第64話 眠り姫の謀(2)

(1)

 取り急ぎ非礼を詫び、跪こうとしたイェルドの胸ぐらを掴んだ皇帝・デュトゥールは、

「貴様から陛下だのと呼ばれる筋合いは無い!」

と、やはり何故だか無駄にケンカ腰であった。そこへ、

「筋合い有るワ、ドアホ!」

アマンダからの突っ込み(というよりは完璧な右アッパー)が入った。

 父皇帝の一人娘・ランへの熱い(むしろ痛い)愛情は、イェルドもラン本人から聞いて知っているので、このケンカ腰の理由は何となく想像できた。

「御察しの通り、彼が帝国皇帝デュトゥール・サン・ヴェラッシェンド。今でこそ、この大国の皇帝だが、それまではウチの隠密部隊の一兵士だったんや。しかも、……」

一度、アマンダは周囲に人の居ないことを確認して続けた。

「――お前と同じ、“出身地不明”や」

イェルドはハッとした。ランは以前、父皇帝のことを官僚の顔色を見ないと何も決められない“風見鶏”だと評していた。恐らく皇帝は、門地不明の身の上を少なからず気にしてそのような態度でいたのだろう。

 小さく舌打ちが飛んできて、父皇帝は「本題を」と言った。


 父皇帝が示した「本題」の内容は、ランの現状であった。

「お前には、色々知っていて欲しいことが山ほどある」

アマンダがこのように前置きをして、書簡を差し出した。

「お前宛――姫からだ。我々は一切目を通していない」

と、アマンダが言いかけたところで、皇帝から横ヤリが入った。

「何だそれは?! オレは知らんぞ! 恋文か? ラブレターなのか?! 断じて許さぬ!」

「ええい! 煩いわオッサン!」

有難くも、元帥が高貴なる横ヤリを処理してくれている間に(!)、イェルドは手紙に目を通した。

 

 白い便箋を開いて直ぐ、見覚えのある右上がりの筆跡が自分の名を綴っているのが判ったイェルドは、思わず口元を緩めてしまい、差し出し主を疑いようがなくなった。

 何せランの筆跡は、彼女をよく知る者ほど印象的に映る。常日頃の印象を打ち消してくれるほど、彼女は意外にも丁寧な文字を書くからだ。イェルドは安心して手紙を読み進めた。


***

イェルドへ


 前略、色々と相済まない。報告する時間も手段も無く、無用な心配をかけさせているのではないかと思料する。

 城下で何をどう騒がれているのかは私の知ったことではないが、アマンダとクソ親父の協力を得て、ヴェラッシェンド帝国の第一皇女が重篤の病に伏した旨、虚偽の風説を流布させていただいた次第だ。とにかく、私の命に別状は無い。心配は無用だということは特筆しておく。

 自分なりのやり方で、中枢部にいるペリシアの手先をあぶりだすつもりだ。分かり次第、何らかの形で必ず報告する。したがって、貴殿においては、引き続きトーマの捜索に尽力されたい。

 

 何より、無事を祈る。草々


ランより

***

 

イェルドは読み終えた手紙を懐に仕舞った。素っ気無いが思いやりのある、彼女らしい文面である。

「(貴女まで無茶を……)」

しかし、彼の嘆息は父皇帝からの殺気の前にあまりに無力で、「これで勝ったと思うなよ?」の台詞を背中越しに3回は聞いた。アマンダの怒鳴り声を聞いて漸く、イェルドは後方を振り返ることができた。


 予想以上に、元帥と父皇帝は自分達のことをよく知っているのだろう――イェルドはそう判断した。この元帥は剣術指南役としてランが傍に控える事を許した数少ない従者の一人であるのは周知の事実であるし、何せ今回は父皇帝から直々にこうして秘密裏に会う機会を作ってくれたのだ。

 ここへ来て彼らの協力を疑う余地はないとイェルドは確信した。

 ただ、未だに元帥については、気がかりなことがあった。というのも――


“正直、あの凍馬がヴェラッシェンドに来るとは、思わなかった”


――凍馬と元帥とは、何か少なからず因縁があるような気がしていたからである。

「貴様が元帥に協力するもしないも勝手だが、少なくともオレの忠臣として、今、説明責任は果たしてもらおうか」

そう乱暴な前置きを入れて話を進めたのは、父皇帝であった。しかし、説明責任の範囲はイェルドの想像以上に広いものだった。例えば、

「1つ、“開かずの間”を開けたのは誰だ?」

父皇帝の質問はあの異世界への入り口にまで及んでいた。絶句したイェルドに、容赦なく、質問は続く。


「2つ、“開かずの間”の向こうの世界で何を見た?

