第五暦・陰 年の功 上

 船島ふなしま 甲蔵こうぞう

 北の城門守護四士じょうもんしゅごしし――船島 巌流がんりゅうの実父。

 二十年前に犯したという罪によって、漁師の職と船島の姓を剥奪はくだつされる。

 以来、温応おこた城の堀番兼積荷運搬船頭として幕府に仕え続け今に至る。


「と、これがあの男の略歴だ。今回の任務ではあの男自身には用はないが、一応はお前も頭に入れて置け」

「……は、はい」


 忠吉ちゅうきちはいつものようにどもりながら俺の言葉に答えるが、そこにはいつもにはない気負いが見て取れる。

 無理もない。自分が誰よりも恨んでいる相手――船島 巌流の父親を前に、平常でいろという方が無理な話だ。

 もっとも、この男は平常から落ち着きとは無縁だがな。

 どうあれ、任務に私情を持ち込むのは感心しない。

 繰り返すようだが、今回の目的はあの老いた船頭ではないのだから。

 俺は今一度、忠吉に釘を刺しておくことにした。


「分かっているだろうが甲蔵に無用な詮索はするなよ。いや、そもそも話もするな。お前はすぐに情に駆られる性質たちだからな」

「え、ええ。分かっておりますとも。そもそも、今更あの方に聞くことなどありませんし……」

「ん?」

「あ、いや。何でもありません。と、ともかく甲蔵様のことは気にせず任務に集中すればよいのですね」

「……ああ、そうだ。今回の俺たちの目的は――」


 俺たちが今いるところは木行区と水行区の境――艮峠うしとらとうげの道中。

 ちょうど辺りを覆う木々が途切れ、温応城の一部を望むことができる。

 その景色を隠すようにして横切る『それ』を俺はまっすぐに指差した。


「あの舟にある積荷だ」


 積荷運搬船――万年丸。

 温応城をぐるりと囲む外堀の上を通る屋形船。

 本来の目的は土行区への必要物資を運ぶことだが、同時に昼間は町民たちの貴重な足ともなっている。

 最初にそのことに気付いたのはやはり母上だった。

 万年丸に乗せられる積荷が不自然に多いときがあるというのだ。

 これらの積荷は土行区へ運ばれる――つまり将軍を始めとした幕府高官が触れる品ということで、一級品が厳選されるのはもちろんのこと、危険物が混入してないかの検分も行われている。

 そして、その検分に使われる積荷の一覧表が存在する。

 母上はその表の写しを事もなげに手に入れると、確かにそこには載っていない『謎の積荷』が存在することを証明した。

 積荷の一覧表自体が最高機密文書である。目を通せるのは城門守護四士以上に限られているほど。

 その文書ですら擬装してまで運び込む積荷――何かがあるのは間違いない。

 それから俺たちはその積荷を暴くために探索を続けた。

 ところが、その中で幕府とは別の策謀を知ることとなるとは予想だにしていなかった。

 そもそもどうして母上が積荷が増えていることに気付いたのか。俺の問いに母上はこう答えた。


『傷だよ。舟べりに傷がついていたんだ。それも毎日毎日一本ずつ傷が増えていたのさ。それで誰かが意図的に何かの印をつけていることが分かって、その意味もすぐに知れた』


 その傷は毎日の水かさを記録したものだった。これを利用して母上は明らかに水かさが多い日があり、その理由が件の積荷にあることに気付いたのだ。

 こうして俺たちは重要な情報を得ることができたのだが、ここで当然浮かび上がる疑問がある。

 一体、誰が何のために水かさを示す傷をつけているのかである。

 誰が、かはすぐに分かる。自分が毎日乗っている舟に傷が増え続けて気付かない船頭などいるはずがない。つまり傷は甲蔵本人がつけたものだ。

 何のために、これも甲蔵の行動を数日見張ることで明らかになった。

 堀舟は温応城の外堀の上を渡るが、その航路を邪魔する障害が四つある。

 東西南北の門に通じる橋だ。

 当然、逐一舟を乗り変えていたのでは煩わしいということでこれらの橋は跳ね橋となっている。

 南の朱雀橋だけは焔暦寺えんりゃくじ 楠永くすながの道楽によって普通の橋に変えられているが、これは余談だ。

 ともかく堀舟の船頭である甲蔵の仕事にはこの跳ね橋の操作も含まれる。

 そして、重要なのが跳ね橋と連動する水門の存在だ。

 水門は北と東――玄武橋と青龍橋のたもと下にあり、それぞれが排水と給水をすることで常に堀の水を美しく保つ仕組みだ。

 つまりこの二つの水門の開閉を行う甲蔵は、ある程度堀の水かさを自由にできる立場にある。

 このことを念頭に置いた上で甲蔵の動きを観察した結果、十中八九この男は水行区の地下水路――玄武橋と出水港いずみこうを結ぶ排水路を決壊させる目論みを立てていることが分かった。

