第一暦・陰 寅の忍

 この一年で城郭周辺の探索は粗方終えた。

 が、肝心の城内には一歩たりとも踏み込めずにいた。

 俺は今日も闇夜に紛れながら、温応おこた城北門の様子をうかがう。

 すぐにでも奴らを討ちとりたいと逸る気を抑えながら、母上の言葉を思い返した。


『城攻めは最後の手。決して余計な真似はするんじゃないよ』


 何が起ころうとも城内への侵入をしてはならない。

 一年間、毎日毎夜聞かされてきた言葉だ。

 分かっているさ。

 自分自身にも何度も言い聞かせている。今だってそうだ。

 忍にとって、禁を破るのは何より許されざること。

 まさか今以上に地賀ちが忍軍を窮地に陥れるわけには絶対にいかない。

 忍軍といっても、今となってはたったの二人――俺と母上だけだ。

 他の忍はきゅうする一方の里を見捨てて一人、また一人と出ていった。

 彼らを裏切り者や薄情者とののしる気は、しかし俺にはない。

 その形容を冠すべき輩は、この城の中にこそいる。

 幕府直轄の忍者集団――天賀あまが忍軍。今は天賀御庭番と名を改めている。

 俺たち地賀忍軍と奴ら天賀忍軍は、一つ山を挟んで隣り合い、はるか昔から交流があった。

 修行時代から苦楽を共にし、同じ任務に当たることも多かった。

 ところが一年前、奴らは俺たちを裏切った。

 結果、文字通りの天と地の立場となった二つの忍軍。

 許せるものか。許してなるものか。

 命をしてでも、奴らにこの恨みの程を思い知らさねば気がすまない。

 しばらくの間、虎視眈々と城門をにらみ付けていると、何事か警備の影が慌ただしく動き出した。

 その会話を聞きと取ろうと耳をそばたてる。 

 どうやら、見回りの兵が異変を発見した旨を報告しているようだ。

 城の北東付近にいた不審者を取り逃がしたと話している。

 にわかにざわつき出した兵たちを、彼らの将――北門の城門守護四士じょうもんしゅごししが鶴の一声でなだめた。

 武骨な岩のような見た目に違わず、微塵も揺るがない心はさすがと言う他ない。やはり有象無象の兵たちとは格が違う。

 改めて、この男が心身共に支柱となっていることを確信する。

 逆に言えば、彼の指示が届かない状況を作れれば、穴は見えてくるかもしれない。

 いいや、これはあまりに都合のよい考えだ。抑えた気でいても、まだまだ俺の心は焦燥に近いところにあるらしい。

 今すべきは目の前の現実と向き合うことだ。

 俺は思い直して眼下の男たちに意識を戻した。

 ところが、そこに飛び込んでくる光景は自身の正気を疑わせるものだった。

 何と、北の城門守護四士自らが賊の追跡にあたるばかりか、残りの兵もすべて引き連れていくと言い出したのだ。

 警備はその任を解き、不測の事態の対処に当たり始めた。門の前が途端に無人となる。

 こんな場に出くわすことは一年の探索の間にも一度もなかった。

 あまりに突然。嬉しい以上に戸惑いの誤算だ。

 千載一遇の好機を前に、俺は金縛りにあったように動けない。己の忠義心を試されているような気がした。

 …………どうする? これほどの好機は二度と訪れないだろう。

 動くのならば一刻でも早く決断しなければ。奴らはすぐに戻ってくるかもしれない。


琥珀こはく、落ち着きな。何かの罠の可能性もある。万一潜入できたところで、策も備えもなしで何ができるんだい?』


 母上の幻聴が飛び出そうとした俺の体を引き戻す。

 今の俺にとって、母上の存在は忍軍そのものだ。その言葉には逆らえない。

 しかし、止めどなく沸き上がる衝動にはもっと逆らい難い。

 俺は最悪の結末まで覚悟の上で、潜んでいた塀上から門の前に飛び降りた。

 と、そこに何者かが駆け込んできた。珍妙な髪形をした浪人風の男である。

 浪人風の男は、俺の方を見て驚いたように目を丸くさせる。

 しまった! 姿を見られた!!

