第53話 アンチテーゼ―正義と非正義―

(1)

 蓋し――終幕がやってきても、世界が混沌に閉ざされようとしていても、守るべきものは揺るぎ無いのである。イェルドは暗澹たる闇中には眩いばかりの赤き炎の救世主を見た気がした。

 この土壇場ではあるが、イェルドは何とか今、戦う理由を見つけることが出来たのだ。

「(明護神使様、ご容赦ください)」

勿論、世界が終わるという漠然とした大いなる危機への恐れもあるにはあるのだろうが、想像するだけで心が打ちひしがれ身悶えするほどの喪失感とはそれではない。所謂、「かけがえの無い世界」とはもっとずっと具体的なのだ。

「(――私は、所謂『勇者』には向いていないようです)」

 例えばそれは、世界に君臨する魔王にして“終幕ヲ呼ブ”者であるかもしれない。

 或いは、世界が恐れ戦いた“伝説の盗賊”かもしれない。

 更には、史上最強の亡命者かもしれない。


「(戦争だろうと終幕だろうと、私はただ、この誰一人も失いたくないだけなんです)」


 イェルドの迷いが吹っ切れたのを察したランは、更に彼を煽る。

「教えてやろうよ」

前方のランがイェルドの方を振り向いた。その表情は憮然としたままだったが、彼女の曇りのない瞳は、闘い疲れたエリオの心をまたも確かに救おうとしている。

「独りでイキってんじゃねえよって、さ」

丁度、イェルドの光明獣の傍らに、もう一騎近づいてきたところだ。

「オレ達も言いたい事言わせてもらう為には、一回、奴を黙らさなきゃダメだろうよ」

凍馬の右手に光る“銀のブレスレット”にイェルドの左手首に光る“金のブレスレット”が共鳴した。

 誰に何を説明したわけでもなかったが、皆、思いは一つとなった。

「折角此処まで来たんだ。こっちでの世界での集大成、拝ませてやろうじゃないか」

凍馬の意図が、単に“金と銀のブレスレット”の真の効果を試したいだけなのか、イェルドの迷いが晴れたことに気が付いたのか、それとも彼なりにエリオと此処でケリをつけておきたかったのかは、イェルドには分からない。

 ただ、どうやら凍馬も、そして、ランも、エリオと同じく、この戦いの先にある『真理』を確かめようとしているようである。

 既に、イェルドに迷いはなかった。

(2)

 無意識的に両者の間合いは広げられていた。

 この戦いが内包するとてつもない意味は、もう誤魔化しようのないくらい張り詰められた緊張感が暗喩してくれた。

 時は来た。

 両者の詠唱はほぼ同時となる。これも宿命だというのだろうか。寒気すら感じたランは、先刻イェルドから借りたままとなっているロザリオを握り締め、瞼を閉じ、祈りを込めた。


――果たして、神は居るや否や?


 『光よ、その掃滅のチカラを以って、今我が前に現れ出でん』

迷いの闇を照らさんばかりの光が運命に牙を向かんとしている。つい先刻、「独りで何でもできてたなんて思ってるんじゃねえ」などとガンくれたランの表情を思い出したイェルドは、今は自分と兄の為に“神”とやらに祈りを捧げてくれている彼女を一瞥する。

「(貴女が終幕を齎す者であっても、むしろもう構わない)」

イェルドは丁度、あのロザリオに一番初めに誓った言葉をもう一度胸に刻み込むように小さく呟いたところだ。

「命に代えても、お守り致します」


 ふと、生暖かい風が凍馬の頬に軽く触れた。この先は元居た世界の、しかも自分がねぐらとしていた「修羅の森」である。今更ながら、そんな事を思い出した。いや、暖かいのは傍らの光の所為か。

『闇よ、その殲滅のチカラを以って、今我が前に現れ出でん……』

大切な存在を失った時から永らく、凍馬という男の見ていた「世界」は絶望の闇に閉ざされていた。

「(今更、何を思い出してんだろな)」

謙虚な彼は強く目を閉じたが、傍らの光が自分の「闇」をも照らしてくれていたことに気が付いた彼は、再び瞼を開いた。

 凍馬にとっては、比較的平穏とも煩忙ともつかなかったここ数カ月という時間は、間違いなくこの「闇」に差し込んだ一筋の光であった。でも、まだ暗がりに立つ自分には、それがあまりに眩しくて――凍馬は再び瞼を閉じた。


