第21話 拉致(2)

(1)

 「灯台内部ニビルフォード元帥ノ同志達ヲ確認致シマシタ」

ネハネの命を受けたワンド(死霊)がエリオのデスクに報告しに来た。

「そうか」

気の無い返事をしたエリオは、いつもより苦いコーヒーを一気に飲み干す。

「お前達はこのまま調査を続けろ。奴等の訴追の手続きが終了し次第、ネハネには一仕事してもらう。魔力とアンデッドを温存しておくように伝えておいてくれ」

「御意ニ」

ワンドは抑揚の無い口調で返事をすると、主の元へと帰っていった。

 そっと、エリオは右の掌(てのひら)を緩めた――赤い石のペンダントトップが静かに輝いた。いや、これはペンダントトップではない。エリオが聖職を辞し、ペリシア帝国軍に志願するずっとずっと前に、彼自身がピアスに鎖通しを取り付けたものだった。

「(アユミ、か)」

彼は盗賊崩れのペリシア帝国特殊工作部隊の者である。死んだ弟のジュリオとよく似た……

「(思い出せないなら、真実に、一体何の価値がある?)」

それでも彼は、戻らない記憶を当てにして彷徨い歩くのだろう。

「(――不安だろうな、それは)」

エリオは、かつてはピアスだったその赤い石のペンダントを、漸く机の引き出しに納めた。

「彷徨えば良い。安息の地が見つかるまで」

思い出など頼りないものだ。いわゆる真実だって、結局は曖昧な事実の集合体なのだろう。それも一つの価値だというのなら、それまでなのだが……

「それが見つかるまでは、此処を頼りにすれば良い」

 

 それはそうと、ピアスという装飾品は何処か因果な装飾品である。多くの場合、それは右耳のものと左耳のものとがペアになっている。ペンダントトップになってしまった彼のピアスも、或いは。

(2)

 やっと立ち止まったアユミは、赤い石のペンダントを襟口から懐にしまい込んで、3人と対峙した。間合いを置いて、同じく立ち止まった3人の耳に、遠く滑車の動くような音が聞こえてきた。

 シェルターの中のこの部屋はひんやりと冷たい空気が漂っている。灰色をした壁に四方を囲まれた広い部屋だ。何処にもランは居ないついでに、3人が入ったと同時に出入り口は塞がれてしまった。

 此処でアユミと戦わなければならないようだ。凍馬の予想通り、3人は全く魔法分子を呼び寄せることが出来なかった。

「あーあ。お気の毒に」

対照的に、冷笑を浮かべたアユミの手には簡易魔法球が握り締められており、禍々しい負のチカラを放っている。どうやら、この部屋のひんやりとした空気の正体は、全て彼に帰属した水属性の闇魔法分子であるようだ。

 アユミは簡易魔法球を適当に3人に放って見せて、もう一つ笑みをくれた。簡易魔法球とはいえ、対魔法分子の結界呪文(バリアー)すら張れない3人に当たれば、決して軽くは無いダメージとなる。

アユミ……いい加減にしろ」

凍馬が一歩前に出た。

「エリオのやろうとしている事……お前、分かってんのか?」

分かっているならこんな茶番は不要な筈だ――凍馬はそう信じたかったのだが、アユミの回答はその期待を裏切るものとなった。

「この世界を世界大戦に巻き込み、ペリシア帝国のコロニーにする。そして取り込んだ勢力をヴェラッシェンド帝国との戦争に利用する……ま、こんなところかな」

アユミは冷笑のまま続けた。

「アンタ等ヴェラッシェンドの民にそれを知られちゃマズイんで、まことに勝手ながら、此処で抹殺させて頂きますってね。勿論、」

そこでアユミの表情から笑みが消えた。

「――アンタもだよ、凍馬!」

それまで“凍馬”という名を呼び捨てた事の無いアユミは、言い捨てた後に強く奥歯をかみ締めて罪悪感に耐えた。

「御託は良い」

凍馬とは対照的に殺気を吊り上げていたイェルドが、護身用の三段ロッドを伸ばした。

「(イェルドさんったら、そんなスラムな武器を一体何処で購入してきたのよ!)」

イオナは、イェルドという人物の奥の深さに感じ入っていたという。

「姫は何処だ?――無事なんだろうな?」

そう、ランが無事でなければ意味が無いのだ。凍馬もイオナも息を呑んで心して聞いた。

「姫サンは……」

アユミは人差し指をボウガンの矢に見立てて自分の頭にかざして見せた。

「まさか……」

イェルドが動揺したのを嘲笑うかのように、

「……バーン」

と言って、アユミは頭をくらくらと揺らして見せた。その仕草がイェルドの神経を逆撫でしたのは言うまでも無い。

「貴様!」

「落ち着いて、イェルドさん、」

その怒りのまま、今にもアユミに攻撃を仕掛けようとしていたイェルドを見るに見兼ねて、イオナが小声で耳打ちした。

「ランちゃんは、……無事よ」

確証というほどのものではないが、アユミのした仕草は、嘘をついている時のサインを隠すときに使われる仕草そのものであった――つくづく、狡猾な人物だとイオナは息を呑んだ。

