女を“オッサン”呼ばわりする実弟イェルドの登場である――

「イケズぅ、今は、ア・マ・ン・ダ!」

ブロンドをふわふわさせて色っぽくむくれて見せたアマンダの仕草は、傍から見る分にはそれなりに可愛らしいのだが、イェルドはうすら寒そうに、

「ダメです! モラルがハザードです!(?)」

などと、両腕を摩っている。

「大丈夫、凍馬もまんざらやないって」

やおら通り名を呼ばれ、凍馬はアマンダと名乗った女性に視線を移す。しかし、目が合った彼女は渋々凍馬から体を離し、ベッドの端に掛けていた外套を羽織る。

「兄さんも、何でも受け容れないで節度持ちましょうよ?」

イェルドは頭を抱えているが、

「へ? オレが何したよ?」

凍馬は、実際、何もしていない。

 話がややこしくなっている最中に、ややこしい上司が何かとややこしいことをしてくれており、その収拾に腐心するイェルドのフラストレーションは、極大値に達していたのだが、凍馬は何も知る由がない。せいぜい苦笑を浮かべ、閉口した弟に酒を勧めてやることしかできない。

「ヤな事でもあったか?」

こう尋ねたものの、弟に“ヤな事”があったということくらいは、凍馬にも解る。だから、なかなか弟から返事が来ないことなど別段気にもならなかった。

 むしろ、まだ彼等と付き合いの浅いアマンダの方は気になるようで、「そうそう、」というありふれた前置きから、核心が切り出された。

「もう辞表は出してきたんか?」

勿論、辞すべき職とは“聖戦士長(アークビショップ)”のことである。

「いいえ。しかし、近日中には」

イェルドは小さく溜息をついて、注がれた酒に口を付けた。相変わらず、兄の勧める酒は強く、勤務時間中に飲むのにやや気が引ける。酒以外の飲食品も持ち込んでやらなければ、とイェルドの気が逸れたところ、丁度、机上に買い物袋が積み上げられているのに気がついた。

「さっさと辞めて、ウチの部隊に入ってや。勿論、双子様大歓迎やで」

どうやらアマンダの真の目的は、夜這い(!)ではなく、スカウトのようだ。


 世界的術者(ユーザー)である凍馬がヴェラッシェンド帝国軍の戦力に寄与するメリットを汲んで、ヴェラッシェンド帝国は、凍馬を無罪放免としたという見方が大きい。荒々しい手口だが、こうして丸く収まっている当事者としては歓迎せざるを得ない。

 勿論、この打診も魅力的だった。

「凍馬、ウチで余ってた食料と飲料水やねん。使うてくれへんか?」

「え? 良いのか?」

凍馬としても、魅力的な打診であった。断る理由は無い。

「お腹すいてへん? ウチ何か作るわ」

「お? 姉さん気が利いてるな」

そう、断る理由は無い。しかし、イェルドは思わず頭を抱え込んでしまった。

「(兄さん、その人の中身は“姉さん”ではないんです……)」

丸く収まっているだけに、言うに言えない正義の一言が、未来に蒼く影を落としていた。

「イェル、良かったな。ランチ代浮いたぜぃ」

ただ、知らないことが時として幸せならば、知らせることは時として罪なのかもしれない――イェルドは、そう思い込むことにした。

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