第29話 裏切りの光

(1)

 充分な間合いを保ったまま、エリオは侵入者3人を交互に見つめた。ランとイェルドについてはヴェラッシェンド帝国の中枢部に通じる者達である以上、この計画が漏洩しないように抹殺するしかない。しかし、

「(凍馬、か)」

想像以上の魔法キャパシティーに加え、盗賊(シーフ)としての腕は魔界随一。そして、何よりも、アユミが一番信頼を置く人物である。

「凍馬、」

エリオは、一応切り出してみる事にした。

「お前は、ヴェラッシェンドよりは、むしろオレ達に近い」

彼が何を言わんとしているのか、凍馬にもよく分かった。

「オレは個人経営主義なんだ。お前の国からも色んなオファーはあったケド、今まで全部断ってきた」

一度、エリオが失笑するのを見て、凍馬は続けた。

「だが、お前がランとイェルドとイオナを安全にヴェラッシェンドに返すって言うんなら、乗らん事もないぞ?」

その彼の言葉を聞いて思わずムッとしたランを、今イェルドがなだめに入った。勿論、彼は兄にその気は全く無いとよく分かっているのだ。

「お前とは、気が合うと思ったんだがな……」

何せ、出会ったタイミングが最悪だった――戦闘で少し乱れたオールバックの髪を掻き上げて、エリオは溜息を一つくれた。

「仕方ないな」

全員抹殺しなければならない――エリオは何かを振り切るように、一つ息を吐いた。

『盟約に基づきそのチカラを示し給え』

ほんの僅かな隙だったにもかかわらず、エリオは詠唱を完成させてしまった。


 『水』、『風』、『大地』の魔法分子が防火扉で囲まれたこのセル中に渦を巻いている。結晶化せんとする3種の異なるエレメントが、光と音と強烈な負のチカラを放ちながら3人を威嚇するように駆け巡り、高濃度の魔法分子の所為で呼吸さえままならなくする。

「(馬鹿な! 全部茶番だったというのか!?)」

ランは途端に青ざめた。戦意を殺ぐほどの恐怖感は、これまで彼女が味わった事が無いものだ。

『保護結界呪文(バリア)!』

そんなランの動揺を知ってか、すぐに彼女を囲む分厚い結界が現れた。

「イェルド……」

まだ血液に塗れたままの痛々しい腕を伸ばしたイェルドの詠唱が、攻撃呪文のそれに切り替わったところだった。

「これ以上、彼による世界秩序の破壊を許すわけにはいきません」

イェルドはランにそれだけを告げた。だからと言って、彼女に積極的に戦って欲しいかというと、そうでもない。ただ、悔しくはあるが、彼女にも魔法の詠唱を助けてもらわねば、到底エリオの魔法にはかなわないことは明らかだった。

「……ああ」

正直、恐怖感は強く残ったままだが、ランも攻撃呪文の詠唱を唱えた。

 “攻撃は最大の防御”という言葉を信じているわけではないが、イェルドの張った保護結界だけでは、エリオの呪文を防ぎきれないだろう。それに、イェルドの言う通り、光の民の世界へのこれ以上の闇の民の侵入を許すわけにはいかないのだ。

 ――『勇者』と共に光と闇との平和的秩序体制を願っていた故ヴァルザード大魔王の、最後の血縁者として。

 「(これが“スペルマスター”か)」

凍馬は思わず天を仰いでしまった。彼は先日、義理の弟に“勝てっこない”と言われてしまったばかりだ。

「(とんだ依頼持って来やがったな、アリス)」

凍馬は確かめるように、“銀のブレスレット”にそっと触れた。


 イェルドの詠唱が完結した。

『聖伝書第191節【終幕】(イナヴォイドエンド)!』

イェルドが呪文を放ったタイミングと全く同じタイミングで、凍馬も呪文を放つ。

『冥府の覇王に血の杯を(デアプルート)!』

凍馬の純粋な闇魔法分子の結晶を見たランは、少しでも負のチカラを強めようと、咄嗟の機転を利かせて合成呪文を試みた。

『闘神に捧ぐカプリッツィオ(オーディーン)!』

ランの詠唱によって発現した炎属性の魔法分子結晶は、凍馬の放った呪文の負のチカラを取り込み、一段と肥大化した炎の塊となった。イェルドが放った光属性魔法分子結晶とも相まって、強烈な光と熱を放つ太陽のような結晶が誕生したのだ。

