第22話 不真正ボンバー
(1)
爆音と共に、今まで硬く閉ざされていた扉がぽっかりと口を開けた。思ったよりも耳の中で音が轟き、この部屋にいた全員が耳を防御していたくらいだ。
『回復呪文(ヒール)!』
魔法分子の流入を感じ取ったイオナは、いち早くイェルドに回復呪文を施してみた。
「(魔法が使える!)」
イェルドの身体を蝕んでいた負のチカラが中和され、見る見るうちに傷が塞がっていった。
「イェルドさん、動けそう?」
「ハイ。問題ありません」
問題ない、と返事したイェルドだが、貧血から来る頭痛があるようだ。彼は壁伝いに立ち上がる。
「……流石だな」
このシェルター内で爆発が起こることなど全く想定していなかったアユミは、イェルドという男の周到さを改めて思い知った。
さて、数学上でも力学上でも、最早アユミは全くの不利である。この場で自由に魔法を使われることがどういうことなのかを、アユミはよく知っていた。イェルドの最強呪文の詠唱を聞きながら、アユミは左腕のプロテクション(守備強化呪文)を解除した。
一方、イェルドの声に呼び寄せられた光魔法分子は、次々とイェルドに帰属する。その様子を伺っていた凍馬は、半月刀を鞘に収め、慌しく動き回る光魔法分子の行方を窺っていた。
今、イェルドの詠唱が終結した。
『聖伝書第191節【終幕】(イナヴォイドエンド)!』
稲妻のような光魔法分子が十文字に床を切り裂き、乱反射しながらアユミの方へ突進していく――既に攻撃の回避を放棄していたアユミは、来るべき痛みに備え、強く目を閉じた。
「(ごめん、エリオさん)」
結局、何の役にも立てなかったな、とアユミは自嘲した。
これは与えられた任務である――そう非情になりきれなかった事への罪だと思えば、この死も罰だと受け容れられそうだ。こんなに頼りない自分を、エリオやネハネは信じて使ってくれていたのだ。だからこそ、頼み込んででもこの任務を引き受けたし、彼等の恩に報いたいと思ったのだ。そう、思っていたのに……
アユミの肌にジリジリと灼き付ける光が、彼の閉じた瞼の中の暗黒さえも照らさんと照度を上げた。この光と熱で死ぬ覚悟をしたアユミは思う。狂おしいほどの痛みを伴って皮膚が剥がれ落ち、黒き煤(スス)だけを残してこの世界から消え去るのだと――
「!」
不意に、アユミの身体は別方向からの衝撃を受けた。何かに弾き飛ばされたと思ったら、彼は勝手に床を転がっていたのだ。今は、優しく自分を抱く腕の温みだけを感じている。
「兄さん!?」
次にアユミの耳が、慌てたイェルドの声を捉えた。そこでやっと彼にも、自分の身に何が起こったのかを把握することができた。だからこそ、思わずこう叫んでしまったのだ。
「何やってんだよ!」
アユミは、自分を庇って傷を負った義理の兄の襟首を掴んでしまっていた。今となっては敵対する二人だ。助け合っている場合ではない! それなのに……
「済まねえ。足が滑ったな、こりゃ」
律儀に詫びを入れた割には、彼は反省どころかニッと笑った。今まで刃を向けていた義弟に。
「しかし、
それはアユミにも、恐らくイェルドにも向けられた言葉なのだろう。アユミの目に、首を横に振って目を伏せたイェルドが映る。今に限って彼のその気持ちは、アユミにも良く分かった。
「バっカじゃない?」
アユミの中で張り詰めていた何かが、プツリと切れた。
「……ホント、バカだよ」
凍馬の襟首を掴んだまま、表情を隠すように、アユミは顔を下に向けた。
「ん?どうしたよ、
「うるっさい!」
――アユミは泣きながら、義理の兄に回復呪文(ヒール)の詠唱を唱えていたのだった。
(2)
凍馬の傷を回復させたアユミはやおら立ち上がると、再び3人から間合いを取った。
「今のは無しだ! イェルド、もう一回来い!」
何とかアユミは挑発したのだが、彼を含めた此処にいる全員が、既に戦意を失っていた。
「断ります。これ以上、兄に無茶をされても困りますから」
双子の兄と共に暮らして一月が経つ。イェルドにも段々、凍馬という男の考え付きそうな事が分かってきた。兄はアユミを守り続けるだろう。丁度、彼が実の弟を守り続けていたように。
