第2話 月夜の栄典
(1)
「お疲れ様、と労っておくわね」
イオナがランの亜麻色の髪を梳かしながら話し掛ける。
あの後、城に戻った(行政的にはイオナが連れ帰った事になっているが)ランを待っていたのは、城務省大臣のダイダロスからのキツイお叱りだった。初老のダイダロスはこの城で最も王室と関わった期間が長い人物なだけに、彼の苦言が始まると小一時間はそれに付き合わなければならない。案の定、ランも疲れきって部屋に戻ってきた。
「もう慣れたよ、生憎だったな」
苛立っていたものの、髪を梳ってもらったお陰で幾らか冷静さを取り戻せたランは、そのままベッドに倒れ込んだ。
「イェルドさんから分けてもらったお花、此処に飾っておくわね」
イオナはちゃっかりそんな気も利かしてくれていた。凛と伸びたグラジオラスの朱色の花を見つめ、少し勇ましくなれた気がしたランは、「アリガトウ」と小さく呟いた。今ならこの型破りな姫も聞く耳があるかもしれないと判断したイオナはここぞとばかりに諌めた。
「家出はもう止めるようにね。イェルドさんからも“注意”があったわよ」
――何処か似たところがある二人だ。イェルドの名を出すと、ランは大人しくなるという法則がある。イオナは最近それに気が付いた。
花鋏が茎を切る音と、ランの溜息が暫く部屋を支配していた。
「寂しいのかしら? 家出先が無くなって」
一通り片付けたイオナが、ランの顔を覗き込んでニンマリと笑った。否定しない代わりにムッとした表情をみせたランの横にイオナが控えた。
「正確には、イェルドさんと会う機会が無くなって、ってトコロかしら」
「バァカ。事態はもっと切実だっての!」
誤解されては困る、とランはベッドからゆっくり起き上がった。
「此処は退屈。カビ生えちまいそうだ」
ランはゆっくり背伸びした。
「……遺伝だな」
ランの祖父はヴァルザード大魔王である。
世界を“光”と“闇”に分け、争いを鎮めたという『双子の勇者』と共に旅をしたと言う伝説を残す、この国の祖。
「おじいが生きてる時に、勇者様との旅の話を色々聞かせてもらってさ、何だかアタシも城から出て色んな世界を見てみたい――ってね」
それに加えて、彼女が幼い時から、父皇帝が外交で各国を飛び回っているのを目の当たりにしていたことも影響しているだろう。普段、彼女の口からは父親の悪口しか出てこないだけに、そのアイロニーは微笑ましくも思えたのだが、
「剣とか魔法とかド派手にキメて、悪党引っ張り出すの!」
段々と、ランの目が輝いてきた。
「右、左のストレート・右アッパー・左上段蹴り・ラストは右ソバットで!」
ちなみに、ランが今着用しているのは上シルクのドレス(時価数十万ゴールド)である。この単純なコンビネーションでも軽く踏んでしまうスカートの裾に苛立ったランは、テーブルの花鋏を手に取り、曰く。
「やっぱ、これウザイ。切っちまえ!」
「ダメダメダメ!」
ランのドレスを死守し、冷や汗を拭うイオナ。
――ヴェラッシェンド帝国は何とも頼もしい姫に守られていた。
(2)
夢が一通りの結末を向かえたところで、イェルドはふっと目が覚めた。
世界はまだ夜が明ける前。西の空の果てに落ちきれない月が申し訳無さそうに架かっている。
「(変な夢だな)」
目が覚めたばかりなので、夢の内容は、まだ鮮明に覚えていた。
――白亜に囲まれた空間の中で、やんごとなき何者かが深い眠りに就いているのを、どうする事もできずに見守っていると、飴色の長い髪の女性(“アリス”と言うらしい)が現れて、彼を助けて欲しいと言うのだ。
夢の内容が“変”というわけでは無い。この夢がここ数日続いているから“変”なのだ。
「(何かの予兆? もしそうだとすれば、何の?)」
いつもそう思いはするが、結局は現実の慌ただしさで簡単に忘却している。
今日は、いよいよ聖戦士長(アークビショップ)就任式典が執り行われる日だった。
(3)
その男は月を見上げていた。
「(満月? いや、あれはもうちょっと円いか)」
男の目は月と、その反対側の方角に見える大きな城とを確認していた。
「(あれが、ヴェラッシェンド城)」
