第1話 帝国の憂鬱

(1)

 世界を彩る光と闇は、かつては一つの世界の中で争った時代もあったというが、それは今や神話の世界。民は各々伝説の勇者に憧れながら、神話を語り継ぐことで戦争の愚かさと平和の尊さを伝え、教え導いてきた。


 神話の世界で言うところの彼等「闇の民」の世界は、長い年月を費やして、魔王主導の中央主権型政治から地方分権型政治へと緩やかに移行した。それを推し進めたのは、ヴェラッシェンド帝国初代皇帝・ヴァルザード大魔王――ランの祖父に当たる人物である。


 大なり小なり地方格差はあるものの、民は各々居住する国域の施策による福利厚生を享受し、その対価として税金を納めている。“サタン”による古典的な中央からの統治は完全に滅び、“サタン”は極めて形式的な慣習として、このヴェラッシェンドに残るのみである。

 勿論、これもヴァルザードが意図したものである。

 民から信頼された投票システムによって選挙された議員達の運営する議会の政治が存在する事こそが国家の成立要件だと主張し、いわゆる“王権神授説”の否定を自ら実践してみせたヴァルザードの民主主義への願いが、ここに現実のものとなったのだ。


 しかし、それは思わぬ裏切りにも遭った。“サタン”に由来する強烈なヘゲモニーが自由や民主主義と共に衰退していくにつれて、治安・福祉レヴェルが高く、国力世界第一位のヴェラッシェンドを「未だ既得権の濫用有り」と妬み、敵視する国が登場したのである。


 その典型的な例がペリシア帝国である。かつてはヴェラッシェンドの北西部に位置していたペリシアは、その国力増強の為に議会政治から常備軍中心の寡頭政治に完全移行し、他国への侵略を開始したのだった。当然ながら、それがヴァルザードの逆鱗に触れたのは言うまでも無く、彼をして統治権を剥奪されたペリシア政府は、莫大な資本投下を残したまま、固有の地である南部大陸から追放され、海を隔て、当時未開拓地の多かった北部大陸へ強制的に移されたのだ。

 ペリシアはその後、北部に暮らす固有の民を巻き込みながらも徐々にかつての国力を取り戻しつつあり、今や南部への再展開も視野に入れているのだという。

 

 世界は、歴史的に人材やモノや金の集まる場所であった南の大国・ヴェラッシェンドと、強烈なヘゲモニーの下で国民が一丸となって国力を上げてきた北の大国・ペリシアという二強冷戦の時代となっていた。


(2)

 ヴェラッシェンド城下町・リトリアンナ。

 ヴェラッシェンド帝国最大の繁華街であるそこに、一昔前からヴェラッシェンド城専属だった僧侶が移住している。一見極めて不自然な移住である事は誰の目にも明白なのだが、誰もあえて彼に問いただしはしない。

「1000ゴールド丁度あります」

淡々と白い包みを机の上に広げた僧侶は、暗めの金髪を束ねていた紐を解いた。彼の名は、イェルド・アル・ヴェール。リトリアンナ教会の神父という肩書きを持つ彼が、腕利きのバウンティハンターでもある事を、多くの一般市民は知らない。

「ええ。確かに」

イェルドと対峙するようにテーブルに着いているのはバウンティハンター専門の情報屋。賞金首に関する綿密な情報を商売道具にしている連中である。情報屋はこの神父を物珍しそうに眺め回しながら、尋ねられた人物についての情報を話し始めた。

「貴方が探している盗賊・凍馬(トウマ)は、危険過ぎて、とてもじゃないケド近寄れないくらいの大物なの。貴方の言う“ツェイユ”って男が彼と同一人物かどうかの確証は、正直のところ無いワ」

情報屋はそう言った後に一口酒を呷った。丁度、溜息をついたイェルドと目が合った。

「但し、」

店に客が入ってきたので、そこで情報屋は声のトーンを下げた。

「貴方から聞いていた“ツェイユ”の特徴と、アタシが見た凍馬の特徴は、全て完全に一致するの。凍馬は“ツェイユ”である可能性が高いわね」

この情報屋の情報料が割高なのは、クリミナルコードZZZ(スリーゼット)と呼ばれる高額賞金首の情報を扱っているからである。危険度が増すにつれ、情報も少ない。しかし、その首にかけられている金額は小国の国家予算規模――需要は吊り上る一方だ。

