第五暦・陰 年の功 中

 浮悌うきやすのおかげで何とか巌流から逃れた俺は、その後予定通りに忠吉と合流する。

 だが、そこには共に作戦に参加するはずだった母上の姿はなかった。


忠吉ちゅうきち、母上はどうした?」

「はい。つぐみ様は気になることがあるとかでもう少し火行区を探るとのことです。ですので、積荷を暴くのはおらと琥珀こはく様の二人でやるようにと」

「そうか」


 まあ、二人でも特に問題はないだろう。本音を言えば一人の方がやりやすいくらいだが。


「気になることといえば琥珀様。琥珀様の方の探索は何か分かりましたか」


 そう問われて、俺は忠吉を待つ間に気付いた事実を口にした。


「ああ、積荷のことに関しては何も分からなかったが一つ分かったことがある。船島ふなしま 巌流がんりゅう。あの男は寺子屋倒壊事件が事故ではないことに気付いているようだ」


 わざわざあの亀裂を指して俺に問い掛けていたことからして間違いはないだろう。


「巌流が甲蔵こうぞうの犯行であることに行き着けば、奴の動きがこちらの作戦に支障をきたす可能性がある。一応、それも念頭に置いて――おい、聞いているのか。忠吉」


 忠吉は俺の言葉に耳を貸すことなく、ただぶつぶつとうわ言を呟き続けていた。


「巌流様も気付いていた。ならば、やはり今回の事件はあのときと同じように――」


 俺はその呟きの中に聞き逃せぬものを感じ、今度は強引に忠吉の肩を掴んで注意をこちらに向ける。


「おい。『やはり』とはどういうことだ。朝からの妙な態度といい。お前、何か知っているな」

「え、いや……ななな、何のことでしょう。おらは何も……」

「諦めろ。お前が俺に嘘を吐き続けるなど不可能だ」


 忠吉はなおも口をもごつかせていたが、やがて観念したのか唇を開きかけた――そのときだった。


「琥珀様、あれをっ!」


 忠吉は突然に大口を開けて俺の後ろを指差した。

 そんな単純な手に引っ掛かるかと、普通ならば思うところだが俺はこの男が馬鹿がつくほどの正直者であることを知っている。

 一目見て、それがただの演技ではないことが見て取れた。

 忠吉の指先に視線を沿わせていった先、そこにあったのは堀上を行く万年丸。

 いつの間に舟はここまで来ていたわけだが、忠吉が声を上げた理由は舟そのものではなく船上の光景にあった。

 何と船頭の甲蔵と狛走こまばしり 十字郎とおじろうが戦闘を繰り広げていたのだ。

 船島 巌流ならばまだしも、全くの無警戒だった十字郎の登場はまさに寝耳に水。

 寸前までの忠吉とのやり取りなど忘れ、俺の意識は完全にあの男に釘付けになる。

 戦いの行方は明らかに甲蔵が有利。十字郎は船頭の老獪ろうかいな立ち振る舞いに完全に翻弄されていた。

 そして、今にもやられかねない窮地に追い込まれる――が、運よくそのとき舟は堀の角に達し甲蔵は舵を切り始め、十字郎も刀を引く。

 馬鹿か、あいつは。何をやっている。今の間に攻撃すればいいものを。船酔いで吐いている場合か。

 このまま戦闘が再開すれば間違いなく十字郎はやられる。もちろん、あいつがどうなろうと俺の知ったことではない。だが――。

 俺の脳裏に過るのは千和の悲しみ暮れる顔だった。


「――様。琥珀様っ!!」


 忠吉の呼びかけに俺ははっとする。


「だ、大丈夫ですか? 先程から何度もお呼びしていたのですが……顔色も優れていないようですが……」

「……ああ。問題ない」

「そうですか……。それで、そのどうしますか。このままですと舟が行ってしまいますが」


 どうするか、か。

 十字郎の存在は予想外ではあったがある意味好都合でもある。

 甲蔵があいつに気を取られている間に行動を起こせば、任務は容易に達成できる。


「決まっている。予定通りに任務を続行する」

「……それはつまり、十字郎様を見殺しにするということですか」

「そうだ」

「おらは嫌です」


 また始まった。忠吉がこう言いだすことは予測できていた。


「いい加減にしろ。俺たちは忍だ。任務のことだけを考えて行動すればいい。甲蔵の犯行を見逃したときと同じだ。ここであいつらに割って入って何になる? いたずらにこちらの姿を晒すだけ」

