第15話 エスピオナージの憂鬱

(1)

 何事も無かったように、淡々と講義が進んでいく。

 つい半日前にサンタバーレから戻ったばかりのランは、兵法のイロハを聞き流しながら、今後取るべき作戦を練っていた。


 それにしても、昨日のハルナの辛そうな表情を忘れる事ができない。子などいないランには、まだ彼女の思いの全てを理解する事などとても適わないだろうが、「何とか早く解決を」という思いを強める充分な動機にはなった。

「(そういや、親父とか、元気なんかな)」

ふと、脳裏を掠めていったのは自分の親のこと――何も告げずに来てしまったが、もう半月もの時が過ぎていた。“凍馬”という世界的な大盗賊の侵入がその前夜にあっただけに、ひょっとしたら要らぬ心配をかけてしまっているかもしれない。いや、新しい妻を迎えることに躍起になっているエロ親父ではあったが、愛されていなかったわけではなかった。心配をかけているには違いないだろう。

「(ゴメンな、親父)」

今更ながら、彼女は罪悪感を抱いたのだ。


 ふと、クスクスという音をひそめた笑い声がランの耳に届いてきた。教室の後方からだ。教官がすぐに気付いて声を荒げた。

「アユミ! また遅刻か!? 一体お前は何枚始末書書くつもりなんだ!」

怒号に驚いて思わず上げた顔が机の角にぶつかったらしく、アユミは帽子越しに頭を擦りながら起立した。一斉に笑い声が上がった。

「教官センセー、いきなりビビらせないで下さいよ」

アユミである。彼は本日も反省の色無し、だ。いつものように教官から始末書を受け取る彼は、着席までに擦れ違う友達に次から次へと挨拶を交わしていく。今、彼はランに手を振った。しかし、先刻からやや気持ちが落ち込んでいたランは、気後れしてしまって、手を挙げるタイミングを失した。構わず、アユミはいつもの席に座る。

「全く。この帝国の危機にお前みたいな呑気な傭兵志願者がいてくれると困るんだがな」

教官は苦言を漏らすが、アユミはにっこり微笑んだ。曰く。

「有事の際はオレが教官を守りますからァ」

「要らんわ、バカ者!」

このアユミという男と教官のやり取りに、クラス中に笑いが巻き起こる。ランも、つい、笑ってしまった。

 この国の趨勢は決して明るいものではない。ともすれば暗いだけの傭兵学校の講義で、アユミは何だか元気付けてくれているようだった。

「お?」

笑っているランとアユミは目が合った。


“笑ってよ”


紙飛行機と化してランの元に飛んできた、アユミの始末書の裏の賑やかなイラストが、そう言ってくれた。

(2)

 終業後、ランとアユミは、首都・カッカディーナの繁華街にある喫茶店にいた。

 食堂では、凍馬と会う可能性が高いので、アユミが意図的に避けたのだが、無論、ランは知らない。

「悪いね、おごらせちゃって」

知らされないということは、ある意味幸せなのかも知れない。

「良いよ。何だかランちゃん、元気無さそうだったから気になってさ。街に下りてみた方が良いかなァって」

アユミの口から出まかせは、本日も快調である。それに、彼も対価を貰わないわけでは無い。ランから聞き出したい事は山ほどあったのだ。先ずは――

「ここ2,3日、全然学校来なかったから、みんなで心配してたんだ」

先ずは、ここ2,3日の『敵』の動きだ。

 ネハネの話によると、サルラ山脈に配備した警邏のアンデッド達が全滅していたらしい。このカッカディーナの街にバハムートという竜が突然現れ、突然消えたというのも不審極まりない。

