第65話 双対性アパショナータ(1)

(1)

 今、イェルドはソドム公国とペリシア帝国の中間地点にある無国籍地域へ向かっているところである。

 停戦中とはいえ、彼の飛空騎が進むこのルートは、自国・敵国・第三者国の工作員が蔓延り、かなり危険である。しかし、目的地のある北方大陸への最短ルートだから仕方が無い。

 イェルドが兄・凍馬を逮捕する為に、一先ず己に課したリミットは3日。

 無謀ともいうべき短い時間ではあるが、此処で間延びして公務をないがしろにしては元も子もない。

 

 凍馬逮捕の目的は、凍馬がペリシアの依頼を受けて軍事機密書類を盗み出したのではないと証言させる為である。もっと言えば、凍馬逮捕によって、既存のシナリオを崩されることになるヴェラッシェンド帝国中枢にいるペリシアの手の者が、更に裏工作する動きを捉えて確実に工作員を炙り出せれば良い。

 ただ、それだけである――イェルドはそう自分に言い聞かせていた。

 

 “同行したいくらいだ”

そう言って送り出してくれた元帥・バーナードとのやりとりを、丁度、イェルドは思い出していたところだ。そう言うだけのことはあって、有用な情報は専ら元帥から与えられていた。


 “国境警備兵に金さえ渡してしまえば、ペリシア帝国入国自体は簡単だ”

 “問題は、無国籍地域・『修羅の森』だ。何が起こるかは私にも分からないし、命の保障はない”

 “隣国のソドム公国・メダラルフォール地方が凍馬の拠点だ。ペリシア帝国で行き詰ったら其処を目指すと良い”


 しかしながら、イェルドは上記の有用な情報以外に与えられた情報の方に関心があり、先程から脳裏にこびりついているのはそのことばかりだったのだ。


 “メダラルフォールの町を見下ろせる小高い丘で、私は二度ほど、凍馬と出くわしたことがある”

――その場所に出没する可能性はかなり高いのではないか、というのが元帥・バーナードの見解だった。

「(ソドム公国・メダラルフォール地区か)」

あまりに古い情報で不確かだが、兄と自分はその町の出身だとイェルドは聞いていた。最早博打だが、ペリシアで全く収穫が無ければ、其処へも足を運ぶことも考えなければならないだろう――イェルドは進路を無国籍地帯から西寄りへ変更した。

「(一先ず、ペリシア帝国・セディアラへ!)」

心なしか、光明獣のスピードも増した。

(2)

 「あーあ」などと気だるい溜息をついてランはベッドの上に仰向けに寝そべった。

 仮病を使っているため、日課であった剣の鍛錬を日中にするわけにもいかず、すっかり彼女の活動時間は夜中、丑三つ時となってしまっていたのだ。

 そこへ、

「溜息なんて吐いてどうしたんだい、マイハニースウィート・ランちゃん」

隣の部屋から突然、父皇帝が現れたのだ。ランはすかさず剣をかざす。

「声のトーンに気を付けやがれ、クソエロ親父。アタシの迫真の(?)演技に水差したらぶっ殺すぞ!」

フラストレーションも手伝って、彼女の剣幕は凄みを増していたが、それさえも包括的に愛して止まない父皇帝は構わずランのベッドに腰を下ろした。

「私はただ、お前の溜息の理由を聞きに来ただけじゃないか」

父皇帝はそのままランのベッドに仰向けに寝転んだが、再度愛娘に刃を向けられたので、渋々起き上がったところである。

「テメエに話すことなんて何にも無い。とっとと出て行け」

ランの刺すような冷たい視線に、父皇帝はものともせず(むしろ心地よさすら覚えているようにも見える)、彼は勝手に話を進めた。

「丑三つ時だが、報告がある。日中に話すわけにはいかなさそうなのでな」

どさくさに紛れて、父皇帝はもう一度ランのベッドに寝そべってみたが、恐怖の愛娘からは特に何のお叱りも無かったので、そのまま続けた。

「凍馬逮捕の為、聖戦士長殿がペリシア帝国に渡ったそうだ」

イェルドの「聖戦士長」という肩書きに恭しく「殿」までつけた父の心裡に一切興味は無いランは、

「そっか」

と努めて素っ気無く振舞う。しかし、その表情を見た父皇帝は、どういうわけだか声を上げて笑ったのだ。

「何がおかしい?」

苛立つランはやっと父皇帝と目を合わせたところだ。逐一面倒だが、こうしなければ父は一切本題に入らない。

「すまない。何時の間にポーカーフェイスも板に付くようになったものかと思ってな」

父としては娘の成長を喜んでいたのだろうが、生憎ランは気の長い方ではない。父が本題に入りそうに無いと判断するや否や「失せろ」と一蹴してやった。

「やれやれ、こういう会話はお気に召さないか」

渋々、父皇帝は本題に入ってくれた。


 そろそろ教えてくれまいか、と父皇帝からは唐突に切れ味鋭い質問が飛んできた。

「何故、お前や聖戦士長は、例の国宝盗取事件から凍馬クンの存在そのものを隠避隠匿しているのか」

核心を突いてはいるが、しかし、最早ランに動揺はなかった。

「そう見える、というだけだろ」

図星だが、やり過ごしたい――ランとしては不明確な意思表示を出したつもりであった。融通が利くかどうかは微妙なところだと思ったが、父皇帝は妥協しに来たというわけではなさそうだ。