男が座り込んでいる場所は、楠の群生する山道にある小高い丘。城までの距離はまだ大分あるが、明日の夜には充分辿り付けそうだ。
――その男には、明日の夜、どうしても城へ立ち寄らなければならない理由があった。
「イェルド……イェルド・アル・ヴェール、か」
明日、このヴェラッシェンドの聖戦士長となる男の名を呟いた彼は、やおら立ち上がると、傍らの屍に付き立てたままにしていた半月刀を引き抜き、鞘に収めた。
「悪ィな。最近安眠できなくて気が立ってたんだ。ヘンな夢の所為で」
男は屍にそう呟くと、山道を離れ、なお十数体の屍が転がる林の中へ消えていった。
――紺色のバンダナを翻して。
(4)
ヴェラッシェンド城は新たなる聖戦士長を迎える準備に追われていた。行き交う人々は皆、一様に正装をし、それなのに急がしそうに動き回っては、挨拶をしていた。
「今度のアークビショップ様は、お若い方と聞いておりますわ」
「アラ、ご存じないの? リトリアンナでは有名なお方よ。高徳で、器量があって、武芸や音楽にも精通なさっているそうよ」
「その上、ヴェラッシェンド大聖堂まで所有なさっているのよね」
「前聖戦士長様の御子息ですって」
メイド達も新しく来る聖戦士長の噂話に花を咲かせていた。
「おお神よ! このような日が来る事をどんなに待ちわびた事か!」
大臣・ダイダロスが手を組み、天を仰いだ。公務嫌いの姫が、自ら今日の式典を執り行うと表明したことを喜んでくれているのだが、このあからさまに傅く大臣の態度が、ランには鬱陶しく、つい、苛付いてしまう。
「姫、姫ももう充分判断能力のあるお年頃。これを機に、どうか公務にお戻り下さいまし!」
と、切実に訴えてくる大臣以下を「うるせえ!」と一蹴してしまったランは、控え室から大臣その他をさっさと追い出してしまった。
「ったく、ちょっと反省してみせりゃあこれなんだから。参っちまう!」
不機嫌な顔をして鏡に向かうランの傍らに、メイクボックスを担いだイオナが控えた。
「ハイハイ、笑って。美人が台無しよぅ」
イオナは、化粧液をたっぷり含ませたコットン越しに、ランの頬を指の腹で引き上げる。それにつられて嫌でも上がるランの口角に、鏡越しに微笑み返したイオナは淡々と第一皇女に化粧を施す。
綺麗な白い肌なので、ファンデーションは整える程度に。
くっきりした二重の大きな目には軽く藍を乗せ、パールの粉を被せる。薄桃色の小さな唇にはローズピンクのグロス。
城(パレス)の住人達がほとほと手を焼いているこの姫は、大人しくさえしていれば、もう充分成熟した顔立ちをしている。そろそろ、この姫にも国民の象徴として君臨する為の自覚を持ってもらわなければならない。
「ケジメを付けるって、イェルドさんとも約束したんでしょう?」
即ち、国民ひいては全闇の民の象徴たる首長・“サタン”の末裔として、然るべき政務を司ること――鏡の中のランにニンマリ微笑んだイオナは、姫の肩をぽんと叩いた。
「……そうだな。アリガトウ」
ランは鏡の前の見慣れない自分の化粧っ気のある顔を見て、大きな溜息をついた。そう、イェルドが神に仕え、国に仕え、王に仕える任務を授かるこの式を機に、自分も変わろうと決意していたのだ。
何の溜息なのかはラン自身よく分からなかったが、変わらざるを得ない自分を確かに何処かで感じていたのだけはよく分かった。そしてそれは、何故だか少し、寂しかった。
(5)
サープリス(白法衣)を着た青年が玉座の間に入場し、式典は開幕した。
帝国元帥代理が祝辞を読み上げ、次いで軍事局長から挨拶があって、新しい聖戦士長の紹介がなされる。涌き上がる大きな拍手に、この新しい聖戦士長が緊張した表情で応えると、あちこちから祝福の声があがった。
セレモニーはいよいよクライマックスを迎えた。アークビショップ(聖戦士長)たる証のロザリオが王室から授与されるのだ。
イェルドは複数のロイヤルガードに囲まれたまま玉座へと進み出て、皇帝にひざまずき、頭を垂れた。緊張の所為で顔を上げることはできなかったが、こちらに近づいてくる靴の音は、皇帝のものにしては軽い音だと思われた。
「!」
