第66話 双対性アパショナータ(2)

(1)

 ペリシア帝国第三皇子・シュリ率いる「シェラード“赤い月”戦線」という組織は、民の手に権力を取り戻すと銘打って民を煽動し、独自の武力でまつりごとに圧力をかける。

 社会活動というよりはテロリズムに根ざしたこの組織を率いるシュリを、皇位継承者だからということもあり、ペリシア帝国中枢は事実上野放しにしているという。


 このままシュリに皇位が移れば、現在の権力中枢に在る官僚達は悉く粛清されてしまうこととなるのは明白である。困り果てたペリシア帝国中枢は、超保守派の筆頭幹部・メーアマーミー帝国元帥に目をつけた。皇族家の血統はともかく、メーアマーミーが現皇帝を尊重しつつ、シュリの勢力を弱めてくれれば、現中枢は安泰であると考えているのだ。


 今、ペリシア帝国軍元帥・メーアマーミーはヴェラッシェンド帝国へ再び宣戦する為、前元帥であり現在は元帥副官であるイオナの持つポテンシャルとキャパシティーを最大限利用しようとしている。

 亡命していた咎はさておいても、ペリシア帝国はいともあっさりと中枢としての権限を次から次へと彼女に移譲していた。現体制勢力にしてみれば、この皮肉もヴェラッシェンド帝国や「シェラード“赤い月”戦線」に対抗する為の苦肉の策といえる。

 勿論、イオナの狙いはそれであったのだが、タイミングとしては好機も好機であったのだ。


 しかし、次期政権を武力によって勝ち取ろうとしていた第三皇子・シュリにしてみれば、イオナの存在は邪魔でしかない。


 ペリシア帝国首都・セディアラに到着したイェルドは、町を行く人の多さに先ず驚かされた。

「いやいや、いつもはこんなんじゃないんだよ?」

人目を避けるように白いフードを目深に被り直したシュリは、セディアラのメインストリートからやや外れた道にイェルドを案内した。幾らか行き交う人の数は減っただろうか。

「軍事や政治関係の式典なんかがあると、人民全員が式典の準備に駆り出されるんだよ」

説明の最中にも、当のシュリからは溜息が漏れる。

「迷惑な話だよね。もう、現体制についていくって民は誰もいないっていうのにさ」

ペリシア帝国軍の「保安局」という腕章を付けたカーキ色の軍服を着た男がしきりに何か叫んでいるが、イェルドの耳には舌打ちと溜息ばかりが聞こえてくる――イオナの置かれている微妙な立場を思いやると、少しでも彼女の為に資したい気持ちは一層強まった。

「私は何をすれば良いんですか?」

やや急いたイェルドの問いに、ニコリと笑みさえ浮かべてぴたりと足を止めたシュリは、やおらイェルドに紙袋を渡した。

「今日ね、」

やたらと勿体つけたシュリの口元の笑みが狂気を帯びてきた。このときばかりは、流石にイェルドの額にも冷や汗が滲んだ。

「“帝国軍帰還式”って名目で、正式にイオナ元帥副官のお披露目式があるんだ」

段々と、シュリの微笑みは冷笑というものに変わっていく。

「その式典に少しばかりでも水を差してやろうと思ってるんだけど、この紙袋がちょっとお荷物でね。式典中、ちょっとばかり預かってもらえないかなと思ってね」

「荷物?」

イェルドは渡された紙袋を持った手をゆっくりと下ろした。

「中身は何か、と訊くのは野暮なのでしょうね?」

「訊いてもいいけど、ボクは嘘をつくかもしれないよ?」

胡散臭いシュリの態度とこれまでの言動、そして彼についての予備知識より、イェルドは自分が手にしている紙袋の中身は「爆発物」であると仮説を立てた。爆発物系の武器は、闇市で捌かれているものを実兄の義弟との戦いに使用したことがあるというくらいだった(!)が、イェルドは仮説に基づくシミュレーションを進めた。

 重さからして、機械仕込みという近代的な代物ではなさそうだ。となると、精巧な時限爆弾である可能性は低い。

 問題は、この紙袋が「爆発物」であったとして、予め爆発するタイミングを計算し然るべく調合されたものなのか、爆発するタイミングを自分で決めなければならないものなのかということだが、