「実はさ、これ内緒の話なんだけど、……」

ランが声をひそめた。

「サンタバーレに行ってたんだ」

「!」

驚きのあまり言葉を失ったアユミに、

「ビルフォード元帥のお子さん達を、サンタバーレに運んであげたんだ」

ランも分かりやすく説明した。

「それは……すごい仕事だね」

アユミは察した。これで一気に、ビルフォード達がサルラ山脈の基地に乗り込んでくる可能性が高まったのだ。ランからの報告は暗にそれを教えてくれていた。

「でも危険じゃなかった? 国境を越えたんだよね?」

「そうなんだけど……でも、思ったより簡単に国境を越えられて、アタシの方が驚いたって感じ」

ちなみに、その陰にイェルドとイオナの尽力があったという事を、ランはまだ知らない。

「(成る程、陽動だったワケか)」

むしろ、それに気付いたのはアユミの方だった。

「それにしても、ビルフォード元帥からそんな重要で危険な仕事を頼まれるなんて、よっぽど信頼されてるんだね」

アユミは話題を変えた。エリオに持って帰ってやれる情報なら、何でも拾うつもりだった。

「彼には、住む所から飯の面倒まで世話になってるからね。やれる事なら何だってするさ」

ランはチョコレートパフェをスプーンで突付いた。

「今、一番危険なのはビルフォード元帥。いつ敵に懐柔されるか分かったもんじゃないからね」

懐柔……それは“副脳”の事だと、アユミにはピンと来た。だから、彼はあえてとぼけておいたのだ。

「敵? 敵こそ、サンタバーレじゃないの?」

このアユミの問いかけに、ランはニヤリと笑ったのだ。

「いやいや、実は一番ヤバイのがロイヤルガードの中にいるんだよ」

「え!」

――ランはエリオの事を言っている! アユミは息を呑んだ。

「驚いた? でも、これは内緒の話なんだ。誰にも言わないでね」

“誰にも言わないで”と言ったランに、罪悪感は無かった。むしろ、アユミには知らせておきたかったのだ。ランの頭の中で「アユミ」とは、レッドキャッスル帝国軍の傭兵学校で訓練を受けている傭兵志願者の一人でしかないのだから。

「うーん。勿論。絶対約束する」

そう思わせている当のアユミは、まさか敵がここまで知っているとは思わなかったので、大きな溜息をついてしまったところだった。

「やっぱ、ショック?」

「うん、あまりにも予想外だったから」

アユミは水を一口、飲んだ。

 それにしても、エリオの事まで知っているというのに、ランがアユミに全く無警戒な所を見ると、どうやら凍馬は仲間達に「アユミ」について口を閉ざしているようだ。自分がこの少女に善意を装って情報を聞きだしているだけに、アユミの方には罪悪感が残った。

「(だけど……)」

彼女も彼女で、どうしてこういう機密情報を簡単に口外してしまうのだろう。嘘の一つや二つでどうにだって切り返せるものを、ましてろくに詐術を使っているわけでもないのに。アユミはやはり、羨ましさを感じた。だからだろうか、問うてしまったのだ。

「ランちゃん、何でオレにそんな事を教えてくれるの?」

アユミのその問いに、ランは口元を緩めたのだ。

「何かさ、アンタには嘘つけなかったんだよね。出会った時からさ――」

「何だよそれ?」

あまりにも想像していないランの言葉に、アユミの方が動揺してしまう。

「アンタ、自分では気付いてないかも知んないけど、アンタの明るさでみんな救われてるんだよ。勿論、アタシもね」

ランは照れ臭そうに笑った。

「だから、……ちょっとエコヒイキしちゃうんだ」

刹那に、高く鳴った胸の音を確かに感じたアユミは、ランの笑顔から逃げるように目を逸らしてしまった。

「あ、そろそろ行かなきゃ。アタシ、今日の講義は全部受けとかなきゃ始末書なんだ」

ランがパフェを掻き込んで立ち上がった。

「そっか。頑張ってね」

何とか口の端に笑みを造ってランを見送ったアユミは、暫く、窓の外をぼんやりと眺めていたが、胸元に下がる赤い石のペンダントトップを握りしめると、間も無く店を後にした。

 行き先は、サルラ山脈――

(3)

 ペリシア帝国特殊工作部隊執行部基地は、ペリシア帝国からそっくりそのままプラントを移設してきたものだ。


 ぺリシア帝国のある北方大陸の無国籍地帯に繋がる空間の歪(ひずみ)を囲む4つの山の一つ、M・A(マウント・アッバス)という山は、実は地下18階建ての巨大要塞である。

