第9話 テンション(2)
(1)
「(危なかった)」
今、ランは杉の木の枝にぶら下がっている。
「(“炎の加護”が無きゃ、絶対死んじゃってた!)」
竜が吐いた炎は全て炎鳥(フレアフェニックス)が喰い尽くしてくれた。が、その反動で失速した炎鳥が下降した為、その杉の木に“不時着”したのだ。
しかし、収穫はあった――ランが落ちて行く途中、例の臙脂(えんじ)の軍服の男性の顔が炎と炎の間から垣間見えたのだ。
「(黒髪、オールバック、眼鏡……)」
それがあの男の特徴だった。とにかく、ビルフォードにあの男の照合を依頼しなければならないだろう。ランが杉の木から手を離そうとした、正にその時だった。
「エリオさーん! お帰りなさい!」
頭上から、幼い声が聞こえる。ランはビックリして杉の木に掴まりながら、身を竦めた。間も無く、男性の声が返ってきた。
「ポープ様、穴から離れてはなりませんよ。あれだけ注意しておいたじゃありませんか」
その口調は穏やかで、まさかとても光の民の世界の秩序を乱し、世界大戦を導こうとしている者の声には聞こえなかったのだが、
「穴だったら、また開けてあげるよ。何時でも、何処にでもね。」
性の区別もつかない程の幼い声が、とてつもなく残酷な単語を森に響かせた。
「(この子が穴を?)」
ランはなるべく聞き耳を立てて音声を拾おうとするが、一体何処から吹いてくるのだろう、強い風に晒されて、なかなかそれは適わなかった。
「侵入者があったようですが?」
ランの耳に、再びあの穏やかな声が聞こえてきた。どうやらそれはランの事を指しているようだ。
「ちゃんと、始末しておいたよ。この辺りに落ちたと思う」
ヤバイ、と思ったランは、更に身を竦めた。
「戦ってはダメだと釘をさしておいたでしょう? 万が一のことがあったらどうするのです」
「ごめんなさーい」
ランの目が何とか二人をとらえる。が、子供のような幼い声の持ち主はどこにも居らず、先刻のオールバックの男の元に、先程の竜が着陸したところであった。
「(“ポープ様”って、あの竜の事?)」
動揺するランがふと視線を下に向けた時、まさに自分の真下の山道を渡る、臙脂の軍服を着た男の背中が見えた。
「侵入者は、アンデッドが片付けるでしょう。さ、ポープ様、穴に戻りましょう」
「はーいっ!」
竜は、確かにそう返事をしたように見えた。が、次の瞬間、竜は黒髪の少年の姿となった。
「(竜じゃない?! あの子も闇の民か!)」
ランは息を呑んで彼等の背中を見送った――ただ、ポープという少年の手を引くエリオという男のその後ろ姿は、父親とその息子のようにも見える。会話だけ聞いていると主従関係のようではあったが。
(2)
そこには、ランが見たら卒倒しそうな光景が広がっていた。何処を見てもアンデッドで溢れかえっている。当然、辺りに漂う死臭は半端じゃなかった。
「衛生上良くないわ」
イオナはむしろ、鼻を防御していた。
「結界で悪臭を防ぐ技術でも考えておけば良い」
公衆衛生分野に遅れを取る北方大陸育ちの凍馬は、悪臭程度ならあまり堪えない。臭いに苦しむイオナをよそに、彼は本日の標的を定めていた。ふと、凍馬の傍らから、弟の詠唱の声。
『迷える者の御霊を救い給え!』
イェルドは何時でも魔法を繰り出せそうだ。集団成仏される前に、営業実績を上げておかねばならない――凍馬が先陣を切った。
「往生しやがれ!」
ペンダント、剣、鎧、ブレスレット、財布、現金――金品構わず乱れ飛ぶ!