「私に教えて不利かどうか、きちんと判断できているか?」

想定から大きくかけ離れた父の進言に眉を顰めたランは、そのまま眼差しを窓の外に向ける――暗澹たる夜闇の向こうにある皮肉めいた現実を透かした硝子に、不敵な笑みを浮かべた父親が映り込んでいた。

(3)

 バーナード元帥が言っていた通り、ペリシア帝国への入国はイェルドの思う以上に簡単に出来た。

 国境と思われる場所には関所どころか警邏の兵も何もあったものではなく、ただ、強烈な悪臭が立ち込め、収容されない数々の遺体がそこらじゅうに放置され、まるで見せしめのようにそこらじゅうの木に女物の衣服がぶら下がっていた。

 家々は疎らにあるのだが、とても人が住んでいるとは思えない。いや、周囲の森の異様な光景から察して、これらは最早住家で無いと考えた方が良さそうだ。イェルドは先を急ぐ。


 ペリシア帝国首都・セディアラに辿り着くまでに、凍馬に関する情報を掴めればと思っていたが、人通りなどというものは無く、ひっそりとしている。

「(いやに不気味だな)」

仮にも一独立国家に対して失礼な意見かもしれないが、これがイェルドの第一印象なのだから仕方が無い。イェルドは更に首都を目指す。


 汚臭に甘ったるい香りが混じるようになった。これは多分、以前何処ぞで見かけた「ロータス」という名の麻薬の香りだろう。ちらほらと、人影も見え始めた。丁度、カーキ色の制服を着た警邏兵らしき男達が4人ほどこちらに向かって歩いてきた。

 正午が少し前という時間帯である。

 当然、彼等は勤務時間内と考えて良いだろう。今、彼等はイェルドに声をかけてきた。

「そこにいた女には、もう何入れても動きやしねぇぞ!」

警邏兵達の笑い声が遠ざかる。嫌な予感がした刹那、林の中から断末魔と共に爆発音が轟いた。

 ――神など居やしないのだ、とつくづくイェルドは眉を顰めたところである。


 果たして、先ず首都・セディアラまで無事に辿り着けるだろうか。

 イェルドの懸念は強まるばかりだ。

 今もまた、イェルドは得体の知れない男に声をかけられたところだ。

「ねぇお兄さん、良い仕事あるんだケド頼まれてくれない?」

報酬は弾むよ、などと不敵な笑みを見せた男は「着手金」などと称してイェルドの目の前に1万ゴールドの束を積んで見せた。

「金に困ってはおりませんので」

とにかく一々構うと厄介そうなので、イェルドは依頼内容を聞く前に立ち去ろうとしたが、どうも、相手はすんなり諦めてもくれなさそうだった。

「じゃあ、“ロータス”3匁でどうかな?」

イェルドの前に立ちはだかる男、覆面と言って良いほど大きな白いフードで殆ど目元を覆っている為、怪しいことこの上ない。人懐っこそうに上を向いた口角とは裏腹に、フードから僅かに垣間見えた目付きがやけに鋭く、その所為で人相も決して良さそうには見えなかった。

「お断りします」

当然ながら、イェルドとしても、一切彼の言葉に取り合うつもりなど無かったのだ。彼のこの言葉を聞くまでは――

「イオナ元帥副官って知ってるでしょ? 彼女、要らないんだよね、この国に」

唐突に出た知り合いの名に、殆ど無意識にイェルドは反応をしてしまっていたらしい。気付いた時には、男から声が上がっていた。

「オイオイ怖い顔しないでよ。これはボク個人の意見じゃなくて、ペリシア帝国国民の総意なんだよ?」

そう言った男は、恭しく名乗りを上げた。

「初めまして。ボクは、シュリ・ジェファーソン・ディディ。『シェラード“赤い月”戦線』の総帥をしてるんだ。この国を少しでも改善するためになら、何だってするよ?」

 ペリシア帝国の内部構成についてあまり詳しくないイェルドでも知っている、超有名人の名がこの男の名だと言うのだ。

「ねえ、頼まれてくれるよね?」

示し合わせたように、白い大きなフードを被った者が数十人は現れた。

「というよりは、もうお兄さん後には引けないよ?」

シュリの口元が不敵に微笑む。まるで赤い三日月のようだった。

「……そのようですね」

此処で戦ってもイェルドに勝機が無いわけではないが、相手がこの国の第三皇子であるだけに、戦友・イオナの安全保障に大きく関わりそうである。この打診を、イェルドはあえて引き受けてみた。

