第16話 悪党

(1)

 「エリオさんから、ペリシアに帰れと言われました」

アユミからそう切り出されたものの、ネハネは明日早朝に控えたエリオのペリシア帰国に合わせ、定例会議用の報告資料作成に余念がない。

「あら良かったじゃない。お土産にお菓子でも持ってく?」

「ネハネさん、オレ、帰りたくはないんすよ?」

アユミはむくれて見せた――エリオの側近を長年務めていたネハネからすると、アユミはただの盗賊崩れの異分子でしかない。彼女がエリオに進言してペリシアに戻されそうになっているのでは、とアユミは考えていた。

「凍馬の事でしょう? まさか、ヴェラッシェンドに凍馬が与していたなんて、予想だにしなかったわね」

先日、彼女の管轄するチェスターグループの社長宅に侵入者があったらしい。それを追跡した結果、その侵入者は凍馬であることが判明した。つまり、エリオから命令されて敵の周辺調査をしたワケでは無い、と彼女は説明した。

「話はそれだけ? なら、お茶でも淹れてきてよ、冷たいやつ」

ネハネはペンの手を止めないし、アユミのことを一瞥さえしない――嫌われているんだろうな、とアユミは察していた。

 事実、ネハネは、このアユミと言う名の男についてよく知らない。

 黒い髪の色から察するに、ペリシア帝国の出身者ではありそうなのだが、身分や門地を明らかにできそうな物を何一つとして持っていなかったからだ。ある日突然エリオに連れられてやってきたこの盗賊崩れの男は、その能力の高さを見抜いたペリシア帝国元帥から特殊工作員に任命されていたというだけの経緯で此処に居る。

 いや、自国の工作員である事なども全く知らずに、エリオは死にかけていたこの男を連れてきた――

「帰りたくないのなら、きちんと仕事なさいよ?」

ネハネはアユミを睨み付けてやった。居心地は悪いが、アユミは彼女のことを嫌ってはいない。言われた通り、作り置きの冷茶をグラスに注ぎ、ついでに彼女の好きなレモンのフレーバーを足す。

「エリオさんに、信用してもらえてないんじゃないかと思って、正直ちょっと焦ってて」

とっつきにくいが、ネハネは嘘はつかない――アユミは彼女に本音を告げた。

「確かに凍馬は、オレの義理の兄だ。勿論、義理には違いないケド……」

今はイェルドという実の弟を持つ凍馬に、アユミはやはり距離を感じていたが、今はそれを伏せて続けた。

「信頼されてないなら、オレは此処に居ても、邪魔じゃない?」

現に、アユミはこちらの世界に来る為の穴を開けた“ポープ”という重要人物にすら(竜であるらしいが)にさえ会った事は無い。エリオのチームの正規メンバーとして帝国軍から承認されているわけでもない。アユミはネハネを一瞥したが、彼女はまだこちらを睨み付けているので、慌てて目を逸らした。

