第14話 メッセンジャー(2)
(1)
ランの目が敵を捉えていた。
先日サルラ山脈にて彼女の前に現れたポープという子供では無いようだ。死したドラゴンの骨に魂を宿したスカルドラゴンという種のモンスターと、スカルドラゴンと共生しているマッドフィンチという吸血鳥だ。獣(ビースト)系のキマイラ魔物の姿もある。どれもこれも、王室育ちのランには馴染みの薄い魔物達である。
「(とにかく、立ちはだかる者を滅殺するのみ!)」
ランは攻撃呪文の詠唱を唱えた――炎属性魔法分子が瞬く間に結晶化し、敵を攻撃する負のチカラを発動する。
『炎属性魔法球(デトネート)!』
ランの両腕から炎が巻き起こり、たちまちにキマイラが落ちていった。しかし、まだ敵の数はある。此処で目立ってはいけないことくらい承知していたので、地道に数を減らしていくしかない。突進してきたスカルドラゴンの爪をヒラリと交わしたランは、同じ魔法で血を求めにやってくるマッドフィンチ達を焼き殺した。
すると、ランを乗せて飛ぶフレアフェニックスがガクンと揺れて急降下し、ランは慌てて炎鳥の首にしがみつく。しかし、
「くっ!」
今度は、スカルドラゴンが、ランの死角からフレアフェニックスに体当たりして来た。一度、宙に放り出されたランを、炎鳥が何とか救い上げ、背に乗せた。
「1,2,3,4,5……5匹か」
ちょっとキビシイかな、と舌打ちしたランに、容赦なくスカルドラゴンが襲い掛かる。
「――っう!」
ランの左肩にスカルドラゴンの爪が刺さり、血飛沫が飛んだ。
「(そもそも骨だもんな、炎魔法分子じゃ殆ど効果が期待できないってことか)」
ならば、一体一体物理的に叩き落すしかない――と判断したランは剣を抜いた。
「(気付いたか。まだ視野は狭いが……姫って割には、良いセンスしてるな)」
ランの戦闘を見守っていた凍馬は、口元を緩めた。
凡そ、戦闘はランに任せるつもりだったが、思ったより敵は少なさそうだ。バウンティハンターから逃れ回る事の無いこの世界を、凍馬はやや退屈に感じていただけに、ランの戦いを見ていた彼の戦闘本能が久々に疼いてきた。
「兄ちゃん、長男の意地にかけても、この子をちゃんと抱いてろよ」
長女を長男に託した凍馬は、アミュディラスヴェーゼアに上昇命令を出した。
「あのバカっ!」
突然上昇していくアミュディラスヴェーゼアから勢い良く飛び降りた凍馬に、ランさえも呆れ返ってしまった。
凍馬は一体のスカルドラゴンに飛び移ると、半月刀を振り上げてその頚椎を叩き壊した。首と胴体が離れたスカルドラゴンからは呪いが解け、骨の塊は凍馬を乗せたまま落下する。その前に、凍馬は別のスカルドラゴンに飛び移るのだ。
「――すごい!」
ランは息を飲んだ。形式や型に捉われない自由な剣の動き。尚且つ無駄が無く、スピードに乗った剣には更に鋭さが冴え、攻撃力が増している。日々戦いを強いられ続けてきた「凍馬」ならではの剣術だった。
「(アタシのスポーツ剣道とは、全然格が違う!)」
碧海に崩れ落ちる3体目のスカルドラゴンに乗っていた凍馬を炎鳥で拾い上げ、ランは悔しそうに舌打ちした。
「メチャクチャな奴だね、アンタって」
劣等感から、凍馬と目を合わせなかったランのその言葉は、紛れも無く褒め言葉である。
「職業柄、高いトコは得意なんでな」
そう言った凍馬が右腕に負った傷は、血液を拭えば済む程度の浅いものである。出立する前にイオナから貰ったルーンストーンを使うまでも無さそうだ。
――あと二匹。
「行くぞ!」
「ああ!」
向かって来るスカルドラゴンに飛び乗ったランと凍馬は、それぞれの剣でスカルドラゴンを叩き壊す。
「よしっ!」
着水ギリギリで拾い上げられたフレアフェニックスの背の上で、二人のハイタッチの音と子供達の歓声が響いた。
「ランよォ、」
今はフレアフェニックスの上。後方から来るアミュディラスヴェーゼアの上に乗ったままの子供達に手を振りつつ、凍馬がランに話し掛ける。