 今分かっていることは、此処で魔法が使えないという事。

 アユミに魔法を使われないようにする為には、間合いを詰めて接近戦に持ち込むしかない。イェルドはその先手を打った。

「おのれ……!」

ここはイェルドの狙い通り、詠唱が追いつかなかったアユミは、簡易魔法球で何とか間合いを保つ。

「(そうよ、イェルドさん)」

正直、この場所でランの安否に関する情報を見つけることはできそうに無い。しかし、今はランの無事を信じる彼に、現状を何とかしてもらわなければならないのだ。というのも、

「(……トーマ)」

傍らの凍馬の手は、確かに剣を握り締めている。その柄には指が掛かっているのに、彼は一向に鞘から刃を抜け切れないでいるのだ。義理の弟に刃を向けたくは無いのだろう。彼の戸惑いが、痛い程伝わってくる。

「(でも、早く何とか手を打たなければ……!)」

戦えないイオナにも、この戦いの趨勢に察しは付いていた。リトリアンナのスラムでは名の知れたバウンティハンターであったイェルドも、北方の修羅達の巣食う森で生き抜いてきたアユミを相手に、なかなか決定打を打てずにいた。あっという間に間合いは広がり、とうとう、今、アユミに呪文の詠唱を許してしまった。

『斬首台に降り注ぐ雨(スカーレット)!』

魔法攻撃の段となって初めて解ったのだが、アユミの詠唱のタイミングは緻密に計算されたものだった。イェルドとの間合いを広げながら、彼は発射する攻撃魔法分子結晶の軌道に3人が並ぶのをずっと待っていたのだ。

「くっ!」

僅かに逃げ遅れたイェルドは、アユミに帰属した水魔法分子に右足を侵された。

「(本っ当に狡猾なコね!)」

常にアユミの動きを警戒していたイオナは、何とかその軌道から完全に逃れることが出来た。しかし――

「!」

呪文を放ったアユミ自身も息を呑んだ。

「トーマ!?」

悲鳴のようなイオナの声に、イェルドも兄を振り返った。

「兄さん!」

(3)

 凍馬はじっとアユミを見据えていた。

「……。」

アユミは思わず凍馬から目を逸らす。攻撃を躊躇してしまうほど、凍馬の目は険しいものがあった。

「……こりゃどうも、本気らしいな?」

凍馬は血塗れになった左腕を軽く拭った。彼がヴェラッシェンド城の宝物庫から拝借したまま装備していた銀のブレスレットは、アユミの攻撃魔法を幾らか無効化してくれていたようで、幸い、致命傷には至らなかった。しかし、もしこのブレスレットが無かったら――そう思うと、凍馬とて血の気が引いた。

「今更確認することじゃないよ」

戸惑いを飲み込んで、アユミはボウガンをかざした。

「オレ達はオレ達の信じる未来の為に粛々と敵を殲滅するだけさ。いい加減、分かってよ!」

利害が対立する以上、相手が誰であろうと、敵は敵!――アユミは、ボウガンを放り投げた。

「!」

その一瞬で、部屋中の空気がぞっとするほど冷たくなった。

「アンタにだって、守る存在(もの)は有るんだろ?」

アユミが横目でイェルドを見て、ニヤリと笑った。凍馬はハッとした。


“殺してやるよ、アンタの弟――”


「イェルド! 伏せろ!」

凍馬が叫んだが、間に合わなかった。既にアユミの詠唱が完了し、夥しい数の水魔法分子が膨大な負のチカラを引き寄せながら結晶化し、イェルドに向けて放たれたところだった。

『蒼き月の静寂と白き海の慟哭(ジェイド)!』

それは、凍馬の知っているアユミの呪文の中では、一番強力な攻撃呪文だった。アユミの赤い服飾とは対照的な、光を含んだ淡い緑色の水魔法分子の結晶が硬度を増して負のチカラまで伴って、敵に撃ち付けるのだ。例えるならば、「嵐の海」そのもののように、逆巻く水魔法分子から充溢した負のエネルギーに対峙した者は戦闘意欲さえ殺がれてしまう。