(4)

 凍馬という世界的な盗賊を、ヴェラッシェンドが捕縛・処刑することで世界的に警察力をアピールするメリットは大きい。

 それだけでもペリシア帝国への脅威になることは勿論、外患誘致罪などと難癖でもつけて凍馬の罪状を増やしさえすれば、それを利用して、逆にヴェラッシェンド帝国からペリシア帝国へ軍事的に制裁することを容認する足がかりともなれる。

 父皇帝がランに切り出したのは、凍馬を逮捕できた場合の“取引条件”だった。

「ペリシア帝国の工作員から国宝を奪還する件に一役買ってくれたんなら、凍馬クンにはそれなりに礼を尽くさねばなるまい?」

即ち、彼は凍馬の減刑を条件に凍馬の素性を暴こうとしているようだ。

「ふざけてんのかテメエは?」

一気に冷え臭くなったランは会話さえ放棄しようとしたが、政治手腕は圧倒的に父皇帝が上手である。

「私は本気だ。世界的なクリミナルには間違いないが、彼が軍事機密書類を持ち出していないことが立証されれば、彼の罪は窃盗に係る牽連罪を包括一罪として処理できる」

凍馬の処分は父皇帝の裁量いかんで如何様にもなる、というのだ。

「悪い冗談だ。世界に顔向けできねえわ」

シラをきるランの気持ちは揺らぐ。この動揺を抱えたまま父からの追及をやり過ごす自信の無かった彼女は、再度、睨みを利かせて父を部屋から追い出そうと試みたが、父皇帝の“ある意味特殊な性向”を満足させただけだった。

「では姫よ、質問を変えようか」

などと言って父がニンマリしているのだから、娘としては脅威である。

「しつこいね、さっさと失せろ」

鳥肌と苛立ちと焦燥感をいっぺんに抱え込まなければならないランのフラストレーションは最高潮に達した。精神安定の為、ランは自分のベッドに寝転がる父皇帝を無理から剥がすと一本背負いさながら彼を扉に放り投げた。

「……ちょっとハニーったら、絶対安静にしなきゃいけないのに激しいんだからァ」

顔面血だらけで微笑む父皇帝の絵面は、正直驚異的である。

「ご質問とは?」

あと数発は殴り飛ばしてやりたいのをぐっとこらえたランは、父皇帝の思惑を探ることに集中した。

 丁度、父皇帝もふらつきながら扉の前に立ち上がったところである。

「言いたいこと言って失せろ。いい加減アタシも眠いんだ」

ランとしては、父の問いに答える気など無かった。凍馬の素性に触れた途端、イェルドの身分保障に陰りが生じる。イェルドの聖戦士長の称号は剥奪されるかもしれない上、第一皇女である自分とは二度と会うことさえ叶わなくなるかも知れない。何よりも、凍馬がそれを望まない――やおら、父皇帝が口を開いた。しかし、

「聖戦士長殿は凍馬クンを逮捕できると思うか?」

この父からの質問で、ランはふっと父皇帝の心裡が垣間見えてしまったのだ。

「まさかテメエ、……」

ランの言葉を遮るように、父皇帝は続けた。

「“双子の勇者”でなければ触れることさえ出来ない“銀のブレスレット”を凍馬クンがあっさりと盗取し、それを追っていた聖戦士長殿までがご丁寧に持ち帰ってきてくれたのだ。あえて重ねておくが、“双子の勇者”で無ければ触れることもできない国宝を、だ」

ランは絶句してしまった――父の疑念を確信に至らしめる状況は、既に整っていたのだ。

「お前の言うように、凍馬クンとペリシアの間に密約が無かったとすれば、凍馬クンさえ逮捕できれば、ヴェラッシェンド中枢はある筈の無い凍馬とペリシアとの密約文書を探すのに躍起にならざるを得ない」

ペリシア帝国からの密使が中枢にいるのなら、その証拠を捏造するだろう。その動きさえ当局が捉えれば、主導権はこちらのものである。

「であれば、我々としては凍馬クンを逮捕できればそれで十分だ。然して、」

父皇帝が首を傾けたため、右の義眼がギラリと光る。

殿で、凍馬クンの逮捕命令を遂行させるのは、……どうだろう、ランよ?」

父皇帝の表情は穏やかなままだが、逆にそれが不気味だった。

「姫よ、再度問う。聖戦士長殿は、凍馬クンを逮捕できると思うか?」

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