第三暦・陽 人の形 下

 竹恵たけえさんが部屋を空けた時間を確認すると、ちょうど牡丹ぼたん家から紅葉もみじ家に劇が移る前後十五分ほどということだ。

 つまり、人形を盗み出すまでにかけられる時間は最大で三十分。


「盗まれた人形が娘さんも含めて二十体。そのすべてが等身大なんだよな? 

 とてもじゃないが単独じゃ不可能だな。せめて人形の半分――十人弱は人数がいるだろう」

「問題はそれだけではありません。二十体もの人形を運び出すのに、そのままでは目立ち過ぎます。

 きっと人形を隠せて、それでいて一気に運ぶための道具を使ったに違いありません」


 複数犯で道具も用意していたことを考えると、当たり前だが衝動的ではなく計画的犯行のようだ。


「ちなみに、竹恵さんはその人形たちをどうやって運んできたんだ?」

「三日前からこの劇場に置かせてもらっていました。その際は人を雇って運び込んでもらいました」

「三日前から……か」


 ならば、盗む機会はもっと前からあったことになるが、なぜ劇当日なんだ?

 劇当日だから……か? 


「心当たりは? あまり時間がない以上、ある程度は当て推量で考えざるをえない」

「牡丹家と紅葉家……それからはぎ家の方々でしょうか。去年、私がこの大会で優勝したとき、かなりひどいことを言われたので」


 犯人がその三家のいずれかだとすれば、目的は竹恵さんを劇に出られないようにすること。

 それならば三日前から盗む機会がありながら、劇直前を狙ったこととの辻褄も合う。よし、この線で考えていくとしよう。

 俺は萩家の控室から持ってきていた演目表を開く。

 牡丹家。劇が終わってからの十五分間に時間がある。しかし、彼らの人数は四人と少ない。人形を運ぶ道具も持っていないようだ。

 紅葉家。劇が始まるまでの十五分間に時間がある。人数は六人だが、彼らの演目は獅子舞。その包みを使えば人形を一気に運べるかもしれない。

 萩家。ずっと控室にいたのを俺が見ているため時間は一切ない。人数こそ三十人と大所帯だが、道具の方もなさそうだ。

 この中だと一番疑わしいのは紅葉家か?

