第30話 YO! Mr.SORROW

(1)

 ――時は少しだけ遡る。

 防火扉を破って現れた大きな帽子の青年が、まさかこの場所にやって来るとは、イオナもビルフォードも予想だにしていなかった。

「貴方は、アユちゃん!?」

イオナが声を上げると、

「……“アユちゃん”なんて呼ばれた事は無かったな」

と、アユミは照れくさそうに笑って見せた。その微笑に、先日の戦いで彼が見せた狡猾なものは微塵も感じなかった。

「あーあ。止めときゃ良いのに、来ちゃったんだね、こんな所まで」

お疲れさん、などと投げやり気味に言い放ったアユミは、イオナとビルフォードに一瞥をくれると、例の水道の通った壁に耳を当てて、何やら確認作業を始めた。

「言っとくけど、オレはちゃんと止めたんだよ? エリオさんには勝てないよ、って――ましてや姉さんみたいに、攻撃呪文を封印したまま戦おうとするなんて……あーもうホンっト、有り得ないね」

アユミはもう一度魔法分子を召喚して、水道管が通っている壁を慎重に壊し始めた。イオナとビルフォードは為す術無く、アユミの後頭部をすっぽり覆う大きなデザインハットを見つめていた。

「アンタ達には、もう一回、チャンスをあげるよ」

アユミは、何とか人一人分入れるだけの穴を前に、ニッと笑った。

「?」

顔を見合わせたイオナとビルフォードを尻目に、アユミはその穴に飛び込み、2人にも入るように促した。

「一つ、良いかしら?」

イオナは一応聞いてみることにした。

「貴方がアタシ達にチャンスをくれるなんて、一体どういう風の吹き回しかしら?」

何せ、アユミはペリシア帝国軍の特殊工作員である。彼等については、かつてペリシアの民であったイオナはよく知っている。まして、アユミには前科が幾らでもあるのだから……

「今は一々説明してる場合じゃないと思うよ?」

案の定、ニヤリと笑ったアユミは回答を拒んだ。しかし、

「――後で凍馬にでも聞いてよ」

何と、凍馬はこの展開を想定しているというのだ。一応、アユミの行動への信憑性が増したところ、イオナとビルフォードは戸惑いながらも穴の中に潜入した。


 穴の中の足場は鉄骨のみ。しかし、ラン達がエリオと戦っている階下は、きちんと床が張られ、しかも、複数の制御装置が配置されている不思議な空間だった。アユミはいち早く階下に飛び降り、メインコンピューターを作動させた。

「……上下水道の監視制御室か」

ビルフォードにはピンと来た。このコンピューターはこの基地の水脈を支配しているのだ。それも――

「そう、この手の基地には付き物の、重役専用脱出経路。多分、エリオさんも知らないと思うよ、コレ」

アユミは淡々とコンピューターを稼動させる。間もなく、今まで床だと思っていた場所が大きく口を開き、水面が出現し、すぐにそこからマンホールが顔を出した――水質調査船の出入り口であるようだ。

「この水質調査船は、このまま水流に乗ってノンストップでヴォルフテッド海に直行するようにできてるんだ。定員は3名だけど、まあ、5人くらい乗ったってギリギリ平気だろうよ」

アユミはやや早口で、ロックの解除方法を説明した。

 「後は、此処の壁を壊して、3人を回収すれば良い」

それはそれにしても、イオナとビルフォードにはどうしても腑に落ちないことがあった。

「そんなことして、貴方は、これからどうするつもりなの?」

幾ら実の兄弟とはいえ、彼等はペリシアの国益の為に戦う特殊工作員である。ここで彼が自分達を救おうものなら、間違いなくペリシア帝国にはいられなくなる。

「貴方は、……また居場所を無くすつもり?」

居場所を見つけるという事の難しさを、ペリシア帝国からの亡命者であるイオナは知っている。ある日偶然ランと出会うまで、彼女だって、放浪の身だった。

 いっそ祖国で処刑されていた方が楽だったのではないかと思うほどの孤独と、強迫観念。そして、それらから逃れんとして現れる、あまりに甘やかな希死念慮――

「ヒトの心配してる場合じゃないんじゃないの?」

しかし、アユミは一切受付けなかった。

「別に姉さんに言われるまでもなく、オレはオレの守るべきものをちゃんと守って生きてるよ」


アンタは、どうなの? ――そう訊き返された気がして、イオナは思わず息を呑む。


動揺した彼女の代わりに、ビルフォードが核心を突いた。

「本当に、トーマはこの事を知っているのか?」

“この事”とは、勿論、この作戦についてではない。この場所にアユミが現れるという事についてである。ビルフォードは、戒めを込めてこう言うに留めた。

「オレがアイツなら、此処でお前とハチ会うのは御免だが?」

まして、アユミの安全の保障が乏しいこのシチュエーション下では。アユミの表情が引きつったのが分かった。隠そうとはしているが、大きく動揺しているようだ。アユミの口からは、とうとう言葉が消えてしまった。