3つ、近年の天変地異の増加は“開かずの間”の向こうの世界と関係があるのか?

4つ、何故イオナ女史はペリシアに居るのだ?

5つ、北方大陸の盗賊・凍馬とお前達とは一体どういう関係だ?

6つ、正味、ランとはどこまでいった……」


6つ目の質問途中で「5つ目までで宜しい」と直属の上司・元帥から許可が出されたので、それには素直に従うことにしたイェルドは、「畏れながら」と前置きし、皇帝の前に跪き、確認した。

「皇帝閣下は“光の民”と呼ばれる者達をご存知でしょうか?」

勿論、所謂『サンタウルス聖紀』のような神話の教養を問う趣旨ではない。それを察した父皇帝は舌打ちし、

「一々小賢しい野郎だな」

などと毒吐いた後にこう答えた。

「光の民とは、“開かずの間”の向こうの世界にいると言われている、光属性魔法分子からなる民族だろう? かつては我々闇の民と共生していたのだと、前帝から聞いたことがある」

前帝とは即ちランの母・ラナを指している。ならば、逐一“開かずの間”がどういう場所なのか、どうすれば“開かずの間”を開けることができるのか、それが何を指しているのかを説明する必要はなさそうだ。

 

 その代わり、イェルドはある程度の覚悟を決めねばならなかった。

 そう、“開かずの間”を開けることができるのは、『銀のブレスレット』を持つ者である。『銀のブレスレット』を持つ者は『双子の勇者』である。『双子の勇者』の再来は世界秩序の重大な危機であるとされている。


 その前提で一つ目の質問について事実に即して解答すれば、現在絶賛指名手配中である凍馬は、実は『勇者』であり、世界の何処かに彼の双子の兄弟が居ることを公然とさせてしまう。それどころか、現在、世界は革新の時を迎えていることまで伝えてしまうのだ――質問の一つ目ではあるが、イェルドは窒息してしまいそうになった。

「さあ、次は貴様が答えよ、聖戦士長!」

父皇帝の声が彼の苛立ちを伝える。イェルドは、覚悟を決めた。


「“開かずの間”を開けたのは、……私です」


(2)

 ペリシア帝国軍事総会の席で、イオナの帝国元帥副官の就任とヴェラッシェンド帝国との停戦協定破棄時期の検討がなされた。


 ヴェラッシェンドから引き出したい終戦の条件はただ、一つ。南方大陸にあった固有の国土の奪還である。

「(これが、圧制を布いて国民を困窮させてまで果たしたいことなの?)」

声高に皇帝・ジェフ3世への忠誠を誓う帝国代表者会議のお偉方一同をイオナは冷ややかに見つめていた。彼女の傍らではペリシア帝国軍を率いるメーアマーミーが拍手をしている。今、それに全軍人が追従した。渋々それに合わせたイオナは「相変わらずね」と傍らの元婚約者に言ってやった。勿論、返事は無い。後は、議長席に座っている皇帝が閉会を宣言して終わるだけである。


 しかし、マイクロフォンを通して聞こえてきた自国皇帝の痰の絡んだ呼吸の音で、一旦イオナの思考が止まる。この国を離れて何年経ったのか、それを思い知らされたのだ。

 皇帝には3人の子が居るのであるから、死期の近い彼が第一線に立ち続けていることに、本来皆が違和を覚えなければならないところである。

 会場の大小様々なココロの声を選びながら、イオナは慎重に事実を探る。手持ちの情報は、敵国のヴェラッシェンドに居てもなお、知り得た情報のみであり、心許無いからだ。 


 先ず、長男の第一皇子だが、彼は放蕩の限りを尽くした挙句、恐喝や強盗に手を染めるようになり、皇帝より投獄の上、破門絶縁されており、今となっては秘密裏に処刑されたという説さえあるようだ。