 今も、建設用に開発された魔法分子がその大地を材料に増改築を続けているという其処は、光の民の世界を植民地化した暁には、ペリシア帝国軍基地の人間界本部となる予定だ。

 しかし、その巨大な要塞もまだ住人は4人。凍馬と共に北方大陸の森の中やペリシア帝国のスラムでの生活を強いられてきたアユミには、いくら何でも広すぎた。


 将来はペリシア帝国元帥が私室として使う事になる部屋の扉を開けると、大きなベッドが置いてある。いつもはそれをアユミが使うのだが、今日は先客が居た。

「エリオさん! 寝てる場合じゃないよ! 連中はもう、エリオさんの事を疑ってるみたいだよ!?」

アユミはエリオを起こしにかかる。が、彼も「ロイヤルガード」と言う表の肩書きの所為で夜勤だった為、昼間は頑として起きない。

「くっ……!」

アユミは思いっきりエリオの鼻を摘んでやった。

「……アユミ、か」

エリオがやっと目を開けた。

「……こういう、起こし方は、止めような」

「こうしなきゃ起きないじゃん」

アユミは大きく溜息をついた。

「連中が、エリオさんの事、気付いたみたいだよ」

「そうか」

「昨日のバハムートも、アンデッドの全滅も、やっぱり連中の仕業みたいだ」

「そうか」

「ビルフォードも、此処に攻め込む用意をしているみたいだ。昨日はサンタバーレに子供を預けてきたらしいよ」

「ほう」などと素っ気無い言葉しか返さない司令官に、「どうするのさ?」とアユミは決断を求めた。

「アユミ、……」

「何さ?」

「とりあえず、オレの鼻から、手を放して、もらえないだろうか?」

「……失礼」

アユミは手を放すと、帽子と鞄を床の隅に放り投げた。

「この間、お前から報告があった、ビルフォードの秘密基地について、今、ネハネが調査しているところだ」

エリオが赤くなった鼻を擦りながら言った。

「近いうちに、逮捕状を請求できるかも知れない」

ビルフォードが逮捕されれば、敵の士気は確実に、且つ大幅に落ちる。司令塔を失った敵が混乱してこのサルラの基地に攻め入れば、こちらの思うツボだ――アユミは息を飲んだ。

「だがアユミ、」

エリオは間接照明の明かりすら眩しいのか、掌で目を覆ったまま続けた。

「お前は、ペリシアに戻れ」

「ヤだ」

「あ、そう」

エリオは寝返りを打った。そのまま再び寝入ろうとする彼を、アユミは再び強引に起こしにかかる。

「何今の? 命令のつもり?」

アユミはもう一つ溜息をついてみせた。

「できればそう取ってもらいたかったんだがなあ」

エリオは、睡魔に負けないように、強引に身体を起こした。

「オレが何か、ヘマでもしたって言うんなら分かるケド」

アユミに思い当たるフシは無かったし、エリオも首を横に振っただけで何も言わなかった。

「そもそも、こっちの世界に付いてきて欲しいって頼んだのは、何処の誰でしたっけ?」

「此処にいる、このオレだな」

エリオは手櫛で髪を掻き上げ、いつものオールバックに整えると、一度、時刻を確認する為に時計を探した。

「じゃあ、ちゃんと使ってくれ!」

自分の時計を差し出して、アユミは続けた。

「エリオさん、オレが今更ペリシアに戻る気無いの、知ってるだろ?」

アユミはベッドの端に座り込む。丁度、エリオに背を向ける格好となった。それに構わず、エリオは話を続けた。

「明後日、オレは、事の次第を報告しにぺリシア本国へ戻る事になっている」

特殊工作部隊間で情報を交換し合わなければならない――大体そのような事を、エリオは説明した。

「もう一度、考え直してくれないか? 決して、悪い条件にはしない」

エリオは、再びベッドにうずくまった。腑に落ちないアユミは、床の隅に投げたデザインハットを睨み付けていた。

「連中の中に、――凍馬が居るんだそうだな?」

エリオの思わぬ指摘に、アユミは言葉を失ってしまった。

「これもネハネから、報告があった」

恐らく、先日のアユミからのアポイントを不審に思ったエリオが、ネハネに調査を依頼したのだと思われる。

「凍馬という男が、お前にとって何者にも替え難い存在だという事はよく理解している。だから、お前が無理に戦う事は無いようにしたい」

――もう一度、よく考えろ。と、エリオは更に念を推した。

「連中が敵としてオレ達の前に立ちはだかる以上、抹殺しなければならなくなるんだぞ?」

(4)