 そんなことをすれば地下水路上の住居がただですまないことは分かり切っている。

 忠吉はこれを知ったために、先日独断で里を抜け出し家族に危険を知らせようとしていたのだ。

 甲蔵の犯行計画を掴んだとき、俺たち三人の間で意見が割れた。

 絶対に止めるべきだと喚いたのはもちろん忠吉。不用意に手を出せばせっかく掴んだ手掛かりがなくなると俺は反論し、母上は意味深に沈黙を保った。

 結局、俺が忠吉を言いくるめ甲蔵の犯行を見て見ぬふりをすることにした。

 俺たちは正義の味方でも何でもない。むしろ反乱の徒。それも大義もないただの逆恨みで動く、救いようのない異端者だ。

 ならば、今更善人ぶったところで仕様がない。このくだらない目的のためならば、俺はいくらでも悪に染まれる。

 さて、ともかく甲蔵のことは捨て置いて積荷のことだけを優先して動くことが決まったわけだ。

 そうと決まればすぐにでも積荷を暴きたいところだったが、犯行が行われるまでは甲蔵の警戒心が強く近寄り難いだろうという母上の言葉が歯止めをかけた。

 そのため今日までやってきたことは積荷が万年丸に載る頻度や日付の特定、さらに積荷の流通経路の把握などだ。

 調べれば調べるほど、例の積荷の秘匿性の高さを再確認することになり、同時にこれを暴けば幕府に対する切札にもなりえるのではないかと期待も高まった。

 そうして待ちに待った、今日この日。俺の心持ちを象徴するような梅雨明けの晴天である。

 甲蔵の犯行が行われてから三日目が経っていた。

 俺たちの読み通り甲蔵は出水港が大荒れの日にわざと玄武橋下の水門を全開にし、それによって地下水路上に建つ寺子屋を倒壊させた。

 だがいまだにこの犯行は甲蔵の仕業だとばれていない。どころか事故として認識されている。

 そんな今ならば甲蔵の警戒心は大分緩くなってきているはず。よしんば張り詰めていたとしても、自分の犯行のことで一杯で他には気が回らないだろう。

 決行は夜。それに備えて、俺と忠吉は昼の間に下見を行おうとしていた。 

 艮峠を越えて水行区に入ったところで俺は今一度確認する。


「いいか。ここ水行区丑の処のまだら市場が最も多くの物資が積まれる地点。その物量に紛れ込ませるためだろう、例の積荷も必ずここで載せられる」

「は、はい」

「故に俺たちが舟に乗り込むのもこの場所だ。今は普通に堀舟の利用者として乗船するが、夜には鉤縄かぎなわ水蜘蛛みずぐもを使って侵入する」

「分かりました」


 俺の説明に忠吉はどこか上の空で応えた。

 やはり未だに甲蔵の犯行を見過ごしたことを引きずっているのだろう。

 この様子では会話を禁ずるだけではまだ足りないかもしれない。忠吉と甲蔵を接触させること自体を止めるべきだろう。

 そうだな、忠吉には流通経路の再調査の名目でまだら市場に残ってもらい俺一人で舟に乗ることにしよう。


「おい、忠吉」


 俺がそんな算段を立て忠吉に声を掛けた、そのときだった。


「馬鹿だな。金行区に戻るなら堀舟を使えばいいだろ」


 この脳みそが空っぽのような軽々しい声は――まさか!?

 声の主は俺の予想通り、彦田ひこた家次男・彦田 浮悌うきやすだった。

 おまけにその隣にいる男は……なぜあいつがこんなところに?