「(勝てるか?)」

一縷の望みを託し、ランは燃え盛る魔法球の行方を追った。

 エリオの持つ3つの魔法属性の渦は、各々結晶を作り始め、それぞれが負のチカラを放出しながら不気味に光り輝いていた。その光を掻き分けるように、ラン達が放った魔法球は、真っ直ぐにエリオを捉えて進んでいく。

「(せめて、届いてさえくれれば……)」

ランは祈る――エリオが返す攻撃呪文によって幾らか相殺はされるだろうが、取り込んだ魔法分子が膨大な量に及ぶだけに、少しでもエリオに結晶が届けばかなりのダメージを与えられる筈だ。

 一方のエリオの方も、ついに“スペルマスター”としてのチカラを露にした。

『楽園へと誘う三重奏(デリリオスジュノー)!』

こちらも、扱う魔法分子の量は膨大である。異なる3つのエレメントが融合し、強烈な光と負のチカラを放っている。ラン達の魔法球が“太陽”ならば、エリオの魔法球は、不気味な存在感のある“月”であろう。

 どうしても魔法力学的に質量がかさむので、必然的に推進速度は落ちるものの、ラン達の放った太陽のような魔法球を塞き止めるほどの推進力はある。


 暫く、“太陽”と“月”のせめぎ合いが続いた。


 「!?」

少なくとも此処にいる一同は、全員が瞼を閉じて魔法球が放つ強烈な光から眼を防御していたのだが、イェルドは――イェルドだけは、その眼を閉じた闇の中に人影を見ていた。白い衣を纏った、長身で栗毛の彼は、いつか何処かで見た明護神使であった。かつて見たあの時のように、深い眠りに就いている彼の表情は、こちらが心苦しくなってしまうほどに愁いを帯びている。今、彼は口元を僅かに動かした。


“ごめんね”


 「う……っ!?」

その刹那に、イェルドの左手首に(何故か、左の手首だけに)再び激痛が走った。先刻のような切り傷ではない。何者かに強く握り締められたような、そんな感覚だった。

「(まさか、明護神使様が?)」

魔法球の魔法分子結晶から負のチカラの散逸を最小限に食い止め、エリオの魔法球と相殺し合うには、魔法分子間力を強化して光魔法分子を集め続けなければならないのだが、イェルドが詠唱を繰り返し光魔法分子を召喚すればするほど、左の手首の痛みが増し、集中力が途切れる。

 「(此処で詠唱をためらえば、……)」

イェルドは焦る。更なる光魔法分子の召喚を続けなければ、エリオの攻撃呪文に完全に敗北し、ランや兄や自分の命に係わってくるだろう。とりわけ、ランが生命の危険に曝されるという事は即、ヴェラッシェンド帝国国体の危機であり、有史以来伝統的に築き上げてきた“サタン(魔王)”という全闇の民の象徴の危機でもある。

 何とか激痛に耐え、イェルドは腕を伸ばし続けていた。しかし、

「イェルド、ラン、結界を!」

凍馬はここで決断を下した――防御指示である。凍馬はこのターンの絶対的な不利を悟ったのだ。なるべく厚く保護結界を張り、来るべき大ダメージに備える事を優先させた。

「兄さん!」

イェルドは認めたくなかった。認めれば、全てが終わってしまう気がして……

『結界呪文(バリア)!』

しかし、イェルドの後方から、攻撃呪文を解除し、結界呪文に切り替えたランの詠唱の声が聞こえてきた。

 ランだって認めたくはなかった。認めたくはなかったが、先刻から既に彼女の戦闘本能が恐怖に侵され始めている。エリオとの実力の差を、肌で感じ取っているのだ。もう、認めざるを得なかった。


 敗北である。


 ランが詠唱を放棄したので、エリオの魔法球がどんどん迫ってくる。

「……お前が一番分かっている筈だ」

凍馬はイェルドにそのような言い方をした――明護神使がイェルドに告げた、あの不可解な言葉を、彼も聞いていたのかは定かではなかったが、イェルドについて、『勇者』としての器が未熟であると言う事などは察してくれているのだろう。