「やはり、そうですか」

イェルドは窓の外の雨垂ればかりを眺めていた。

「それにしても偶然かしら――」

情報屋はイェルドの顔をしげしげと眺めて続けた。

「暗い金色の髪といい、金色の目といい……その“ツェイユ”ってヒトの特徴を聞けば聞く程、アタシには貴方の顔に見えてくるんだケド?」

雨脚が一段と強まったので、二人は一度窓の外を注視した。刹那、表情を曇らせた情報屋に気付いたイェルドは、自分の傘を差出した。

「お貸ししましょうか。私の教会はすぐ近くですから」

「アラ、助かるワ」

イェルドは情報屋に自分の傘を渡す。情報屋は傘を受け取ると、「今日の午後のお天気の情報を売って貰えば良かったわ」と決まり悪そうに笑った。

「そうね、貴方は前の帝国聖戦士長・アル様のご子息。片や、凍馬は北部大陸の“伝説の大盗賊”。何をどうしたって貴方が凍馬であるワケは無いわね」

情報屋はついでに一口酒を呷り、そのまま続けた。

「貴方があまりにもこのリトリアンナの街に馴染んでいるから、アタシ達情報屋の間では、ちょっとした噂になっていたの」

――イェルドは、実は、凍馬なのではないか、と。

「神学校時代から、護身程度に多少武芸をかじっていたもので」

彼の回答に、情報屋は小さく感嘆の声を上げてこの異形の僧に酒を注ぐ。イェルドの視線は窓の外の雨垂れから離れ、そのグラスの中の水平線を追っていた。水平線はグラスの壁を駆け上り、9分目で静かに揺れた。

「こんなに飲みやしませんよ?」

穏やかな微笑をくれて恐縮した僧侶に、情報屋は会心の笑みを返した。

「そう言わないで。どうせ、今日がリトリアンナで最後の仕事だったんでしょう?」

驚いた表情をみせたイェルドを尻目に、情報屋は続けた。

「聞いたワ。貴方がまた、ヴェラッシェンド城に戻るって」

一体何処でそんな情報を貰ってくるのかと感心しながら、

「明後日、就任式なんだそうですよ」

と説明し、イェルドは貰った酒を一口飲む。随分客観的な返事が返ってきたので、情報屋は面食らってしまった。

「クールねェ。折角、亡くなった聖戦士長様の後を引き継ぐって言うのに」

――明後日、イェルドはヴェラッシェンド聖戦士長・『アークビショップ』の位を授かる事になっているのだ。今住んでいるリトリアンナの教会も知人の神父に引き渡し、彼は、幼少から永年暮らしてきた大聖堂に戻る事になっている。イェルドは一気にグラスの酒を飲み干して、

「それは、嬉しいですよ」

とだけ言った。

「そうは見えないわね」

「そうですか?」

彼が城下町に下りていた理由も城に戻る理由も、この情報屋には分かり得なかったが、少なくとも、住民は彼の叙位を祝福している。このスラム街でバウンティハンターをしている彼は、傍目には町の治安維持に貢献しているとしか映っていなかったのだから。

(3)

 リトリアンナはすっかり日が暮れていた。街は夜でも昼間のように明るいので、人々の一日はまだまだ長い。とはいえ、礼拝堂に祈りを捧げにやってくる者は疎らになってくる。擦れ違う人々の数を減らしながら、イェルドは家路についた。

 

 城に移る事を誰に知らせたつもりは無かったが、雨に降られて帰ってきたイェルドの目に、幼い筆跡の手紙と籠一杯の果実や花束が映った。それらは礼拝堂の中央の机に整然と積み上げられていた。

