第4話 異世界ファンタジー

(1)

 闇雲に走った凍馬の眼の前に、大きな扉が立ち塞がっている。

 周りを見渡しても、逃げ道らしい逃げ道は無い。扉を開けて、中の窓から外へ出るしかないだろう。

「無理さ」

しかし、そんな凍馬の期待を早々に打ち砕いたのは、この城の住人・ランであった。彼女は何とか追い詰めた凍馬を捕らえる様子も見せず、やや間合いを置いて立ち止まった。

 その後に、イェルドとイオナも控える。イェルドは凍馬と同様、周りを見渡し、逃げ道らしい逃げ道を探す。何か言いたげなイオナを、ランが睨み付けているので、二人とももしかすると気づいてしまったのかもしれないと、イェルドは焦る。

 片や、あまり顔を見られる前に何とか此処を逃れたい凍馬は、その真鋳製の重厚な扉に手をかけようとしたが、ズシリと重い何かが圧し掛かってくるような妙な錯覚を覚え、思わずその手を引いてしまった。

「無理だって。そこ、“開かずの間”って言うんだ」

そこは大魔王・ヴァルザードが封をしたという部屋だと言われている。ランの記憶が確かならば、祖父は“異世界への入り口”と言っていただろうか。

 

 昔々、まだ、闇の民と光の民が戦争をしていた時代、ランの祖父・ヴァルザードは「白き勇者と黒き勇者」と共に、世界を空で隔てて二つに分けたのだそうだ。

 異世界とは、二つに分かれた世界の、生き別れの双子の兄弟のような、それである。


「“イセカイ”?何だそりゃ」

普通教育など受けずに生まれ育った凍馬には何の事だかサッパリ分からなかったが、漠然とした興味を覚えた。そしてそれは、この場にいる全員が感じていたようだ。

「そうだ!」

ランは、周囲も驚愕の条件を提示したのだ。

「アンタがこの扉破ったら、そのまま逃げてもいいよ」

この姫の大胆な提示にイェルドとイオナが顔を見合わせる中、凍馬は薄く笑った。

「逃げる? “イセカイ”にか?」

そこまでは流石にバウンティハンターも追ってこないだろうな、と笑った彼は、もう一度その重厚な扉を見上げた。

「開かない扉があるのなら、開けてみようじゃねえの」

シーフだからということだろうか。凍馬は扉に改めて手をかけた。

 ズシリと重たい何かを感じたと思ったら、白くて強い光が差し込んできた。

 開くかもしれない!――4人がそう確信したのと同時に、強い光は彼等を飲み込んで、さながら「異世界」へと誘ったのだった。

(2)

 何かに引きずり込まれるように、4人は、“開かずの間”と思われる場所にいた。部屋の中にいる筈なのに、奥行きが全く掴めない。天井も壁も、床すらも真っ黒。光の届かない暗黒の中かと思われるが、4人の姿形だけはいやにはっきりと見える。

「これが、“イセカイ”ってヤツ?」

凍馬はケラケラ笑っている。“余裕”ということではない。さしもの彼とて、この何とも不可思議な出来事に、大きく動揺していた。

「しかし、南部ってのは、不思議な建物があるんだな」

一体出口は何処なのだろう。凍馬はそればかりを気にしていた。そう、早く此処から逃げてしまわないと、気付かれるのは時間の問題なのだ。


ふと、目の前に女の首――


「おわっ!?」

凍馬は仰け反った。そう、イオナが凍馬の顔をじっと覗き込んでいたのだ!

「ボーっとしちゃって、何考えてるのかしら」

イオナはニンマリ笑うと、凍馬の頬に手を触れた。そんな風に触れられたことが無い凍馬は、彼女の手を払うことも身じろぐこともできず、素直に困惑の表情を向けてしまった。

 イオナは、しかし、気づいていたようだ。

「よくできてるわねェ、イェルドさん」

「!」

凍馬は慌てて間合いを取るが、もう手遅れだった。闇下の追走中、ラン同様、イオナも勘付いていたのだ。ヴェラッシェンド帝国の聖戦士長と伝説の盗賊を繋いでいる縁に。

「だから、逃がしてあげようとしていたのかしら?」

――しかも、より具体的に。

「イオナさん……」

正直、イェルドは返事に困ってしまった。

 帝国軍の一員となったイェルドは、帝国の安寧秩序に資する行いをする事が義務付けられている。ヴェラッシェンド城に盗賊が入ったとなれば、当然逮捕追討義務を負う。しかし彼はそれを怠るばかりか、逃走の幇助すらしてしまっている。それは、特にこの姫の前では言い出し難いことだった。