「承知、しました」

イェルドは深く頷くも、あまりの悔しさと不甲斐なさに口元が震える。そのまま彼は、結界呪文の詠唱を唱えた。自分の役務に専念するのみと割り切りさえすれば、感情的になるよりも、すべきことがクリアになる。


 エリオの魔法球は緩やかに速度を上げながらどんどん迫ってくる。

 避けようにも、3つのエレメントが合成した魔法分子結晶はあまりにも大き過ぎて、避けようがない。それは強い光を放ちながら向かってくるので、何も見えたものではないが、その白くて禍々しい光の渦に飲み込まれる前に、イェルドは自分に与えられた責務を果たすべく、とにかくランを――帝国の第一皇女を抱き寄せ、身を挺して彼女の守護を図る。

「バカ! アタシなんか守ってる場合じゃないだろ!?」

ランは何とか抵抗するが、逆に彼に押さえつけられてしまった。“帝国の第一皇女”だとか“最後のサタンの直系血族”だとか、それはそれでとても大切な事なのかも知れないが、彼には――彼にだけは、それをさせてはならないのだ!


――アンタが死んじゃ、意味が無いんだよ!


(2)

 保護結界(バリア)は二重にも三重にも重ねて張っておいたし、エリオの魔法球が放つ負のチカラだって、幾らかは相殺によって削り落とされた筈なのに――熱くて、寒くて、痛い。

「っ!」

ランは足音を聞いた。こちらにやって来る。エリオだ!

「(……来るな!)」

動けない。動きたくない! 狂ったように四肢が痛みに震え、その痛みと虚脱感に体中が絶望している。

「流石だな」

エリオの声が遠くに聞こえる。ランは痛みと恐怖に押しつぶされて消え入りそうな意識を、何とか現に繋ぎ止める。

「流石、ヴェラッシェンドの憲兵はモノが違うな」

エリオが話しかけているのはイェルドであるようだ。ランは眼を開けた。

『聖伝書第3節【天と地と雨】(ソルズロンド)!』

イェルドは渾身の攻撃呪文で何とかエリオとの間合いを保ち、傍らに倒れている凍馬に、取り急ぎヒール(回復呪文)をかけたようだ。

「無駄に生き延びるな。苦しいだけだぞ」

エリオは忠告しておいた。彼も眼前のイェルドと同様、かつては“高徳の僧”というレッテルを付けて生きていた。眼前の脆弱な戦士達が、何が為に此処まで戦っているのか、理解はしてやれる。

「一思いに死んでしまうには、どうも未練が強すぎるようだ」

イェルドは巨大鎌を召喚した。立ちはだかるエリオは、もう得体の知れない化け物にしか見えない。化け物は嗤う。

「手加減はできない。オレも時間が惜しいからな」

――何せ、ビルフォードの逮捕を断行する明け方まで、もう時間が無いのだ。エリオはもう一度、例の合成呪文の詠唱を唱えようとした。

「させるか!」

すかさず、凍馬が簡易魔法球を投げる。

『闇属性魔法球(パンデモニアム)!』

その凍馬の詠唱の声がやたらと掠れていた。彼の扱う闇魔法分子の量も、先刻の絶望的なエリオの魔法を食らう前と比べて極端に落ちている。

 凍馬は“銀のブレスレット”の持つ、攻撃呪文無効化の能力を最大限に引き出す事により、先刻のエリオの攻撃呪文によりかかる負荷を最小限に食い止めてくれていたようだ。ただ、それと引き換えに、凍馬は闇魔法分子の集約率を大幅に落としていた。

「チッ!」

エリオは、凍馬の攻撃呪文とイェルドの巨大鎌の刃をひらりと躱わすと、イェルドの懐を目掛け、強化魔法球(ブラスト)をぶち込む。しかし、イェルドはその速度を変えること無く、こちらに向かってくる!