“高徳の僧”―― 一体誰がそんな事を言い始めたのか分からないが、何とも言えない気まずさしか残さないレッテルである。

「(神など、居やしないのに)」

 引越しを数日後に控えているので、荷物の整理はせねばならない。イェルドは、(途方に暮れて何もしたくなくなる前に、)とりあえず持ち運べるだけの花束と果物籠を抱えて部屋に運ぼうとした。何せ、個人経営でやってきたので、全ての段取りは自分でするしかない。ところが、彼が目の前の扉を開ける前に、ドアノブが回ったのだ。イェルドに驚く隙すら与えず、扉はひとりでに開いた。

「あ、イェルド、お帰り!」

誰も居る筈の無かった扉の向こうに、此処に居てはならない少女がニッコリ笑って立っていたのである。

「ランさん!」

慌てたイェルドは、抱えていた果物籠の中の果実を幾つか落としてしまった。“ラン”とは、勿論、ヴェラッシェンド帝国第一皇女ラン・クオリス・ヴェラッシェンドその人である。

彼女は落ちた果物――リンゴを拾い上げると、ちゃっかりそれをかじりながら、

「たくさん届いてたから、キッチンに運んどいたよ」

と、得意そうに笑うのである。この帝国の第一皇女は、あまりにもこのスラムの一教会に馴染んでいた。勿論、帝国の上層部が知る由も無い。イェルドはそれが気掛かりだった。

「それは有り難いんですけど……」

すぐ城へ戻るべきだとイェルドが嗜(たしな)める前に、

「ちょっと、イェルド、びしょ濡れじゃん! 早く着替えなきゃ! 風邪ひいて明後日の式典に出られなくなったら大変!」

大抵、この姫に世話を焼かれる方が早い。毎度のようにイェルドが気後れしている間にも、礼拝堂はどんどん片付いていくので、もう彼は何も言えなくなってしまう。既にリビングのソファーやテーブルが、信者達からの“餞(はなむけ)”に占拠されていた。


 ヴェラッシェンド帝国の第一皇女・ランと、城下町リトリアンナの神父・イェルドは、一般的な皇帝と臣民という関係が、凡そ成立し難くなっていた。その原因の一つは、勿論、この姫の脱走癖にある。リトリアンナの路地裏を行く当てもなく彷徨い歩いていたこの姫を、たまたま通りかかった神父が保護したという経緯が、そもそもの二人の出会いだった。とはいえ、魔王となって全魔族を統率する地位に立たねばならないこの第一皇女が、度々城を脱走し、スラム街の教会に出入りしていることが公になれば、それこそ大問題である。

「いつもながら、その大胆さには感服致しますよ」

苦笑するしかなくなったイェルドは、とりあえず濡れた服を替えに、一旦部屋へと戻る。その中途、この姫が飲んだと思われる酒の空き瓶が2,3本、部屋の隅に追いやられているのを見つけた。幾ら何でも飲み過ぎである。察するに、日頃の家出や生活態度について彼女の父・皇帝からこっぴどく叱られ、挙句、また家出をしてきたと言ったところだろう。

 「それより、兄貴は見つかった?」

あまり家出のことを問い詰められたくなかったのだろう。ランが先手を打ってきた。もう長い付き合いだ。姫もまた、この神父が日中此処を留守にしていた理由を知っているのである。イェルドは、生き別れの双子の兄(名は“ツェイユ”というらしい)を探して、城下町に下りて来たのだ。もっとも、その兄は大口賞金首である可能性が高いので、公には出来ないのだが。

「見つかったと言えるかどうかは分かりませんが、ひょっとしたら、生きているかも知れないという希望があることは確信しました」

まだ、「凍馬」と呼ばれる盗賊が生き別れになったという兄であると確定したわけではなかったが、自分と顔立ちのよく似たシーフ(盗賊)が確かに北方に存在しているということは、先程の情報屋との会話で十分確かめる事ができた。手掛かりの殆ど無かった中、それが分かっただけでも、城下に移転した収穫があったと言うしかない。

「生きていると良いね」

「ええ」

イェルドは、今日あった事をランに話す。ランもそれをじっと聞いていて、時々頷き返す。勿論、その逆もある。時には軽食を取りながら。時には酒を飲みながら……

 

 しかし、この二人の奇妙な関係も今日で最後となりそうだ。明後日のイェルドの聖戦士長(アークビショップ)就任で、二人は完全に主従関係となるのだ。イェルドが永年拒絶していた常備軍従事を引き受けた理由も、実はそこのところにあった――