「(嗚呼っ……!)」
と、嘆いていても仕方が無いので、イェルドも魔法を繰り出すことにした。
『聖伝書第191節【終幕】(イナヴォイドエンド)!』
イェルドのその呪文は強烈だった。すっかり暗くなった森が一瞬で明るさを取り戻したかと思うと、それは十文字に大地を裂きながら互いに乱反射し、次から次へとアンデッド達を冥土に送り込んでいく。
「その魔法……良いなァ」
根こそぎ営業先を奪われた凍馬も、思わず感嘆の声を上げるほどの威力だった。
「流石だわ!」
リトリアンナの女性達が、彼のこの魔法を見て黄色い声を上げる気持ちも分からないでもなかった。
「いえ、」
イェルドは汗を拭った。
「むしろ、追い詰められていると言った方が正しいでしょう」
これだけ強烈な魔法を使用すれば、敵もそれなりの手を打ってくるだろう。そうなることくらい分かりきっているのに、そうせざるを得なかったのだ。
「じゃあ、ひょっとしたら、バッタリ敵と会っちゃったりするなんて事も?」
「ええ。有り得ますね」
イェルドが周囲を確認する。
「良いんじゃねえ?」
凍馬が“拾得した”財物を鞄の中に詰め込んで口を開いた。
「どうせ敵をぶちのめすのが目的だろ?」
――オレの知った事じゃねえケド、と言いそうになり、凍馬が慌てて言葉を呑み込んだ為、微妙な間ができてしまった。しかしイェルドの方は、兄の言いかけた言葉も、それを兄が言わなかった理由も悟っていた。
「“アリス”の言葉を真に受けるとしたら、そうなるでしょうね」
イェルドが、今はこの話題を繋げる事に終始したのもやはり、“追い詰められている”からである。
“敵の一人はネクロマンサー(死霊使い)”
遥々このサルラ山脈に来て、得ている情報はこれだけだ。あまりにも何も知らなさ過ぎる。凍馬の言うように、敵を誘き出した方が得策だとするのも一理あるといえる。
しかし、すぐに反論が出た。
「アタシ達だけじゃ、どうしょうも無いんじゃなくって?」
イオナがバリア(結界呪文)の詠唱を唱え直した。
「敵は空間に穴を空けるほどの手練よ?」
森中にうめき声が響く。アンデッド達が再びやってきたのであろう。再びそこら中に死臭がたちこめ、腐敗した骨肉を引きずる音が段々大きくなってきた。
「?」
違和を感じて、凍馬は周囲を確認した。闇魔法分子の流れが妙だ。結晶というより、魔法分子そのものが意志を持っているような軌道で、段々とイェルドの方へ近づいていく。
「イェルド!」
凍馬が注意を喚起した丁度その時、突如、イェルドの背後に、衣服も髪も肌の色も白い女が現れたのだ。
「ワンド(死霊)!?」
イェルドが気付いた時には、もうその肩に楔(くさび)が打ち込まれていた。
「侵入者ハ殺セトノ主カラノ仰セ」
ワンドはアンデッド達に攻撃命令を下した。
「くっ……!」
強い寒気と脱力感がある。イェルドは肩を抑え、座り込んでしまった。
「(毒?)」
見る見るうちにイェルドの視界がかすむ。
(3)
「イェルドさん!」
自分を呼ぶ、悲鳴のようなイオナの声がやたらと遠く聞こえていた。イェルドにとって、意識が遠のく感覚は久しぶりだが、どうも喫緊の未来に確かに迎える現実であることは分かる。
「貴……っ様!」
イェルドは気力を振り絞ってワンド(死霊)に向けて簡易魔法球を放った。当たったのか当たらなかったのかは確認できなかったが、イオナが迎撃に入った事を察すると、恐らく外れたのであろうとイェルドは思う。
「動いちゃダメよ!」
イオナがすぐに詠唱を開始した。
『――我ガ祷リ普ク天地ニ通ラン、其ノ声ニ従イ、形亡キ者ヨ去レ!』
ビショップ(聖戦士)では無いイオナにできることは、聖伝書にある除霊呪文の詠唱だけだったが、ワンドは慌てて主の元へと引き返して行ってくれた。
「イェルドさん、しっかり!」
皮肉にも、イェルドの懸念がそのまま現実となってしまった。
即ち、アンデッド達を一瞬にして葬り去れる能力があるイェルドを先に戦闘不能にし、後の二人は持久戦に持ち込めば有利――敵にはそういう印象を与えたに違いない。