 いや、彼は今、微笑んだ。

「後でちゃんと“バカ野郎”って怒られて来るよ」

(3)

 イェルドもランも、自分達の後方から、壁が崩れる音が聞こえてくることに気付いた。

「何?」

ランは壁にそっと触れた。先程まで無かった、大きな亀裂が入っている。丁度そこへ、

『前呪文再生呪文(リピート)!』

エリオの魔法の詠唱がとうとう完結してしまったのだ。

「ラン!」

凍馬が叫んで、イェルドが飛び出した。

「!」

ランの身体はふわりと宙に浮き、次の瞬間にはイェルドの腕の中で、今まで自分が触れていた壁の瓦礫を見ていた。


 ――脱出への突破口が開けた瞬間であった。


「皆こっちへ!」

聞き覚えのある声の主はイオナとビルフォードであった。ランとイェルドはいつものクセで、慌てて距離を取る(悲しき習性である)。

「な……っ!?」

しかし、そこに居た全員が、彼の顔を見て驚愕の声を上げた。

「アユミ!?」

アユミを光の民だと信じて疑わなかったランは、ワケが分からず立ち尽くしてしまった。

「アユミ……」

エリオは途端に青ざめた。彼が此処に来る理由など、一つしかないのだ!

「皆、早くこっちへ!」

イオナが声を張り上げた。エリオの放った魔法球は今、完全に3つの属性が複雑な結合を遂げ、禍々しい負のチカラと共に結晶化したところだ。すぐにイェルドは、闇魔法分子の過大放出で疲弊し、歩く事もままならなくなっている兄を支えて船に逃げ込んだ。その際、凍馬はアユミと擦れ違ったのだが、二人共一度目を合わせたきりで、それだけだった。


 アユミが動いた。

「ランちゃん、早く逃げて!」

アユミは放心しているランの腕を強引に掴むと、そのまま船へと誘導した。

「アユミ? 何でアンタが此処に?!」

丁度、エリオの作り上げた魔法分子結晶が轟音を立ててゆっくりと、ラン達の方へと動き始めたところだった。

「アユミ! 逃げるんだ!」

完結してしまった呪文の効果を、エリオは何度と無く解除しようと働きかけたが、結晶はもう既に彼の手を離れてしまっている。声の限りを尽くしても、自らが繰り出した刃は、間違いなく実弟の方を向いている。

「アユミ!」

しかし、アユミは全く逃げる気配を見せない。


 ランは状況を飲み込めない。

 何故、此処にアユミが居るのか。

 何故、皆が彼の存在について何も言わないのか。

 そして、何故、エリオまでが彼を知っているのか。


「嘘吐いてて、ゴメン――それだけは伝えたくて」

いつもと全く変わらないその微笑みが、今日は何だかとても悲壮感を帯びていた。

「何言ってんだよ! アンタも早く乗らなきゃ!」

そう言い掛けたランの手を、強く、イェルドが引いた。それを確認したアユミは、ニッと笑って頷いて見せると、マンホールの蓋を静かに閉める。ランは為す術を失い、力なく閉ざされた入り口を見上げた。

「何でだよ……」

こんな別れ方じゃ、納得いかない!

「アユミ!!」

 

 その少女の声を背に、アユミは実兄の魔法分子に対峙した。

 牙を向けてくる光や音や負のチカラよりも、エリオの表情を見る方が辛い。

 それでも――彼には身を挺してでも守りたいものがあったのだ。


 多くの記憶を共有している義理の兄や、ろくに嘘も吐けないほど純粋な心を持つ大切なヒト。

 その彼女が大切に思っているヒトや、その仲間達。

 そして、素性をひた隠して自分の面倒を見てくれた、命の恩人であり実兄の……

「エリオさん」

アユミは目を閉じてその時を待った。既に身体は炎のように熱く、皮膚が負のチカラに灼かれ、激しい痛みが全身を貫いている。自分の名を叫ぶエリオの声に、応えてあげられれば良かったのだが、それはどうも叶いそうに無かった。

「(エリオさん、オレはね)」

戻らない記憶ならせめて、今ある思い出の中で笑ってられれば幸せだと思うのだ。


――失ったものなんて、何にも無かったよ。


 「……バカ野郎っ!」

そう吐き捨てたっきり、凍馬はコックピットのデスクに突っ伏してしまった。

 代わりに、ビルフォードが舵を取る。天井から爆発音が聞こえてくる――何もかもが壊れる音だ。

 きっと、あの微笑みさえも。

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