第3話 再会
(1)
ヴェラッシェンド城はこれまで盗難騒動にあったことは殆ど無かった。
国内最高水準のセキュリティーを保持しているのは周知の事実だからである。それにもかかわらず侵入を試みるシーフ(盗賊)は悉く逮捕・処罰されている。
今回もその一例となるに過ぎないと、誰もが思っていた。
しかし、既にそのシーフは軍事機密書類を入手しているようだった。それを簡単に許してしまったのは、この国のセキュリティーに問題があるからでは無い。問題は、この城に侵入したシーフが世界的に有名な、あの……
「追い詰めたぞ! 武器を捨てろ!」
ロイヤルガード達がそのシーフに詰め寄った。
「武器を捨てて両手を挙げるんだ! 従わない場合はヴェラッシェンド刑法35条に遵って、総攻撃をかけることになる」
そのシーフは四方八方をロイヤルガードに固められていた。しかし、彼は怯む様子も焦る様子も無く、段々と増えていく兵達の数を数えている様子だった。いや、丁度、彼はもうそれには飽きたようだった。
「仕方ないか」
どうやらそう呟いたようだったので、勘念したかと思われたが、シーフは、突然、顔を覆っていた紺色のバンダナを、頭に巻き直したのだ。
「何だ? 余裕か?」
ロイヤルガード達の“ざわめき”が大きな“どよめき”に代わるのに、そう時間はかからなかった。一人、二人とこのシーフの“通り名”を口にする。
そう、世界中何処を探したって、わざわざ紺色のバンダナを身に着けているシーフは一人しかしないのだ。
「アイツ、凍馬じゃないか?」
“凍馬”は、言わば盗賊の代名詞のような盗賊である。
このヴェラッシェンド帝国と海を隔てて対立するように位置する北方大陸(ペリシア帝国側に当たる)に拠点を置く大盗賊である。
かつて彼は大きな派閥を率いて無国籍地帯を支配していたらしいが、派閥内で抗争が起こり、懇意の仲間全てをその抗争で失って以来、孤高を貫いているという。仲間の仇を討つ為に、一晩で四万の兵を葬ったという噂や、貴族達から盗んだ大金を貧困地域にばら撒いたという噂がある為、封建的な体制がまだ色濃く残る北部ではしばしば英雄視される男でもある。
しかし、その首には国家予算規模の賞金が懸けられている大罪人であり、現にこのヴェラッシェンドで軍事機密書類を手にしている事を考慮しないわけには行かない。
「あーあ。やっぱ南部はセキュリティーの質が違うなァ」
凍馬は剣の柄を取った。何せ、一晩に四万の兵士を相手にできる男だ。ロイヤルガード達は一斉に身構えた。
「行くぞ!」
凍馬が剣の柄を抜いた、と思った瞬間、強く光り、大きな爆発音がした。いつの間にか、辺りに煙がたちこめて、何も見えなくなっている。
「しまった! これは――」
凍馬が手にしていたのは剣の柄ではなく、煙幕のスイッチだったようだ。6番ゲートに集まっていた兵達は煙に視界を遮られ、一瞬にして彼を見失ってしまったのだった。
「追え! 奴を捕らえろ!」
兵士達の怒号は白い煙に閉じ込められた。
「南部ってのは、都会の割には平穏ボケてるのが多くて、嬉しいナァ」
凍馬はそのまま、ガードの薄くなった城内へと侵入する。
(2)
現場に駆けつけたイェルドは煙の中から使えそうな情報を探る。煙幕に動転して人や物陰に衝突し、脳震盪を起こしてしまった幾らかの兵達に回復呪文(ヒール)を施しながら、イェルドは侵入者の行方の手がかり追った。現場の兵士達は侵入者にすっかり撒かれていて右往左往している状態だ。
「(相当な手練だな)」
イェルドの直感がそう告げた。平和慣れしているとの評価は免れないが、ロイヤルガードはヴェラッシェンド帝国軍屈指の精鋭達である。その彼等を、件の侵入者は一人たりともその手で傷付けずにこれほど混乱させているのだ。
「(軍の機密書類を手に入れても尚、パレスに侵入する目的があるならば……)」
城には国宝を保管している部屋があるとランから聞いたことがある。宝物庫――“ドロボウ”ならば当然そこは狙うだろう。イェルドは宝物庫へと続く階段を駆け上った。
すると、案の定――
「(見つけた!)」
