第10話 ID―アイデンティファイとイノセントデビル―
(1)
先日のサルラ山脈の捜査により、敵の輪郭はぼんやり見えてきた。
「こちらの世界への穴を開けたのは、ポープっていう竜。っていうか少年」
声や背丈だけでは性別不明であるが、服装で少年だと判断した、とランは言った。竜であるときに、彼は炎を吐く能力がある。その実力は全く未知数だが、戦ってはならないと窘められていること、そして、空間の歪(ひずみ)から離れて行動する事を禁じられているらしいことは分かった。
「レッドキャッスル城に潜伏しているのは、エリオ・チェスター」
ポープとの会話から察するに、このエリオという男が総指揮を執っているようだったが、それはまだ断定できない。
「更に、サルラ山脈全体を守護するアンデッドと、それを指揮するワンド(死霊)。更に、それを操るネクロマンサー(死霊使い)が居て、それはポープとエリオのどちらでもない」
先日の騒動で、敵にこちらの情報が入っていったとすれば、このネクロマンサーからであろう。敵に与えた情報は、「4人の顔」と「イェルドと凍馬の魔法の一部」に過ぎない。
「ビルフォードとハルナが、エリオをロイヤルガードに推した『チェスターグループ』について調べているわ。それについては報告を待ちましょう」
イオナがペンを置いた。
「で、これからどうするんだ?」
凍馬がベッドの上から問う。得てきた情報を文書で整理したところで、凍馬には数字以外の文字が分からない。
「エリオ、か」
イェルドは一つ溜息をついた。
「いかにも、聖職者の名前ですね」
神学校時代に、イェルドは何度とこの名に遭遇した。大昔に実在した高名の僧侶がその名であり、彼に敬意を表し、我が子につけたがる僧が多いそうだ。
「ネクロマンサーがいるくらいだから、敵はよほどの背徳者集団なんじゃないかしら?」
イオナがチラリとイェルドを見た。その視線に気付いたイェルドは苦笑する。
「“同じ穴の狢(ムジナ)”とでも?」
確かに、全知全能なる“神”を信じないという点に於いて、イェルドと敵(少なくともネクロマンサーについて)は共通する。
「んじゃ、破戒僧を代表してイェルド、次の展望を述べてくれたまい」
凍馬がイェルドの長い髪をベッドの上から引っ張りながら、意見を求めてきた。
「えぇ……っと、」
自分が敵ならどうするだろう。光の民を闇の民同士の冷戦に利用する為に世界大戦を惹起しようとしているところ、それを邪魔しに闇の民がやってきたならば――
「私なら、」
髪を後ろから引っ張られたので、丁度頭部は天井を仰ぐかたちとなった。首を横に傾けると丁度、逆さまの兄と目が合う。
「突然やって来た闇の民を知ろうと、画策するでしょうね」
(2)
ウェストルビリア州最西端・サルラ山脈。そこに人知れず設けられたとある施設に、金髪の女性が血相を変えてやって来た。
「ネハネか。入れ」
ネハネと呼ばれた女性は、目の前の男に報告書を差し出すと、指揮官の反応を待った。それは何と、レッドキャッスル元帥・ビルフォードの依頼で新たに発行された4枚の住民票だった。この4枚、本籍地の欄の全てに“ヴェラッシェンド”という闇の民の世界の国名が示されている。
「ほぅ」
あまり表情を変えずに、男性はその報告書を一通り読み終え、サインしようとした。
「エリオ様、」
対照的にネハネの表情は険しいままである。エリオはもう一読する事にした。
「本国に連絡すべきでしょうか?」
と判断を仰ぐ腹心の声が思ったよりも穏やかだったので、
「気は進まないが、止むを得まい」
などと適当に受け応えたエリオは2度目の通読を中断して、サインをした。
「しかし一体、奴等はどうやってこんなところまでやって来たと言うのでしょう?」