「邪魔ね」

ネハネの言葉がアユミのみぞおちに鋭く突き刺さる。

「ネハネさん、ストレート過ぎる!」

「私ならそう思う、って言っただけよ!」

「充分キツイよ!」

凹むアユミをよそに、ネハネは、報告書原稿に目を通す。彼女の表情は、丁度その原稿で隠れて見えなくなった。

「言っとくけど、貴方が私達を裏切って連中側に寝返っても、貴方の実力では、エリオ様の脅威になれはしないから」

ネハネは一度、原稿と原稿の隙間からアユミを睨む。

「もっとも、そんなコトして御覧なさい――容(かたち)の見えないお友達をたくさん紹介してあげる」

ネハネの声と共に、霊(ワンド)達がアユミを取り囲んで冷たく笑いかけた。

「……!(やっぱ、この人とっても怖え!)」

アユミは押し寄せる数十体の霊達を前に、固まってしまった。

「でもまあ、例え敵が天下の大盗賊であっても、世界最大国の姫であってもまた同じ事」

エリオ様は『神』に選ばれた人だから――そう笑って、ネハネは霊達を退けた。

「貴方だって、今更ペリシアに戻る気なんて無いんでしょう?」

アユミは大きく頷いた。

「だったら、好きになさいよ?」

ネハネはそれだけ言うと書類の方へ視線を移す。アユミは、恐る恐る、ネハネの邪魔にならなさそうなところを選んで、アイスティーを置いた。

「エリオ様は貴方に全幅の信頼を置いていらっしゃる。貴方をこの世界に、半ば強引に置いているのは、ペリシア帝国のコマとして貴方を利用する為ではない」

「まあ、それは良く分かってるけど」

アユミは思わず、胸元の赤い石のペンダントトップを握りしめてしまった。

「良い? 貴方は余計な仕事はしなくて良いの」

ネハネは重ねて注意した。

「――貴方に必要なのは長期間の療養。ペリシアに戻れば、特殊工作部隊の超危険任務が貴方を待っているわ。そうなれば……」

ネハネは一度、アユミが淹れた茶を一口飲んだ。曰く。


「”失くした”記憶を見つける時間なんて、無くなってしまうわよ?」


(2)

 光の民の世界へ来て、3週間強という時が経過していた。

 雨季も終盤に差し掛かり、早くも蜻蛉(とんぼ)が舞い始めた空が、降り切れぬ雨を抱え込んだ層雲を浮かべている。ほんのり湿り気を含んだ風は夏草の匂いを運んできた。

 暑くも無く、かと言って、寒くも無く。

 

 首都・カッカディーナの街から傭兵学校へと戻る林の道の途中には、大きな石垣の続く場所がある。正確には、雪解け水を処理する為の水無川である。

 最近此処を知ったランは、街から帰る道に、ワザワザ此処を選んで通るようになっていた。四方を石で囲まれる橋の真下などは何とも不思議な雰囲気だったし、それが面白くもあったからだ。

 一度、イオナにも勧めてみたが、彼女は“足が痛くなる”と、すぐに山道へ戻ってしまった。

 もしも、それが凍馬なら、“ガキっぽい奴だ”と笑うだろうし、イェルドなら、とにかく黙って横を歩いてくれるだろう。


 ――しかし、彼は違った。


「あれ? ランちゃんだよね?」

同じように水無川を歩いてきたアユミと、ランはばったり出くわしたのだ。

「どうしたのさ? こんなトコ歩いて」

アユミは少し驚いた顔をランに向けた。

「いや、友達が街でバイト始めて、冷やかしに見に行った帰り」

ちなみに、“友達”とはイェルドの事で、“バイト”と言うのは教会のオルガン伴奏の仕事である。エリオとの決戦に備え、必要な資金を稼ぐ事をその目的としている。

「アンタこそ、どうしてこんなトコに?」

彼女と同様に、珍しい水無川を歩いてみたい、という好奇心にかられたワケでは無さそうだった。明朗な印象しかなかったアユミの表情に、今日は何処か陰が差していた――陽の射さぬ道を選んで歩いている所為だろうか。

「どうして、って理由があるほとのことじゃなくて、」

言おうか言うまいか迷ったのだろう。アユミの返事には、一拍の間があった。

「……人探ししてたんだけど、会えなくて。まさか此処にはいないだろうと思ったんだけど、いつもと違うところを歩いてたら会えるんじゃないか、っていう些細な希望があってさ」

アユミが本当に困った顔をしていたので、ランは純粋に助けになりたかったのだ。

「アタシも探すよ。この寮にいるの? 何てコ?」

ランの親切に甘える立場では無いアユミは、いよいよ困ってしまった。「大した要件じゃない」と再三ことわったが、この世話好きの姫には、単なる遠慮であると捉えられてしまったようだ。

「私だって、たまには役に立つよ」

などと言って、彼女はアユミの肩をポンと叩いた。仕方なくアユミは、幾らかは落ち着いて、尋ね人の名を告げた。

「凍馬」

石橋の下を吹き抜ける風が、後ろめたさを連れて来た。“凍馬”という聞き馴染んだ名がいきなり登場した事に、ランの方も驚いてしまったが、

「――たまには講義に出てみろよって、言っといてくれな」

アユミから切り出された内容があまりに他愛も無かったので、小さな驚きを飲み込んだランの返事は平凡な承諾となり、この伝言もありふれた連絡事項に留まった。

「分かった、伝えとくね!」

ランはニッと笑ってみせた――目の前の青年が敵の手先である事など知らずに。

 

「ランちゃん、」

背を向けて町を目指すアユミに、ランは一度呼び止められた。

「ランちゃんは、……変わったりしないでね」

「え?」

何を言われているのかが分からなかったランは、彼の大きなチェック柄の帽子を見送る事しかできなかったのだが。

(3)