イェルドの眼が侵入者を捉えた。侵入者の正面から回り込めば躱わされてしまうのは目に見えている。幸運にも、侵入者はまだイェルドの存在に気が付いていないようだった。というのも、
『――我が声に応え給え』
イェルドは闇の民でありながら光魔法分子を授かった“逆分子保有者”である。彼の魔法属性は、闇の民ならば殆ど接する機会の無い“光”。この手練の侵入者とて、例外では無いだろう。
『呪縛呪文(コンストレイン)!』
イェルドの詠唱とともに発現した光魔法分子の格子は、侵入者を飲み込もうと口を開けた。
しかし、突如目の前に現れた呪縛呪文の魔法分子結晶に、侵入者は小さく舌打ちをくれただけだった。流石は戦い慣れた北方大陸のシーフである。イェルドの僅かな殺気を察知して、侵入者はすんでのところでそれを避けたのだ。それでも、見慣れぬ光魔法分子に反射が遅れてしまった彼は、光魔法分子の格子を躱わし切るだけで手一杯になった。仕方なく、イェルドはその虚に乗じることにした。
「動くな!」
イェルドは何とか侵入者を背後から取り押さえることができた。だから気付いたのだが、彼の髪の色は自分と同じ、暗めのブロンド――貧しく治安の悪い北方大陸の、とりわけソドム公国に多い髪の色である。
「チッ……しつこい奴等だ!」
侵入者はイェルドの手首を掴み返し、強引に逃れようとしたが、そこは階段の中腹。もみ合いになった二人共バランスを失って階段から転がり落ちた。
(3)
「いっ痛ェな」
北方大陸でもここまで煩わされる事は滅多に無い。凍馬は追跡者の顔を睨み付けた。ところが、
「!?」
追跡者、もとい、イェルドの顔を見るなり、凍馬は途端に顔色を変えたのだ。
「くっ……」
少し強く頭を打ったイェルドは、そこで、漸く侵入者の顔を見た。
「!?」
――暗い金色の髪、金色の目、6尺足らずの身の丈、……鼻の高さや唇の形といった所まで、眼の前の男は自分と同じ顔をしていた。
「イェルド……?」
呟くような声で、眼前の新任の聖戦士長(アークビショップ)の名を呼んだこの侵入者の素性は、遅れて追ってきたロイヤルガード達の怒号により明らかにされた。
「確かに凍馬が居たんだ! 速やかに捕らえろ!」
そう、イェルドが城下町・リトリアンナで探し回っていた「凍馬」という名の世界的クリミナルは、今、彼の眼前に居るのだ。
「――兄さん?」
その呼びかけに驚いた凍馬は、逃げるのも忘れてイェルドの顔を凝視した。しかし、確かめ合っている暇は無い。
「いたぞ! 階段だ!」
ロイヤルガード達が凍馬に気付いて一斉に追いかけてくる。
「逃げて」
イェルドが小声で凍馬に告げた。
「な……」
戸惑う凍馬に、
「早く!」
イェルドはせめてそれだけ念を押すと、階段に伏せ、気を失ったフリをした。
「……。」
この限界状況下にどうする事もできず、凍馬はそのまま再び走り出すしかなくなっていた。
どの兵士も凍馬を追う中、イェルドは階段の中腹に突っ伏したまま、暫くそうしていた。頭痛が酷いわけではないし、走り疲れたわけでもない。
「ツェイユ……兄さん」
(4)
「(ったく、何しに来たんだか)」
逃げて、などと言われたものの――凍馬もまた悩んでいた。追って来る兵を難無く脚力で振り切り、彼はまた、呆気なく独りになった。詮方なくした彼は、何とかやっと、宝物庫に標準を合わせる。
何も、今更戸惑うことは無い。今までだってこうして生きてきた。これからだって変わりはしないだろう――悩んでいる間も無く、簡単に鍵は開いた。扉も開いた。現金や金になりそうな宝物を見つけたら、そのまま闇に紛れて消えていくだけ。
でも、
「(イェルド、か)」
つい先刻、聖戦士長(アークビショップ)になったばかりの男の名を呟き、ろくに部屋の中を物色できないまま、宝物庫の奥の奥で、凍馬はとうとう、ぼんやり立ち尽くしてしまった。
――何しに来たんだ、というとてつもない虚無に、今にも押し潰されそうで。
「ん?」
硝子ケースに入れられた銀色のブレスレットの光が、突然凍馬の目に突き刺さってきた。
「(何だ、これ?)」
