第五暦・陰 年の功 下

 多少の不安もあったが忠吉ちゅうきちの方も滞りなく脱出できていたようだ。俺たちは木行区寅の処の屋敷で無事に落ち合う。

 未だに母上は帰っておらず、一度戻ってきたような形跡も見当たらなかった。

 どうやらあれからずっと火行区での探索を続けているようだが、一体何を掴んだというのだろう。

 気になるところではあったが、今の俺にはそれよりも気にかかることがあった。


「ご苦労だったな。忠吉」

「は、はい。琥珀こはく様もお疲れさまでした」


 互いの労をねぎらった後で俺は忠吉に問う。


「早速だが」

「あ、例の積荷のことですよね。実はあの積荷は――」

「いや、そうじゃない。それは母上が帰ってきてからでも構わない。『その前に』聞いておかなければならないことがある」


 そうだ。母上が来る前に聞き出しておかなければならない。

 なぜなら、今から俺が聞こうとしていることは任務とは関係ない――忍にとってはまるで無用の情報だからだ。

 それが分かっているのになぜ聞こうとしているのか。なぜ気になっているのか。

 俺には自分の気持ちが分からなかったが、その正体を探るのは後でもいい。とにかく今は時間がなかった。


甲蔵こうぞう船島ふなしま 巌流がんりゅう、そして寺子屋倒壊事件について、何を隠しているのか話せ」


 忠吉は今度は言い逃れをする気は微塵もないようで、むしろ語りたがっていたように淡々と話し始めた。


「今から二十年前のことになります。おらと巌流様は寺子屋で共に学んだ学友でした」


 話の枕から驚愕の事実が告げられ、俺は思わず目を丸くする。


「つまりお前と巌流は幼馴染だということか!?」

「ええ、まあ」


 照れがちに頭をかく忠吉。

 二十年前の幼馴染が片や城門守護四士じょうもんしゅごしし、片や滅亡した里の忍とは随分と水をあけられたものだな。 

 しかしだからか。忠吉が巌流に対して元上役以上の感情を持っているように見えたのは。

 忠吉は続けた。


「巌流様は昔から責任感が強い方でして統率力もありました。寺子屋の子供たちは皆、巌流様を尊敬し憧れておりました」


 その中には忠吉自身も含まれるのだろう。声音がそれを物語っていた。


「ただ少しだけ今の巌流様と違うところがあったのです」

「違うところ?」

「はい。曲がったことが許せない――というのは今も同じですが、当時は後先を考えず冷静さに欠けるところがありました」


 曲がったことが許せず、しかし後先を考えず冷静さに欠ける。まるで目の前の男のようだと俺は思った。


「そしてある日、とあるいじめっ子を巌流様が懲らしめたのですが、実はその子は大変力のある豪商の子でして。巌流様がいじめっ子に仕立て上げられてしまったのです」

「よくある話だな」

「ええ、よくある話ですが。まだ幼い時分の巌流様にとっては大変な衝撃だったんでしょう。寺子屋の子供たちも先生も、巌流様の無実を知りながら誰も力にはなってくれませんでした。

 そのとき巌流様の純粋な目には、正しいはずの自分を守ってくれない寺子屋が『悪』と映ったのです」


 やはりよくある話だった。

 ただここでよくなかったのは、船島巌流が後に幕府の最高戦力と呼ばれる男であり、子供離れした腕力と行動力を備えていたことだった。


「そこで巌流様は夜中に寺子屋を破壊することにしました」

「ちょっと待て。急に話が飛ばなかったか」

「いえ、当時の巌流様にとっては当然の流れだったのです。まあさすがに子供一人で寺子屋を壊すことはできず未遂に終わりましたが」

「そうか。さすがに巌流といえども子供だからな」

「はい。全壊はできずに半壊まででした」


 それでも半壊はできたのか。まあ今の巌流ならば拳骨一発で全壊できそうなことを思えばさもありなん。


「しかしまさか子供一人で一晩のうちにやったとは誰も思いませんから、巌流様の仕業とは気付きませんでした。ただ一人を除いては」

「誰だ、それは?」

桃侍御三家ももざむらいごさんけ狛走こまばしり家当主――狛走 一黙斎いちもくさい様です」


 ここでまた予想していなかった名前が飛び出した。


「一黙斎だと? あの男が巌流の仕業だと看破したのか。しかし待て。いくら子供とはいえ、そんな過去があって守護四士の任に就けるとは思えないが」

「ええ。ですから、世間的にはこのことは知られておりません。巌流様の父の甲蔵様がその罪を被ったからです」


 船島 甲蔵が犯したという罪。それは実際には巌流が負うべき罪状だった。


「一黙斎様は甲蔵様の意を汲んで、彼の望む通りにしました。犯行のときに甲蔵様は漁に出ていた目撃証言もあったのですが、それもつじつまが合うように偽の仕掛けをでっち上げたのです」