「なぜ十字郎様が戦っておられるか分からないんですか!?」


 忠吉は俺の言葉にどもることも俯くこともなく力強く反論した。 


「おらたちが甲蔵様を野放しにしたから、そのおらたちに代わって十字郎様は戦っておられるのではないのですか?」


 確かに俺たちが甲蔵の犯行を事前に食い止めていれば、十字郎が傷つく必要はなかったのかもしれない。

 そのとき俺の中にはまた少女の顔が浮かんでいた。

 押し黙る俺に痺れを切らしたのか、忠吉を身を乗り出して言った。


「おらはこれ以上、自分のせいで人が傷つくのを見ておれません。琥珀様が行かれないのでしたら、おら一人でも――」

「もういい。分かった」


 俺はそんな忠吉を制しながらため息を吐く。


「忠吉、お前は予定通りにこの鍵型を使って船室に侵入し積荷を暴け。中身を確かめるだけでいい。確認出来次第、信号弾を打ち上げろ。この前、教えたとおりに作ってきてあるだろう?」


 忠吉は俺が放り投げた鍵型を受け取り損ねながら答えた。


「は、はい。それで琥珀様は?」

「あの馬鹿に加勢する」


 言うが早いか俺は鉤縄かぎなわ船縁ふなべりに引っ掛けると、十字郎と甲蔵の間に割り込んだ。

 間一髪、十字郎に叩き込まれようとしていたかいを苦無で弾く。

 そのまま手首を返して俺は甲蔵に苦無を突き出すも浅い。

 ここで欲をかいて深追いすれば十字郎の二の舞は必至。

 悪いが、俺はこの男ほど愚かでもなければお人好しでもない。素直に相手の独壇場に付き合うつもりはなかった。

 俺は侵入の際に使った鉤縄の先を反対側の船縁に引っ掛け、堀の上へと飛び込んだ。

 そして、足の裏に仕込んであった水蜘蛛みずぐもを展開。水上に降り立つ。


「お、おい! 琥珀っ!!」


 船上から俺の名前を叫ぶ(やはりこいつに名を明かしてしまったことは最大の失策だった)十字郎を目掛けるように、再び鉤縄で体を引き上げ舟に乗り込む。

 そしてすれ違い様に甲蔵に一撃を加える。今度は防がれてしまったが確実に虚を突けた。これで流れはこちらのものだ。

 船上から堀の上へ、そしてまた船上へ。反動をつけての往復は徐々に速度を増し、やがて甲蔵の反応を上回り始める。

 ついに体をぐらつかせる甲蔵。そこを逃さず俺は狙いを足元の舟板へと向ける。

 割れた舟板を踏み抜き完全に体勢を崩す。俺は仕上げとばかりに苦無の柄で甲蔵の腹部を殴り付けた。

 甲蔵の意識が飛んだのを確かめると俺は夜空を見上げる。忠吉からの合図はまだない。

 何をぐずぐずしているんだ、あいつは。

 もしかすると鍵型が使えなかったのかもしれないと思い、俺は甲蔵が持っているであろう船室の鍵を奪うため苦無をその懐に向けた。


「ちょっと待て、琥珀!」


 そこに何を勘違いしたのか十字郎が引き留めてきた。


「邪魔だ。どけ」


 俺はその手を振り払い作業を続行しようとする。

 甲蔵が目を覚ます前に事を終わらせる必要がある。

 それに時間を掛け過ぎれば船島巌流が介入してくる可能性も増す。


「それ以上はやり過ぎだ。そもそもお前、どうしてここに――」


 なおもしつこく俺を止めに入る十字郎に、俺は苛立ちから苦無の刃を奴の首筋に突き付ける。

 たちまち十字郎の全身は恐怖に支配され、その顔は青く染まる。

 確かこれで、三度目だったか。本当に進歩のない男だ。

 震える十字郎の目をまっすぐに見据えて俺は言った。


「半端な覚悟でこれ以上こちら側に踏み込むな」


 こいつは知らない。自分の妹がどれほどの覚悟をその小さい体に秘めているのかを。

 千和はこんな刃など苦ともしないほどの悩みを抱えているのに。

 こいつはそんな妹の思いなど何も知らず、無謀にも己の身を危険に晒しては肝心なところでは怖気づく。

 無性に腹が立った。今ここで、俺の口からこの男に千和の秘密を明かしてやりたかった。この馬鹿に自分の愚かさを思い知らせてやりたかった。

 それができればどんなによかったか。しかし俺は千和との最後の約束を破るわけにはいかなかった。

 そのとき、申し訳程度の光が俺たちを照らし拍子抜けするようなふざけた音が続いた。


「な、何だ? あの汚ねえ花火は?」


 十字郎の感想に俺は心の中で密かに同意する。どうやら信号弾の作り方をもう一度教え込む必要がありそうだ。


「ようやくか。本当に鈍臭い男だ」


 何はともあれ、とりあえずは任務を達したらしい。となれば、この場にもう用はない。

 ただ最後にもう一言、この男に言っておかずにはいられなかった。


「狛走十字郎。次に半端な覚悟で俺の前に立ってみろ。そのときは必ずお前を殺す」


 十字郎の反応を待たないままに俺は鉤縄を使い、来たとき同様に船外へと脱出した。

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