 確かめ合うように、意図的に、加減をしながら詠唱に望んだ所為だろう、以前エリオと戦った際に起こった竜巻にも似た大きな絶対元素同士の抵抗は無い。

「(これなら大丈夫!)」

ランはまず安堵した。決して交わることの無い光と闇が『双子の勇者』を介在させて慎重に結晶化していく。その複雑な結合が魔法分子間力を高めた結果、この奇跡としか言いようがない魔法分子結晶は神威的なまでに美しく、畏れすら感じさせるほどの強烈なチカラと可能性を内に秘めていた。

 それにしても、とランは思う。

「(何だか、似てるな……コイツ等と)」

勿論「コイツ等」というのは、魔法属性が「闇」である魔法分子を扱う世界的大罪人と魔法属性が「光」である魔法分子を扱う帝国お抱えの聖職者のことである。

 しかし、この大罪人は馬鹿が付くほど面倒見の良い真面目な奴であり、片や聖職者は合理的である為なのか見たことも無い神を信じるどころか一度は神職さえかなぐり捨てようとした破滅的な奴である。

 この皮肉は、そもそも双子達が生き別れとなっていた悲運に由来するのだが、要するに彼等は自分の仲間を絶対に傷付けたく無いと思っているというだけのことなのだ。この数ヶ月間傍からこの二人を見守ってきたランからして見れば、殆ど同質な二人である。

「(光も闇も……)」

きっと、分かれているからややこしくなるんだ。エリオの挙動を警戒しなければならないことは分かっていても、ランはつい、絶対元素合成呪文の結晶に見惚れてしまう。

「(これが、光と闇の正しくあるべき姿なのかも)」

光と闇という二律背反的な概念で世界を分けることに、そんなに意味は無いのではないか――そう思い至ったところで、ランはふと、エリオの方を見遣る。

「え……!?」

(3)

 それは時間にして一瞬のことだった。ぞっとするほどの嫌な予感とほぼ同時に、エリオの方向からの殺気が突然消えたのだ。

「(何だ?)」

膨大な量の光と闇の魔法分子が高速で駆け巡るこの亜空間では些細な変化だったのだが、ランは対峙していた闇魔法分子の量が徐々に減少していくのを感じた。

「エリオ?」

彼の姿は高濃度の闇魔法分子結晶に乱反射し続ける光が邪魔をして全く見えない。その代わり、ランの目はこの無辺空間を漂う赤い点を捉えていた。

「これって……」

その赤い点の正体が分かったランは血相を変え、思わず声を上げた。それは、此処に来る前に森で見かけたロータスという猛毒の果実だったのだ!

「二人共、止めろ! 奴はもう!」

尋常でないランの剣幕に気圧され、双子達は呪文を解除したものの、双子達の造った魔法分子結晶は既に術者の手を離れ、エリオに向かって真っ直ぐに軌道を描いていたところだ。ただ、光が弱まったお陰でエリオの姿は露になった。

「バカな!?」

凍馬はそれ以上声を失ってしまった。今まで戦っていた筈のエリオの体勢は崩れ、完全に力を失った体は時折痙攣したまま、臨終の時を迎えていたのだ!

 ゆっくりと、絶対元素合成呪文がエリオの体を飲み込まんとしている。ランは、嫌でも彼の弟・アユミの最期を思い出してしまうのだった。

「(またかよ!)」

ランは拳を握り締め、唇をかみ締めた。悔しくてならないのだ。エリオの選んだ幕引きがこんな形になるなんて。

 

 ――現世(此処)にだって、どんなお前だろうと信じて待ってくれているヒトが居るじゃないか。お前の為に身も心も尽くしてくれたヒトが居るじゃないか。お前だって、そんなヒト達のお陰で生かされてきたんじゃないのか? その答えがこんな結末で良いというのか? 否!