 そう思って、俺はこの考えを口にしてみるが竹恵さんは浮かない表情をした。


「確かに一番可能性はありそうですけど、やっぱり六人という人数は二十体の人形を一気に運ぶにはちょっと少ないと思います。

 何回かに分けて運ぶとなると、今度は十五分という時間が障害です。

 次に劇を控えていることを考えると、実際にかけられる時間はもっと少ないでしょうし」

「なら牡丹家が実は何かの道具を隠し持っていて……も駄目か。人数が四人だと十五分どころか三十分丸々あっても厳しそうだ」

十字郎とおじろうさんを疑うわけではないんですけど、萩家の方々がずっと控室にいたのは確かなんですか?」

「どういうことだ?」

「いえ、もしも萩家の方の中から十人ほど抜け出して、紅葉家の獅子舞を盗み出せば……と思いまして」


 言われて、俺は思い返してみるが結果は竹恵さんの考えを否定するものだった。


「そりゃあ、ずっと見ていたわけじゃないし何人か出入りもしていたとは思うけど。

 さすがに十人も一変にいなくなれば覚えていると思うぜ。

 俺が見ている限りは、役者のほとんどは最初の劇が始まる前からずっと……」

「そうですか。そうなると犯人は別にいるんでしょうか」


 竹恵さんはそんな風に思考を次へと進めていたが、当の俺は今の自分自身の言葉に引っ掛かりを覚えていた。

 役者の『ほとんど』が揃っていた。そうだ、三十人もいちいち数えて確認なんてしていられない。

 例えば、最初から二人いなかったとしても気付けるはずがない。

 それから、一人ずつ出ていけばもう二人減っても気にならない。

 さらに、そこから何人か出入りして全体の人数をあやふやにしていけば、三十人から六人減っていても――。


「分かった! 犯人が!! やっぱりあの三家だったんだ」

「え? 本当ですか? 三家って、牡丹家ですか? 紅葉家ですか? 萩家ですか?」

「全部だよ。三家が共犯だったんだ」


 俺は竹恵さんに説明する。

 まずは萩家が人数を上下させて俺の認識を歪めたこと。


「なるほど。確かに、そうやれば六人くらいまでなら気付かないかもしれません。元々、十字郎さんは萩家の役者たちに関心が薄いようですし」

「そう。そうやって、まずは抜け出した四人が牡丹家の劇に出る」

「あっ!」


 この言葉で竹恵さんも真実にたどりついたようだ。

 俺は語調を強めて続けていく。


「その間、牡丹家の四人と紅葉家の六人。合わせて十人は自由に動ける。そして、次の劇を気にする必要もない」

「牡丹家の劇を演じた、その実は萩家の四人に、もう二人の萩家の役者が加わって、その六人で紅葉家の劇を行うからですね」

「そうだ。牡丹家の能も、紅葉家の獅子舞も、役者の顔は観客には見えない。同じ役者が立て続けに演じていても分からない」


 こうして人数は十人。時間は三十分。どちらも十分だ。

 残るは道具。ここまでくれば、獅子舞じゃなくてもいい。もっと適したものを用意してきていたに違いない。

 俺は萩家の奥さんの言葉を思い出す。


『でも、今年の彼女は敵ではないでしょう。去年の優勝は所詮まぐれ。敵は過去最多優勝の紅葉家と牡丹家の二つのみ』


 あれは邪魔な竹恵さんを排除した上で、三家の間で決着をつける。そういう意味だったんだ。 


「十字郎さん! 犯人が分かったのなら、すぐにでも」

「ああ、分かってる。ちょうど時間だしな」


 俺と竹恵さんは萩家の控室に向かう。

 がらり戸を開けて、まずは真っ先に役者たちの人数を確認する。

 二十一、二十二、二十三……二十四人。分かった上で見てみればいつもより大分少ない。


「時間ぎりぎりですよ」


 戻ってきた俺に萩家の奥さんが憎まれ口を叩くが、いつもの勢いがない。

 俺の隣に立つ竹恵さんを見て動揺しているようだ。


「そう言うなよ。ぎりぎりでも間に合っただろ?」


 俺の言動から、すべてがばれていることを悟ったのか、萩家の奥さんはふうと溜息を吐き言った。


「まあ、楠永くすなが様から紹介されるだけはあった、ということですか」

「人形はどこです!?」


 竹恵さんが今にも殴りかかりかねない剣幕で怒鳴る。


ところの港から、海に捨てているはず。今からじゃ、馬車を使ってもぎりぎりでしょうね」

「行くぞ、竹恵さん!」


 犯人たちに制裁を下すのは後だ。今は人形を、そして竹恵さんの娘を救い出さなければならない。

 それは竹恵さんも重々承知しているのだろう。即座に出口へ走り出す。

 外へ飛び出し辺りを見回すが、馬車なんてこんな夜中に都合よく見つかるはずもない。

 くそっ。やっぱり間に合わなかったのか!?

 それでも諦めず、全力で駆け出そうとした――そのとき。

 闇の奥から現れたのは二つの眼。やがて、その眼の持ち主は黒い衣を着ているのだと分かる。


「お、お前はあのときのっ!」


 何でこいつがこんなところに?