そのブレスレット自体は、此処に国宝として収納されている品にしては、地味という評価を免れないモノだ。しかし、何だろう。ヤケにギラついた、妖しい光を放っているのだ。
「ま、別にどれでも良いか」
そもそも此処に入ること自体を想定していなかったが、この際、売り払うことができそうならモノは何でも良い。凍馬は硝子ケースを叩き割った。憂さの晴れる音と丁度同じ音だろうか、
「見つけたぞ、凍馬!」
硝子の破裂音にロイヤルガード達も気付いて宝物庫に入ってきた。ただ、“伝説の大盗賊”である、この“凍馬”を前に、ヴェラッシェンド帝国の精鋭に違いない彼等とてやや尻込みしているのが分かる。
「お勤め、ご苦労サン」
後は逃げ切ってしまえば良い。凍馬は、鈍く輝く銀のブレスレットを掴んだ。
突然、銀のブレスレットが強く発光し、部屋を白く塗り潰した。あまりに強い光だったので、凍馬は目が慣れるまで耐えていた。
――白い白いと思っていたそこは、暗黒の中。手に掴んでいた筈の銀のブレスレットが暗黒の中にぽつんと宙に浮かんでいた。何となく、ブレスレットに手を差し出してみると、それは自ずと左の掌にフワリと浮いて、新たな光となった。
「ん?……あ!」
ふと我に返った凍馬が見たのは、自分の左手首に輝く銀のブレスレットと、強い光の所為なのか、目を押さえて倒れているロイヤルガードが3名。
「(何なんだ?)」
恐々としながら、凍馬は銀のブレスレットを摩ってみるが、もう強く光るという事は無いようだった。
「(ま、チャンスじゃねえか)」
思わぬ幸運で楽に逃げられそうだったが、
「(此処で逃げると……)」
また会うことがあるだろうか。同じ顔をした、あの男に。
(5)
城内に侵入者あり――この騒動は私室のランとイオナにも伝えられた。
「ドロボウか」
「へぇ、」と一つ唸ったランはベッドから這い上がる。
「こんなイベントが毎日あったら、此処での生活も退屈しないかもナ」
しかも、入った盗賊は“凍馬”という世界的なシーフだと聞いて、ランは心弾ませていた。
「(ダメだわ。このコを王位に就けては!)」
イオナは思わず溜息をついてしまう。
「よしッ!」
ランはベッドから跳ね起きた。
「――その盗賊、アタシが捕らえちゃるっ!」
「ええっ!?」
驚くイオナが姫を制す前に、ドレスは脱ぎ捨てられ、いつもの軽装に着替えられていた。
「ちょっと、ランちゃん! いくら何でも危ないわよ!」
イオナはランよりは“凍馬”について知っていた。彼によって「消された」ペリシア帝国の傭兵が四万強に上る事や、彼に挑んだバウンティハンターが全て「帰らぬ人」となっている事――しかし、その挿話はランの闘志にますます火を点ける結果となってしまった。
「それなら、ますますアタシの出番じゃん!」
――そう、その辺のロイヤルガードよりも、圧倒的にランの方が武に秀でている。それに、
「幾ら何でも、アンタより強いってことは無いんじゃない?」
首に軽く巻いたショール越しに、イオナの溜息が聞こえた。耳を覆っていた亜麻色の長い髪をサラリとかき上げて少しクリアになったランの聴覚に、
「ランちゃんのお陰様で、アタシはもう、攻撃呪文は使えないのよ?」
と謝礼とも嫌味とも言えないぼやきが聞こえてきた。
「大丈夫。親父んトコから、剣1本ガメといたんだ」
「……。(ランちゃんも立派なドロボウじゃない!)」
イオナはもう一つ大きな溜息をついた。
「でも、収拾付けるなら、アタシ達が行くっきゃないかしらねぇ」
幸い、皇帝は議会を召喚中。口うるさい城務大臣・ダイダロスは騒動の収集に追われていると思われる。ロイヤルガード達は凍馬を追いかけているだろうし、メイド達は避難しているだろう。
「行くぞ!」
ランとイオナは勢いよく部屋を飛び出した。
運命の歯車がゆっくりと回り始めた。
満月のさやけき光の下、これから始まる大いなる“使命”との戦いは、こうして慌しく幕を開けたのだった。
(6)
ラン達が駆け下りていく階段とは別の階段を、同じように駆け下りる男がいる。
「ねぇ、ランちゃん、」
それに気が付いたのはイオナだった。
「向こうに居るの、イェルドさんじゃない?」
イオナは向かい側、一階下の廊下を走る金髪の男を指差した。