 アユミからの伝言を引っ提げたランは、すぐに学生食堂へ走った。大体、彼はそこに居るのだ。そして、この日もまた、例外なくそこに居た。

「働かない奴が、大飯食うんじゃねえ!」

ランは、夕食前だと言うのに幾つもの皿を積み上げている男の後頭部をシバキ上げた。

「いっ痛ェな、ランチタイムくらい満喫させろよ」

無論、凍馬である。

「イェルドのバイト代がアンタの食費に消えないように、ココロ配ってやってんだよ!」

二人は互いに睨み合う――が、ランの腹の虫が勢いよく鳴ったので、凍馬は渋々皿を差し出した。


 食べ終わった皿を二人でカウンターに運ぶ。積み上げられた皿に驚愕した女達の歓声が遠くから聞こえる。

 ランは、漸く、切り出した。

「アユミと知り合いなんだって?」

しかし、彼の名を聞くや否や、凍馬が足を速めた。殺気ではないものの、凍馬から感じる雰囲気が突然変わったため、ランは思わずびくついてしまった。彼は無言のままエントランスに向かうので、ランは後ろからついて行くしかない。

「お前、アユミを知ってるのか?」

凍馬の口調が鋭い。彼とアユミの間にただならぬ因縁があることを、ランは察した。「ただのクラスメートだよ」という答えしか用意できないランは、もどかしさを言葉で埋めようと腐心した結果、彼にちゃんと理解して欲しい事のみをまとめ、足を止めた。

「アンタとアユミの間で何があったのかは知らないけど、……アユミは、良い奴だよ?」

凍馬も足を止めてランの方を振り向いた――その表情は、ランが思っていたものよりも、もっとずっと穏やかだった。

「アユミは、何だって?」

凍馬の口調も戻った。少しランは安心した。

「たまには講義に出て来い、だってさ」

要するに、アユミはこの学校に既に潜伏しており、囲い込みを開始しているということだった――凍馬は思わず天井を仰いでしまった。

「何? 飲み友達か何かだったの?」

凍馬とアユミはきっとカッカディーナの繁華街で知り合ったのだろう、とぐらいしか、ランは想像できない。しかし、

「……そんなトコだ」

凍馬はウソをついた。

 これは近い将来に後悔する事になる、と凍馬は思う。それでも、彼は言いたくなかったのだ。アユミが“敵”であるなどとは……

(5)

 M・A(マウント・アッバス)にあるペリシア帝国特殊工作部隊執行部基地は、その日慌しかった。結局凍馬と会うことが出来ないままに傭兵学校から戻って来たアユミを、レッドキャッスル城から戻ったばかりのエリオが迎えた。

「エリオさん、今日は寝ないんだ?」

「いつも眠ってしまうから、今日起きなければならなくなったんだよ」

――つまり、折角ネハネが準備していた明日の会議の資料を、読み込んでいない、ということらしい。

「だから、いつもやるべきコトは最初に済ませてろって言うじゃん!」

 どうしてこの男は能力が高いのに時間配分は大きく間違うのだろう。

 そして、どうして自分は凡そ関係の無い他人のアンバランスに逐一突っ込みを入れてしまうのだろう――激昂したアユミは小さく息をついた。

「それができれば、今こうして悩む事も無いんだろうな」

この日も、エリオは相変わらず穏やかだった。だから、アユミも話を切り出し易くはあった。

「やっぱ、オレ、此処に残るから」

アユミの下した決断に、エリオは何も言わなかった。どうやら彼は今の今まで署名さえも怠っていたらしく、資料毎に今更まとめてサインするペンの、サラサラと言う乾いた音だけが空間を支配する。

「何? 不満?」

アユミが声を荒げた。

「不満は無い」

エリオは淡々と資料にサインをし続けている。

「心配事が増えたなァ、と思っただけだ」

「そう言うのを“不満がある”って言ったりもするんだケド?」

「成る程、覚えておこう」

――扉を隔てて二人の会話を聞いていたネハネが、話を展開させない二人に向けて殺気を放った。

「……心配してくれてるってのは、分かる」

苛立つネハネを察したアユミが先に話を切り出した。

「エリオさんの事だから、オレと凍馬が一戦交える事で、オレが傷付くんじゃないか、なんてコト思ってるんだろ?」

エリオは頷く事すらせず、淡々とサインを続ける。

「確かに、思う事はあるケド……オレ達はもう、違う目的を持って独立したんだ。互いに刃を向け合うことだって覚悟の上だし、それができなきゃ、北方大陸の裏社会で生きていく事なんてできない」