「傷、治さなくて良いのか?」
彼は、ランの左肩に滲んでいる血液が気になったのだ。
「このくらい、平気だし」
素っ気無く、ランは返事した。戦いの中で傷を負うということが今までは無かっただけに、少しショッキングだったのは否定できないが、少なくともこの男の前で、ランは動揺したくは無かったのだ。が、
「後で傷が残って、ノースリーヴの服が着られなくなったって大騒ぎするなよ」
凍馬の忠告は、彼女の中に僅かに残る女性心理に再検討を促した。
「……やっぱ、治す」
慌ててヒール(回復呪文)の詠唱を唱えたランを見て、凍馬は思わず笑ってしまった。
「聞き飽きたかもしれねえけど、お前、つくづく、姫とはかけ離れてるよな」
皇室という場所が一体どういうものなのか、凍馬には想像もつかないが、少なくともこの姫には似つかわしくない場所なのだろうと言うことだけはよく分かる。ランも舌打ちを返した。
「お前こそ、つくづく、盗賊(シーフ)とかけ離れてるじゃないか」
背を向けて座っている状態なので、ランからは凍馬の表情は分からない。失言は承知だが、ランに撤回する気は無い。何せ、当人はというと、
「……かけ離れてるだろ、ざまあみろ」
とか何とか穏やかに呟いて、もう上の空なのだから。
国境付近の警備が、ラン達が思っていたよりも甘かったのには驚いたが、無事に越した事は無い。サルラ山脈を背に、更に一時間ほど飛ぶと、小高い丘が見えてきた。
まだその目には見えないが、その丘の上の白い建物がサンタバーレ城だという。
(2)
ラン達が国境をスムーズに越えられたのには、実はちゃんと理由があった。
「お帰りなさい、イェルドさん」
寮の私室に戻ったイェルドを迎える声があった。
「イオナさん、一体何処から部屋に?」
確か鍵はかけておいた筈だが、とイェルドも苦笑するしかなかった。
「きっと部屋にくたびれて帰ってくるんじゃないかと思って、お茶の仕度をしに参りましてよ」
イオナの返事はイェルドの問いに答えるものではなかったが、彼女の指摘通り、今の彼にはそれを問い直すだけの体力が残っていなかった。部屋に入るなり、崩れるようにベッドに倒れ込んだイェルドに、イオナがお茶を運んできた。
「流石トーマの実弟ね……と言いたいところだけど、」
イオナはそのベッドの端に座った。
「幾ら何でも、サルラ山脈全域に配備されているアンデッドや死霊系のモンスター全てを一人で浄化しようなんて、無謀よ?」
国境警備と言っても、元帥ビルフォードの子供達を安全にサンタバーレに移送するという作業を、彼の指揮に服する兵士達が協力しないわけが無い。今回の移送に邪魔があるなら、それはエリオ側の人間によるものだ。そしてそれは、少数編成であるという可能性が高い敵の事情からして、一度の大量の“兵”を送り込めるネクロマンサー(死霊使い)が遂行すると考えられた。ならば、聖戦士(ビショップ)である自分の除霊術が最も有効に機能する筈だ――此処まではきちんと合理的なのだが、問題は、その後である。
「まぁ、お陰で間違いなくランちゃん達の負担は軽くなったでしょうね」
ランと凍馬の後見人として、イオナがビルフォードの屋敷へと向かう中、イェルドだけはサルラ山脈に先回りして、障害になりそうな敵の殲滅にかかっていたのである。
「黙って行くなんて、貴方らしくてステキだとは思うけど、少しはご自分の事もお考えになった方が宜しいんじゃなくって?」
責めるようなイオナの言葉に、閉じていたイェルドの目が僅かに開いた。
反省の弁か、と思いきや、それは違うようだ。
「そう言えば、カッカディーナが大騒ぎになっていましたよ?」
イェルドから切り出されたその話題にイオナの笑みが引きつったが、イェルドはそのまま続けた。
「何でも、バハムートという巨大な竜が上空を旋回していたらしくて」
「アラ、大変」
「――イオナさん、貴女の仕業ですね?」
