第8話 テンション(1)
(1)
次の日の正午前には、ビルフォードが早速この異邦人達に住みよい環境を見つけてきてくれていた。
「レッドキャッスル帝国軍付属の傭兵訓練学校の寮が空いているそうだ」
彼はそう言うと、4人に住民票を手渡した。
「全面的にオレの名前が通る。それだけに、殺生沙汰は起こすなよ。特に、ランとトーマ」
ビルフォードは然るべきところにしっかりと釘を打つ。
「ちょっと! アタシをトンマ野郎とまとめるなよ!」
「それはこっちのセリフだこのオトコオンナ!」
険悪になるランと凍馬をよそに、イェルドとイオナがざっと入寮許可書に目を通す。
「随分良い条件ね。怖いくらいだわ」
イオナが思わず息を呑むほど、この手の寮にしては高待遇だった。
「国の施策が一気に軍事偏重路線に切り替わったということだ」
ビルフォードがポツリとそう言って、溜息をついた。
「なるべく多くの傭兵が集まるような工夫がされている」
その一方で、失業者や障害者や老人についての扶養手当は全廃されたという。
「……一昔前のペリシア帝国みたいね」
イオナは目を伏せた。
毎週最低7コマの講義に出ておかないと始末書の対象になるという制限はあるものの、実質的に門限は無く、朝と夕には配給食があり、しかも出席した授業のコマ数分給与が入るという。逆に、ここまでせねばサンタバーレ王国正規軍に立ち向かおうとする者が現れなかったということの裏返しでもあるが。
「なるべく、4人一緒に行動して欲しい」
突然4人も闇の民が現れると不審極まりない――敵がこちらに気付けば、早い段階で接触してくるかも知れない、とビルフォードは注意した。
(2)
案の定、学校長は4人を歓迎してくれた。
この学校からの帝国軍の採用生を増やす為に、学長も帝国元帥ビルフォードには何かと気を遣いたいようだ。
4人が住む事になった寮は増築されたばかりということで、まだ入寮者も疎らだそうだ。森に面した2階建てという造りであったが、どの部屋にもトイレは勿論の事、シャワーとキッチンと2台のベッドが付いていた。
「なるべく緊密に連絡を取り合おう」
できたての建築物特有の、独特な薬品臭さが漂うロビーにて、ビルフォードがそっと言った。
「ええ。早速、今夕にでもサルラ山脈に赴きます」
イェルドの進言は4人の総意だった。敵の情報を速く掴んでおきたい気持ちもあったが、どちらかというとここまで手配してくれたビルフォードに報いたい気持ちの方が強い。
「頼んだぞ」
くれぐれも無茶はするなと言い残して、ビルフォードも軍本部に戻る。
(3)
レッドキャッスル帝国首都・カッカディーナ。
4人が元居た世界とこの世界は、同じところも違うところも多く、いかにも異邦人のようにどぎまぎしながら往来する。
一番の相違は、サルラ山脈への交通手段である。
元居た世界では、各自盟約する飛行に長けた魔物を召喚するか、訓練された馬や竜に幌や荷台を繋いでいたが、この世界では、「客車」と呼ばれる大型交通機関を乗り継いで目的地まで移動する文化であるようだ。
客車というのは、車輪付きの大きな匣に多くの客を乗せ、魔法力学を応用した内燃発動機を用いて車輪を回し、御者のような者(運転手というらしい)がハンドリングすることで、馬車よりも大きな荷台に人を詰め、目的地に送り届けることができるらしい。
「町中を移動するだけだってのに金がかかるとはな」
と、盗賊を生業としている凍馬などは苦笑していた。
その「客車」を乗り継いでも、カッカディーナ最西端のサルラ地区までは、4時間ほどかかった。
首都カッカディーナやサルラ山脈のあるウェストルビリア州は、レッドキャッスル帝国の北西に位置している。丁度、首長国サンタバーレとの国境の町だという。
成程、サンタバーレに因縁を付けるには格好の場所である。
製造業の盛んなこの町には、山脈の近くに大きな港と鉄鋼工場地帯があるので、武器の製造も密輸もし易いだろう。
