第三暦・陽 人の形 中
そして、あっという間に夜の部開始の時間が迫る。
朝と同じように
違うこととといえば、あの鼠似の男が張り付いていないことくらいだ。
今度は誰と話すこともなくまっすぐに控室へ。
早めに着いたつもりだったが、すでに
皆それぞれに集中力を高めている様子である。
手持無沙汰な俺は、部屋の隅に積まれている冊子の山から一つを抜き取る。それはこの
今までは自分の役をこなすのに精一杯だったが、
夜の部の参加団体が載っているところまで紙を繰る。
夜の部に参加するのは全部で四組。
俺たち萩家の雅楽・
順番は牡丹家・紅葉家・萩家・市松家で、一回の公演はおよそ一時間。紅葉家と萩家の間に三十分の休憩がある。
と、読み進めていき最後に大会の要項の欄に目が留まる。
「えっ!?」
思わず声を上げてしまい、萩家の方々の集中を乱してしまったが、そんなことは気にならないほど衝撃的な事実がそこには書かれていた。
この大会で優勝した団体は、夏に将軍様の御前で劇を披露できるとあるのだ。
つまり、あの門の内側――親父が行ったきり戻ってこないという
そういえば、
あの人は親父が将軍様に招かれたことを妬んでいると噂されるほど、この町の中心に行きたがっていた。
彦田家が毎年この大会に参加しているのは、これを狙ってのことに違いない。
待てよ。確か親父が消息を絶ったのは一年前だから、昨年の優勝者に聞けば何か分かるかもしれない。
俺は居ても立っても居られずに、萩家の奥さんの方へ声を飛ばした。
「ちょっと! 去年この大会で優勝したのが誰なのか教えてくれないか!?」
萩家の奥さんは俺の顔を見て露骨に嫌そうな顔をする。
まあ、周りがこれからの劇に備える中で、去年の話なんかを持ち出す奴にいい思いはしないだろう。
俺が
「昨年度の優勝者は市松 竹恵という、人形師ですよ。でも、今年の彼女は敵ではないでしょう。去年の優勝は所詮まぐれ。
敵は過去最多優勝の紅葉家と牡丹家の二つのみ。今年こそ、彼女たちに並び立たなければなりません」
そんな風に俺が生んだ微妙な空気を、役者たちを鼓舞する流れに変えた。
が、俺はまたもそれに水を差す。
「あのさ」
「…………何でしょうか?」
「少し出たいんだけどいいか? 出番までには戻るから」
「あなた本当にっ……もう、いいです。ご自由に」
何とも居心地の悪い(俺のせいだが)控室から抜け出して、俺は竹恵さんの控室へ向かう。
「市松 竹恵様控え……ここだな」
確認してから俺は竹恵さんの名前を呼んだ。
「こんなときにすみません。昼に話した
部屋の中からは返事がなかった。しかし、人の気配はする。
悪いと思いながらも、俺は控室の戸を開けた。
当然ながら竹恵さんの姿はない。つまりは無人である。
では気配の正体が何だったのかいえば、五体の等身大人形だった。
どれも見事なものだったが造りかけらしく、腕だったり髪だったり服だったり、とにかく何かしらが欠けている。
いないのならば出直そうと思った矢先、その内の一体に俺の目は奪われる。
それは頭のない女性の人形だった。
その人形が気になったのは、誰かに似ていると感じたからだ。
しかし、肝心の顔がないのでそれが誰なのか分からない。
今しがた、俺の脳裏に映り込んだあれは一体何者だったのか?
その答えが欲しくて、俺は部屋に上がり込み女性の人形に近付く。
すると、何と向こうからもこちらに近寄り――俺の首を締め付けてきた!