 また、次男の第二皇子は幼少から心体が弱く、城内はおろか、自分の部屋からさえ殆ど出られない為、一国を任せられる器では到底無いという。

 そして、三男の第三皇子は――

 刹那、喧騒と共に爆発音が聞こえてきた。

「何の騒ぎ?」

自分の居た時代には、皇帝が出席する会議中に事件が起こるなど考えられなかったとイオナは訝る。どこからとも無く、嘆息にも似たココロの声が、イオナに聞こえてきた。


(また、三男様か)


――第三皇子であるシュリ・ジェファーソン・ディディは、ぺリシア帝国内で、社会活動家として活動しているが、陰で反現行体制勢力を取り込んで「シェラード“赤い月”戦線」という名の組織を作り、様々な革命活動を工作しているという。

 彼の目的は、確実な政権交代と現行勢力の刷新、さらには、ヘゲモニー型政治の再統制であるようだ。これではある意味、ペリシアの現体制を堅持したいメーアマーミーのような超保守派よりも厄介かもしれない。

 今回の騒乱は、先のヴェラッシェンド遠征に失敗したことに反発する者達が、第三皇子・シュリのバックアップを受けて暴徒化したものであろう。

「この国は変わりつつある」

ポツリとそう言ったメーアマーミーは、イオナを待機させたまま、事態の沈静(つまり、粛清)に当たる為、側近達と共に現場に向かった。その一方で、十数名ものロイヤルガード達がぞろぞろと老齢の皇帝の周囲を固め、直ぐに奥へと消えて行った。


 騒然としている帝国代表者会議場に取り残されたイオナは、すっかり住処となってしまったメーアマーミーの自宅兼帝国軍元帥室へ戻っておくことにした。昔はイオナにとっても自宅だったその部屋の勝手が、今でも染み付いていたのは癪ではあったが。

 

 階段を下るたび、爆音と怒号が大きくなってくる。一体、どれくらいの人がこの帝国の『政治』とやらに巻き込まれているのだろう。

「(未だに、無力ね)」

イオナは嘆息を吐いた――

 自分がペリシアに戻ったことで、一体何か変わるものがあるのだろうか。

 誰かを救えるのだろうか。

 強権を前に、あまりにも民の声は届かない。

 かく言う自分も何もさせてもらえない。今、現場では血が流れている。

 この今にも!


 やはり現場に留まり、事の沈静化に当たるべきであると決断したイオナが、現場に向かおうとしたその時だった。

「止めておけ。貴殿に何かあっては誰の為にもならない」

(3)

 イェルドはサープリスの袖を捲り、“金の”ブレスレットを二人に見せた。

「凍馬が盗り損ねたものを私が預かっておりましたが、返還しそびれておりました」

「それは……!」

盗取されていた筈の“銀のブレスレット”が金色に変化してしまって此処にあると思わせ、何とか父皇帝と元帥の凍馬への関心を逸らさなければならない――この嘘は、イェルドの咄嗟の判断だったが、今、少なからずそれは功を奏したようだ。

 “ブレスレット”に手を触れようとしたアマンダの指を、突然差し込んだ白い閃光が弾き返した。

「……本物やな」

アマンダの分析が信憑性を持ったところで、二人に余計な解釈をされない内に、イェルドは少しずつ矛先を逸らしていかなければならなかった。

「私は魔法属性が『闇』ではないので、“ブレスレット”の反発が無いのかもしれません。ですから、私に双子の兄弟が居るのかどうかも、まして私が、所謂“勇者”なのかどうかも判りません」

 そして、「開かずの間の向こうの世界」へはラン・イェルド・イオナの3人だけが赴いたという、嘘の説明もした――イェルドとしてはこの際、凍馬が自分の双子の兄であるとこの場で言い及んでも良いくらいなのだが、凍馬逮捕命令の遂行だけは誰にも譲りたくなかったので、血縁を理由にこの場で凍馬逮捕遂行者から外されたくはなかったのだ。


