第19話 デイドリームプリンセス

(1)

 アユミからの報告を受けたエリオは、早速、今後のビジョンを打ち出した。

「一刻も早く、ビルフォードの隠れアジトを発見し、逮捕の準備に入るんだ」

すぐにネハネがその手続きに入った。

「一週間で完遂させます」

先日、敵に国境越えを許してしまった際、イェルドにより、サルラ山脈に配備しておいたアンデッドの8割が浄化されてしまった。再配備は可能だが、一週間は最低かかるだろう。

「アユミは予定通り、3日後に例の4人を始末して来るんだ」

「オッケー」

ニッと笑ったアユミは、闇魔法分子を封ずる為のデザインハットを被り直して退室した。


 そう、決戦まであと3日――

“オレが”思い出”なんて頼りないものに固執するとでも思った?”

先日のアユミの言葉を、ふと、エリオは思い出していた。

「(“思い出なんて頼りないもの”か)」

そう思い切りが付けば、どんなに幸せな事だろうか。エリオは、机の引き出しに忍ばせていた赤い石のペンダントトップをそっと握りしめた。

(2)

 何だか雨の降りそうな天気である。土の匂いを含んだ風が丘を駆け下りていく。

 クラスが同じ凍馬は、ビルフォードの護衛で深夜に寮に戻ったと聞いていたので、ランは一人、校舎へと向かう。

 「おはよ、ランちゃん」

軽やかに彼女を呼び止めたのは、アユミの声である――ランは振り向き、挨拶を交わす。大きなデザインハットと赤い石のペンダントまで軽やかに揺らして、その彼は、今日も屈託の無い笑顔をみせた。

「珍しいね、アンタが遅刻しないなんて」

何かの暗喩だろうか。ランがアユミに駆け寄った丁度その時、空がワァーッと泣き出したのだ。

「今日は、遅刻しないようにって思ったんだ」

雨よけのショールをランに渡して、アユミは言った。

「オレ、今日で学校辞める事になったんだ」

「え……?」

あまりにも唐突だったので、ランは折角渡されたショールを巻くのも忘れ、茫然と立ち尽くしてしまった。

「みんなに挨拶してくる。ランちゃんも、一緒に来る?」

アユミはランに渡したショールを、彼女の代わりに巻いてあげた。中々返事は来ない。じゃあ、とアユミが微笑んだ。

「いつもの喫茶店で待ってて。すぐ行くからさ」

雨は止む気配すらない。青に眩れる少女の面影をなるべく見ないように、アユミが優しく背を押した。


「泣いてくれてるんだね。アリガトウ」


(3)

 そう、その日は雨の日だった。

 レッドキャッスル・ウェストルビリア州のほぼ全域が、本日、雨季最後の雨を迎える。ペリシア帝国特殊工作部隊執行部基地のプラントは地中にある為、あいにく雨音は聞こえなかったが、この日が雨であることを、此処の工作員達は知っていた。

「今日ですか?」

「ああ。今日だ」

エリオとネハネがそれぞれ溜息をついた。

「先日、……」

エリオはそう切り出したが、言おうか言うまいか迷った為の間が空いた。

「この件に関する予算を割こうとしたら、アユミに断られてしまった」

結局、エリオは話を続けることにした。

「僭越ながら、」

アユミへの投資は、そう切り出したネハネが先行していた。それがエリオには不思議ではあった。彼女は、得体の知れない盗賊上がりのアユミがこの工作部隊にいる事を、面白く思っていないだろうと解釈していたからだ。

「ヴェラッシェンドの姫や凍馬の存在はペリシア帝国本部にとっても計算外のことでしたので、予算を割いていては今後の活動自体に支障を来たす虞があると思いました」

ネハネはそう説明すると、控えていたワンド(死霊)にコーヒーを手配させた。

「そうか。……そうだな。ありがとう」

エリオは今日のスケジュールを確認しながら、また一つ、溜息をついた。

「一応、ですが、アユミの造ったダンジョン内にワンド達を手配しておきました。幾ら彼が有能な狙撃者(スナイパー)とはいえ、一人で4人を相手に戦う事は不利に違いありませんから」

 丁度、ワンドがコーヒーを運んできた。2人はそれを受け取ると、それぞれ一口飲んだ。

「……今日はまた、一段と苦いな」

「ワンド(死霊)の好みでしょうね。淹れ直させましょう」

「いや、この位が良い」

沈黙――お互いに嫌いな間ではなかったが、今日はいち早くエリオがそれを破った。

「……気付いていたのか?」

「何に?」とは問い返さず、ネハネは首を傾げてみせただけだった。

「いや、何でもない」

エリオはもう一口、口を付けて、コーヒーを机に置いた。此処に置いていれば、飲まないことも無いだろうから。

「しかしエリオ様、」

言おうか言うまいか、彼女も迷った。エリオが発言を促したので、ネハネは続けた。

「……私は、ジュリオ様が死亡したと思ってはいません」

エリオは顔を上げた。丁度、こちらをじっと見つめていたネハネと、しっかり目が合ってしまった。

「どうか、真実をお聞かせ下さい」

そう願い出た彼女に返事をする前に、エリオは、広がり続ける異世界への穴とポープの様子をモニタリングしていた。

 暫くの沈黙を経て、不意に、(それは殆ど“思い出したように”と言っても良い程の間を空けて)彼は口を開いたのだった。

「“何が真実なのか”は、最早、意味の無いことだ」

その言葉を前置きにして。

(4)