 ともかく、そんな強大な攻撃魔法を不意に喰らったイェルドが無事である筈は無かった。

「イェルドさん!」

激しく壁に叩きつけられたイェルドを案じて、イオナが駆け寄る。

「……!」

膨大な量の負のチカラを浴びてしまった上、強烈な推進力に弾き飛ばされて全身を強打したのだ。何度となく繰り返された彼女の呼びかけに、イェルドは全く応えてくれない。

「先ずは、一人」

アユミの表情には薄笑いすらあった。受け容れ難かったが、もう凍馬も、現実を呑まざるを得なかった。

「……”先ずは一人”、じゃねえよ」

凍馬は一つ深く息をついた。

「(何だ……寒気?)」

この部屋の魔法分子は全てアユミに帰属する筈なのに、アユミは確かに寒気を感じたのだ。凍馬が――義兄が、初めて自分に向けた殺気である。


 今、凍馬の手がバンダナを棄てた。


(4)

 凍馬は一気に間合いを詰めてきた。その速さに遅れをとったアユミは、鳩尾(みぞおち)と脇腹に一つずつ蹴りを喰らう。

「くっ!」

3度目の凍馬の蹴りを左腕で防御したアユミはすぐに身体を反転させ、凍馬の胸元に後ろ回し蹴りを入れる。が、丁度、凍馬が後ろに飛ぶタイミングと重なったので、それは彼に大したダメージを与えられなかった。

 丁度そこにできた二人の間は、魔法を撃つには近すぎる間だった。

「来なよ?」

アユミは左腕に魔法分子を集めた。対物防御のプロテクション(守備強化呪文)である。

「行くさ」

凍馬は、そこで漸く半月刀の刃を抜いた。

「(接近戦なら、トーマの方が有利)」

イオナはそう分析した。ならば、暫くはイェルドの治療に専念できる。

「イェルドさん、お願い……目を開けて!」

先刻のアユミの攻撃呪文により裂けた皮膚から、血液が溢れ出している。その出血の勢いに、思わず息を呑んでしまったイオナであったが、ここで茫然自失を決め込む彼女ではない。一月ほど前、解毒の処置の為に凍馬からワイヤーを預かっていたことを思い出したイオナは、すぐに止血術を施す。

「うっ!」

傷が疼いて目を開けたイェルドは、視線の先に兄と兄の義弟が戦っているのを見つけるや否や、起き上がろうとする。勿論、すぐにイオナが制止する。

「動いちゃ駄目! 死ぬわよ!」

致命傷を負っているイェルドを、イオナはなるべく動かしたくなかったのだ。しかし、彼は強引に壁伝いに上体だけ起こすと、兄とアユミの戦況を確認した。

 凍馬はアユミの動きを封じようとしている。半月刀の切っ先は、アユミの足元を向いている。急所を避けなければならない分、戦い難そうだ。

 方や、凍馬よりもスピードの劣るアユミは、何とか魔法を使えるような間合いを作りたいところだろう。どちらも北方大陸では名のある戦士だ。お互いに攻めあぐねている、といったところだろうか。

「イオナさん……」

空気の漏れるような頼りない音ではあったが、イオナは何とかイェルドの喉から言葉を拾う。

「……これを……」

イェルドは、鉄製のケースをイオナに渡した。

「?」

ズシリと重量があるその箱――中身を見て、イオナは思わず頭を抱え込んでしまった。

「どうしてこんなもの持ち歩いてるのよ!」

何と、手渡されたのは超小型の分子手榴弾(通称・パイナップル)。有事ムードに乗っかって、魔法科学銃器すら売り捌(さば)かれるようになったレッドキャッスルの闇市で購入したものだと思われる。

「これで、入り口を開けて……」

要するに、この魔法の使えない密室に“風穴”を開けることで、魔法の使えない状況から脱却しろということだった。

 折しも、アユミが凍馬から間合いを取れてきた頃合だった。アユミの方から詠唱を省いたブラスト(強化魔法球)や簡易魔法球が幾度となく放たれ、それらからイェルドを庇っていたイオナも、所々負傷していた。

「……良さそうね」

初めにイェルドにヒール(回復呪文)をかけてやれば、ためらうこと無くアユミに攻撃を開始できる。それが凍馬の本意ではなくとも、ヴェラッシェンドは元より闇の民の世界の均衡の為にも、ヴェラッシェンド帝国第一皇女であるランを失うわけには行かないのだ。

「!」

丁度、閉め切られたエントランスにアユミの簡易魔法球が激突し、灰色の壁と扉の繋ぎ目がミシミシと音を立てた。

「今です!」

ピンを外して2秒。護身用の超小型の手榴弾とはいえ、少なくともφ《ファイ》3間が圧縮された炎魔法分子結晶の発破で木っ端微塵になる筈だ。イオナは寸分狂わぬ絶妙なタイミングで手榴弾を投げつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る