「イオナ、」
凍馬が鞄の中からワイヤーを取り出して、イオナに渡した。
「傷口から毒を搾り出すんだ」
凍馬が切り出したのは、雑だが的確な解毒の処置であった。
「オレはコイツ等を何とかしておく」
3人の周囲には数十のアンデッド達が群れてきていた。
「一人でこの量は無茶よ!ランちゃんが来るまで結界の中に居て!」
そう制するイオナを振り返りもせずに、凍馬は紺色のバンダナを巻き直した。
「やられっぱなしは慣れてないんで……ちょっとストレス溜まってるんだ」
彼は半月刀を鞘に収め、それだけをイオナが控える結界の中に放り投げた。
「(魔法……?)」
イオナは息を呑んだ。光の民の世界である筈の此処に、息も詰まりそうなほどの高濃度の闇魔法分子が集約してきている。
『我等が父なる水星の名において希わくは、大いなる殲滅のチカラを我に与えん事を』
からっと乾いた風が吹いた。水属性魔法分子が移動したのがイオナにも分かった。この山地一体の水属性魔法分子が凍馬の元に集約しているのだ。そうかと思えば突然、辺りは炎のような熱気に取り囲まれ、一気に空気が熱くなる。
「痛っ!」
耳鳴りがし、イオナは思わず耳を塞いでしまった。ここは結界の中であるから、すぐに錯覚だと分かったが、
「(水属性魔法分子が悲鳴をあげているみたい)」
念のため、イオナはイェルドの耳を塞いだ――丁度、凍馬の詠唱が終わる。
『地獄へ漂揺し往く者達への魂葬曲(オウドステュクス)!』
水属性魔法分子は、どうやら結晶化したようなのだが、その結晶化が大爆発を伴うらしく、凍馬が呼び寄せた負のチカラの影響を受けて、爆発そのものが攻撃の意志を有した能動的な生き物のようにアンデッド達に喰らいついていく。その様子は、ただただ圧巻だった。
「(伝説の盗賊――)」
イオナはすっかり形を変えてしまった森と、風に揺れた紺色のバンダナを交互に見つめた。
「(成る程、一夜で四万の兵士が粉々になるわけね)」
見える範囲の杉の木が根こそぎ倒され、アンデッド達が群がっていた場所には炭クズがゴロゴロと転がっている。
意識が混濁したままのイェルドも、流石に瞼を開けた。くらくらと回る視界が「伝説の盗賊」と称される男の姿を捉えていた。凍馬は、ゆっくりと腕を下ろし、ひとつ息をつくと、昇り始めた月の光を背中で受け止めていた。
一方、
「(何やってんだろうな)」
凍馬は、元居た世界へと続く空間の歪(ひずみ)があるらしい、山の向こう側を仰ぎ見た。
夜になって冷たくなった風が、熱と闇魔法分子に炙られた景色を拡散させていく。
“――往くべきか、往かざるべきか”
「兄さん、」
涼しい風が運んできた弱い声に気付いた凍馬が、一度、弟を振り返った。
「……行くの?」
しかし、凍馬は弟の問いには答えず、昨日よりも欠けた月に視線を移した。
(4)
ランからの報告に、元帥副官・ハルナは表情を曇らせた。
「エリオ。……エリオ・チェスター。多分、ソイツで間違いない」
ランがサルラ山脈の山道で見かけた黒髪のオールバックは、今、一番皇帝から信頼されている人物だという。
「レッドキャッスルでは有数の商社・チェスターグループ。そのコネクションで皇帝に取り入って、ロイヤルガードにまでなっている男なんだよ」
そういえば、エリオという男を公的機関で度々見かけるようになったのはつい最近の事だとハルナは補足した。
「皇室関係の人間が関わっているとなると――ウチの宿六でも接触は微妙だな」
ビルフォードは、今やレッドキャッスルの敵国となってしまったサンタバーレの士官学校卒という事もあり、中枢から警戒されているという。
「でも、一通り暴れてきたわ」
イオナがニンマリと笑った。
「今度は、向こうから動いてくる筈よ」
それだけに、こちらも不意を打たれないよう、心しておかなければならないのだが。
(5)
“敵がペリシアの人間だろうと、ヴェラッシェンドの人間だろうと、オレには関係ない”
