第9話 サイロと掃除機

 過去の恐怖体験が、

トラウマになることは知っていた。

それでも、本人が

どれだけの苦痛を感じているのかは、

他人にはとうてい理解できないことだった。


 キャシーはとても可愛らしい女性で。

いつも周りを明るくしてくれた。


「マークは本当にエリーのことが好きなのね。

あなたが仕事に出かけて5分もしないうちに

I miss Ellieだって。

それから1時間おきに,あと何時間で

Ellieが帰ってくるって言ってるよ」


「私も早くボーイフレンドを見つけないと」

「エリー お客さんでいい人いない?」


どこまで本気だかわからない冗談を言った。


ある日,私が帰宅すると

キャシーが急いでそばに来て、

「今日、部屋に掃除機をかけたら

マークがすごい勢いでドアを閉めたよ。

すごく感じ悪かった」と言った。


「ごめんね、キャシー。

マークが高校生の時…」

と私は理由を話し始めた。



マークの叔母夫婦は牧場を経営していた。

学校が休みになると、

マークはその牧場に手伝いに行っていた。


 ある日、マークが

空になったサイロの中を掃除していると、

突然、詰め込み口が開いて

上から干し草が降ってきたらしい。


「やめて! 僕がここにいる!」

と、叫ぶマークの上に

干し草がどんどん落とされてきた。


すぐに、叔父さんが気づいて

マークはサイロから出ることができた。

その時の干し草特有のにおい、

舞い上がるホコリ、閉じ込められた恐怖。

掃除機をかけるときのホコリっぽいにおいが

それらすべてを思い出させるらしい。


 だから、私が掃除機をかけるときは

マークにまず声をかける。

リビングを掃除するとき、

マークはベッドルームのドアを閉めて

避難している。

掃除機をかけ終わっても

30分ぐらいは出てこない。


まだホコリっぽいにおいがするから。


 マークが部屋から出てくると

ようやくベッドルームに

掃除機をかけることができる。

この時、もちろん部屋のドアは閉めたまま。


消臭スプレーを買ってきたことがもあるが、

そのにおいが好きではないらしく

ひたすら自然ににおいが消えるのを待つ。


 掃除機をかけるときは

一気に家中かけてしまいたかったが、

そんな思い出があるのなら

仕方がないと我慢していた。


 外に芝刈りの人が来た時の

マークの反応も異様だった。

ブーンという音と、

ほんの少し芝のにおいがしたかと思うと、

空いている窓やドアのところに

ダッシュして行って、あわてて閉めた。

いつもおっとりしているマークとは

まるで別人だった。


 排気ガスに対しても異常に反応した。

La Grandeの地下駐車場の空きスペースに

ペットボトルの水とソフトドリンクの缶を

置いていたのだが、

排気ガスがかかっているという理由で

飲もうとはしなかった。


 野外のコンサートを聴きに行った時も、

近くの駐車場でエンジンをかけたまま

クーラーをつけて停車している車があると、

エンジンを止めるように

わざわざその車まで言いに行った。


「変な言いがかりをつけて」と

殴られたりしないかとヒヤヒヤした。


 こうしたホコリや排気ガスに対する

異常なまでの反応は、

サイロに閉じ込められて味わった恐怖心を

思い出すからだろうと

理解はできた。


 排気ガスがかかったとしても、

掃除機のホコリっぽい空気を吸ったとしても、

死ぬほどのことではないと思ってはいたけど。






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