第5話 アリスⅡ

(1)

 悲運な双子の兄弟が再会の喜びの余韻を味わう暇もなく、数奇な運命の扉は唐突に敲かれたようだった。


「今こそ、覚醒の時来たり」


暗闇とも言えぬこの黒の空間、もとい、“開かずの間”に、女性の声が響き渡る。

「何? 今の……」

自分の腕力では処分できない幽霊(ゴースト)の類が大嫌いなランは、思わずイオナの後ろに隠れてしまう。

「大丈夫だって。ゴーストよりも、よっぽどお前の方がおっかねえから」

盗賊をも恐れぬこの強かな女が、まさかゴーストを怖がるとは思わなかったので、凍馬は思わず吹き出してしまう。

「うるせえ!」

ランはイオナの後ろに隠れながら凍馬を睨む。

「でもこの声――」

イェルドはデジャヴを感じていた。前にも何処かで聞いた事のある声とセリフだったのだ。そして、それは凍馬も感じていた。

「何だ? お前も聞き覚えがあるのか」

「ええ」

そう、この双子にはもう一つ共通するものがあったのだ。即ち、数日に渡って続いた同一内容の“夢”。


***

――白亜に囲まれた空間の中で、やんごとなき何者かが深い眠りに就いているのを、どうする事もできずに見守っていると、飴色の長い髪の女性が現れて、彼を助けて欲しいと言うのだ。

***


「ここ何日かずっと同じ夢だったので、嫌でも覚えましたよ」

「オレも、何度となく安眠妨害されたよ。あの“ブロンドの美人”にな」

イェルドと凍馬は図ったように、同時に溜息を一つつくと、更に寸分狂わぬタイミングで彼女の名を呼んだ。

「“アリス”!」

 その声に応えるように、向こう側に一筋、光が現れた。それは段々とこちらに近づいてくるにつれて、ヒトの形となった。緩いウェーヴのかかった飴色の長い髪、色白で細身の彼女の名は、“アリス”。

「双子の勇者『ケツァルコアトル』……貴方達がこうして此処に来るのを待っていたの!」

双子達の夢と同じ顔貌をした女性が、夢と同じセリフを発しているのを今、現実として目にしているのだ。これは、どうもただ事ではないようだ。

「どうか、明護神使を――光の民を救ってあげて!」

(2)

 『ケツァルコアトル』。普通教育を受けていない凍馬以外は皆、その意味を知っていた。

「ケツァルコアトルって、世界を二つに隔てたっていう、あの伝説の双子の?」

イオナはランに確認した。そう、ランの祖父・ヴァルザードが使命を一つとして共に旅をした、あの伝説の双子の勇者を民は敬意を込めて『ケツァルコアトル(高貴なる双子)』と呼ぶのだ。

「でもあれは……」

現実主義者イェルドの認識では、世界を二つに隔てた『勇者』の話は、『魔王(サタン)』の権威を正当化する為に、国教会が帝国右派と共謀して製作した、いわゆる “お伽話”に過ぎないものである。

「お伽話なんかじゃないわ」

イェルドの反論を待たずに、アリスは断言した。

「貴方達は、使命を持って生まれてきた“勇者”なの」

 突然、“勇者”などと言われて戸惑うイェルドと凍馬をよそに、

「すっごーいっ!」

ランとイオナはテンションを上げていた。

「てか、”ひかりのたみ”って何よ?」

凍馬が小声で弟に一般常識を問う。彼は彼で、解らないなりに、何とか話についていこうとはしてくれているようなので、イェルドは少し安心した。

「ああ、私達が闇魔法分子が無くなると死んでしまう民・”闇の民”で、空を隔てた異世界に棲んでいるとされる、光魔法分子が無くなると死んでしまう民を”光の民”と呼んでいるです……さっきまで、伝説上の生き物だと思ってましたけれど」