「お兄さんは、それを持って人ごみの中に居てくれるだけで良いから」

どうやら、前者であるようだ。

「何時までもさ、過去の亡霊に出しゃばって貰っちゃ困るじゃない? もうここできちんと成仏させなきゃね」

イオナを”過去の亡霊”などと言い捨てたシュリからは、完全に笑みが消えていた。

「それで、お兄さんにはこの紙袋を式典の最中ずっと預かっていて欲しいんだ」

イェルドの動揺はお構いなしに、シュリは依頼内容を話し始めた。

 紙袋の中身に一切触れないまま、簡単な寄託契約が淡々と交わされた。

 まだざわついた気持ちのままだったが、イェルドは努めて平静を装う。

 

 式典は、正午の鐘の時刻から一刻程度執り行われる。火気系薬物の調合が正確なら、今から大体1時間後に爆発するものと想定できる。イェルドに細かく待機の位置は指定されていない為、イェルドの持つ紙袋は、イオナやペリシア帝国軍の眼を欺く為の囮であろう。

「じゃあね、お兄さん」

所謂、“捨て駒”にこれ以上余計な説明は不要と判断しているのだろう。シュリの足取りは軽やかだった。

「(捨て駒が暴れだしたら、さぞ驚くだろうな)」

あえて一切何も問わなかったイェルドは、シュリの背中を見送ったまま小さく溜息をついてみた。


 シュリには大きな誤算がある。

 捨て駒でも一人民なら自由意思がある。その自由意思がどちらを向いているか、きちんと見極めなければならなかったのだ。

 イェルドは目に付いた噴水の縁に座った。行き交う人々が忙しく式典の準備をしているが、異邦人である自分には声がかかることはなさそうだ。イェルドは渡された紙袋の中身を一応確認し、そのままその紙袋をゆっくり噴水の底に沈めた。やがて、圧縮されていた炎魔法分子がぽんと間抜けな音をたてて噴水の泉の水面に大きく波紋を立てたが、それだけだった。

「(イオナさん……)」

凍馬逮捕命令遂行中ではあるが、イェルドは軍事式典の行われるペリシア帝国国立公会堂前の集会場へ足を進めた。

(2)

 ランは父から窓の外に眼を向けた。父皇帝は既に感付いているのだ。凍馬とイェルドを結ぶ縁を。隠しようがない程に――だからこそ、「話せ」と言っているのだ。

「出会えたとしても、逮捕できる可能性は……五分五分か、それ以下だろうな」

それは、ランの直感だった。小さく唸って見せた父皇帝は、

「何故、そう思う?」

と更に訊ねる。案の定、辟易しているのか、愛娘からは憮然とした表情が返ってきた。

「私は根拠を聞いているだけだぞ、ラン?」

こうなると、父皇帝の“ある意味特殊な性向”が暴走し始める。ランは大きく一つ溜息をついた。

「根拠など無い。アタシの勘だ」

「じゃあそういうことにしようか、ハニー……」

ランの右ストレートが父皇帝の顔面にめり込んだ。

「さっさと寝ろって言ってるだろ!」

「もっと話したそうに見えるんだが……」

ランの右ストレートが父皇帝の顔面に再度めり込んだ。

「思い上がりも此処まで来ると清々しいもんだな」

うんざりしたランは右の拳に回復呪文(ヒール)をかけた。「光栄だ」などと恍惚の笑みを浮かべながら父皇帝がコットンで鼻血に然るべき処置を施す。それにすかさず「皮肉だ」などと返した他、暴言と溜息を一通り吐き捨てたランは、ついでにこの典型的な“オヤジ”にもヒールを施したところである。

「ならば、お前の勘で答えて欲しい」

やっと父皇帝は本題に戻った。「最後だぞ」とランは腕を組んで、来るべきここ一番の詰問に身構えた。

「何を思って凍馬クンは、ヴェラッシェンドのこのパレスに、わざわざ聖戦士長殿の就任式典当日を選んでいらっしゃったんだろうな?」

丁度、雨が降ってきたようだ。カタカタと窓に叩きつける雨粒の音が聞こえてきた。そろそろ秋も終わるだろうことを確かめ、徐に、ランが口を開いた。


「……死にに来たんだろうな」


(3)

