第54話 ハッピーエンド?(1)

(1)

 光の民の世界は、再び秩序を取り戻そうとしている。

 サルラ山脈を穿つ程の空間の歪みは、ポープ不在の影響でどんどん収斂しており、今やかつての4分の1ほどの大きさになっている。あと一ヶ月も経たないうちに歪みは完全に是正され、異空間を繋げるほどの「穴」は塞がるとの試算結果が出ているようだ。


 サンタバーレ王国を中心とする連合国の調査隊は、これをサルラ山脈一帯に於ける未発掘の魔法分子鉱脈に自然発生した大量の闇魔法分子による災害という言葉で説明するしかなく、この機に乗じた反連合国現行体勢のテロリストがレッドキャッスル皇帝に取り入って、今回の大戦を企てたとの見解を発表した。


 エリオ達が身元保証として利用した宝石商社・チェスターグループの証言により、レッドキャッスル帝国内乱の実行犯として、エリオとネハネの名が浮上するのに時間はかからなかった。

 しかしそれについては、あらためてレッドキャッスル帝国元帥に就任したビルフォードが、エリオとネハネであると見られる死体と併せてこの計画に関する膨大な資料を連合国へ引き渡したことで、全ての非難を戦闘により死亡した「テロリスト」へと躱わす事に成功した。

 

 宣戦布告は当然撤回され、つい先日、和平条約の再確認手続きが承認されたところだ。

 レッドキャッスル皇帝以下、副脳を取り付けられた者については、イェルドがいわゆる「治療」を施したものの、完全にレッドキャッスル帝国の民からの信頼を取り戻すには、もう暫くの時間を要するだろう。有事ムードからは解放されたものの、現段階ではまだ、民達は混沌の最中にある。

(2)

 ビルフォードはサンタバーレ王国のとある病院を訪れていた。

 休日ということもあり、ロビーはひっそりとしている。

 窓から差し込んで来る陽光は、これから冬を迎えるというのに温かい色をしている。ここ数日、超多忙を極めていた彼は、気が焦ってしまっている所為か、じっと座っていられなかった。


 窓の外には公孫樹。サンタバーレのやや短めの夏もそろそろ終わる。早くも緩やかに色づき始めた葉を、ビルフォードは何となく眺めていた。院内に響く乾いた音が足音であると気付いたのは、久々に会う少し痩せた面影の彼女に声をかけられた後だった。

「少し、痩せたわね」

彼女は、その日の風のように、緩やかに、ビルフォードの傍らに控えた。

「お前ほどじゃない」

あまりに自然に吹き込んだ風に虚を衝かれたビルフォードは、最早言葉少なに返すしかなくなって、また暫く黙り込むのだった。

 落葉にはまだまだ早いだろう。まして、この日の風では音を立てて葉が揺れるだけ。


 「報告します」

まさかこの場でそのように切り出されるとは思っていなかったビルフォードは、一応背筋を伸ばして彼女の言葉に耳を傾けた。

「“灯台組”は全員シャーレン経由でサンタバーレに到着しました」

“灯台組”とは、ビルフォードと共にレッドキャッスルの行く末を案じ、秘密裏に灯台に結集していた非合法組織の事である。後日判明したのだが、ラン達がトゥザナバーレからレッドキャッスルに赴く際、国境を渡り易くしていてくれたのも、彼等の尽力があったのだという。

「任務、完了いたしました」

そう結んで敬礼した彼女と「御苦労」と敬礼を返したビルフォードは、丁度、向き合う形となった。何となく懐かしくて、暫く二人共その形のまま動けなくなってしまったのだが、流石にそれは可笑しいと、今度は笑わずには居られなくなった。

 ――遠くに正午の鐘の音が聞こえてきた。

「まだ、報告があるんじゃないか?」

もう発たねばならない時間だが、自分の副官がこんなところに居るのだから、容態くらいは聞いておきたい。そんな言い訳がましいビルフォードの内心など百も承知なので、この副官も理屈っぽく回答を出した。