「まさか、お前も萩家の奴らに協力していたのか?」

「………………」


 黒装束は相も変わらず沈黙を崩さない。

 俺の中で、初めてこいつと出会ったときの恐怖が呼び起こされる。

 それを必死で取り払おうと、俺は虚勢を張って大声を出す。


「な、何とか言いやがれ!? お前、天賀あまが御庭番とかいう幕府の手下なんだろ!? やっぱり、幕府の連中はよからぬことを企んで――」


 俺が言えたのはそこまでだった。

 黒装束は目にも止まらぬ速さで俺の間合いを侵略すると、あの苦無を首元へ突きつけていた。

 俺はあのときと同じように体が震え出し、首の皮が苦無の刃によって薄く切れる。


「俺は」


 そのとき、あの黒装束がついに口を開いた。

 といっても覆面越しであり、おそらくは意識して声音を変えているようで、地声とは程遠かった。

 ただ、そこに込められた怒りの念はあらん限りに感じ取れる。


「俺は地賀ちが忍軍の琥珀こはく。天賀の連中などと一緒にするな」

「地賀……琥珀」


 俺は黒装束の名を呼ぶ。

 それに満足したわけでもないだろうが、琥珀はそのまま背中を見せると闇の中に消える。


「ま、待てっ!」

「待って」


 すぐにそれを追おうとした俺を、さらに静止する声が聞こえる。

 だが、この場にいるのは俺以外には竹恵さんだけのはずだ。

 しかし、今のは明らかに竹恵さんの声ではない。もっと幼い女の子の声。


「待って。あの人は、悪い人じゃ……ないの」


 声のした方にあったのは荷台と、その上に積まれた大量の人形の山。

 その中で、最も幼く最も美しい人形が起き上がった。

 彼女はこちらへ歩きながら、懸命に声を出し、必死で息をしていた。

 明るい昼の通路では糸があるだけで人形に見えた少女が、暗い夜の外路なのに今ではもう人間にしか見えない。


「う、梅子うめこ……あなた声を」


 母が娘の名前を呼ぶ。娘はそれに答える。


「うん。あの黒い人がね、助けて、くれて。あっ、ごめんなさい。わたし……」


 慌てて口を噤み心を閉ざそうとした梅子を、竹恵さんは走り寄って抱きしめた。


「いいの。もういいのよ、梅子。お母さんが悪かったの。ごめんね。ごめん……なさい」

「お母さん? うっ……ひっく、うわあああああああん」


 静かに涙を零した竹恵さんを見て、釣られるように梅子は大粒の涙を流し出す。

 二人はそれまで閉じ込めていた感情を、その涙に込めて流し続けた。

 それも押し静まるころになって、劇場の方から牡丹家・紅葉家・萩家の失格を告げる案内が聞こえてくる。


「そうだ。早く劇場に戻らねえと、あなたたちも失格に……」


 俺のそんな心配は、しかし今の彼女たちには無用で、おまけに無粋だった。


「いえ、いいんです。私たちは来年、母娘おやこで揃って出て優勝しますから」


 泣き腫らした目を細めながら竹恵さんは言った。 


「十字郎さんも、よければ来年は代理ではなくご家族の方と出てみませんか?」


 家族? 千和ちわと一緒にか? 

 想像してみて、俺の体に悪寒が走る。


「ああ、うん。稽古中に死ななかったらな……」


 俺の返答に市松母娘は意味が分からなかったのか、揃って首を傾げていた。

 そして、やがて市松家の失格と今大会の優勝者が発表された。残念ながら、それは彦田家ではなかったが。

 そうだ。優勝者と聞いて、俺は竹恵さんを訪ねた理由を思い出した。


「なあ、少し聞きたいんだけど。俺の親父、狛走一黙斎について――」


            ◆


 後日、俺は代理を務めた者の義務として楠永に事の顛末を話した。

 楠永の感想は一言。


「そうなんだ。思ったよりも大変だったみたいだね」


 それを聞いて、俺の推測は確信に至る。


「やっぱりお前、萩家の奥さんがやろうとしていることが分かってたんじゃないのか?」

「何をするかまでは分からなかったけど、何かをするだろうことは分かっていたよ。そういう目をしていたからね」

「………………」


 ちなみに、萩家の証言によれば旦那さんの骨折はやはり仮病。

 楠永が入ればまず間違いなく優勝できるため、その場合は計画を中止して残りの二家を出し抜くつもりだったらしい。

 ところが、実際に来たのは芸術の『げ』の字も解さない犬侍(誰がだこの野郎)だったので、予定通りに計画を実行したということだ。

 俺が思うに、楠永はきっと真実のかなり深いところまで見通していたのだろう。

 自分が出場すれば萩家を裁くことができない。だから俺を代理に立て、萩家に罪を犯させて捕まえられるようにした。

 もしもこの考えが当たっているのだとすれば、今回の件で最も残酷だった心持たぬ人形は、この焔暦寺楠永なのかもしれない。

 しかし、楠永も俺を利用するばかりではなく、しっかりと見返りも用意してくれていた。

 俺を市松 竹恵に会わせることで、遠回しに親父のことを教えてくれたのだ。

 あの質問に対して、竹恵さんはこう言った。


『十字郎さんのお父上・狛走こまばしり 一黙斎いちもくさい様は、将軍様の懐刀として温応おこた城中央門・麒麟きりん橋の守護に就いています』


 それを聞いて、俺は一つの決心を定めたのだ。

 これを思い付くことができたのも、ある意味では楠永のおかげである。

 だから千和の次にこの男に伝えたいというのもあって、今日はここに来たのだ。


「楠永、今回の件で俺はあることを始めることにした。城門守護四士じょうもんしゅごししの世話にもなるだろうから、伝えておこうと思ってな」

「分かっていたよ、そういう目をしていたから。それで? あることって?」

「代行屋だ」


 それはかつて親父が行っていた仕事。

 今では親父の私室でほこりを被っている看板を、俺の手でもう一度、狛走家の誇りに戻そうと誓ったのだ。

 きっと、そうすることで親父について知ることができる。親父に近付けると考えて。

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