第11話 愛の鎖

 あんなにも輝いていた世界は

どこに行ってしまったんだろう。

重たい空気にまとわりつかれて、

すべてのものが色あせたように見える。


 マークが仕事に行かなくなって

半年が過ぎていた。

調子のいい日と悪い日。

全く別人のようだった。


 私が家にいるときは

常にマークの視線を感じた。

料理の手を止めてマークを見ると

私を見つめていた。

ニコッと私が微笑むと

「I love you」と声を出さずに言う。


 私が 

ストレッチやダンスエクササイズを

していると、ソファに座って

ニコニコしながら見ている。


「一緒に する?」と言っても

「Ellieを見てる」と言うだけ。


 気分のいいときは

「外で食べよう」と言って

自分のシャツにアイロンをかける。

こういうときのマークの

テンションは高い。


 ドレスアップした私を見て

「僕は奥さんとディナーに行くのかな?

女優さんと ディナーに行くのかな?」

とほめたたえる。


 何かしらの不安症が出ると

「No Energy」と言って

ひたすら眠り続ける。

そんな時に不用意なことを言うと

すごい剣幕で怒る。

自分を守るために

攻撃的になるみたいだ。


 少しのことで言い合いをすると


2,3日は口をきかない。

それほど

ひどいことを言ったわけでもないし、

ひどいことをしたわけでもないのに。


 重たい空気を身にまとって

暗い目で私を見る。

「おはよう」と言っても返事もしない。

ネガティブなオーラを全開にする。


 そんなふうに気分のアップダウンの

激しい人と生活すると、

知らず知らずのうちに、

すごいストレスをためている自分に

気が付いた。


 はっきり言って逃げ出したかった。

黒い塊となったマークを置き去りにして。


「例えば 僕の目が見えなかったり、

片足がなかったりしたら、

人は僕のことをかわいそうだと

思って、いろいろ気を使ってくれる。

常に目の不自由な僕、あるいは

片足のない僕を目にするから。

でも、心の傷は見えないよ。

だから人はすぐに忘れてしまうんだ。

僕が病気だということを」


その通りだった。


 芝刈りの人が来たり、

掃除機をかけるときは思い出すけど、

普段の生活でいちいち

マークは大丈夫だろうか?

なんて考えない。

見た目はいたって健康だから。


 ショッピングセンターでの

パニックのように 

何かが起きて初めて気づく。

こんなことでも恐怖心を起こすんだ。


そうやって、一つ一つ 

彼にとっての「危険な場所」を

覚えていくしかなかった。


 「エリー 愛してるよ。

君がそばにいてくれて本当に良かった。

もし君がいなかったら、

僕はどうなっていたか わからない」


 こんなにも私を愛して、

こんなにも私を頼っている人を

捨ててしまうなんて、

人として許されないことじゃないか?

と思っていた。


 暴力をふるうわけでもなく、 

言葉で虐待するわけでもない。

ただ、ただ、私を愛してくれている。


こんな人を捨てようとするのは 

自分勝手な思いだ。 

そう自分に言い聞かせた。


 あんなに心を溶かしたマークの愛が、

このころにはすでに重くて

はずれない鎖のようになっていた。

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