「腹の痛みも分からん野郎連中が、アタシの悪阻に動揺したのか、過剰反応した模様です」

そう、此処は産婦人科病棟である。どうやら、悪阻を来たしたハルナを介抱した側近達が大事をとって此処で休養させたということらしい。

「……それはそれは失礼いたしました」

医者も気を遣ってくれたのだろう。入院代も取られずに退院の運びとなった。

「ま、この子がアンタの形見にならずに済んで良かったよ」

「何とでも言え。今なら何でも笑い飛ばせそうだ」

今日全ての予定が大幅に狂ったとしても、それは笑い飛ばすしかない。ビルフォードは心に決めた。

「バカ。とっとと仕事に行きな」

ハルナはわざと突き放してやった。彼を待っている人達がたくさん居る、彼が世界に必要とされていることを、よく知っているからだ。だから、自分のすべきこともよく分かるのだ。

「アタシは、我が家に戻るとするよ」

しかし、彼女がそう言える日をどんなに待ち望んだか知れない。先がまるで見えないこの一月強、帰る場所を失った彼女は、仲間達の優しさと腹に宿った新しい命という希望にすがりつくしかなかったのだから。

「サンタバーレ城に、ランとトーマがチビ達を迎えに来ることになっているから、一緒に戻ると良い」

話し込めば長くなりそうだと判断したビルフォードは、別れが辛くなる前に彼女に背を向けた。否。何を思ったか、一度、彼は妻を振り返った。

「“ポープ”という名前はどうだろう?」

何の因果だろうか、妻の妊娠を知る数日前に、ビルフォードはとある悲運の少年の願いを聞いたばかりだったのだ。


“今度は、アンタのトコの子供になりたいな”


無事産まれてから考えろ、などと失笑されたが、妻の返事は、

「ま、良いんじゃないか」

というものだった。

(3)

 せめて外の景色が見えれば、もう少しは気が晴れるだろうか。溜息を一つついたネハネは、そんなことを呟くと、視線を落としたまま、ゆっくり椅子に腰を下ろす。

 かのペリシア帝国特殊工作部隊執行部基地は、実はまだサルラ山脈M・A(マウント・アッバス)に取り残されたままであった。魔法を忘れて久しい光の民が、魔法科学の傑作ともいえるこのプラントに過剰反応し、今回の事件の真相や闇の民への好奇心となっては元も子もないからだ。


 とはいえ、いずれ異世界への「穴」が完全に塞がってしまえば、連合国の調査が入る。流石に、現時点で彼等はM・Aそのものが巨大要塞であるとは想像さえしていないだろうが、幾らか時を経ればやがては発掘されるかもしれない。

 「そうなる前に、此処を出ましょうね」

基地の医務室を使う羽目になるとは思っていなかったが、何の思い入れも無い無機質な空間だからこそ、かえって良いのかも知れない。思い入れのあるものは、何もかもが劇的に変わってしまって思わず辛くなるからだ。

 ネハネはベッドに横たわる上官・エリオの顔を、温湯を絞ったガーゼで拭いてやる。致死量をはるかに上回る毒を服した彼だが、奇跡としか言いようの無いイェルドの蘇生呪文により、何とか一命を取り留めていた。しかし、彼の意識はまだ混濁したままである。時折、何かを探すように目で何かを追ったり、声を発したりするのだが、それだけである。


 「外は、すっかり秋めいて居ります」

もう、その意に反して戦うことなど無いのです!

貴方一人が「悪」に徹することなど無いのです!

「これで、良かった」と、小さく呟いたネハネは、胸元で揺らめくペンダントトップを強く握り締めた。赤い石の2つ並んだそれは、かつてはピアスと呼ばれていたものだが、不幸な事情で暫く離れ離れになってしまっていたものである。永い時をかけたが、今は、同じ一つの鎖に連なっている。

 不意に、エリオの手がペンダントトップに伸びてきた。意識が戻ったのかと思わせる程、自然な仕草だったので、ネハネは堪らなくなってこみ上げてくる涙を、塞き止めることができなかった。


“本当に彼を救えたのは、貴女だったんじゃなくって?”