バハムートとは、攻撃手段を持たないイオナ唯一の召喚獣である。体長が一軒家程度あるその竜はあまりにも目立ち過ぎる為、今回の移送では役に立てなかったものの、敵の注意を国境から首都防衛に引き付ける陽動としての役割なら充分果たせた。
「お互い、お節介が好きみたいね」
白状したイオナが、一口だけお茶を飲んだ。
「そのようで」
そう返事があって間も無く、イェルドの寝息が聞こえてきた。
「……ランちゃんの言う通りね」
イオナは、回復の追いつかなかったイェルドの傷に、ヒール(回復呪文)を施してやって、ふと呟いた。
「貴方はまるで、自分の幸せには興味が無いみたい」
故郷や愛すべき者達を捨ててまで、此処にこうして生きている自分とは全く違う彼に、彼女は今更ながら羨望を感じるのであった。
(3)
サンタバーレ王国の上空には警邏兵も無いようなので、二つの飛空騎は航路を沿岸上空から大陸上空に移した。
ランの祖父・ヴァルザードが手本としたというその町の造りは、まるで一つの芸術作品のように色彩から、道路の造りまでが計算されていて美しい。
「何かこう、色々と目移りするなあ」
凍馬は、通り過ぎていく美しい町並みに、勝手に営業意欲を燃やしていた。
「こっちの世界に来てまで“お尋ね者”志望ってか?」
振り向きざまにランが凍馬の紺色のバンダナを引っ張ってやった。
「言ってみただけだって」
「どうだか」
サンタバーレ上空に差し掛かった辺りで、サンタバーレ王国正規軍とハチ会う筈だと言われたものの、まだそのような飛空騎は見えてこない。思ったよりもスムーズに国境を越える事ができたからだろう。
「どの道、敵国方向から飛空騎が飛んできたんだ。少しでも愛国心のある兵士だったら、真っ先に飛んでくるだろうよ」
凍馬の見解は正しいようだ。今、サンタバーレ城方向から、数騎の飛空騎がこちらに向かって飛んでくるのが分かった。
「此処に来て、敵ってことは無いだろうな?」
ランはビルフォードから預かっていた書簡を用意した。そう言えば、ビルフォードはこのサンタバーレの士官学校を卒業しているのだと聞いた事がある。その所縁の者だろうか。
間も無く、飛空騎は赤く染めたシルクに金の装飾が施されたホワイトドラゴンである事が明らかになった。身分ある人だ、とランは察した。
「レッドキャッスル帝国軍元帥・ビルフォードの遣いの者です」
先ず、ランが挨拶した。
「ビルフォード元帥から伺っております。さ、こちらへどうぞ」
すぐに男声が聞こえ、赤いシルクのホワイトドラゴンが、炎鳥と並走した。挨拶の為、騎手が外したティアラから、黒髪が覗いた。
「初めまして。サンタバーレ王国元帥兼、第一王子のアリエス・ヴュー・サンタバルトと申します」
高貴な身分は予想通りであったが、突然の第一王子の登場に、思わずランと凍馬は焦ってしまった。
「ビルフォードの知り合いって、王子様だったんだ……!」
「うん、姫、お相手は任せたぞ!」
「トーマ、逃げるなっ!」
――フレアフェニックスの背中では大パニックになっていたという。
「あの、そんなに緊張なさらないでください」
アリエス王子は苦笑していた。どうやら、王子とビルフォードは士官学校に同級生だったらしい。共に一国の元帥に任命された経緯があって、特別に親交があったという。
「話は、ビルフォードから承っております。何でも、闇の民の世界からいらっしゃったとか?」
サンタバーレ王家は、あの伝説として語り継がれている『双子の勇者(ケツァルコアトル)』の家系でもある。“空間分裂”によって、世界を「光」と「闇」とに分ける前に、ヴァルザードが統治するヴェラッシェンド帝国と兄弟国関係に至ったらしい。一般の光の民よりは闇の民について明るい知識があるようだ。
飛空騎はサンタバーレ城手前の、小高い丘に着陸した。
「光の民の危機に、よくぞ、立ち上がって下さいました。光の民の代表として、厚く御礼申し上げます」