自分の常識をアップデートしつつ、それをそのまま他人に教えるという難儀をこなすイェルドは、小首を傾げて何かを言わんとしている兄の、更に先回りをし、

「あ、私は、逆分子保有者なので、光魔法分子が無くなると死んじゃいますけれど闇の民です」

と補足した。

「なんっつーか、……ややこしいなお前」

同じ顔をした弟にも、その弟がする説明にも、そう感じた凍馬の眉間に皺が寄ったところ、

「じゃあ、本当にいるんだ! 世界の何処かに“光の民”が!」

「勇者サマなんて神秘だわ! 今からサイン貰っておいてもよろしくって?」

……当の『勇者』よりもむしろ、女性陣の方がはしゃいでいたという。

「でも、助けるって? 何をどうやって?」

普通教育を受けていない凍馬にとっては、“勇者”だの“伝説”だのの理解はどうでも良い事であるようだ。そしてそれは、なるべく早く話を進めなければならないアリスにとっても都合が良かったようだ。

「光の民を危機に貶めようとしている闇の民がいるの。『神』のチカラを振り切ってしまった彼等は、既に光の民の世界に侵入し、世界大戦に巻き込むべく画策しているわ」

 唐突に「光の民」や「神」などという文言が会話に入り混じると、どうもうわ言のようで聞き流しそうにもなったのだが、アリスの神々しい雰囲気や悲壮感のある口調が信憑性を徐々に加えて、一同に、言い知れぬ罪悪感を覚えさせる。


 アリスが言っているのは、“闇の民”の中に、「神」の布いた秩序体系を脅かす者が現れたという事だ。自分達が了知しないとてつもなく大きなチカラを持つ何者かが秘密裏に動いているということは、二大国冷戦下にある今の闇の民の世界に於いての秩序が崩壊しているという事も意味している。

「マズイ、ですね」

イェルドが言って、イオナも頷いた。

「もしも光の民が、アタシ達闇の民の戦争に巻き込まれでもしたら、悲劇でしかないわ」

敵がペリシアの者であっても、ヴェラッシェンドの者であっても、二大国以外の第三国の者であっても、光の民の秩序を破壊することを許すわけには行かない。

「ま、オレにはあんまり関係なさそうだケド」

何処の国からも指名手配されている凍馬には、確かに関係のない話ではあったが、

「でも、あっちの世界じゃ、少しはオレも安全かなァ」

動機は不純でも、凍馬も光の民の世界へ赴く事に反対はしないようだ。

「アタシ、行く!」

そして勿論、ランが燃えないワケがなかった。

「この日が来るのをどれだけ待ちわびていたことかっ!」

尊敬する祖父・ヴァルザードのような大冒険。退屈な城での生活からの脱却。父皇帝への反発――全てを一度に成し遂げる時がついにやって来たのだ。

このあまりにも違いすぎる4人の動機に、アリスは苦笑を禁じ得なかったという。

(3)

 光の民は、闇の民によって秩序を乱され、今や、世界大戦の混乱の中にあるという。それに加え、強引にこじ開けた光の民の世界へと続く空間の歪みは、闇の民の世界の超高濃度の闇魔法分子を光の民の世界にどんどん流出させてしまうので、二つの世界は分子均衡を失い、再び一つの世界に戻ろうと、穴をどんどん広げてしまっているらしい。

「貴方達二人が夢で見たのは、その穴の拡大を阻止する為に守護している明護神使よ」

アリスはそのように説明した。

 「光」と「闇」の魔法属性は、世界の根源そのものでもあるため「絶対元素」とさえ呼ばれているのだが、その内、“光”の秩序を守る明護神使は、この世界の何処かで広がり続ける“闇”の暴走を押さえる為にチカラを酷使し、疲弊衰弱している状態だという。

 ならば本来的に“光魔法分子”無しでは生きられない“光の民”にも、少なからず影響を及ぼしているだろう。

「戦を忘れ、魔法を忘れた光の民達を、戦を止めようとしない闇の民が淘汰する時代の到来を許すわけには行かないの――少なくとも、先のケツァルコアトルの願いではないわ」

勿論、それはこの4人の願うところでもない。光の民を支配しようとする闇の民をいち早く見つけ出し、光の民の世界から除さねばならない。

 それはそれで良いのだが、よほどの非常事態であることが窺える。

 アリスは、とにかく一刻も早く4人を光の民の世界へと送り出したかったようで、

「早速、行ってきて頂戴ね」

と、まだ情報の消化不良を起こしかけている4人に向け、いきなり転送呪文の詠唱を開始したのだ。


「――皆、頑張ってね!」

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