 「嫌な雨ね」

双子達の部屋に遊びに来ていたイオナが、大きな溜息をついた。

「雨季最後の雨だと思えば、名残惜しさもありませんか?」

イェルドが彼女の為にコーヒーを淹れる。凍馬はと言うと、眠ったり起きたりを繰り返しながら、二人の会話を聞くでもなく聞かぬでもなく、していた。

「貴方ほど風流の判る人間じゃないのよ」

差し出されたコーヒーを一口飲んで、ウェーヴの緩い己の髪を手に取ったイオナは、また一つ溜息をついた。

「貴女の様に、湿度に気を遣うタイプの人間ではありませんので」

ちなみに、元居た世界では彼にも「神父髪」(古代紀に民を導いたとされるミッディルーザ教王に敬意を表して為される長髪とパーマネントウェーブ)が強要される。

 光の民の世界に来て一月強が経つ。もう、イェルドの髪のウェーヴは殆ど解けてしまっていた。

「帝国議会が佳境に入りましたね」

この帝国議会で、レッドキャッスル帝国が正式にサンタバーレ王国に対して宣戦布告する。今は副脳を取り付けられた有力与党議員と保守強硬派が、与党穏健派や野党議員を懐柔しているところだ。国内屈指のチェスターグループがバックに付いている前者が後者に勝るのは火を見るより明らかで、帝国内には有事ムードが鬱積している。

「敵が、ビルフォード元帥を無視したまま、宣戦させるでしょうか?」

イェルドにはそれが気掛かりだった。

「無いわね」

イオナは明言した。ビルフォードを懐柔できなかった敵にとって、彼は邪魔でしかない。何らかの形でビルフォードを帝国軍元帥から失脚させ、コマとなって動いてくれる新たな何者かを新元帥に擁立してくるだろう。

「ビルフォードも、敵のその動きには気付いているから、凍馬を護衛につけたのね」

ビルフォードから、いつでもサルラに行ける用意をしておけと言われているのも、それに由来しているのだろう。


「なあ、」

やっと凍馬が寝不足の頭を抱えて起き上がった。

「――ランは何処行った?」

(5)

 雨が降り止まないウィンドウの外を、ランはぼんやりと眺めていた。

 ランがヴェラッシェンド帝国第一皇女であることを知らない者で、友達といえそうな人物はアユミしかいない。有事ムードが鬱積する光の民の世界に、まるで光そのもののように明るい、そんな存在が傍から居なくなってしまうと聞いて、心に穴が開いたような感覚を覚えたのは正直な気持ちだった。