――此処に居ても仕方無い。そう言い残した兄の紺色のバンダナが暗闇に翻った。
“じゃあな”
その後ろ姿を、引き止められなかったのは何故だろう。例えどんなに腑に落ちなくても、兄が「凍馬」という大盗賊である事も、自分が大国の一兵士である事も、変えようの無い事実である。
“凍馬”はきっと“凍馬”であり続ける事に重きを置くだろうし、イェルドもランを裏切るわけには行かない。
互いにそこに固執している以上、最早、この双子の別れは必然的なもの。
「!?」
イェルドは目を覚ますなり、上体を起こした。
「(此処は――寮の部屋?)」
一体何時の間に戻ってきていたのかを思い返す間も無く、「やっとお目覚めか?」と対角のベッドから飛んできた声の主に驚かされた。彼は飲みかけの酒をテーブルの端に置くと、イェルドのベッドに近づいてきた。
「気分は?」
「……え?」
「キ、ブ、ン」
「ああ……」
イェルドはやっと現実の世界に立ち戻る事が出来た。先刻のワンド(死霊)に撃たれた楔(くさび)に塗り込められた毒によって、自分は暫く昏睡状態にあったようだ。
今は明け方。元居た世界へと戻る兄を見送ったというのは、どうやら彼の夢の中での出来事だったようだ。
「毒の影響は無さそうだ」と伝えると、凍馬は安心したように数度頷いてくれたのだが、夢の内容が内容だっただけに、イェルドは何だか決まりが悪くなってしまった。
「それにしても、一体誰が解毒を?」
撃たれてすぐに症状が出るほどの猛毒だった。イオナが応急処置をしたとは言え、完全に毒を消し去るにはそれ相応の技術が必要だった筈だった。医者にでも診てもらっていたのだろうかと思っていたイェルドの傍らから、兄の詠唱の声。『解毒呪文(アンチドート)』である。まさか、と驚いた表情を向けたイェルドに、
「オレの治療じゃ不満か?」
と、凍馬がニヤリと笑みを見せた。
「不満はありませんが、不安なら……」
「大丈夫! オレだって今まで何とか生きてっから!」
凍馬は、解毒したばかりのイェルドの肩をポンと叩いて、自分のベッドに引き返した。
月が、西の森に沈まんとしていた。
「オレが……帰ると思ったのか?」
元居た世界へ――凍馬は酒を一口、口に含む。しかし、兄の問いに、イェルドはあえて答えなかったし、凍馬も改めて回答を求めず、「ま、いっか」と呟いただけだ。
帰らなかったのは事実。
帰ろうと思ったのも事実。
では、弟に――イェルドに引き止められていたら、どうだっただろう?
「まあ、ろくにケンカした事の無いだろうお前達だけじゃ、この先、心許無いと思ってな」
凍馬は、イェルドには、笑ってみせた。
「それに此処だと喰うところと寝るところには困らないし、何よりもバウンティハンターに追い回される事もない」
凍馬は一気にグラスを空にした。
「この一件が片付くまでは、とりあえず此処に居る事にした」
「……。」
イェルドは一つ、溜息をついた。
「今度は不満か? それとも不安か?」
苦笑交じりの兄の言葉には首を横に振って、イェルドは暫く言葉を探していた。引き止めるべきか、引き止めないでいるべきかはともかくとして、
「何だか、ホッとして」
確かにホッとした筈なのに、泣けてきそうなほどのこのやりきれなさは何だろう。
「そっか」
凍馬はもう一度グラスに酒を注ぎ足した。
「お前も飲め」
この選択はきっと後悔する事になるだろう。漠然と、凍馬も感じていた。そう、この双子達に来る別れは必然的なものだから。
「でも、兄さん、この酒は一体何処から?」
「!?……いや、まァ、……良いじゃないか」
「良くありません! ひょっとして何処ぞの店から……」
「よし! じゃあ、これはオレとお前の胸に、大事にしまっておくという事で」
「どういうまとめ方ですか!」
――いつか来る別れは、必然的なものだから。
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