「じゃあ、イェルドもアタシの事、“姫様”って呼ぶの?」

「そうお呼びしなければ不敬罪に問われますから」

「あーあ。じゃあ、次に家出する時は何処に行けば良いんだろ?」

「そろそろランさんも、家出は控えるようになさったらどうです?」

「ホラ、不敬罪」

「あ」

――そうでもしないと、お互いに取るべき距離感を見失いそうになっていたのだ。

 「!」

ふと、気配を感じて、イェルドとランは天井を見た。


黒髪の女の首一つ、天井から生えている!


「きいいぃいいやああぁぁぁぁァァ!」

思わずソファーから飛び出し、部屋の隅にへばり付くラン。一方、イェルドは呆れるままに頭を抱えて、

「イオナさん、」

とその首の名を呼んだ。

「アラぁ、イェルドさん、ごきげんよう」

女の首がニンマリと笑った。

「イオ!」

ランは一気に青ざめてしまった。イオナと呼ばれたその女性は、天井からさっとソファーに飛び降りると、ランに背中から抱きついた。

「ランちゃん、見ィーっけ!」

彼女の名はイオナ・アルクスバーン・シュディアーロア。これではいわゆる不敬罪も良いトコロだが、彼女はラン自らが選任した“教育係”。天下無敵のランも、彼女には何も逆らえないのだった。同時に、ランにとって、城で唯一の気の置けない話し相手であるのもまた、彼女なのである。

「イオナさん、貴女は一体何処から入っていらしたのですか?」

困惑するイェルドに「企業秘密ですわ」と、とびきりのスマイルを返して躱わすイオナは、家出したランを回収するという名目を引っ提げてやって来るのだが、(彼女は大抵天井から侵入するので、先程のイェルドの問いは、むしろ彼女に対する形式的な挨拶と化してしまっている)何よりも、

「ランちゃんもイェルドさんも、最後のデートはお済みになって?」

彼女はこの二人に「火を点ける」事に情熱を注いでいた。

「バァカ言ってると、ホントにその首鉢に植え込むぞ!」

と、頬を真っ赤にして怒鳴り散らすランだったが、そんな姫を前にしてもイオナは余裕綽々で(しかし自分の「火付け」には全く食い付いて来ないイェルドに、若干のもどかしさを感じながら)本題に入った。

「父皇帝、カンカンよぅ。ちょっと“おいた”が過ぎたんじゃなくって?」

イオナはまだ赤いランの頬を軽く抓ってやった。案の定、ランの機嫌は更に悪化した。

「知るか! あんなエロジジイ!」

イオナの手を払いのけたランは、そっぽを向いて、溜息をついた。


――先日、ヴェラッシェンド皇帝の6度目の縁談が破綻した。その最も大きな要因が、この第一皇女の徹底的な反抗だとされている。この家出はその延長線上のものであろう。皇帝や臣下達に同情してはいるものの、イェルドはむしろ、この姫を不憫に思っていた。

「イオナさん、」

ランを察したイェルドが切り出した。

「私の此処での最後の仕事に彼女の話を聞いてやりたいのですが、もう少しだけお時間を頂けませんか?」

「イェルド……」

ランの返事も待たないうちに、「勿論」と同意したイオナはニンマリと口元を緩めた。

「メイドは週末の外出さえも制限されてるから、丁度良かったわ」

どうも、彼女はランの捜索を口実として、夜の繁華街に遊びに出かけたかったようだ。

「イオ、アンタって……!」

呆れるランをよそに、イオナはルンルンで玄関に――いや、彼女はふと足を止め、ランを呼び寄せると、イェルドに聞こえないように小声で尋ねた。


「――ちゃんとカワユイ下着持ってきたの?」


紅茶を淹れてきたイェルドの目が仰け反る姫を捉えた。

「さっさと消えろ、ドアホ!」

ランは扉を勢いよく閉めて送り出した。

「ハハ、ハハハ。(早く引っ越さなくては)」

イェルドはこの先の城務に一抹の不安を感じずにはいられなかったという。

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