「(でも……)」

他でもない親友・アユミの新たな門出ならば、悲嘆に暮れている場合ではない。ランは顔を上げた。丁度、

「お嬢、お待たせいたしました!」

と弾むような声がして、驚くままに振り返るランに、泣黒子の青年が悪戯っぽく笑いかけてきた。

「ホント、カビ生えるかと思うほど待ったよ」

全く変わらない彼の明るさに救われて、やっと、ランも笑みを返す事ができた。

「どうせ最後だし、今日はオレん家にご招待しようかと思ってさ」

「え? 良いの? カッカディーナ? 此処から近いの?」

「まあね」

 アユミはランを喫茶店から連れ出した。

 いつもより返事が素っ気無く聞こえるのは、雨避けのショールを巻くランから、傘を差すアユミの表情が見えないからだろう。ランは単にそう思っていた。

「いやさ、」

やっとアユミの表情が見えた。彼は漸く、いつものように屈託の無い笑顔を見せた。

「もうカッカディーナから引っ越す事になったから、最後のお客様はランちゃんにしよっかナァ、って思ってさ」

殺風景な部屋だけど料理ならちゃんと作ってあるからと言って、アユミはまた一つ笑った。


 客車を乗り継いで町外れにやってきた。ランも見覚えがある景色が続いた。サルラ山脈の近くだからだろう。

 「此処が、オレの家」

アユミが指差したのは、人っ気の無いアパートだった。比較的新しい物件だ。淡いブルーの壁をした4階建て。キッチンともう一つ部屋があるくらいの広さだとアユミが言った。

「アンタにしちゃあ、随分静かな所に住んでるんだね」

明朗な彼の気質から察すると、繁華街に近い町で暮らしているのだろうと、ランは勝手に思い込んでいた。

「まあ、オレもこういう所は苦手でさ、殆ど家を空けてたよ」

アユミは淡々と鍵を開けた。

 引越しで荷をまとめてしまっている所為だろうか、アユミの家は、広さの割には奥行きを感じた。

「もうちょっとちゃんと片付けてから呼べば良かったよ」

と、アユミはキッチンに向かう。コーヒーを淹れてくれているようだった。

ランが座らされたキッチンのテーブルには椅子が一つしかない。アユミはランにそれを譲り、自分は部屋の隅にあるベッドの縁に座る。

「此処に一人で暮らしてたの?」

このランの問いの答えには若干の間が空いたが、それは気にならなかった。

「まあね」

アユミはランにコーヒーを渡した。ランはそれに砂糖とミルクを一つずつ落とすと、一口だけ飲んだ。

「じゃあ、引越しって言うのは、実家に帰るってこと?」

「いや……」

アユミは、ランがコーヒーを飲んだのを確認してから切り出した。

「オレ、親っていないんだ」

「!?」

思わず、ランは顔を上げてしまった。この青年もまた、イェルドや凍馬やイオナのように心に「痛み」を持つ者だという事を、ランはこの時初めて知ったのだ。

「まあ、きっとオレにも親っていたんだろうケドさ、」

アユミは小降りになった窓の外に視線を投げた。そういう仕草をするアユミをあまり知らないランは、彼の仕草の一つ一つを、まるで観察するように眺めていた。

「――何にも覚えていないんだ。親のことも、自分のことも」

記憶喪失なんだ、と、アユミは言った。笑って彼はそう言った。まるで他人事のように、彼は自分の「患い」を笑い飛ばしたのだ。

「笑わなくっても良いんだよ」

ランは心配になったのだ。彼はずっと無理をしてきたのではないか、と。

「だって、可笑しいじゃん」

しかし、彼は暫く笑っていた。いや、「笑っておく」しか無かったのかも知れない。

「どっか遠い国で野垂れ死んでたかも知れないオレが、此処でこうして何とか生きてるって思うとさ、何か変な話だなって、我ながらそう思う」

アユミは俯く――記憶を失ってすぐ、大盗賊『凍馬』に拾われた。その『凍馬』を失ってから時を置いて、ペリシア帝国のスラム街で死にかけていたところをエリオという人物に救われ、こうして今は光の民の世界にいる。ただ、此処でも、“凍馬”に出くわしてしまったわけだが……アユミは、ふっと視線を落とした。

「アユミは強いね」

思わぬランの言葉に、アユミは再び顔を上げた。

「アタシなんか、ママが死んだ時って、……大泣きしてたよ」

父親が忙しいのも分かっていたし、回りの人達が優しくしてくれるのも分かっていたのに、自分は自分の周りの人がどうしても好きになれなくて、その人達を困らせてばかりいた。そうじゃいけないと思いつつも、現在の穏やかさに甘えてしまう自分は、民の上に立つ者として変わらなければならないということに戸惑ってしまっていた。父親が、自分の武道の趣味について肯定的だったのは、もっと強くなって欲しいと願っていたからだろう。

「オレだって、親が死んだら泣くだろうさ」

現に、『凍馬』が死んだと聞かされた時は、ペリシアのスラムを大泣きしながら歩いた――アユミは、そんなことを思い出していた。

「オレは“死に目”に会わなかったってだけ幸せだったのかも」

現に、『凍馬』の死に目に際してしまったツェイユは、その一晩でペリシアの兵士四万人を灰燼に帰したという。

「やっぱ、アンタ強いね」

アユミの自己分析は客観的だ。きっと自分がアユミの立場だったら、自分の欠点や弱さの全てを他人の所為にし、受け容れようとはしないだろう。

「強いかな、オレは?」

――これを強いと言ってしまって良いのだろうか。確かな存在(もの)を転々と追いかけていくだけの、今の自分のこの主体性の無さを。

「故郷(くに)に帰ったら、親孝行でもしてやるかな」

ランはコーヒーをもう一口飲んだ。

「そうすると良いよ」

アユミは笑った。


 「あ、そうだ! オレ買い物し忘れてたものがあったんだ。」

アユミがベッドを離れた。

「ちょっと此処で待っててね。買い物済ませて、すぐに戻るから!」

「うん」

何故だろう、ランはとても眠たくて、此処を動きたくなかったのだ。

「眠そうだね。良かったらベッド使ってよ。ご飯の準備ができたら起こしてあげるからさ」

アユミは振り返りもせずに玄関へと向かった。

「うん、アリガト」

ランは、靴もショールもそのままに、ベッドに倒れこんだ。身体から力が抜けていくのが分かった。そのまま、意識も……

 

「彼女をサルラのダンジョン内に運んでおいてくれ」

アユミは、迎えに来たネハネのワンド(死霊)にランを託した。そう、ランの飲んでいたコーヒーには、睡眠薬が混入されていたのだ。

「オレは残り3人を誘い出す」

アユミはそのまま、傭兵学校の寮へと向かった。


「親孝行、できそうにないよ、ランちゃん」

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