 しかも堀舟に乗るだと? まずい。この格好で見つかれば面倒なことになる。


「あ、あの琥珀こはく様。どうかされましたか?」


 急に黙り込んだ俺を不審に思ってか、忠吉が躊躇いがちに話しかけてくる。

 それに対して俺はさらに少し黙考する。


「………………」


 浮悌とあの男の姿を確認したことで、俺は直前の方針を変えざるをえなくなった。

 こうなったら仕方がない。不安はあるが他にいい手もない。


「少し気になることがあってな。俺はもう一度まだら市場を調べてみることにした。忠吉。下見はお前一人でやれ」

「お、おら一人でですか!?」

「そうだ。ただし、何度も言うようだが甲蔵には決して近付くなよ。向こう側に着いたら母上と合流し指示を仰げ。いいな」


 母上は俺たちとは反対側、堀舟の終着点にして物資の搬入口である火行区午の処・南門の調査を行っている。

 本来であれば夜の決行前に全員で最終的な打ち合わせを行う予定だったが、一人向かえばそれで事足りるだろう。

 どうせ今更中止になる可能性はほとんどない。本当に形だけの最終確認のはずだ。


「はい。分かりました」


 珍しく妙に歯切れのよい返事に逆に不安を覚えながら、俺は忠吉を見送る。

 同時に邪魔者の侍二人も遠のいていくことに安堵しながら、さてどうしたものかとしばし途方に暮れる。

 まだら市場を調べ直すといってももう粗方調べ尽くしていた。

 もっとも結局は流通経路は途中から追えなくなったので、『何も分からない』が分かっただけだが。

 一度、寅の処の里に戻って装備を整え直すというのも考えたが、困ったことにすでに準備は万端だ。


「千和に会いたいな……」


 不意に訪れたいとまを前にして、俺の口からは妄言が零れ出していた。

 すぐに何を言っているんだ、と己の意志薄弱を戒める。

 もう会わないと決めたはずだ。いくら俺に時間はあっても千和にはない。何度も言い聞かせたはずなのに。

 そもそも俺のような人間に千和と仲良くする資格など初めからない。

 水行区の住民に危険が迫っていると知りながら、自分勝手な都合で見過ごした俺なんかには。

 そんなことを思い巡らせながら適当に足を運んでいると、気付けば俺は寺子屋の倒壊現場にたどり着いていた。

 なぜこんなところに来てしまったのだろう?

 現実を直視することで己の罪の重さを知ろうとしているのか。

 そんなことをしたところで何にもならないというのに。

 必死に埋め立て作業を行う人たちの合間から、問題の地下水路の亀裂が見える。

 見るものが見れば自然に決壊したのではなく人為的に細工したと分かりそうなものだったが、事故を前提に考えていたのでは無理もないか。


「そこの娘」


 突然、背後から聞こえてくる声には聞き覚えがあった。

 俺は即座に振り返る。その動きは一介の町娘にしては機敏過ぎるものだったが、その声の主を相手にそんな擬態をする余裕などなかった。


「見ない顔だな。次から次へと。部外者は即刻立ち退いてもらおう」


 北の城門守護四士――船島 巌流。

 相変わらずの圧迫感の中にどこか苛立ちを募らせながら俺に疑惑の視線を向ける。


「あ、その……すみません」


 俺は今更のように気弱な町娘像を取り繕いながら、命じられるままに立ち去ろうとした。


「ちょっと待て。私とどこかで会ったことがないか?」


 しかし、ここで巌流からまさかの制止。

 もしや俺が以前に一戦交えた忍だと気付かれたか、と俄かに焦るものの冷静に考えればそんなはずがないと思い直す。

 あの夜、俺は面を付けていたし声も発さなかった(発せなかった)。

 体つきも闇夜に溶け込む黒い忍装束の上からではほぼ分からなかったはずだ。


「いいえ。お会いしたことはないと思います。先程、そちらも『見ない顔』と仰られていたでしょう」


 はっきりとした口調でそう返すと、これに抗するように巌流もまた断定的に言った。


「確かに見覚えはない。身に覚えもない。私と貴殿とは確かに初対面だ。おかしなことにな」

「どういうことでしょう?」


 おかしいというならば巌流の言葉の方がよほど支離滅裂だ。

 俺は純粋にその意味を判じかねた。


「その身なりからして貴殿は水行区の者だろう?」


 巌流は俺からの問いを無視して新たに問いをぶつけてくる。


「……はい」


 一瞬の思考の後、俺は首肯した。

 ここで馬鹿正直に木行区に住んでいると答えるわけにもいかず、かといって金行区の侍や火行区の貴族と言い張るには無理がある。

 そう考えての選択だったのだがこれは悪手だった。


「やはりおかしいな。水行区には貴殿のようなものはいない」


 毅然とした態度を崩さないまま巌流は言い放った。

 この男、水行区に住んでいる人間を一人も残らず記憶しているとでもいうのか?