また、サルラ地方ではルビーなどの輝石が豊富に取れるらしく、町には宝石店が軒を連ねていた。平時ならば新作のコレクションを求めにやって来る宝石商や貴婦人達で華やぐ街も、この有事下では行き交う人々の表情は何処か暗く、時折、失政を嘆くスローガン等が目に飛び込んできた。
運転手も、この4人の異邦人達から申し訳無さそうに金を受け取ると、「こんな時代じゃなければな」と嘆息を吐いて引き返して行った。
「何か、調査の前から疲れちまったな」
ランが大きく背伸びした。この姫にとっては、座席にじっとしているということが退屈で仕方がなかったのだ。
「ご安心を。これからはちょっとしたハイキングになるわ」
イオナは眼の前の森林を指差して大きく溜息をついた。都会に慣れた彼女には随分と過酷な山であろう。
「“ハイキング”で済めば良いんですけどね」
イェルドも大きく溜息をついた。目の前に広がるサルラ山脈。嫌でも強力な闇魔法分子の波動が伝わって来る。此処に元居た世界へと繋がる穴がある――その蓋然性は一層増してきた。
「(帰ろうと思えば帰れる、ワケか)」
凍馬は悩んでいた。即ち、“戻る”か“残る”かの単純な二択である。
“貴方は此処に居なくちゃダメよ”
昨夜聞いたその声の主は、今はまだ出ぬ月ではなく、日の入かけている黒い森をぼんやりと眺めていたのだが。
時は夕暮れ前。沈みかけた日が世界に伸びて、柔らかい桃色の光が辺り一面に透けてき始めた。
「よし!」
姫が決断を下した。
「穴があるかどうかだけは、アタシが見てくる!」
ランはそう言うと、3人から間合いを取った。
「見るって?」
戸惑う凍馬のすぐ横に、まるで沈む日の光のような、強い橙色の光が発現した。間も無く、その光は六茫星の形を結ぶとそこらじゅうから炎魔法分子を集め始めた。
そう、ランは、祖父・ヴァルザードから大きな財産を授かっていたのだ。
『召喚・炎鳥(フレアフェニックス)!』
炎魔法分子の正式継承者たる者に与えられる“炎の加護”の導きにより、集められた炎魔法分子が結晶化し、大きな鳥の形となった。
「やっぱ、闇の民なら、こういうやつで移動しなきゃね!」
――この姫、どうやら、客車の旅はお気に召さなかったらしい。
「たくましい姫サマだなあ」
苦笑する凍馬をよそに、ランは炎鳥(フレアフェニックス)の背に飛び乗ると、上昇命令を出した。ラン自ら、上空から空間の歪(ひずみ)の存在を確認してきてくれるようだ。
「ロイヤルガードが簡単に突破されるわけか……」
先日彼女に仕え始めたばかりのイェルドも唖然としてしまう。
(2)
冷たい空気を体一杯に受け止め、ランは瞬く間に山一つを飛び越えた。“眼前に空”という何とも単純な景色だが、彼女はそれを愛していた。下を見渡すと、そこは針葉樹林の森で、その真ん中に、周囲を崖が囲む池がある。黒い、黒い池だ。否、それは最早池ではなかった。
「(あれが、空間の歪?)」
魔法力学に詳しいイェルドやイオナは空間の歪を“世界を跨ぐ穴”などと表現することがあったが、確かに、大きなダンスホールがすっぽり入るぐらいの巨大な穴となっているだろうか。深さなんて分からない。判るのは、黒く見える部分は超高濃度の闇魔法分子である、ということくらいか。
「(一体誰が、あんな穴を)」
考えれば考えるほど、それは恐るべき事だった。異世界に強い影響を与えるだけのチカラを持つ者が、少なくとも自国ヴェラッシェンドの了知していない部分に存在しているのだ!
「(近くに寄れば、誰か居るか分かるかも知れない)」
そう思ったランは、炎鳥を穴へと近づけた。が、……
ふと、ランは視線を森に移した。山道を、人が歩いている。
「(馬鹿な。立入禁止区域なのに)」
黒い髪の男は、ビルフォードと同じ臙脂(えんじ)色の軍服を着ている。
「(もしかして、奴が敵?)」
レッドキャッスル帝国軍に既に敵が潜伏しているかも知れない。それはそういうことだった。
「(そのツラ拝ませてもらわなきゃ!)」
ランは目標を改めた。山道に向かって、炎鳥に旋回命令を出したその時だった。
「!」
ランの背後に、巨大な竜が控えていたのだ!