それは今日、彼が凍馬に会う事が出来なかったから辿り着いた結論ではあった。それを知ってか知らずか、エリオはアユミを一瞥もせずに資料に目を通している。

「それとも、オレが“思い出”なんて頼りないものに固執するとでも思った?」

―― 一度、エリオがペンを止めた。

「ああ、そう思う」

ぞっとするような静寂の間で、エリオはしっかりアユミの目を見てやってから、再度資料に目を通し始めた。

「お前は、……そして、多分凍馬と言う男も、根っからのシーフ(盗賊)では無いようだからな」

アユミは、エリオのデスクの向かい側にあるソファーに座る。やがてまた、サラサラとペンの走る音が聞こえてくるのを待って、アユミは再び続けた。

「勘違いしないで欲しいね。オレは、」

アユミの口調が動揺しているので、エリオはもう一度ペンを止め、アユミの顔を見た。

「オレには守るモノが無い分、何にでもなれるんだよ」

修羅だろうと、鬼畜だろうと……そう言い切ったアユミを見張りつつ、エリオは首を横に振っただけだった。彼のその優しさは、アユミにはただ辛いだけだったのだ。

「エリオさんの方こそ、いい加減目覚ましてよ」

だからあえて、アユミはエリオを見据えて言ったのだ。

「いつまでもオレと“ジュリオ”とを重ねるのは止めてくれ!」

エリオの目が凍りついたのが分かったが、あいにく今、アユミは冷静にはなれなかったのだ。


 “ジュリオ”とは、今は亡きエリオの実弟である。

 エリオはペリシア帝国直属の教会の司祭でもあり、神託を授かる事のできる世界的にも高次の修験者であると言われていた。帝国も彼の神託に則って国政を動かしてきたと言って良いほど、信頼を寄せていたという。


 しかし、ジュリオの死を境に、エリオは神託を授かることを拒むようになったらしい。今、甘んじている特殊工作員という地位は、むしろその代償に得たものであると言える。

「ゴメン、言い過ぎた」

アユミも詳らかには知らないのだが、エリオは、実弟のジュリオを自らの神託で死に追いやったと思い込んでいるのだ。


 エリオは、何度となくジュリオを失った痛みと罪悪感から逃れようとしたのだろう。彼に許された超高度な魔法キャパシティーを以って、ペリシア帝国の理想とする社会を築く為の礎作り――『光の民の世界の混沌と、それに乗じた支配』も、その一つの手段に過ぎないものなのかもしれない。しかし、仕事に邁進してきたエリオの前に、ある日突然、実弟と瓜二つの青年が現れたのだった――それがアユミだったのだ。


 顔形が似ていると言われている所為だろうか。このエリオの罪悪感を知ってしまった事が、アユミの罪悪感にもなっていた。強いて理由を言うなら、このエリオと言う男が、“悪”を演じるにはあまりにも優し過ぎたからだろうか――この時だって彼は、「構わないさ」などと、アユミに物憂げな笑みをくれただけだったのだ。


「いくらオレがジュリオに似ているからって、甘やかす事なんて無いんだよ」

これがいわゆる、エリオがアユミに寄せている“全幅の信頼”の意味だった。

「オレは、喜んでアンタのコマになるさ。それがアンタへの恩に対するケジメだと思ってる」

アユミは頭を下げた。

「だから、頼む! 此処に置いてくれ!」

 ネハネの気配が消えていた。恐らく、紅茶を入れに向かったと思われる。

 このエリオと言う男は、光の民の世界にも闇の民の世界にも“邪悪”として名を刻む事が決定されている。やがては彼が此処にいる経緯もその胸中をも無視できる程の大きなレッテルが張り付けられてしまうだろう。

 せめて、その時は傍に居てやりたい――アユミもネハネも、それは同じ気持ちだった。

 「元より、お前は自由だ。勝手にすれば良いさ」

幾許かの沈黙の後、エリオからの事実上の了承があった。

 任せて、とアユミはニッと笑った。


「10日以内に、例の4人の抹殺を敢行してみせるよ」

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