 俺は一体何をやっているのだ。近付く者がいたことに気付かないなど、不覚にも程がある。

 男は見覚えのない顔で、明らかに幕府の人間ではなさそうだった。

 俺に対して警戒している様子もない。

 間抜け面で呆けている間に、俺は裾から苦無を取り出し男目掛けて振り被った。


「なっ!?」


 体勢を崩しながらも男は反撃の抜刀を繰り出す。

 俺はそれを躱すと、改めて男の風体に目をやった。

 上から下まで見回すも、やはり頭の中にあるいずれの者とも合致しない。

 ただ一つ引っ掛かることがあるとすれば、こいつの独特の髪ハネ。どこかで見たような気も――。


「何だよ、お前」


 男は俺の視線に睨み返すと、完全に臨戦態勢を整え刀を構える。


「………………」


 まあいい。この男がたとえ何者であったところで、見られたからには口を封じる他はない。

 殺すつもりの相手とお喋りする時間も趣味も、俺にはない。やることは一つだ。

 俺の第二撃に対して男は刀で受けてくる。

 鍔迫り合いのような形になるが、得物の差もあり押し込まれる。

 しかし、これは織り込み済みだ。

 奴の狙いは透けて見えた。振り下ろされた刃を見切って、次の手を狙う。


「おい、話を聞いてくれ!」


 男は尚も口を開く。戦場において、愚かとしか言えない行為。

 大方、速さでは敵わずとも単純な腕力なら分があるとでも思っているのだろう。

 御目出度いことだ。そんなもの当たらなければ何の意味もないというのに。 

 向こうが気を抜いているというのなら、そのうちにすぐさまケリをつけてやる。


「俺はこの門の向こうにいる親父に用があるだけだ! 将軍様をどうこうする気はねえ!!」

「………………」 


 男の再三の呼び掛けに俺は三度目の沈黙で応じるが、今回は先の二つとは意味を異にする。

 戸惑いと驚きとが入り混じっていた。

 親父? こいつの父親は幕府の人間だということか。

 いいや違う。思い出した、あの髪ハネ。あの人と同じ狛走こまばしりの――。


「何とか言えよ、この野郎っ!!」


 俺が考えることができたのはそこまでだった。

 直後、男の刀が俺の腹部に叩き込まれた。

 下に着こんでいた鎖帷子くさりかたびらのおかげで致命傷には達していないが、あの馬鹿力をまともに喰らい無事では済まない。

 うずくまり後退を余儀なくされた俺の元へ、何のつもりか男は近寄ってきた。


「お、おい。大丈夫か?」


 その軟弱な顔を見て、俺は自分の失態を深く呪った。

 こんな奴に。勝負の最中に相手の心配をするような奴に、俺は。

 痛みは依然強いままだが関係ない。ここで動けない忍など必要ない。

 苦無を力の限り握り締め、男の首元へと突き出し続ける。

 冴えの欠けた俺の攻撃をいなしながら、男は呆れたようにふざけたことを抜かしてきた。


「いい加減にしろよ。俺は危害を加える気はないんだって」


 すでに一撃かましながら何を言っている。

 男の言動は俺の自尊心を殊更刺激し、強烈な怒りが痛みを忘れさせる。

 徐々に元の動きを取り戻してきた俺を前に、しかし男は完全にこちらを舐め切っていた。

 俺は目を疑った。奴の刀の刃があちらに向いたと思うと、腑抜け切った斬撃を繰り出してきたのだ。

 ふざけるな!!

 もはや躱すまでもない。先刻の一撃からは少なからず感じられた強い思いが、この一撃からはまるで感じられない。

 こんなもの、何発喰らおうとも倒れない自信があった。

 俺は回避行動を取らずに、そのまま奴を殺しに掛かる。


「――――っ!?」


 男は咄嗟とっさに首を捻って俺の苦無は奴の肩を裂く。

 何が起こったか分からないという様子で狼狽する男。

 もうこれ以上、こんなつまらない男と付き合う気はなかった。

 俺は一気に決めようと猛攻に出る。男の顔から血色が失せていった。

 今更になって、俺と殺し合っているという事実に気が付いたらしい。どこまで鈍感な奴だ。


「うっ……わ、わあああああああああああああああ!!」


 ついに男は場に相応しい文言を口から吐き出す。

 そして、でたらめに辺りの空気をなまず切りにし出した。

 俺は万難を排すために、男の手から刀を払った。


「あ……ああ」


 男は武器を失ったことで完全に戦意喪失した。

 武器を失った『程度のこと』でだ。

 本当にこれがあの人の息子なのか? 

 目の前の失禁しかけの腰抜けとあの鮮烈な剣士とはどうあっても重ならない。

 まあいい。どうあれこいつはここまでの――。


「お兄様っ!」


 止めを刺そうとしたその間際、犬耳――否、犬耳のような髪ハネを持つ娘が参入する。


……?」

「大丈夫でしたか、お兄様!?」


 娘はどうやら男の妹らしいと、そのやり取りから察する。

 九死に一生を得て安堵したらしい男。その様もまた醜く生き汚い。

 俺はおぞましいものから目を逸らし、まだ『分かっている』風な妹に気を向ける。

 なるほど、間違いない。妹の着物にあるのは狛走家の家紋だった。

 それを確かめ苦無を構え直したところで、大量の気配がこの場に集まってくるのを感じた。

 目の前の兄妹はまだこれに気付いている様子はない。

 わすかに迷いはしたが俺は撤退することを決めた。

 即座に飛び上がると、思った通りに兄妹はどちらも反応すらできず、俺はまんまとその場を離れた。

 来たときとは別の道で地賀の里へ引き返すべく、屋根から屋根を飛び移る。

 その途中、今頃になって男から受けた傷が痛み出し俺は足を止めた。

 忌々しい。狛走の男め。

 と、そのとき闇夜に轟く声が聞こえてきて俺は咄嗟に身を屈めた。

 音の出所は門前警護をしていた幕府の者たち。

 彼らは袋小路にひょっとこ面をつけた中年男を追い詰めていた。

 どうやらさっきの騒ぎの正体が、あの中年男のようだ。

 このままだと、確実に捕えられてしまうだろう。

 だからどうした? 警備を遠ざけてもらった礼に助けようというのか?

 そんなことに義理を感じる必要など少しもない。

 今夜はただでさえ二人もの人間に姿を見られているというのに、これ以上何を。


「………………くそっ」


 まただ。また、気付けば俺は飛び出していて背後から幕府の奴らを蹴散らしていた。

 中年男はもごもごと、ひょっとこ面の向こうから何事か言おうとしていたように見えたが、俺はそれを待たずに飛び上がる。

 いつもならば、こんなことは決してしない。

 何の命令も見返りもないのに、人を助けるなんてことは。

 それがなぜ今日に限って動いたのかといえば、きっとあの兄妹に会ってあの人のことを思い出していたからだろう。

 狛走こまばしり 一黙斎いちもくさいが、俺にそうしてくれていたからだろう。

 俺の中で何かがざわつくのを感じた。


『忍なら誰にも捕らわれるな。変わらない自分を持て』


 母上の小言が、また一つ脳裏をかすめた。

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