「あれ? ホントだ。でも……」
確かに、顔はイェルドであるが、その髪は短く、何よりも聖戦士長の法衣を着ていない。不確かなままだったが、ランは、階段の手すりから身を乗り出して叫んだ。
「イェールドー! ドロボウは捕まっちゃったー!?」
すぐに向かい側から返事があった。
「捕まって堪るかよー!」
――無論、彼はイェルドではなく、凍馬だ。
「……ひょっとして、彼が、凍馬?」
断定は避けたが凡そ正しいだろう。イオナは小さく感嘆の声を上げた。
「よし! 好機だ!」
走るランが一気に加速した。どうやら彼女は、本気でこの“伝説の盗賊”・凍馬と対峙するつもりでいるようだ。阻止しなければと思うイオナであったが、
「(凍馬、か)」
北方大陸では泣く子も黙る、盗賊の代名詞のような男であるが、
「(意外と、カワユイ顔してるわね!)」
とりあえず「見た目」の査定を済ませてニンマリと笑みを浮かべた彼女に、一切の抜かりは無かった。
一方、
「(何なんだアイツ等)」
凍馬は逃げながらもこの奇妙かつ帝国最強の追跡者達を観察していた。
「(まともに相手してる場合じゃねぇか)」
突き当りの部屋に窓がある筈だ。そこから外に出られる。そうなれば、追跡者を撒く事は容易いだろう。後は、二度とこの城へ近づかないようにすれば良い。
そこへ、
「ちょっとランさん、何で此処に――」
聞き覚えのある声に凍馬が振り向くと、何と、先程の聖戦士長・イェルドがいたのだ。凍馬はすぐにイェルドの死角へと方向を転換した。
「イェルド! そんなコトより、追っかけなきゃ!」
ランはイェルドを強引に巻き込み、なおも凍馬を追い続ける。
「ランさん!――そのヒトは……っ!」
イェルドは言いかけた言葉を呑み込んだ。この凍馬こそが、自分が捜し続けていた人かも知れない事を告げたところで、何も変わりはしない。イェルドは、逃げる凍馬を追いかけながらも悩み続けていた。が、ランの戦闘意欲はピークに達していた。
「待ちやがれ!」
何と、城の中であるにもかかわらず、ランが凍馬に向けて簡易魔法球を発動したのだ。
「おおっと!」
この攻撃は想定されていなかったので、凍馬も思わず足が止まった。
「ランちゃんのバカッ! お城陥落させちゃったらどうするのよ!」
激高するイオナ。ちなみにこの帝国の刑事関連法によると、城内で攻撃魔法を使用する罪は“極刑”を以って償う事とされている。
「仕方ないだろ! 逃げられたら帝国ロイヤルガードの面子が丸潰れだ!」
凍馬が今左手首にはめている“銀のブレスレット”は、ランが敬愛する祖父・ヴァルザードが勇者から譲り受けたものであると聞いている。それだけは奪われてはならないのだ。
「……このアマッ!」
凍馬は撃たれた左肩を摩りながらランを睨み付けた。
「何だよ戦(や)るのか? コソドロ野郎!」
呷るランに、凍馬も疲労と焦りの所為か、冷静になれなかったのだ。
「お望みなら戦(や)ってやっても良いんだぜ、このお転婆!」
刹那、凍馬の強烈な殺気と身も凍てつかん限りの負のエネルギーが回廊に充填し、火花を散らした。場面は一触即発だが、正面からこの「伝説」と称される盗賊の顔貌を臨む格好となったランは、剣を取るのも忘れるほどの違和感を覚えていた。
「(何か、初めて会う気がしないな)」
思わず、ランはイェルドを探す。その視線に気付いたのか、
「(兄さん!)」
すぐに、ランを庇う形でイェルドが前へ出た。
「――!」
その刹那で、凍馬からあからさまに殺気がぷつりと消えたのが、ランとイオナにも分かった。凍馬はそのまま再び走り出し、その後を3人がついて行くだけ――という奇妙な追跡劇となった。
「(もしかして、)」
流石のランも気付いた。髪の色、背丈、声色、眼の色や大きさ、鼻の高さや唇の形……この二人の相似は偶然の産物とは思えない。
「(このヒトがイェルドの……)」
走れば走るほど間合いはどんどん開いていくものの、確信だけはより強くなる一方だ。
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