 ペリシア帝国軍本部から国立公会堂までの道のりに立ち並ぶセディアラの住民が、ただのエキストラでしか無い事くらい、騎馬上のイオナには分かっていた。

「毅然としていろ。お前が恥じることは何も無い」

浮かない顔をしているイオナに気付いた傍らのメーアマーミーが、檄を飛ばした。


 ペリシア帝国のヴェラッシェンド遠征の評価は、功を急いたメーアマーミー元帥の強行であると巷では囁かれているようだ。ヴェラッシェンド帝国軍の隙を突いていた序盤こそペリシア帝国軍は勝利し続けられていたが、次期魔王であるラン皇女がヴェラッシェンド帝国軍に加勢した辺りから形勢は逆転し、事実上敗走を余儀なくされた。ペリシア帝国軍や帝国の中枢としては、不経済な情報に違いない。

 そこで、事実を知る者の数がたかがしれている内に、帝国軍から公式にデマを流すのだ。それが「毅然としていろ」の意味である。

「情報統制も帝国軍の仕事だったわね」

イオナの皮肉は傍らの彼にしか届かないが、今はそれで十分である。

「国家の足並みを乱すことが正義だとは思えん」

メーアマーミーは鼻で笑った。“相変わらず青臭い女だ”などと思われているようである。イオナは口元を緩めた。人垣が一時途絶えたのを見計らって、イオナは言ってやった。

「だからと言ってデマを流すことが正義だとは思えないわ。これこそが貴方の愛する皇帝や人民への背信行為なんじゃなくって?」

蹄鉄の規則正しい音が帝都を支配している。そう錯覚してしまうほど静かな間だった。

「我々は然るべき道に民を導かなければならない」

傍らの元帥が、漸く、そう切り返した。それについてはイオナも同調できるので、一応口をつぐんでおいた。

「国家としての意思統一を図らなければ国策は停滞するばかりだ。情報統制など、その方便に過ぎない。それに……」

また沿道に人垣が現れたので、メーアマーミーはやや早口で次のように続けた。

「今、我々は勝利を見据えたその先を考えねばなるまい」

まるで戦勝者の口ぶりだが、そういえば、筆頭側近のシュナイダーもそんな事を言っていた気がする。


“次なる戦いで、全世界の勢力図は大きく書き替えられることになろう”


この言葉の根拠を早く掴まなければならない、とイオナは強く感じていた。

「(あと1月弱で始まるヴェラッシェンド遠征までには少なくとも……)」

ヴェラッシェンド遠征にはイオナも出征する。竜王がヴェラッシェンドに牙を向いているように、には見えるだろうか。


 イオナは沿道のエキストラもとい町人とは目を合わせない。失礼のないようにそうしているのだが、わざわざココロの声を拾わぬ為でもある。

 しかし、青みのある黒い髪や雪のような銀の髪をした者が多いペリシアでは良く目立つ、陰のある金髪が視界に飛び込めば、つい眼を奪われてしまうのだ。

 その金髪の異邦人は上下黒い服を着ていた。そういえば、少し前までイオナが仕えていた帝国に、その男とよく似た男が居た。彼はその帝国では白法衣サープリスを纏い、聖職を生業としながらも『神』の存在などせせら笑っているような男であった。本当に、彼とよく似た男だ、とイオナは思った。

「(もしかして……本当に、イェルドさん!?)」

その彼からは、沿道のエキストラの誰よりも強いココロの声が飛んできていた。

「(貴女の命が危険に晒されています! 今すぐ国立公会堂から離れてください!)」

その声を聞きつけたイオナは、メーアマーミー元帥をして全隊列に停止命令をさせ、騎馬を止めた。

(4)

 ペリシア城(パレス)にも、通称“開かずの間”がある。

 ヴェラッシェンドのそれとは違い、歴史は比較的浅い。勿論、異世界と繋がっているわけもなく、『勇者』が扉を開けるわけでもない。しかし、その扉を開けられる者は世界で只一人しか居ない。


 「シュリです。扉を開けてください」

ノックをせずに名乗りのみあげるのは、この部屋の主との秘密の約束である。部屋の前で何度か声を張り上げていれば、やがて衣擦れの音と共に鍵の開く音が聞こえてくる。鍵が開いても、まだ慌ててノブに手をかけてはならない。扉が少し開くのを待って、シュリは部屋を覗き込み、部屋の主に声をかけた。