「なっ……!?」
俺は混乱しつつも、必死で抵抗し女性の人形を引き剥がす。
そのとき、俺の手が人形が動く謎の正体を感知する。
糸だ。この人形には目に見えないほどの細い糸が繋がっている。
糸は俺の頭上を越して後ろへと流れていた。
俺の視線はそれをたどって背後へと向かい、そして人形師・市松 竹恵の姿を捉えた。
「竹恵……さん?」
「ここで何をしているんですか?」
昼に会ったときとは別人のような険しい顔つき。
「あ、勝手に部屋に入って悪かった。あまりに綺麗な人形だったもんで、つい」
俺は慌てて弁明しようとするが、竹恵さんは聞く耳を持とうとしない。
「ここに二十体ほどの人形が置いてあったはずです。どこに隠しました?」
「隠した? いやいや、俺じゃない。そんな数の人形見てもいない」
「問答無用! 私の人形たちをどこへやったのか、今すぐ教えなさい!!」
竹恵さんが腕を振り上げ振り下ろすのに合わせて、残り四体の人形たちも動き出し一斉に俺を襲う。
俺は反射的に抜刀し、峰打ちでやり過ごしながら誤解を解くことに努めた。
「ちょっと待ってくれ。俺は本当に何も知らない。俺が来たときは、もうこの五体しかなかったんだ」
「私が目を離していた隙に人形が消えていた。そして、部屋には変な目で残った人形を見つめるあなた。誰がやったかは明白です」
確かに俺が怪しいことは確かだ。それは認めよう。
だが、断じて変な目で見ていたりはしなかった。それだけは認めるわけにはいかない。
とにかく説得は無駄らしい。その上、竹恵さんの操る人形はかなり手強く、片手間でどうにかなる相手ではなかった。
俺は本腰を据えて戦闘に意識を切り替える。
竹恵さんの商売道具である人形を壊すわけにはいかないだろう。竹恵さん本人を狙うというのもなしだ。
そうなると、狙いは必然的にその間の糸になる。
糸さえ斬れば人形を動かせない。竹恵さんをこれ以上刺激せずに人形たちを無力化するには最適の方法のはずだ。
俺は早速、突進してきた人形の一体を掻い潜り、その背後に回り刀を振り下ろす。
目論み通りに糸の斬れた人形は畳に伏せたまま静止する。
続けて、二体目の人形の糸も斬ることに成功した。この調子で三体目に移ろうとした、そのときだった。
突如、視覚外からの攻撃が俺を襲う。
「がっ……!」
攻撃そのものよりも意識の外から狙われたことで、俺は大きく動揺した。
その隙に俺の手足は三体の人形に掴まれたかと思えば、大した抵抗もできないまま体を反転させられる。
さすがは人形師。人体の構造は熟知しているということか。
そんな風に感心するが、俺が竹恵さんの人形師としての神髄を知るのは次の瞬間だった。
振り向かされた視線の先には、すでに糸を斬ったはずの一体目の人形が立ち上がっていたのである。
衝撃の光景に目を見開く俺に、それを上回る一撃が炸裂する!
「ぐぅ――げほっげほっ! に、人形のくせに……こんな腰の入った拳打ってくんじゃねえよ」
手も足も封じられた俺には、自分でも意味不明な文句を吐くので精一杯だった。
いや待て。確かさっきまでは手足のうち一本は自由だったはず。
気付けば、二体目の人形もちゃっかり俺の拘束に加わっていた。
そいつをよく見ることで、俺は斬った糸が再び人形に繋がれていることを確かめる。
竹恵さんは俺と戦闘を展開しながら、糸の再接続をも行っていたのだ。
驚くまでの早業。これなら俺の勝ち筋は、五体同時に糸を斬る他にない。
「これで終わりです!」
竹恵さんの勝利を確信した叫びが響く。
と同時に、目前の人形は初撃と同じく俺の首を締め上げてきた。
その瞬間、俺も勝利を確信する。
「ふぬぅ! おりゃあ!!」
俺は首の筋肉に思い切り力を込めると、そのまま縦上下に大きく動かした。
これに竹恵さんは反応できなかったらしく、また糸の強度も追いつかなかった。
ブチッブチッと汚い音を立てて糸は引き千切れる。
竹恵さんの動揺が残り四体の人形たちにも反映されたのを感じると、今度は手足に力を込めて一気に前へ突き出す。
人形たちが俺を掴む力はかなり強い。これもまた、真っ先に悲鳴を上げるのは糸の方だ。
竹恵さんの敗因。それは俺と五体の人形すべてを繋いでしまったこと。
「まあ、剣士としてこの勝ち方はどうかと思うけどな」