ネハネはこのやや怠惰な指揮官の為にコーヒーの手配をしながら続けた。
「穴を開けてやって来たなら、このサルラのような兆候を来たす筈ですが、世界的にそのような報告はありません」
「一つは、」
エリオが報告書を机の上に置いて言った。
「ポープ様が穴からの侵入者の駆除を怠っているという事かも知れない」
彼は溜息をついてモニターを確認する。そこには、サルラ山脈にできた空間の歪みが映し出されていた。
「まあ、成長促進加工が施されているとは言え、ポープ様はまだ7歳。その可能性は捨て切れませんね」
丁度、ワンド(死霊)が二人分のコーヒーを運んできた。ネハネはそれをエリオに渡す。
「もう一つは、」
エリオはワンドが消えていくのを面白そうに眺めながら、コーヒーを一口飲んだ。
「ヴェラッシェンドの皇帝が、我々の動きに気付いて“開かずの間”を開放したか」
それは“お伽話”の世界に過ぎない、と呆れたネハネは大きく一つ、溜息をついた。
「先日、サルラ山脈南部に配置しておいたアンデッド達が全滅したとの報告を受けました。敵は、かなりの手練でしょう。思わぬ障害となる可能性は捨てきれませんよ!」
「まあ、違いないな」
エリオはもう一口コーヒーを飲もうとしたが、この不毛な議論に険しいままの副官の表情を一瞥した“敵”の指揮官は、決断を下さざるを得なくなっていた。
「……幾らか手を打っておくか」
エリオはコーヒーを机の上に置いた。
「この資料の出所は?」
エリオはサインしたばかりのその報告書を、もう一度読み返し始めた。
「アユミです」
淡々とネハネが告げた名に、初めて指揮官の表情が曇ったという。
(3)
週に7コマの講義に出ないと始末書の対象になる。クリアしなければならない条件は早めに、ということで、ランは早速講義に出る事にした。
イェルドとイオナは一日で7コマの授業に出るという強行スケジュールでもクリアできるが、ランや凍馬の場合、その集中力が1コマもつかどうかが微妙なところだったからだ。
「(んー、やっぱり退屈してきたな……)」
最初は好奇心から素直に授業を受けていたランだったが、やがて首は傾き、ペンを持つ手が止まり、意識が朦朧としてきた。最早、教官の話す言葉やその音やリズムの一つ一つに催眠の呪詛が込められているのでは無いかと思われるほどである。
「(仕方ない)」
ランは決断した。
「(これはもう、眠るしかないな)」
正しくは、睡魔の誘惑に打ち負かされたのだった。
ランが重力に身を委ねた、その時……
「おっはよーございまぁーす!」
乱暴に扉が開いた音で、ランは思わずびくつき、飛び起きてしまった。
「(何だ何だ?)」
胸の鼓動を落ち着けて、ランがその男声の主を確認する――クセッ毛の黒髪は肩よりもやや短い。彼の耳をすっぽり隠すほど大きなチェックのデザインハットや、襟や裾の差し色の赤が印象的なカーキ色のジャケットとその色に合わせたハーフパンツやアクセサリーを見る限り、講師では無い。すぐに担当教官の怒号が飛んできた。
「アユミ! 30分遅刻だぞ!」
呆れ顔の教官も、何だか笑っているように見えた。
「ゴメン! 明日はちゃんと目覚まし3つかけてくるから!」
何処か憎めないこの「アユミ」と言う名の青年は、飄々と始末書の原稿を受け取ると、席に着くまでに擦れ違うクラスメート達の何人かと挨拶を交わしていく。
「(何なんだコイツ?)」
一気に眠気も吹き飛んだランは、暫くその青年を観察する事にした。
教官が授業を進める。アユミはデザインハットを被ったまま、鞄の中をあさる。ペンを忘れてきたらしく、隣の席の生徒から借りている。彼はそのままじっとホワイトボードの文字を追うように眺めていたが、突然、何を思ったのかペンを進めた。始末書を書き進めているようだ。教官がそれに気付いて、今注意した。