 所変わって、レッドキャッスル帝国軍付属傭兵学校の寮。

 此処にも眠り続ける者が居たのだが、彼はたった今、目を覚ましたところだ。

「お? 生きてたか」

「ええ、今、死ぬかと思って飛び起きたところです」

イェルドは兄に摘まれて赤くなった鼻を強く擦って、大きく溜息を吐いた。

「いや、眠ってくれるのは一向に構やしないが、半日以上同じ形で眠ってるもんだから、ちょっとした生存確認を……」

凍馬は苦笑した。

「え? 半日以上?」

愕然としたまま窓の外を振り返ると、燈色が伸びた空。部屋に戻る前と同じ色をした空だ。

「ああ。ランなんか、サンタバーレから戻って、さっきまで講義受けてたぞ?」

サルラ山脈でアンデッド達を浄化するのに、かなり体力と精神力を使ってしまったらしい。光魔法分子が体内に還元されるのに、イェルドが思っていた以上の時間を費やしてしまった。

「ったく。オレ等の居ない間に、一体何人此処に連れ込んだんだか」

凍馬はニヤリと笑った。

「……ご想像にお任せします」

イェルドはあえて言及しなかった。


 暮れなずむ森の光が部屋に伸びている。

 半日どころでは無い。殆ど一日眠ってしまったようだ――イェルドはゆっくり起き上がると、束ねていたままだった髪を解いた。治し忘れていたと思っていた左腕と腹の傷が癒えていたので、きっとイオナがヒール(回復呪文)をかけておいてくれたのだろう。

「シーツに血ィ!? お前、まさか処女を……ッ!?」

「違いますっ!」

後々の為、イェルドもその説だけは、きっぱり否定しておくことにした。

「それで、――子供達は無事に?」

まだふらつく頭を抱えて、イェルドは一応問うた。

「勿論。笑えるくらい大成功だったさ」

グラスに水を注いできた凍馬が、ニッと笑った。

「それは何よりです」

丸一日以上、飲まず喰わずだったイェルドは、渡されたグラスの水を一気に飲み干した。

「……訊くまでも無かっただろうに」

凍馬は少しだけ笑った。

「え?」

「別にィ」

そのまま、凍馬が空いたグラスをキッチンへ下げに行った。

「それよか、連中の素性が見えてきたぞ?」

凍馬は、半日前にイオナにしたのと同様の説明をイェルドにもした。

「敵は、ペリシアの特殊工作部隊の連中である可能性が高いようだ」

夕食の準備をしながら、凍馬は淡々とした口調でそう言った。

 今回の報酬で市場から買ってきたのだろうか、香ばしいローストチキンの匂いがして、それを切り分けて皿に乗せる音が聞こえてくる。やがて、エレジの種子と夏林檎の果肉を煮詰めた甘酸っぱいソースの香りが部屋中に広がってきた。

「ペリシアの?」

ヴェラッシェンド育ちのイェルドには嫌悪感を抱かざるを得ない国の名前だが、こんな所でふと出てきたので驚いてしまった。

「でも、……それは、好都合かもしれません」

この件を依頼してきた“アリス”とヴェラッシェンドの利害が一致し、この戦いの大義名分が明確になったからである。

 ペリシアが光の民を巻き込んで、闇の民の統治者たる地位に上りつめる事を目的としているなら、世界の安寧秩序に対するとんだ背信行為に他ならない。世界秩序に重きを置くヴェラッシェンド帝国の一憲兵として、それを許すわけには行かなくなる。

「好都合、か」

この一見穏やかな弟から意外な言葉が出てきたので、凍馬はあえてそれを拾っておいた。

「敵は思ったよりも、オレ達の情報を知っているようだ」

一度、出来合いのスープを容器から鍋に移す間をおいて、凍馬は続けた。

「お前も充分気を付けることだ」

ペリシアの特殊工作部隊の一員として、これまで多くの任務を成功させてきたアユミなら、敵について、充分に調べようとする筈だ――凍馬だから、判るのであるが。

「(嫌な予感がする)」

ただの取り越し苦労であればと祈るしかない。


 トマトと数種類の香草のスープにチーズを溶かしたものと、先程のローストチキンを、凍馬が適当にテーブルに並べた。

「そういえば、」

イェルドが気付いた。

「珍しいですね、兄さんが食事の用意をしてくれるなんて」

用意と言っても、出来合いのものを温めるだけだったが。

「ま、たまには良いじゃねえか。ビルフォードからアルバイト料貰ったんだ」

パンと銀器を並べた凍馬はそれだけしか言わなかったが、

「(ひょっとして、イオナさん……)」

――問うに問えずに食事を口に運ぶイェルドの脳裏に、昨日の陽動の内実を兄に告げて、ニンマリとほくそ笑んでいるイオナの絵が浮かんだ。

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