「(しまった!)」
大きく開けられた竜の口から、今正に、炎が吐き出されたところだった。
(3)
「ランの奴、えらく遅いな」
凍馬はぼやく――心配は、まだしていない。あの姫が相手では敵の方が怯むだろうと思っているからだ。
「何も無ければ良いのですが」
対照的に不安な面持ちのイェルドが、空と森の奥とに交互に視線を投げていた。
共に過ごした事の無い兄弟だと言うのに、二人とも右手で頬杖をつく癖があるらしい。後ろからこの双子を見ているイオナの目には、同じ方向を向いて同じように首を傾けて同じようにぼやいている同じ顔ををした男達がいるものだから、余計滑稽に見えた。イオナは双子達には分からないよう、こっそりと笑っていたという。
苗植えの季節の爽やかな風と共に夜の帳が下りて、不気味な静寂に森全体が閉ざされた。
「ん?」
ふと、凍馬が空を見上げた。
「何か、騒々しいな」
彼はこの“静寂”を指してそう言ったのであった。不思議そうな顔をこちらに向けているイェルドとイオナに、
「分かんないか? オレ達は殺気に取り囲まれてる」
と、驚愕の事実を淡々と説明した。
「ケンカしなきゃダメかしら?」
イオナが身を竦めた。とある事情で攻撃呪文を使えなくなっている彼女は、少なくとも今は戦う術を持たないが、それはまた別の話である。
「結界を張れるなら、その中でしゃがんでろ」
凍馬が半月刀を抜く。間も無く、死臭が森に漂ってきた。
「アンデッド、か」
曲がりなりにも聖戦士(ビショップ)であるイェルドにはピンときた。
「敵はどうやらネクロマンサー(死霊使い)のようですね」
ビショップが邪神に憑かれるとネクロマンサーになると教えられるが、要は死者に対する倫理観をビショップのそれと異にするだけである。
「人手のかかる森の護衛をアンデッドに頼っているのでしょう」
だとすると、敵の総数は意外と少ないのかも知れない。
「アンデッド? 戦った事もねェな」
百戦錬磨の凍馬であるが、アンデッドがバウンティハンターとしてやってきたことは無い。彼にとっては全く未知なる敵には違いなかった。
「彼らには、いわゆる急所がありません。玉砕してください」
成程、偵察部隊が二度と帰って来なかったのも頷ける。
――3人を、数十ものアンデッド達が取り囲んでいた。
(4)
真っ先に、凍馬が一体のアンデッド目掛けて半月刀を振り上げた。
「――っ!」
手応えはあった。刃は見事にアンデッドの首を胴体から切り離したのだ。しかし、
「!?」
首の無いアンデッドはまだ凍馬に向かって襲い掛かってくる。そう、アンデッドとはネクロマンサーの商売道具でしかない。術者の呪いが消えない限り、戦い続ける。勿論、痛みへの怖れなど無い。
「ぐ……っ!」
首の無いアンデッドが凍馬の首を掴み上げた。
「トーマ!」
イオナが悲鳴をあげたのと、イェルドが魔法を放ったのは同時。
『聖伝書第十節【楽園追放】(バニッシュ・オブ・エリュシオン)!』
イェルドの詠唱により、光の民の世界に余り在る光魔法分子はサルラの森に集約し、聖なる光となって、アンデッド達に撃ち付けた。見える範囲のアンデッド達が全て呪いから解放され、腐食した骨肉との柵(しがらみ)を絶つ。
「兄さん、大丈夫?」
「ああ。臭くて吐きそうだったけどな」
数度咳き込んで、凍馬は少しだけ笑ってみせた。
「アンデッドに剣なんて、無謀です」
回復呪文(ヒール)を施すイェルドは痛切に兄を心配していたのだが、
「悪ィ悪ィ。オレはどうしても、これを無傷で手に入れたかったのさ」
凍馬の手には、先程のアンデッドから奪ったと思われる純金のネックレスが握りしめられていた。
「トーマ、今夜も営業中ね」
元居た世界で売り払えば、足はつかない上、結構高値で取引されるだろう。感心するイオナ。胸を張る凍馬。そして、天を仰ぐイェルド。
「いやいや、死体からモノ盗っても窃盗罪にはなんないって!」
凍馬は弁解するも、
「立派な占有離脱物横領罪です!」
イェルドは激高した。
「じゃあ、これはオレとお前の胸に、大事にしまっておくという線でまとめておこうな」
「どういうまとめ方ですか!」
――などと双子達が騒いでいる合間にも、
「二人共、第二軍が到着したわよぅ」
アンデッド達は懲りもせずにまた群がってきていた。イオナは結界呪文の詠唱を唱え直す。
「(コイツ……)」
凍馬は横目でイオナを取巻く魔法分子を分析する。全て、正の魔法分子で構成されていることを見るにつけ、理由はともかく、どうやら彼女は攻撃呪文を封印しているようだということは彼にも窺い知れた。敵は殲滅させるに越した事は無さそうだが、凍馬としては、何ら義理は無い。
「よし」
「いざ」
凍馬は営業意欲に、イェルドは戦闘意欲にそれぞれ燃えているわけだが、この双子、敵に向かおうとする仕草もまた図ったように同じなので、イオナは保護結界の中で、吹き出し笑いをこらえていたという。
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