「ったく、アンタが余計な事するから……どうするんだよ、この空気!」
アユミは凍馬を睨む。
「空気なんざ、見えねえもんなんか知らねえよ」
アユミが言い返さなかったので、凍馬は続けた。
「ま、オレにゃハッピーエンドにしか見えねえケドな」
やっぱりアユミは変わっちゃいなかった――凍馬はそれに安心していたのだ。思った通り、アユミは口調を尖らせて食い下がってきた。
「“ハッピーエンド”じゃ困るんだよ! ちょっとはオレの
思えば“名無しの兄”は理不尽なくらいの直感人間だった。今この時だって凍馬は、もうアユミと戦わなくて済むだろうと勝手に思い込んでいるのだ。そしてその「直感」とやらは、悔しいほどよく当たる。
「じゃ、オレも一緒にエリオに頭下げてやっから!」
「そういう問題じゃないんだよ! このバカ兄ィ!」
この他愛も無いやり取りがやけに懐かしくて、アユミは何度もくじけそうになった。いや、むしろ彼は、その言葉を待ち望んでいたのだろうか。
「――協力してくれ、
凍馬から発せられたその言葉に何の抵抗も感じず、逆にアユミは身震いしてしまう。彼の動揺を知ってか知らずか、凍馬も続けた。
「エリオとお前の間に何があったのかは知らねえケド、お前だって、光の民の世界の世界大戦を望んで仕向けてるって訳じゃねえんだろ?」
「それは……」
それはその通りだったので、アユミも思わず口篭ってしまった。
「何より、オレは、」
凍馬は頬を掻いた。
「お前と戦うのは御免なんだよ」
アユミは強く目を閉じた。「変わった」などと言ってしまったが、“名無しの兄”はこんなところではちゃっかり、腹が立つくらい昔のままだった。
「(共に凍馬サンを追いかけてた時の、幸せな時代のまま)」
しかし、アユミは言葉を返すことができなかった。あの“幸せな時代”から現在という時をかけて互いに築き上げてきた過去は、眼前の“名無しの兄”に、“ツェイユ”という名を与え、“イェルド”という実弟を与えた。自分にもまた、“ペリシア帝国特殊工作部隊”という巨大な組織と、“エリオやネハネ”という恩に報いるべき仲間がある。
「勝手な事をしてくれるじゃない?」
時に、女声が部屋に響いてきた。
「誰だ!?」
凍馬は勿論、イェルドとイオナもその声の主を探す。
「ネハネさん……」
その声の主を知るアユミは大きな動揺を見せた。
(3)
ネハネは、このプロジェクトに巨額の投資をしていた。
「(ここで計画の失敗を知られれば……)」
アユミは視線を落とした――自分は、此処にすら居られなくなる。いや、それどころか、此処で命を落とす可能性だってある。
「!」
「ネハネ? 確か、チェスターグループの社長秘書の女だな?」
凍馬がアユミに確認を求めた。
「ペリシア帝国皇帝参謀室室長秘書官だ。特殊工作部隊の構成員じゃないけど、実質的にはエリオさんの副官で、ネクロマンサー(死霊使い)の能力を持っている」
「成程。あの悪趣味なゾンビ共のボスか」
凍馬もイェルドと同じように、エントランスを睨み付ける。イェルドや凍馬と同じ、暗い金色をした髪の長い女性だ。長身で華奢な身体が、黒いレースのワンピースとアンサンブルのカーディガンを纏っている。色白で奇麗な顔立ちではあるが、エキゾチックな一重の切れ長の目が、彼女の印象を一層冷徹に見せる。
しかし、現れたのは彼女だけではなかった。
「あれは……」
ネハネの後方から付いてきた2体のワンド(死霊)が、この日一日行方知れずだった少女を運んできたのだった。
「ランさん!」
思わず駆け寄ろうとしたイェルドに、
「動かないで。彼女の命が惜しければ、ね」
ネハネの鋭い声が飛んできた。
「(やはり、ランちゃんはまだ生きているのね)」
動揺を隠しきれないイェルドの代わりに、イオナが冷静に現状分析をした。
「ネハネさん!――そのヒトは……!」
堪らず、アユミが前に出た。ヴェラッシェンド第一皇女のランにも、他の3人と同じく、抹殺命令が出ている。
「アユミ、貴方はもう、下がりなさい」
ネハネのその態度は、アユミの想像よりも穏やかなもので、むしろアユミの方が恐縮してしまった。
「ネハネさん、でも、オレ……」