アリエスは着陸するなり、ランと凍馬に頭を下げた。古代と呼ばれる昔から光の民を統率してきたサンタバーレ王族の者だけあって、しっかり所作が身に付いている。
「いやあ、そんなお礼される事なんかやってないし!」
アリエス王子とは対照的に、公務から離れてだいぶ経つランに、咄嗟の時に出てくる敬語など残されてはいなかった。
「(オイオイ大丈夫かよ)」
ビルフォードの子供達をアミュディラスヴェーゼアから下ろしてやりながら、凍馬は苦笑した。幼い子供にとっては長時間の飛行だったが、子供達は疲れた様子も見せず、長女のおしめを換えてやったり、使者に丁寧に挨拶したり、草原を走ってみたりしていた。
「――レッドキャッスル帝国に宣戦布告をするべきだという意見が、世界の大勢を占めています」
アリエスが辛そうな表情をみせた。
「どうか、ビルフォードの助けとなってやってくださいね」
どうやら、此処に長居している場合ではなさそうだ。ランは一つ頷くと、子供達と戯れている凍馬を呼びつけた。
「王子も、あの子達を宜しくお願いします」
――できるだけ早く、必ず迎えに来ます、と力強く宣言した二人を、王子も頼もしそうに見送ってくれた。
(4)
光の民の世界には国際連合という渉外的な組織があるという。
その国際連合の一組織である、安全保障代表会議において、サンタバーレに宣戦布告しようとしているレッドキャッスルを“悪の枢軸国”だと非難する動きが日増しに強まってきており、これまでも、レッドキャッスルからのルビーなどの宝飾品や小麦などの食糧を輸入する国が相次いで輸入フィルターを取り付けるという経済制裁を科してきていた。
その外圧に過剰反応し、レッドキャッスルの帝国議会でも、早期にサンタバーレに宣戦するよう求める声は強い。もっとも、彼等の中の何人が副脳による懐柔を受けたのかは、定かではないが。
どの道、エリオと対峙する日は近い。
「何を悩んでいるのかしらね?」
大国サンタバーレから矮小な寮の一室に戻ってくるなり、大きく息を吐いた凍馬の傍らに、イオナが控えた。
「イェルドが一向に起きねえんだけど?」
「寝かせてあげなさいよ。かなり疲れてる筈よ?」
「おおおお、そうか! 成程、大人しそうに見えてなかなかやるな、アイツめ」
「……ちょっと待って! そっちじゃないわ!」
今後の為、イオナはそちらの誤解だけはしっかり解いておくことにした。
――暫く、凍馬とイオナは窓の外のスコールを眺めていた。
「隠し事をしているのは、貴方も同じじゃない?」
イオナは、本日も、凍馬の核を突いて来た。
「へ?」
動揺を隠し切れなかった凍馬に、
「この間、貴方が敵の一人を深追いしていた件の首尾を、まだ聞いていないのだけれど」
イオナはとどめを刺しておいた。
「お前は、読心術でも持ってるんじゃねえだろうな?」
両手を挙げた凍馬に、イオナは口元を緩めた表情を返しただけだった。
「敵は恐らく、」
言いかけた凍馬の脳裏に、ふっと、
「恐らく、ペリシアの特殊工作部隊の連中だろう」
「確信があるようね。知ってる顔にでも会ったのかしら?」
「ま、そんなトコロだ」
今の彼からはこれ以上聞き出せそうに無かったので、イオナはそれ以上の追求を避けた。
「ペリシア、か」
そう呟いて、イオナも大きな溜息を吐いた。
「何だ? ノスタルジーか?」
「まあ、そんなトコロよ」
――段々と、敵の姿が見えてきた。
ペリシア帝国は光の民の世界へ進出し、ヴェラッシェンド帝国との戦争を有利に進めようとしているのだろう。この茶番も、その前哨戦に過ぎない。
「相変わらず、下らない国ね」
此処へ来て初めて、イオナから殺気を感じた。少し驚いた凍馬の表情を見たイオナは、すぐにいつものルンルン口調に戻って、
「だ、か、ら、おん出てやったのよ」
とニンマリ笑ってみせた。「そっか」と頷いて、凍馬も追求を避けた。
これでお相子だろうか。
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