「な……!?」

エリオは息を呑んだ。ブラストを1発胸に受けている筈なのに、イェルドはその痛みに怯む様子も見せずに大鎌の刃を繰り出して来る。

「(相打ちを狙っているのか!)」

捨て身で向かってくるイェルドが繰り出した大鎌の刃に制服が引っ掛かり、エリオは右によろめいた。その隙を、イェルドは逃さなかった。

『聖伝書第191節【終幕】(イナヴォイドエンド)!』

殆どの詠唱を省いていたものの、高い集中力を維持していたので、イェルドの期待以上に多くの光魔法分子をかき集めることはできた。しかし、完全に詠唱されたものと変わらないほどの高い濃度のレヴェルに達していた光魔法分子の塊は、それよりももっと強いチカラで弾き返されてしまったのだ。

「!?」

イェルドの放った光魔法分子をかき消した、別のチカラがそこにはあったのだ。その正体に気が付いたイェルドは、逆流してきた負のチカラを浴びてヒリヒリと痛む両手を庇うのも忘れ、呆然と立ち尽くしてしまった。

「(バカな!?)」

一瞬だが、確かにイェルドの視界がエリオの傍らに控える栗色の髪を捉えた。

 

 ――何と、明護神使がエリオを守護していたのだ。


「(見間違いか?)」

とも考え直したが、確かめる間もなく、イェルドは簡易魔法球によって、ランと凍馬が控えている方の壁に叩きつけられた。

「(一体、どういうことだ?)」

イェルドは何とか起き上がり、もう一度エリオを確認するが、その傍らにはもう明護神使はいないようだった。

 二人の戦いの様子を、僅かに残る意識で辿っていたランは、自分の名を呼ぶ凍馬の声に、今、やっと気が付いたところだった。

「どーも、今日はツキが無いようだ」

凍馬は余裕の無い笑みを見せた。返す言葉も見つからないままに、ランの手には『石』が握らされていた。

「もう一度、エリオの呪文を食らっちまう前に、」

凍馬は『石』を握るランの手に両手を被せ、祈りを込めた。『石』とは、先日ビルフォードの子供達を亡命させる際に、イオナが凍馬に渡しておいたルーンストーン――ヒール(回復呪文)の術を持たない者でもヒールを発動できる石だ。

「お前はイオナとビルフォードを回収して、此処から早く脱出するんだ。お前の魔法なら、防犯シェルターくらい、ワケ無く壊せるだろう」

エリオの呪文の詠唱が、ランの耳に届いてきた。あの、身の毛もよだつほどのおぞましい負のチカラが、またこちらにやって来るのだ。

「良いか? オレとイェルドでヤツの呪文を食い止めている間に、すぐに階段方向に走って逃げろ」

ルーンストーンが弱く光る。少しだけ暖かくて優しい光はランの傷を癒してくれるが、彼女の心を強く締め付けた。

「駄目だ」

二人を此処に残したままでは、行ける訳が無い!――そう言おうとしたが、それは凍馬の強い口調に阻まれてしまった。

「オレ達に気を遣ってるほど、余裕なんか無いぞ?」

それはランにもよく分かっていることだった。よく分かっているが、すぐに納得ができる訳が無かった。二人共互いに気持ちに余裕が無く、無言のまま睨み合ってしまったが、今、そんな二人の目に、血液で赤く染まってしまったサープリス(白法衣)が脱ぎ捨てられて翻ったのが映った。

「気にしないで、ランさん、」

ランを一瞥もすることなく、イェルドは淡々と言った。

「これが、私の仕事です。貴女も、貴女の責務を果たすべきですよ?」

ケジメなら、付けてきた筈だ。お互いに――ランはハッと顔を上げた。


 笑えるくらいの膨大な量の闇魔法分子が結合を始めた。先ほどエリオが放った絶望的な魔法球が、いとも簡単に再生されんとしている。

「(敵わねえな)」

口に出すわけにもいかず、溜息だけをついた凍馬は、修正の遅れた魔法分子の集積能力の限界を尽くして、ありったけの結界を張った。ランが決心を固めたのかどうかはともかく、最終的には彼女を脱走させる為の時間的余裕を作っておかなければならないだろう。その中途で、凍馬の耳は小さな爆発音を捉えていた。

「ん?」

壁が崩れる音などは、先程から聞き飽きるくらい聞いてきたが、その音は壁の向こう側から聞こえてきたのだ。

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