俺はほとんど役に立たなかった刀を納めながらぼやく。
竹恵さんを見れば、その長い黒髪を垂らして
その様子は、倒れた五体の人形いずれよりも生気が感じられないほどである。
「あ、あの竹恵さん。大丈夫か?」
まさかどこか怪我をさせてしまったのかと、俺は思わずその場に駆け寄る。
近付いてみると、竹恵さんはぶつぶつと何事か呟いているのが分かった。
「……め。駄目。もう……もう間に合わない。あの子は……もう」
「た、竹恵さん? 竹恵さん!?」
その尋常ならざる言動に心が震えながらも、俺は彼女を正気に戻そうと努力する。
「何言ってるんだ? あの子って?」
竹恵さんは俺の声が届いたのか、ゆっくりと顔を起こした。
乱れた黒髪は目元や口元にへばりつき、俺の恐怖は一層喚起される。
「あの子……あなたと会ったときに私の持っていた人形……あの人形は、私の娘なんです」
「娘? 本当に人間、だったのか。あの人形は?」
竹恵さんはこくりと頷いた……かと思ったが、それは再び項垂れただけだった。
「私は人形師としての究極――生きた人形を作りたかった。それは亡くなった夫との夢でもあったから。
でも、でもでもでも! いくら努力しても、いくら試行錯誤しても、私の人形は動くことも話すことも息をすることもなかった。
演武芸大会で優勝しても! どれだけ周りから称賛されても! 私にとって理想とは程遠かった!!」
いきなり始まった竹恵さんの嘆きの
明らかに俺を相手として話していないが、何も言わずに聞くことにした。
きっと俺が人形の糸を切ったとき、竹恵さんの中でも何かが切れたのだ。
ならば、竹恵さんがこうなった原因は俺にある。
その償いをするためには、これらの言葉を受け止めるべきだ。そう思った。
「そしてあるとき私は気付いたのです。人形と人間の間には、二つを隔てる壁があると。
その壁は決して厚くはない。けれど、確かに存在するものなのです。
私の人形が動かないのは、話さないのは、息をしないのは、その壁が見えないから。その一点だけが問題なのだと。
そこで私は考えました。人形を人間に近付けるだけでは見えなかった壁も、人間を人形に近付けることで見えてくるのではないかと」
正直、竹恵さんの話で理解できるのは『人形師として生きた人形を作りたい』という部分だけで、後は狂っているとしか思えなかった。
だが、その部分だけでも分かってしまえば、竹恵さんの思いの強さを否定することはできない。
「でも……私のそんな馬鹿な考えのせいで……娘は……娘は」
「つまり、あなたの人形を盗んだ奴が、娘さんも人形と勘違いして一緒に誘拐した。そういうことだな?」
竹恵さんは今度ははっきりと俺の言葉に頷いた。
「もう駄目です。あの子はたとえ誘拐されたって、身動き一つ取らず声一つ立てず呼吸一つさえ吐かない。
そして、殺されるときにだって。犯人が人形を壊しているのなら、あの子も一緒に死んでいるでしょう。
そうじゃなくてもあの子が人間だと分かれば、きっと抵抗しないままに殺されてしまっているはずです」
ようやく竹恵さんがあそこまで取り乱し、いきなり俺を攻撃した異常な行動と繋がった。
そして、そうと分かればやることは一つだ。
「ふざけんな! 親がそんな簡単に、子供のことを諦めるんじゃねえ!!」
俺は怒鳴った。心の奥には助けてくれなかった親父のことがあった。
「自分が間違っていたことに気付いたんだろ? 娘を苦しめていたことが分かったんだろ?
だったら、次に何をすればいいかなんて決まってるじゃねえか。助けるために全力で、動け!」
竹恵さんは再度顔を上げて俺の目を見ると、やがて自分の力で立ち上がる。
「そう……そうですね。その通りです。あなたの言う通り。私はまた、間違いを犯すところでした」
やっと竹恵さんに生気が宿る。
俺への疑念も同時になくなったようで、昼に会ったときと同じように、いやあのとき以上に美しい微笑みと共に言った。
「ありがとうございます、十字郎さん」
人形を盗難、そして竹恵さんの娘を誘拐した犯人を、俺たちは一緒に突き止めることにした。
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