 「(少しは上手く、兄を隠してやれただろうか)」

イェルドは思う。

「(しかし、これで本当に良かったのだろうか)」

一つも答えは出ないままだが、イェルドは説明を続けた。凍馬の存在を隠したままで支障がなさそうな、光の民の世界であった出来事については、真実を告げる。


 光の民の世界は確かにあったこと。

 しかし、そこに既にペリシア帝国の手が及んでいたこと。

 ペリシアは副脳の技術とクローン技術を完成させていたこと。

 3つの『ルーン』はエリオというハイユーザーにより盗取されていたこと。

 それにより光の民の世界が大混乱を来たしていたこと。

 その混乱をランが鎮めたこと。

 その過程でエリオのチカラを落とす為に、一時『風と大地』のルーンを封じていたこと。

 ヴェラッシェンドがペリシアに侵攻された知らせを受け、イオナを光の民の世界に残し帰ってきたこと。

 しかし、再度ペリシアが光の民の世界に侵入してきた為、イオナが人質となってしまっていること。

 元軍人であったイオナは内側からペリシアの改革を進めるため復軍したこと。

 そして――

「所謂、『終幕』が近いのは間違いないでしょう」

闇の民の首長というよりは、ランの実の父親である彼には知っていて欲しかったので、あえてイェルドはそれだけはきちんと伝えておいた。

 父皇帝が信じるか否かはともかく、いや、ひょっとすると彼ならば既にその兆候は察しているのかもしれないという若干の期待もあって、イェルドは主君からの次なる言葉を待った。

「……大儀であった」

内容が内容なだけに、父皇帝は唸り声を上げ、横のアマンダなどは黛たっぷりの睫毛を幾度と無く上下に動かしては絶句してしまったが、その沈黙も幾許も待たぬ内に、父皇帝から”お言葉”が述べられた。

「お前達が戻ってくる数日前、不敬罪で現行犯逮捕された女が、今のお前と似たような事を口走っていたそうだ。一度、会ってみるといい」

(4)

 唐突に現れたしわがれた男声は、イオナの行く手を完全に塞いでしまった。

 身の丈は6尺と大柄の騎士であるものの、その顔や手足には深く皺が刻まれ、髪は白髪である。通称・シュナイダー(仕立て屋)と呼ばれるこの男、代々メーアマーミーの一族と懇意にしている家の出身者で、イオナがペリシア帝国元帥を務めていた時代よりもずっと前からメーアマーミーの側近の長たる立場に在る物である。

 先程イオナが正式に就任するまではメーアマーミーが副官を一人も置いていなかった為、つい先程まで、事実上の元帥副官は彼となっていた。

「貴殿は、我らが帝国の礎に無くてはならないお立場であろう。身の程をわきまえよ」

場所が戦闘の現場なら、この老騎士ではひとたまりも無いだろう。しかし、彼の立ち振る舞いや言葉には所謂「力の差」を感じさせない重圧感(年の功とでも言うべきものに由来する貫禄であろうか)は充分あった。

「無力とは、こういうことを言うのね」

戦闘となれば、イオナにだって充分勝算はある。

 竜王(マスタードラゴン)が現場に往き、その威嚇に怯んだ者がせめて逃亡してさえくれれば、彼等が無駄に殺生をすることも無いだろう。しかし、眼前の老騎士はその可能性さえ奪ったのだ。一体どれだけの命を失えば、平和というものが訪れるのだろう。

「勝利と栄光には必然的に犠牲は伴うものだ。我々は“神”ではないのだから」


 ――事態が収束したのか、まるで嘘のように爆音が止んだ。

冷たい湿った風が吹き抜けていく。もうじきこの大地は雨で潤うだろう。

 今は泣けないと思っていたのに、もう、瞼が熱い。

「怨むなら、この爺を」

一体どこまでイオナの気持ちを斟酌しているのかは定かではないが、シュナイダーは彼女を詰るでも無く、何を問うでもなく、このように切り出してきた。

「先程の暴動で怪我人が出ている。気持ちの整理がついたなら付いて参られよ」

「今すぐ向かうわ!」

イオナは直ぐに目元を拭うと、老騎士を急かした。

(5)

 帝国代表者会議場中庭には、幾つもの死体が整然と並べられていた。今後これらの身元は調べられ、兵士については一族に勲章と報奨金を、レジスタンスについては一族の財産を没収し、諸共に処刑するのだ。