ふと、彼の目に飛び込んできたのは白いレース。驚くままに、彼は一度顔を上げた――目の前に立っていたのは、皇帝ではなく第一皇女。亜麻色の長い髪の少女である。
非公式には何度となく姫と顔を合わせていたイェルドも、正装の彼女を見たのはこの時が初めてだった。
ランを包むタイトドレスはレースや輝石で飾られたもの。ライトブルーよりもっと柔らかな水浅葱色のそのドレスの色は、いつもは燈や緋といった暖色系の服を着て来る彼女の快活な印象を完全に打ち消してくれる。イェルドが見慣れていた筈のランの顔も、額に銀細工のティアラが架かっている今日は、何だか別人に見えた。
本来は皇帝直々に授与されるロザリオであるが、ランが父皇帝に願い出て、イェルドへのロザリオの授与を買って出たのである。彼女にとっても、重要な契機となる式だから。
「イェルド・アル・ヴェール、」
少しだけ震えた声で、ランが辞令を読み上げる。イェルドは慌てて、もう一度頭を下げた。
「汝を――ヴェラッシェンド帝国軍聖戦士長に任命する」
ランはロザリオを一度高く掲げた。大勢の祝福の眼差しが集まる中、第一皇女の手により、イェルドの首にロザリオは掛けられた。
「オメデトウ」
とうとう彼も、責任ある肩書きを持つ身の上として、“神”や“国家”から逃れられなくなってしまった。信仰心など微塵も感じさせない、神父としてはある意味「型破り」な彼を知っているだけに、ランは罪悪感すら覚えた。
互いに交わした微笑みには漠然とした寂寥感が残ったが、形式的には“あるべき姿”に戻ったのだ。きっと、これで良かったのだろう。イェルドもランもそう信じることにしている。大きな拍手の音が会場を支配してセレモニーは幕を下ろした。
「(本当にこれで良かったのかしら)」
浮かない顔をしている二人を遠目に見て、イオナは溜息をついた。
(6)
式典間もなく、イェルドはオリエンテーションを受けていた。彼の養父が存命だった頃、イェルドも城には何度となく訪れているので、大体何が何処にあるのかくらいは知っていた。ひょっとしたら、あの姫とも、だいぶ前に出会っていたのかも知れない。
「道理で、……随分お詳しいので驚きました」
緊張気味のロイヤルガード達とも上手くやれそうだったので、イェルドも一先ず安心した。これは、養父からの遺産と言ったところだろう。ロイヤルガードの中には、前の聖戦士長(つまり、イェルドの養父)との思い出を涙しながら語る者もいた。
「しかし、これはご存じないでしょう」
やや小声で、ロイヤルガードの一人が重い口を開いた。
「我等が姫君は、どうも脱走癖があるようでして……」
まさか“知っている”とも言えないので、イェルドは苦笑するに留めておいた。
「加えて、皇帝陛下や大臣と毎日のようにケンカをなさいますし、お召しになるお酒の量など半端じゃない! 我々も手を焼いておりまして」
「流石、次期“サタン”となるお方だけあって、魔法は軍の将校達より御達者で、剣術にも精通されていらっしゃるので、正直、ロイヤルガードでは簡単に突破されてしまうのですよ」
ロイヤルガード達の嘆息に、イェルドも合わせるしかなかった。
「今はペリシア帝国との戦争よりも、姫君の暴挙を食い止めることが第一任務です」
誰かがそう言って、皆が苦笑した。
「――でも、だから、正直羨ましいんですよ」
ロイヤルガード達が一斉に頷き合うが、イェルドは何を指してそう言われているのか分からなかった。
「だって、滅多に無いんですよ」
――姫が皇帝を差し置いて公務を引き受ける事など。
「……そうなんですか?」
大きく動揺したイェルドは、シラを切るのに精一杯になっていた。
その時だった。
「『6番ゲート』ニ侵入者アリ。総員直チニ急行セヨ!」
けたたましいサイレンの音と共にアナウンスが流れる。
「これは久々の仕事になりそうだ!」
「イェルド殿も、どうか応援を頼みます!」
ロイヤルガード達が一斉に「6番ゲート」方向に駆け出す。
「了解しました」
イェルドもその波に乗る――引き続き、アナウンスが流れる。
「侵入者・1名。軍事機密書類ヲ持ッテ逃走中。6番ゲートヘ……」
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