 しかし、困惑するイェルドの心裡を知ってか知らずか、

「オレを逃がす?――何だ、随分ナメられてるじゃねぇか」

凍馬が失笑した。

 彼のその表情を見ていたイェルドは、罪悪感にも等しい、息が詰まるような何かを感じて、思わず凍馬から顔を背けてしまった。

「別に、神父サマの助けを借りる間も無く、オレは余裕で逃げられたサ」

先ほどは「イェルド」と名を呼んだ凍馬が、今度は「神父サマ」などと突き放してイェルドから顔を背けた。彼は特にイェルドから距離を置こうと考えているようだ。

「……なーんだ」

イオナは凍馬の金色の目をじっと見つめて、一つ溜息をついた。

「――てっきり、生き別れていた兄弟の、感動のご対面かと思ったのに」

ふと、ランが顔を上げた。イオナは続ける。

「だってステキなお話じゃなくって? 兄である天下の大盗賊サンが、生き別れた弟の帝国聖戦士長(アークビショップ)の就任式をせめて見守りたくて、北方大陸から海を越えてはるばるヴェラッシェンドにやって来た、なんて」

「待て待て待て! 空想に耽るなよ?」

凍馬は堪らず反論に出た。

「オレは、たまたま南部デビューしにヴェラッシェンドに来たんだ。まァ、正直、こんなに自分とそっくりな奴が偶然にいたもんだから驚いたけど、似てるのは顔だけで、他は全然違うだろ? ――何もかもだ」

それはその通りなので、イェルドは何も言えなかった。

「(確かに違う。遺棄されたまま盗賊となった兄と、慈しまれて裕福に育った自分とは)」

イェルドは視線を落とした――先ほどから、息を詰まらせる「何か」とは、恐らくこの「罪悪感」なのだろう。

 「いや、そっくりだよ」

切り替えしたのは、ランだった。

「そっくりだよ、アンタ達、二人……双子ってすごいね」

ランは言ってやったのだ。イオナも相槌を打った。イェルドは、しかし、うつむいたまま、凍馬の反論を消極的に待った。

「オレは、……」

凍馬まで視線を落としてしまった。そうして、彼は一度大きく息をついた後、一息で、こう言い直した。

「オレは天涯孤独。親兄弟の名はおろか、自分の名すら忘れちまったただのシーフ(盗賊)なんだよ。残念だったな」

卑屈にそう笑って見せた凍馬だったが、一切イェルドを見ることは無かった。ただ、その仕草を観察していたイオナは、この凍馬という男の人となりの輪郭が、ぼんやりと見えてもきた。

「このトンマ野郎! この期に及んで、まだシラ切る気か!?」

一方、細やかなやり取りが苦手なランは、もどかしい会話の応酬にとうとうキレてしまった。とは言え、このまま野放しにすると危険極まりないので、イオナが何とかランをなだめに入る。意外というか案の定というか、凍馬という男も沈着冷静だったから、良かった。

「別にアンタがイチイチ心配しなくても――公になんかしないよ」

少しだけ冷静さを取り戻したランが言った。

「バレバレなんだよ。アンタがイェルドに気ィ遣ってる事なんか」

――先刻、凍馬と対峙したランは見ていたのだ。彼がイェルドに向けた眼差しが、一瞬、優しく緩んだのを。

「アンタ、自分の所為で、イェルドが失脚するんじゃないかって心配してくれてるんだろ?」

特に保守的な宗教の世界だ。イェルドが伝説の大盗賊・凍馬の弟だという事が公になれば、間違いなくイェルドはヴェラッシェンドのアークビショップではいられなくなる。

「でも、イェルドはアンタの事、ずっと探してたんだよ?」

「え……」

やっと、凍馬がイェルドの顔を真っすぐ見てくれたので、ランはニッと笑った。

「イェルドはね、神父辞めてまで、アンタを探し出そうとしてたんだよ」

勿論、辛うじて踏み止まってくれたケドね、とイオナが補足を入れた。

「それは、お互い様ですよ」

イェルドがやっと口を開いた。「天涯孤独」と言い切ったこの男が、実弟の名は知っていたのだ。

 わざわざ海を越えて。

 ヴェラッシェンドという国を特定して。

 聖戦士長就任式当日を選んで。

 

 凍馬の表情はずっと硬いままだった。彼は暫く沈黙を守っていたが、やがて、

「――イェルド、」

初めて、凍馬がイェルドに話し掛けた。ランとイオナはこの悲運な双子をじっと見守っていた。

「イェルド、お前、」

神妙な顔をした凍馬が、生き別れのこの弟に一体何を切り出すのかと思えば……


「お前、ひょっとしてアタマ悪いんか?」


仰け反るランとイオナ。

「貴っ様、この期に及んでまだトボケる気か?」

しかし、凍馬に掴みかかろうとするランを制して、イオナが笑った。

「ランちゃん、これで良いのよ」

「え?」

ランはイェルドを見た。

「ええ。間違いなくアタマの悪いタイプの人間ですよ」

イェルドは笑っている。

「成る程。じゃ、……オレの弟に違いねェな」

観念したようだ。凍馬が、イェルドに笑みを返した――二人共、ぎこちないなりに、何だがとても嬉しそうに見えたので、ランはホッ、と溜息をついた。

「やったわね。火付け成功よ、ランちゃん」

イオナもニンマリしている。彼女は殊にこういうお節介が大好きなタイプの人間であるようだ。

「アンタの火付けと一緒にまとめるんじゃないよ」

ランがそう言って口元を緩めた、正にその時だった――


“今こそ、覚醒の時来たり”


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