アユミは困惑の表情を返すことしかできなかったが、ネハネはアユミが何を言わんとしているのかを、よく理解しているようだった。
「そうね。このままみすみす帰れないでしょうね。あれだけこの件は譲らなかったクセに、収穫ゼロなんですものねー」
「(……やっぱ、このヒトってばキツイ!)」
しかし、むしろ彼女にはこのくらい嫌味を言ってもらわないと、アユミも何だか落ち着かなかったのだ。
「正直がっかりしたわ」
ネハネは率直にそう伝えた。
「貴方とは義兄弟の凍馬ならともかく、戦いにつけて隙だらけのヴェラッシェンドの姫や、その臣下達すら、抹殺できなかったんだから」
「!?」
彼女の言葉を聞いたイェルドとイオナは、思わずアユミの方を振り返ってしまった。あの戦いであれだけの能力を見せ付けたアユミに、まだ十分な余力があったことも驚愕の対象なのだが、それよりも、敵国の第一皇女を傷一つ付けずに、しかも抹殺命令に背いてまで、放置していたのだから。
「当たり前だろ?」
凍馬が声を荒げた。
「
“修羅の森”とは、北部大陸西部の無国籍地域の森林地帯のことである。数多くのクリミナル(犯罪者)や遺棄児や超貧困階級の者が、隠れるように生活している場所だ。
凍馬もイェルドもそこに遺棄され、記憶を失ったアユミが倒れていた場所もこの森だったという(もっとも、イェルドだけはヴェラッシェンドの聖戦士長に拾われたのだが)。
とにかく、生まれて以来ずっと国の福祉から見離されてきた凍馬達“修羅の森”の民にとって、ペリシアとヴェラッシェンドの冷戦状態など、知ったことではないのだ。しかし、
「誰がコマになどさせるものですか!」
ネハネも、これまで以上に強い口調で言い返したのだ。
「(一体どういうこと?)」
ペリシア帝国出身のイオナには、引っかかるフレーズだった。ペリシア帝国の帝国皇帝参謀室とは、その名の通り、皇帝の頭脳であり筆頭官房機関である。凍馬の発した“コマ”などというペリシア帝国や国体を卑下するようなものの言い方に反応すべきなのだ。しかし、今のネハネの言葉には、むしろそれに便乗したような印象を抱いた。
「アユミ、貴方はもうエリオ様の元に戻りなさい!」
先程から繰り返されているこのネハネの言葉などはますます奇妙だ。“裏切り者”を決して許さないペリシア帝国の統治精神からすると、アユミのしたことは、極刑レヴェルのミスである。まして、ネハネの言葉から察すると、彼女はアユミの戦いをずっと監視していたと思われる。それなのに、彼女はアユミを裁くどころか、かえって彼に“居場所”を与えているような。
「ネハネさん、……オレには、そんな資格無いよ」
どうやら、アユミもそう思っているようだ。しかし、ネハネは決して譲らなかったのだ。
「ここは私に任せなさいって言っているのよ!」
ネハネの合図と共に、このダンジョン内に控えていた全てのワンド(死霊)達がこの部屋に集まってきた。その数、およそ30体超。聖戦士(ビショップ)の資格を持つイェルドもうんざりするほどの敵の数だ。
苛立つ凍馬は、アユミを庇うように前に出た。
「アユミはもう、エリオのトコには帰さねえ。戻ったところで、何されるか分かったモンじゃねえからな」
凍馬の殺気に呼び寄せられた闇魔法分子が、周囲の霊気との摩擦で大きな音を立てた。
「お兄ィ……」
エリオについて誤解があるのが少しもどかしかったが、凍馬の言葉はアユミには、素直に嬉しかった。
「ふざけるんじゃないわよ。何も知らないクセに!」
ネハネの表情が変わった。殺気というよりも、純粋な怒気だ。
「アユミはエリオ様の元に居て然るべきなのよ。そしてその子の帰るべき場所も此処にしか無い」
ネハネはずっと躊躇していたが、とうとう、その言葉の封を解いた。
「“ジュリオ”――」
ネハネが発したその名に、アユミの表情は凍りついた。今まで何故か、このエリオの弟の名に罪悪感のようなものを感じていた。しかし、まさかこの日になって初めて、その理由が彼女によって明らかにされようとは……
「――アユミ、これが、貴方が失っていた、貴方の本当の名よ!」
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