いつかのイオナの言葉が強く胸を叩いて息を詰まらせた――ネハネは何とか目元と頬を拭うと、まだ何かを探し彷徨っているエリオの左手をそっと握ってやった。

「……私なら、ずっと此処に控えております」

エリオの罪を全て背負い、人間界の混乱を避ける為、自らが矢面に立ち処刑されることも辞さないと、ビルフォードに進言したものの、「一人隠すも二人隠すも同じことだ」と一蹴されてしまった。

「貴方のお力になりたくて、私も神に背いたのですから」

天罰なら、共に。


 弱く、本当に弱弱しく、手を握り返されただろうか。突然力を失い解けた指では確かめようも無く、再びゆっくりと閉じられるエリオの瞼を見送ることができただけであった。

「どうか今こそ、せめて、安らかに」

そう祈りつつ、ネハネはよく眠る彼の為にシーツをかけ直す。

(4)

 「一体、何がどうなっちまったんだか」

ランは正直にエリオの戦いをそう振り返る。凍馬はそれを背中越しに聞いていた。凍馬の目の前には暗黒獣・アミュディラスヴェーゼアと、その背に乗って何やらはしゃいでいるビルフォードの長男と次男、そしてハルナと長女を背に乗せた飛竜(ハーピー)。そして、此処は上空600呎といったところか。

「イェルドはエリオと難しい話を始めるわ、エリオは服毒自殺図るわ……」

ランは溜息交じりで次のように結んだ。

「これでハッピーエンドだ! って信じてホントに良いんだろうな?」

この疑問は凍馬も、多分イェルドも、思っているところだった。

「ランよ、お前も十分得体の知れないものになってたぞ」

これは凍馬の率直な感想だったのだが、間も無く、後頭部に強烈な頭突きをかまされてしまった。思いの外痛みが残る頭を抱え込んだ凍馬の耳に、ランの溜息が聞こえてきた。

「あんなチカラ持ってたんなら、アユミん時に使ってやりたかったよ」

力不足の自分達を助ける為に、実兄エリオの魔法球に飲み込まれたアユミを救ってやりたかった――呪文消滅呪文(ディサピーア)という呪文がある事自体つい先日まで知らなかったランは、新たなチカラに目覚めた喜びよりは悔恨の思いに捉われていた。しかし、彼女の後方では随分暢気にこんな声が飛んできた。

アユミのコトがあったからこそ、火事場の馬鹿力出たんだろ」

凍馬は本当に面倒見が良い。

「言葉を選べよ。誰が馬鹿力だコラ」

もう一度、後方の男の後頭部をシバキ上げたランは、つい、そんな事を確認していた。

 海原が傾いた陽に照らされて金色に輝いている。世界はまだ混沌としているが、後ろで響く幼い歓声を聞く限り、平和は齎されたと言ってしまうのも悪くは無い気がする。

「これからの此の世界は、アイツ等次第ってワケか」

何て自由なのだろう、と凍馬はつい、思ってしまった。

「なぁに殊勝なことを言ってんだよ?」

ランはそう言って笑っただけだったので、凍馬も合わせて笑う。別に、お互いに楽しいわけでは無いのだが。

 

 「心配するな」

飛空騎は丁度サルラ山脈に差し掛かった。まだ濃い闇魔法分子の波動は感じるが、かつてほどの禍々しさは無い。感じる風は、少し冷たくなったか。凍馬はすっかり高くなった空を仰ぎつつ、ランの声を聞いた。

