これが私の性癖ですわ!

 フェルが踏みつけられ、ミケが自らを差し出そうとして、弱者が虐げられる様をまざまざと見せつけられてメルナスに頭痛が走る。

 断罪されたあの時と同じか、それ以上の痛みと記憶のフラッシュバック。

 見知った、けれど今の自分ではない前世の誰か。

 外ではスーツを着こなし、男だろうと上司であろうと間違っていると思えば噛みつき、周囲の女性や後輩たちから慕われるOL。

 家に戻ればだらしのないジャージ姿で缶ビールを片手に死んだような目でゲームをプレイする、そんなギャップと闇が見え隠れする生前の彼女だったが、その瞳が輝く瞬間があった。

 今世とは似ても似つかない彼女の人生に、しかしそれだけはメルナスは共感を覚えた。


(ああ……ようやく思い出しましたわ……)


 最初のフラッシュバックで原作ゲームの記憶ばかりが鮮烈に刻み込まれて。実用的な知識ばかりが印象に残されて。

 違和感を覚えながら、ずっと自分が目覚めたものを勘違いしていた。

 前世の彼女は今の自分とは違う。連続した自己とは違う。彼女の知識は有用なれど彼女の記憶は無用と目を向けていなかった。

 今、再び彼女の一生を追体験したことでメルナスは悟る。

 どうして逃げ道のないあの局面で前世の記憶が蘇ったのか。断罪と婚約破棄、過去に感じた事のない強いショックが原因だと思っていた。

 事実、それは間違いではないのだろう。

 だけどそれはきっと、自らが背負った真の業の名を理解するためだったのだ。

 この業に目覚めたのは彼女の記憶とリンクしたから、ではない。前世の記憶だからでは、ない。

 婚約破棄されて勘当されて、そうして目覚めたのは他の誰でもないメルナス自身。

 彼女は私ではない。けれど、彼女は赤の他人などではない。

 彼女は同じ業を背負った、偉大なる先駆者だったのだから。




 ◇◆◇◆




「……なさい」


 気付けばメルナスは口を開いていた。

 視線の先に映るのは涙を堪えたミケ、そして今もプルーキーの豚足に手を踏みつけられるフェル。

 見つめるその瞳は熱に魘されてなどいない。むしろ冷たく冷え切っていた。


「んぅ? 何か言ったかい? 心配しなくとも君の相手はこれからゆっくりとしてあげるよぉ、そこのシスター長と一緒にねぇ」


 メルナスは手中にある。剣も手にある。生意気なガキシスターは痛みに喘ぎ、誰も手出しは出来ない。

 絶対的な優位性を確保したプルーキーはにたにたとした笑みを浮かべて、メルナスの首に回した手で髪と頬を撫で上げた。


「その足をどけなさい、と言いましたの」


 汚らわしい手が触れている。その事実に興奮を覚えていたメルナスはもういない。

 静かな怒りに満ちた声で今度ははっきりとプルーキーへ告げる。家族を傷つけるその足を今すぐにどけろ、と。


「んんーっ? 状況が分かってないのかなぁ? そんな事を言われるともっと踏んであげたくなっちゃう、なぁ!?」


 再びプルーキーが足を持ち上げ、フェルの手を踏みつけようとした瞬間、メルナスは肘打ちをその胸に入れていた。

 脂肪の塊であっても響いたのか、プルーキーはたまらず呻き声を上げ、たたらを踏んで後ずさる。


「おっ、おまっ、お前……!?」

「ふふっ、あなた、中々良い殴り心地でしてよ」


 目の前をちらつく剣に怯えも見せず、悪役令嬢の名に相応しい傲慢で悪辣な笑み。

 しかし、此処に立つのは悪役令嬢にあらず。


「確かにわたくしは元公爵令嬢。王家に次ぐ貴き血がこの体には流れている。けれどそんなもの、わたくしの家族たちの涙を止められないのであれば、家族を不幸にしてしまうのであれば! 何の意味もありませんわ!」


 緩んだ腕から脱し、メルナスはプルーキーと面と向かって自身の出した答えを言い放った。


「今のわたくしは元公爵令嬢のメルナス・クルストゥリアではなく、ただのシスター見習い、メルナスですわ!」


 メルナスの中で意識が切り替わる。

 それは元公爵令嬢のシスターから、シスターの元公爵令嬢という肩書のスイッチ。

 公爵令嬢とシスター、二つの肩書の比重が完全に入れ替わった瞬間だった。


「シスターが貴族に逆らうのか!? あんな教会なんて僕はいつでも壊せるんだぞ!?」

「ようやく分かりましたの。わたくし、勘違いをしていましたわ」


 教会暮らしに嫌気が差していたはずのメルナスの暴挙にどういうことかとプルーキーが叫ぶ。

 メルナスは胸を張って答えた。


わたくしが目覚めた性癖の名はただの被虐嗜好ではなく、そう──下剋上!」


 間違いなく胸を張ることではないが。


「な、なに!? なんだ……何を言ってるぅ!?」


 プルーキーの混乱も当然だろう。

 この世界には本来、その性癖を表す言葉は存在しなかったのだから。

 ただメルナスが錯乱したとしか思えなかった。


わたくしが求めるのは見下していた者に見下し返される事! ただのシスター見習いである今のわたくしに、貴族様の脅しも暴言も通用しません! 死ぬほどムカつくだけですわ! うっざ! うっざいですわー! はぁーうっざ、うっざぁー!」