「具合はどう? 兄上」

扉を開いた兄・第二皇子の長い銀髪が揺れ、優しく口元と目じりが緩む。シュリは導かれるままに入室した。


 “開かずの部屋”もとい、第二皇子の部屋は完全に外界から隔離されている。

 生まれつき彼は心身が弱かったのだが、長兄・第一皇子が父・皇帝の指示で暗殺されたという衝撃的な事件があった時から、更に拍車をかけて刺激にうまく対応できなくなった為である。

 故に窓さえ無いこの部屋は、調度品こそ至高で色彩は豊かだが、照度が低く全体的に青白い陰を帯びていて、どうしたって気が滅入る。こんなところに兄を長く閉じ込めるべきではない、とシュリは常に思っている。

「食事は済んだ? きちんと栄養とらなきゃ治るものも治らないよ?」

シュリは数日分の食事を持ち込んでいた。この第二皇子は、この世界で只一人信頼している弟・シュリの持ち込む食料しか口にできない。

「美味しかったよ。いつもありがとう、シュリ」

今日は兄の声に力があるようだ。少し安心したシュリは兄の体を支えてベッドに誘導する。

「もうすぐ、もっと美味しいものを持ってこられるようになるよ。ヴェラッシェンド遠征が近いらしいから」

外界から遮断されたこの“開かずの間”に情報を提供するのが、シュリのもう一つの役割である。

「本格的に冬が来る前に、ケリをつけるんだってさ」

兄をベッドの低位置に落ち着け、漸く白いフードを脱いだシュリは、手際よく兄の身辺を片付け、簡単な清掃を始める。

「もう少しで、兄上も安心して外に出られるようになるよ」

その為にも、ペリシア帝国内部に兄の敵が居てはならない! ――シュリは一度、口角を強く引き締めた。

「一刻も早く、あの親父を王座から引きずり降ろしてやるよ。国民からの支持を取り付ければ揺らいでいた皇族への信頼を取り戻せるさ。準備は順調に進んでる。兄上も眠ってる場合じゃなくなるよ?」

ベッドの上にしか生活空間の無いこの部屋には来客用の椅子など無い。

 一通り整理整頓を終えたシュリは、漸く兄の寝ているベッドの縁に腰掛けた。

 「疲れているんじゃないか? 忙しそうだけれど」

不意にそんな風に声をかけられたシュリは、驚くままに兄の顔を覗き込む。丁度、回復呪文(ヒール)の魔法分子結晶が左の手の甲に触れて溶けていった。

「……髪を脱色したばかりだから、そう見えるのかもね」

帝国軍元帥副官暗殺計画の遂行の準備の為、睡眠時間を削る日々が続いていた、などとは、シュリはとても言えなかった。

「シュリは黒い髪の方が似合うよ」

第二皇子はそんな他愛も無いことを気にかけてくれているようだ。

 確かに、何も不自由の無い部屋に閉じ込められて、誰を傷つける事もできないこの第二皇子は酷く脆弱に見える。ただ、殺伐としたペリシアの表と裏とを行き抜かなければならなかったシュリにとっては、この兄の存在のみが自分が残せる最後の良心だった。

「シュリの痛みくらいは引き受けられるほど強かったら良かったのにって、いつも思う。何の役にも立てなくて済まない」

もう、会えないかも知れないと思って話しかけられることが増えた。兄の死期が近いのだ、とシュリは悟った。

「心配しないで、兄上。……ボクは大丈夫」

一刻も早く、事を起こさねばならないと、シュリは、決意した――早くこの大願を成し遂げなければ、この哀れな兄皇子は、知らないままなのだ。

 青く高い秋の空。

 延々と続く金の穂波。

 赤く色付いた山々。

 闇夜に清ました孤高の銀の月……

 ――この世界が、丁度今の季節には、あまりにも美しい色彩に囲まれている事を。

「ボクに任せて。兄上は、とにかく治療に専念してよ」

そして彼は知らないままで良い――彼の目の前で何とか微笑む弟皇子の手の者によって、この今にも国賊の穢れた血の雨が帝都に降り注ごうとしている事など。


「じゃあね、兄上。また来るよ」



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