「(何だろ、この雰囲気……)」
このアユミという青年が入ってきた時から、この教室の雰囲気がガラリと変わったような気がした。ヴェラッシェンド城の四角い白い部屋の中で、教師と一対一でしか勉強した事の無いランにとっては、新鮮だった。
「(何か、楽しいもんだな。ガッコってのは)」
元居た世界では、望むべくも無いことだが――ランがそう俯いた時、
「……?」
ランの方を、アユミが一度振り返った。
「(ん?)」
ランは小さく頚を傾げて見せた。大きめの帽子から覗いた彼の目は、少し下がりがちの大きな二重の目。その左目のすぐ下には泣黒子。幼顔には違いないのだが、色気のある顔だった。
丁度、終業を知らせる鐘の音が校舎中に響き渡る。アユミという名の青年は、一度、ランから目線を外す。
授業が終わる。
また何やらふざけあっているアユミと教官のやりとりを聞き流しながら、ランは寮に戻る準備を始めた。
「へえ」
配布されたテキストとプリントをまとめていたランの顔を覗き込む者がいると思ったら、
「あ?」
アユミだった。
少し気後れしたランに構わず、「驚いたよ」などと言った彼の泣黒子のすぐ上の大きな目が笑っている。
「こんな美人が傭兵学校にいたなんて、さ」
アユミは手を差し出し、ランに握手を求めたので、ランもそれに応じた。
「こう見えても、ケッコー強いよ?」
ランはワザと強く握り返してやった。
「あたたたたた…っ! 確かにッ!」
アユミは手を擦ってみせたが、ランが思っていたより、彼は堪えてはいないようだった。というのも、
「――剣を?」
その握手の一瞬で、彼はそこまで分析していたからだ。
丁度、アユミの友人と思われる男達数人が、帰り際に彼と挨拶を交わしていった。彼等は早口でランにも何かを呼びかけて去っていったのだが、ランは聞き取る事ができなかったのだ。アユミは構わず、そのまま会話を続けた。
「あと、魔法も?」
何故分かったのかと驚くままに頷くランに、アユミはニッと笑みだけを返した。
「オレだって、こう見えても、ケッコー強いよ?」
その笑みは、子供のような無邪気な笑みだった。
「オレは、アユミって言うんだ。貴女は?」
「アタシは……」
歩みの無邪気な微笑を前に、ランは咄嗟に嘘をつけなかったのだ。
「ラン・クオリス……」
光の民はサードネームを付けないという。住民票にも学生登録名簿にも、サードネームの“ヴェラッシェンド”を付けずに載せていただけに、ランは慌てて「ヴェラッシェンド」という言葉だけは何とか飲み込んだ。その為に不自然に開いた微妙な間が気になったのか、アユミは声を上げて笑った。
「何だよ、まさかの偽名?」
彼の冗談は冗談の域を脱していた。
「ランって呼び捨ててよ。面倒臭くなってきた!」
何故だろう、彼の屈託の無い笑みの前では、ランはウソをつくことができなかったのだ。しかし、特に信じて欲しかったという訳ではないのだが、アユミは話を合わせてくれた。
「じゃあ、ランちゃん、ご一緒にランチでもいかが?」
「あ、アタシ町の喫茶店で食べてみたいんだ!」
光の民の世界にいることで一切の身分関係から解放された彼女は、任務のどさくさに紛れて羽を伸ばす公算だ。
「ランちゃんって、どこかのお嬢様か何かなのかな?」
アユミの問いには答えず、ランはルンルンで先頭に立つ。
このような大ハシャギでこの日一日が過ぎて行ったのだが、とうとうこの青年が耳まで隠すほど大きい帽子を取る事は無かったし、ランも特にそれを気にする事も無かった。
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