 まさか。ありえるわけがない。これは鎌をかけられているに決まっている。


「何かの思い違いではありませんか? 私は確かに――」

「なぜ居住を偽った? 水行区に何の用だ?」


 何とか弁解しようとするが、その考えは甘かった。巌流の中ではすでに覆らない有罪判決が下されていたのだ。

 くそっ。こんなところをウロウロしていた、完全なる自業自得だ。何をやっているんだ、俺は。

 そんな風に俺が自責の念に駆られている間にも、巌流の詰問は進む。


「『あれ』を」


 と言って、巌流が指差したのは例の水路の亀裂だった。


「見ていたようだが。やはり罪人は己の犯した成果を確認したいもののようだな」


 巌流のこの言葉は当たらずといえども遠からず、俺の心理を言い当てている。

 俺はもはや弁解の余地なしとみて、一か八かの逃走を試みようとしていた――そのときだった。


「あっれ~。たいがちゃんじゃん。どうしてこんなところにいるの~?」


 巌流がすべてを押し潰す圧迫感ならば、この男の声はどんな重い空気も軽くする力があった。

 堀船に乗りすでに水行区から離れていたはずの彦田 浮悌が、どういうわけか再び俺の前に姿を現した。


「いや~俺ってば本当幸運だな。買い物しようと市場まで出掛けたら何も買わずにいたのに気付いて戻ってみたら、偶然にもたいがちゃんに出会えるなんて」


 口にもしてない俺の疑問に完全な解答を吐き散らす浮悌。

 というか、買い物に行って買い物をし忘れるとは馬鹿を通り越して、もはや愉快な奴だな。


「彦田の次男坊。この娘を知っているのか」


 浮悌の出現により軽くなった空気が一気に元の緊張感を取り戻す。

 そうだ。俺は未だ絶体絶命の状況にあるのだ。

 頼む。余計なことは言ってくれるなよ。


「たいがちゃんのこと? 知っているのかって? そいつは愚問ですぜ、巌流様。何たって俺たちは永遠の愛を誓った恋人同士なんですから。

 あんなことからこんなこと、果てはそんなことまで知り合ってますよ」


 ああ、そうだよ。分かっていたさ。この男に『余計なことを言うな』なんて望んだ俺が馬鹿だった。


「今の話は本当だろうな?」


 巌流からの確認を俺はできることならば即座に否定したかった。本当にもう力一杯否定したかった。

 だがここで否定しては再び身分詐称の不審者に逆戻り。俺は苦渋の決断を下す他なかった。


「え、ええ。まあ」


 俺の言葉に浮悌はその名の通りに浮かれ倒した。


「はいはい。とまあそういうわけですよ、巌流様。しかし驚きましたよ。硬派を絵に描いたような巌流様がこんなところで軟派なんて。

 まあまあ気持ちは分かります。そのくらい彼女は魅力的ですからね。いや~でもすんません。この子は俺のもんなんすわ~。本当申し訳ないんすけど。もう俺にぞっこんなんで。

 さ~てと、たいがちゃん。ちょうどよく運命が二人を引き逢わせてくれたことだし、これから一緒に買い物にでも――」


 立て板に水の例えの如く垂れ流される浮悌の無駄口を食い止めたのは、巌流の鉄拳制裁だった。

 気持ちいくらいに吹き飛ぶ浮悌の体は崩落現場の窪みに落下する。


「ちょうどよかった。昼間、貴殿の作業した箇所が軒並み崩れて困っていたところだ。責任を持って修復してもらおう」

「そ、そんな……ようやく終わったと思ったのに。何かの間違いじゃ――」

「すまなかったな。どうやら私の勘違いだったようだ」


 という巌流の言葉は浮悌へのものではもちろんなく、奴を無視して俺に向けられたものだった。

 どうやら俺への疑いは解けたらしい。まあその代償は決して安くはなかったが。


「いえ、お気になさらず。では私はそろそろ失礼させていただきます」

「ちょ、ちょっとたいがちゃ~ん。助けてくれ~!」


 後ろから聞こえてくる声の主に、わずかばかりの感謝を抱きながら俺はその場を後にした。

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