 「(これで良い訳が無い!)」

そして此処にも一人、ランと思いを同じくする者が居る。突き出された左腕にある“金のブレスレット”が彼の強い思いに呼応するようにもう一度強く発光した。


 ――全てを敵に回してでも、と覚悟を以って臨んだ闘いであった筈だ。手段はともかく、それはこの世界に生きる全ての民にとって、大きな意義のある信念だと思っていた筈だ。何故、今更突然にその覚悟を放棄したのだ? まさか、ここで諦めるとでも言うのか?

「(これで『終わり』だなんて、認めさせるものか!)」

イェルドは釈然としなかった。だからこそ、余計に救ってやりたかったのだ。


 それは、強い、とにかく強い思いから派生した感情だったのだろう。詠唱は無かったが、ランとイェルドの強い願いは超科学的に魔法分子に伝わり、各々一つの結晶となってこの絶望に働きかけた。

『ブチ壊せ(呪文消滅呪文/ディサピーア)!』

ランの詠唱で、刹那、空間中の魔法分子が凍りついた。

「な……!?」

凍馬は目を見張った。あれほど強烈な負のチカラを放っていた絶対元素合成呪文が、その動きをピタリと止め、その瞬間無機質な魔法分子結晶の塊になってしまったのだ。いや、今、魔法分子結晶すら瞬く間に粉々に砕けた。

 奇跡的ともいえる結合を遂げた、光と闇の魔法分子結晶が、塵すら残さず、あっという間に跡形も無くなってしまったのだ。しかし、その呪文の威力より強烈だったのは、ランの体に起こった変化である。

「間に合ったか?」

などと冷や汗を拭うランの表情はいつもと変わらないのだが、その額には何やら赤く紋が浮かび上がり、普段赤に近い褐色の目はより赤く、澄み切っていてまるでビードロのようだ。

「(これが、王家の血ってヤツか)」

此処へ来て初めて、凍馬は次期魔王たる彼女に畏れを感じた。が、彼は間も無く息を吐くタイミングを失ったまま、驚くべきものはもっと身近にあったと思い知ることとなった。

「お前は――」

イェルドの声がしたと思った瞬間、一体何処からどうして集まったのか分からないほどの光で、忽ち視界が閉ざされていった。

「ちょっと……イェルド、何? これ?」

ランですら、この光の強さには怯む。

「これは!?」

いつの間にか、負っていた傷が癒えていたのに気が付いた凍馬は、この『光』が強力な正のチカラを孕んでいることに気付いた。だが、この凄まじいまでの威圧感は一体何だろう。これだけはどうしても分からなかったが、それは無理も無いことであった。

『生きろ(蘇生呪文・未完)!!』

この呪文、イェルドも無意識のうちに放ってしまったが、状態回復呪文(リカバー)の最上級呪文・蘇生呪文である。勿論、生死を司る事象は『神』の領域に当たる為、民に於いてこの呪文を成功させた者は人類史上無い。それ位の超・高度呪文(ハイスペル)である。


 膨大な量の光魔法分子がエリオを包み込んだまま、ゆっくりと時をかけて放散していったのだが、術者であるイェルド自身も、自分が彼に何の術を施したのか全く分からず、少なからず戸惑いながら、倒れているエリオに近付く。次いで、ランも。

「死んだのか?」

とのランの質問に一応の回答を出すため、イェルドはとりあえず生存確認をする。

 

 「あ……」

ふと、凍馬はエリオの向こうに視線を投げた。今の戦いで大きく広がった亜空間の出口から陽光が覗く。くすんだ灰の空にくっきり映える木々の緑はどこか懐かしい。

「(修羅の森か)」

“修羅の森”とは、凍馬が拠点にしている北方大陸西部の密林地帯である。また、かつて、凍馬とイェルドが遺棄されていたという森でもある。

「兄さん?」

あまりにもぼんやりと森を眺めてしまっていた所為か、どうもランとイェルドを不安がらせてしまったようだ。一つ溜息を吐いた凍馬は、

「やれやれ、疲れたな」

とか何とか呟くと、ゆっくりと慎重にエリオの体を抱き上げ、二人に向かってニッと口元を緩めた。

「さ、戻ろうか」


――戦いが、一つ、幕を下ろした。

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