「その偽の仕掛けというのが今回使ったものということか」

「はい。甲蔵様は喜んで濡れ衣を着ることを受け入れ、自身の軽率な行動から父を失った巌流様は以来、規律と身分を何よりも重んじるようになったというわけです」


 忠吉の語りを聞き終えて俺の中にあった疑問はすべて氷解した。

 まずは十字郎とおじろうがあの場にいた理由。おそらく十字郎は父親からこの話を聞いていて、すぐに甲蔵に行き着いたのだろう。

 巌流もまた同じように、あれが事故ではないことなど当然すぐに見抜き、また犯人も分かっていた。

 それを事故として扱っていたのは、かつて親子の縁を切ってまで自分を庇ってくれた父に対し、さしもの巌流も非情にはなれなかったということか。

 そして甲蔵の動機。これも二十年前と同じ。巌流のためだろう。

 二十年前と同じ事件を起こすことで、自分のせいで変わってしまった巌流に昔に戻って欲しいと伝えたかったのだ。

 同時に規律を重んじるばかり水行区民から恐怖の対象になっている巌流に、自分を捕まえることで手柄を立てさせ町に馴染ませたかったのかもしれない。

 それにしても年寄りの冷や水にもほどがある危なっかしい話だった。


                       ◆


 月が沈み空が白み出したころになって、母上はようやく帰ってきた。


「それでどうだった? 積荷の中身は?」


 母上と俺の視線が忠吉に集まる。俺もまだ積荷の中身を聞いていなかった。

 忠吉は緊張気味に答えた。


「は、はい。そ、それが積荷の中は……か、空でした」

「空だと? ふざけるな。空の積荷で水かさが増すわけがないだろう」

「で、ですが確かに」


 俺と忠吉の間を母上はすっと手を差し入れて制した。


「なるほど、やっぱりそうだったか」


 母上は驚くこともなくむしろ当然といった面持ちで腕を組む。


「やっぱりとはどういうことですか?」


 俺が問うと母上は懐から一枚の紙を取り出す。それは堀船の積荷の一覧表――その写しだった。


「城門守護四士以上の人間にしか閲覧が許されない積荷の一覧表。例の積荷はこの中には載っていないわけだけど、となればこれを偽装できるのもやっぱり守護四士以上の奴に限られるわけだ」

「まあ、そういうことになりますね」

「守護四士の中で怪しいのは積荷が載せられる北と降ろされる南。通過点である東と西の可能性は薄いと考えられる」


 母上の見解はいつもながらに論理的で、俺と忠吉はただ黙々と頷くばかりだ。


「その中で特に怪しいのが南だ」

「どうしてですか?」


 俺はここでもやはり明確な根拠を伴った答えが返ってくることを期待していた。

 しかし母上の口から飛び出した言葉は


「だって、あいつ見るからに怪しいだろ?」


 という、論理的からは最もかけ離れたものだった。

 ただこれもまた不思議と頷ける説得力はある。

 南の城門守護四士――焔暦寺えんりゃくじ 楠永くすなが。あの男は確かに胡散臭い。


「そこでまあ色々と調べさせてもらった結果、土行区へ運び込まれる積荷はすべて楠永の検閲けんえつを通していることが分かった」

「すべてですか? 東……はともかくとして、北や西から運び込まれる積荷があってもいいのでは?」

「そう。以前は北や西からも積荷が運び込まれていた。けれど今は南だけ。理由は跳ね橋さ」


 なるほど。東西南北の橋のうち、南の朱雀橋だけが跳ね橋ではない。

 故に南で一度、堀舟の乗り換えが行われるわけだがその時間を積荷の運搬に充てる方が効率が良いということか。


「焔暦寺 楠永は朱雀橋を跳ね橋から普通の橋に作り変えることで、こうなることを見越していたわけさ。ただの道楽者に見せてかなりのしたたかさだ」

「例の積荷に焔暦寺 楠永が関与していることは分かりましたが、それで結局のところ積荷の中身は何だったのですか?」

「さあね。分からない。ただおそらく、あの男は私たちの動きに気付いている。気付いていて、今日の積荷は囮にしたんだろう」


 つまり俺たちはまんまと楠永の思惑通りに踊らされたというわけか。

 俺が歯噛みをしていると、母上はそんな俺を励ますようにして言った。


「別に落ち込むことじゃないさ。私はむしろ積荷が空だというのは吉報だと思っているよ」

「空だったことが吉報? どういうことですか?」

「それが大したものでないのなら隠す必要はないだろう。わざわざ隠したということはそれだけ重要だという証拠。だから落ち込むような結果じゃない」


 母上はいつものようにあっさりとしていたが、続く言葉からは楠永への対抗心が見て取れた。


「というわけで、今度からの当面の探索対象は火行区――そして焔暦寺 楠永だ」


 俺と忠吉は同時に頷いた――ん? こいつ、もしかして。

 俺は項垂れたまま動かない忠吉の顔を覗き込むと案の定。忠吉はいつの間にやら舟を漕いでいた。


「母上。どうしましょうか、こいつ」

「水でも被って反省させとけ」


 俺は言われた通りに、背筋も凍り付くほどの冷や水を忠吉に浴びせた。

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