「――イェルドとイオナは、アタシが守る」

レッドキャッスル領内に入る。飛空騎はやや高度を下げて、首都カッカディーナを目指す。日が暮れるころには、イェルド達とも合流できそうだ。

「頼もしいじゃねえか」

遠く、子供達が凍馬を呼ぶ声が聞こえてくる。凍馬は体良くそれに応え、ランはそれを背中越しに聞いていた。

 元居た世界に戻れば、それぞれ違う立場を背負って生きていかなければならない。だが、この出会いが無かったことになるわけではない。むしろ、此処での経験はそれぞれに強烈なインパクトを残している。

 何せ、異世界に渡り、世界大戦を未然に防ぐとともに、ペリシア帝国のコロニーと化すことを食い止めるという、困難な事件だった。共に戦う仲間がいてくれたから、何とかここまでやれたのだ。

 「返さなきゃならないな」

不意に凍馬が口を開く。考え事をしていたランは、一度その声を聞き逃してしまった為、聞き直す。

「銀のブレスレット」

そう言われるまでランはすっかり忘れていたが、凍馬が装備している“銀のブレスレット”はヴェラッシェンド帝国国宝である。

「チッ……あまりにも堂々と使ってくれてるモンだから、忘れかけてたわ」

そういえば、エリオからも四大元素のルーンを回収しなければならないことを思い出して、ランは溜息をついた――強大な敵だと思い込んでいたエリオの痛々しい姿や、それを献身的に看護するネハネの姿をみていると、胸が痛むのだ。敵は「悪」だと思っていただけに

「大丈夫か? ヴェラッシェンドのセキュリティーは」

凍馬は嘲笑ってやった。「またドロボーが来るぞ」などと言って。

「もう、ドロボーは御免だね」

一体「悪」とは何だろう、とランは思う。エリオやネハネもそう呼ばれ、傍らで舌打ちしたこの男もそう呼ばれ――今まで自分が思っていた「悪」は、「悪」だと信じて良いのだろうか。例えば、ペリシア帝国の圧政やソドム公国の人頭税などは……

 ランはクシャっと髪を掻いて考えた。率直に、自分なりに答えを出そうと口を開いた。一皇女として正しい見解なのか否かなど、今更、考えても分からないのだと開き直って。

「“銀のブレスレット”は、元々『勇者』であるお前のモンだ。単に、今まではアタシ等が管理してたってだけだ」

「なぁに殊勝なことを言ってんだよ?」とランを口真似してまたも笑う凍馬に、「聞けよ」と肘を一発撃ち込んで、ランは続けた。

「だから、アンタは、ヴェラッシェンドじゃ何も盗っちゃいない。罪を問われるとすれば単なる建造物侵入罪だ」

何を言い出すのかと驚いた凍馬は、思わずランを振り返った。

「ヴェラッシェンドは、アンタが活躍していたっていうペリシアやソドムとは正常国交が無いらしいから、アンタの身柄を引き渡さなくても外交上問題も無いって、イオナが言っていた。だから……」

「無事じゃ済まんさ」

ランの話を遮って、凍馬は言った――そうでなければまた『夢』を見てしまいそうで。

「こう見えても、オレ有名人だからな」

この首には、国家予算規模の賞金が掛けられている。ソドムやペリシアの警察は莫大な褒賞金の支払いから逃れる為にこの首を秘密裏に回収したいだろうし、バウンティハンターは一生分の道楽と名声を得る為に日々この首を探し回るだろう。

「ああ、」

ランは、一度振り返った。丁度、こちらを向いていた凍馬と目が合う。

「――『凍馬』は、な」


 ツェイユとして、イェルドの兄貴として、これからは静かに生きていけば良いじゃないか。

 もうとっくに居もしない『凍馬』として生きていくなんて、虚し過ぎるじゃないか。

 お前はお前で、幸せになれば良いじゃないか。


ランは前に向き直ると、金色に光る海原を暫く眺めていた。

「チッ……有り難いコト言いやがる」

世界が輝いて見える。陽に透けた海の所為か、不意に差し込んできた救いの光の所為か、ふと瞼が堰きとめた何とも言いようの無い熱いプリズムの所為なのかは、分からない。

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