「言ってる意味が分からないぞ!?」

「分かる必要もありませんわ!」


 本当に分かる必要はない。

 何はともあれ、メルナスの中で決定的な何かが変わったことに違いはない。

 今更何をと言いたい気持ちはあるが、その心変わりで不幸に泣くシスターや子供たちが救われるのなら、それはきっと良い変化なのだろう。認めたくはないが。

 フェルたち背に庇い、メルナスはプルーキーと相対する。

 シスターであると自身を定義したにも関わらず、その顔つきは以前よりも強く気高く、まるで貴族のようであった。


「フェルさん、立てまして?」

「……ああ!」


 差し出された手を強く握り、フェルが支えられながらも立ち上がる。

 目に浮かんだ涙は痛みによるものではない。メルナスが口にした家族という言葉に柄にもなく感じ入っていたのだ。


「というか前隠せ! 丸見えだぞ!?」

わたくしの体に隠さねばならないような場所はありませんわ!」

「恥を知れって言ってんだよ!」

「よく知っていますわ! だからこそですわ!」


 プルーキーだけでなくフェルにもこの場の誰にもメルナスの言っている意味は理解できなかった。理解してしまったら最後であるのでそのままでいてほしい。


「ミケさん、セバスさん。フェルさんを頼みますわ。折れてはいないようですけど、すぐに処置をした方がいいですわ」

「はっ、これぐらいなんでもない。それより──」


 わなわなと震えていたプルーキーが剣をメルナスたちに突き付ける。

 涙ぐましい家族の絆の物語など、彼にとっては茶番でしかない。


「お前ら全員不良品だ! 僕の思い通りにならないならみんな殺してやるぅ!」

「プルーキー様! おやめくださいっ!?」


 でたらめに剣を振り回すプルーキーに従者として、主にこれ以上取り返しのつかない真似を指せない為にセバスが飛び出そうとして、メルナスが手で制した。

 今も尚、メルナスの目に怯えの色はない。


わたくしの国でもこの国でも貴族というだけで随分と幅が利きますわ。けれど、あなたはやりすぎましたわね」

「うるさい! 平民のシスターのくせに、知ったような口を! 公爵令嬢だが何だか知らないが、今は僕よりも下のクセにぃ!」

「ええ。ですから少しだけあなたが羨ましい」

「メルナスさん!」


 気負った様子もなく一歩を踏み出したメルナスにミケが数瞬後に訪れるであろう血生臭い光景を想像して叫ぶ。


「見下していたシスターに、手籠めにしようとしていた女に転がされるなんて、最高の気分でしょうからね」


 だがそんな未来は訪れない。

 首だけを逸らし、頭の金髪ツインドリルを揺らし、それだけで剣は掠ることもなく素通りしていく。


「く、来るなっ、来るなぁ!」


 まるで舞踏会の一幕のように優雅な所作で、メルナスはプルーキーの目の前にまでたどり着いた。

 もう顔や体が傷つけば萎える、などという考えは頭から抜け落ち、メルナスから逃れようと剥き出しになった目に眩しい白い素肌へと剣を突く。


「公爵令嬢といえど蝶よ花よと愛でられ育てられていたわけではありませんわ。そういうものを愛でられるようにと強く気高く育てられました。ですので貴族時代には剣も銃も扱っておりました。そのような乱雑な太刀筋では斬れるものも斬れませんわよ」


 メルナスは体をずらし、その一撃を両手を合わせる白刃取りにて受け止める。

 刃を渡るように受け流し、くるりと一回転。舞踏の終幕は間もなくだ。


「ああ、それから通信空手も習っておりましたの」

「お゛っ、う゛っ……!」


 本来なら何の足しにも足らない経歴だが、その胡散臭い通信教育理論を体現出来るだけのスペックがメルナスに備わっていた。

 メルナスの拳は肉襦袢の鎧を貫通し、体の芯に響く打撃となる。

 極めれば何重もの瓦を砕く拳に、プルーキーが耐えられるはずもなかった。

 白目を剥き、プルーキーの体がずるりと床に崩れ落ちる。完全に意識が刈り取られていた。


「ああ……敗北が知りたいですわ……」


 お前まるで最強主人公みたいだな。


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