 殆ど事態は収束していたものの、現場は負傷兵や離散者を追う兵で混乱を来たしており、騒然となっている。その中で一際人だかりとなっている場所があった。

「――!」

イオナは息を呑んだ。カーキ色の軍の制服とは異なる一際目立つ黒一色の制服の男が鮮血を振り撒きながら指揮を執っていたのだ。

「メーアマーミー様は変わられた」

ふと、傍らのシュナイダーがそんな事を言った。

「この国が変わったことも大きいが、貴殿がこの帝国を去ってから、だいぶ心境に変化がおありになったのだろう」

確かに、とイオナは思う。

 メーアマーミーという男、剣術・魔法共に優れたハイユーザーでありながら、皇族と近い親族関係にある為、これまで陣頭指揮など執らされた事も無い筈であるし、それが許されてきた人物である。

「あの方が信じて居られる“正義”を引き換えに失ったものは数知れない」

アタシもその中の一つね、とイオナは皮肉ってやりたくもなったが、この老騎士に免じて小さく溜息を吐くだけに留めた。構わず、シュナイダーは淡々と続ける。

「貴殿にも追々説明するが、我が国はヴェラッシェンドによって封じられていた古代魔法科学の禁忌を紐解いた。次なる戦いで、全世界の勢力図は大きく書き替えられることになろう」

――その時には、と言って、シュナイダーは目を細めた。

「貴殿には、あの方の傍らに居て差し上げて欲しい」


 シュナイダーの言う”メーアマーミーの傍ら”は元より、ペリシア帝国中枢に居座ることができさえすれば良い――イオナはゆっくり一つ瞬きをして確認した。

 そうすれば、ヴェラッシェンドやその他各国への被害を最小限に食い止めることができる筈であり、その為に自分はあえてこの道を選んだ筈である。

 しかしながら、今イオナの脳裏には、その思いとは違うまた別の思いが浮かんでは消え、浮かんでは消え、していた。

「貴殿が帝国に戻ると聞き、あの方はまた一つ、変わられた」

そこでシュナイダーは、初めてイオナに殺気を向けた。

「次にあの方を裏切るようなことがあれば、この爺、決して貴殿を許しはしない」


 俄かに雨が降り出した。冬の雨である。

 しんと冷たく肌を刺すそれは、戦い続ける民に向け、まるで矢のように降り注いだ。

「流石ね」

この老騎士や向こうで戦っている元帥や、どこにいるのかも解らないかの罪人のように、揺ぎ無く信じるものがあれば、少しは強くなれるのだろうか。イオナは回復呪文(ヒール)の詠唱を唱えた。

 幸せになりきれない手前、何度も泣いて立ち止まるわけには行かない。

『我が祈りに応え給え……』

竜王・イオナの詠唱で辺り一面の闇魔法分子は迷い無くイオナに帰属した。

「(せめて、貴方にも、届くといいのだけれど)」

イオナが発動した回復呪文は、中庭に居た兵士全ての創傷を癒し、その波動は10町ほど先にまで及んでいたという。


 今回の暴動で、過激派グループの中心人物の一人が戦死したそうだ。

 近々第三皇子から報復があるかもしれないという懸念は残ったものの、1月後に迫るヴェラッシェンド遠征を前に、ペリシア帝国軍のダメージは最小限に食い止めることはできた。

「……来ていたのか」

イオナを見つけた元帥は、そんな事を言った。

「部屋に戻るには、早い時間だったもので。それに、」

イオナはメーアマーミーの傍らに控えた。

「アタシを副官に指名したのは、どなた様だったかしら?」

笑ったのか嘆息なのか、どちらともつかぬような溜息を返されたイオナは、そのまま暫く彼の横を無言で歩いた。その後についてくる総勢6名の元帥側近達の中には勿論、老騎士・シュナイダーも居る。

 やおら、元帥は足を止めた。

「私はエリオを見舞ってから本部へ戻る。お前はどうする?」

「勿論、一緒に行くわ」


 この日を境に、イオナは着実にペリシア帝国中枢での発言力を増していくこととなった。


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