いつもこうですわ
ドンドン、ドンドン。壊そうという勢いで強く何度も叩かれる扉に、プルーキーはメルナスの下着に触れかけた手を引き、鬱陶しそうに顔を上げた。
「なんだ、これからっていう時に……一体誰だ!?」
(なんですの!! これからっていう時に……一体誰ですの!?!?)
苛立ちの声を上げたプルーキーとそれ以上に内心で怒り狂うメルナス。
返答は扉の向こうから返ってきた。
「メルナスさん! ご無事ですか! 領主様、ここを開けてください!」
「メルナス! まだ無事だよな!? おいクソ野郎! そいつに手を出しやがったら絶対に許さねえからな!」
扉を叩いていたのはミケとフェル、誰にも気づかれないように侵入していなければならないはずの二人であった。
そんな大声を出してはプルーキーだけでなく、屋敷中の誰もが彼女たちが忍び込んだことを知るだろう。
けれど、二人にとってはそんなことは問題ではなかった。
あのまま事が終わるのを待てば、教会は守れるかもしれない。
だがそれでは駄目なのだ。メルナスの犠牲によって守られた教会でこれまで通りに暮らしていけるわけがない。
たとえ教会がなくなっても、メルナスさえ取り戻せば家族が離れ離れになるわけじゃないのだ。
それなら、と。二人は権利書を諦め、メルナスを助ける道を選んだのだった。
(どうして! 来てしまいますの!!)
本当にどうしてこんな奴の為に来てしまったんでしょうね……。
(いいえまだ間に合いますわ! 女二人で扉をぶち破るなんて不可能! 扉越しに
お前本当に最低だな。
「むぐっ!?」
「うるさい奴らだなぁ……これは彼女が望んだことなんだよぉ! 君たちは教会に戻って荷物をまとめておくんだな! すぐにあんな教会は取り壊してやるんだからさぁ!」
プルーキーは声が上げられないようにメルナスの口を押さえると溜息を零し、扉の向こうに向かって叫ぶ。
押さえられたメルナスは必死に首を
叩かれていた扉の向こうがしんと静まり返り、諦めたかとプルーキーが満足そうにメルナスに向き直る。
それと同時、ガチャリと外から扉の鍵が開く音。
「どういうつもりだ、爺……!」
合鍵を持っているのは執事のセバスだけ。そして開いた扉の向こうにいたのもミケとフェル、そしてセバスだった。
二人は覚悟を決めると真っ先に庭先に出ていたセバスに事情を説明していた。強引にでも合鍵を借りるつもりであったが、意外にもセバスはすぐに合鍵を取りに走り、こうして駆けつけてくれたのだった。
「メルナスさんは今も神に仕える教会のシスターのまま。如何にプルーキー様といえど穢すような真似は決して許されませんゆえ」
「おいッ、無事か!?」
セバスの後ろに続いたフェルが彼を押し退け部屋へと侵入し、プルーキーに覆いかぶさられたあられもない姿のメルナスを見て、ぎゅっと手に持つ木刀の柄を握り締めた。
その義憤は当然だろう。本人には伝えた事こそないが、既にフェルにとってメルナスは可愛い後輩で、家族の一員なのだから。
それが男に組み伏せられ、肌を晒し、叩かれたであろう頬を赤く腫らしているのだから。
貴族だろうと誰だろうと関係はない。今もなお家族を辱めるその男を許してはおけなかった。
そんなフェルの怒気に気圧されたのか、セバスもミケもゆらりと動き出した彼女の歩みを止めることが出来なかった。
「……その汚い手を放せよ、クソ野郎」
呼びかけは静かであったが、声は低く、目には見えない重圧が込められている。その小柄な体躯にプルーキーが恐怖を覚える程に。
しかし、それがいけなかった。
プルーキーはフェルを明確に脅威だと認識してしまった。その事実が彼の体を動かした。
「くっ、くくく来るなぁ!」
「きゃっ……!?」
ベッドの上を這いずり下りて、メルナスを強引に腕に抱えたプルーキーは壁に掛けられていた剣を手に取ると、腕をメルナスの首に回し、刃を眼前にちらつかせて人質としてしまった。
これまで通り、ただのガキだと見下していたならばそんな手は選ばなかっただろう。そんなプルーキーの意識を変える程に今のフェルは怒気に満ちていたのだ。
(おっとととと? これはまた予想外の展開ですわ)
良い感じに首が絞まる苦しさで横槍が入った事に対する溜飲が下がったのか、メルナスは多少の冷静さを取り戻していた。そのきっかけにはまるで共感できないが。
(わざわざ木刀に真剣で対抗せずとも
自分に向けられたものではないとはいえ、目の前のフェルの放つ怒気を見てもそんな風に考えられる辺り、やはり肝は据わっている。それをまったくプラスに働かせようとしないことが問題なのだが。
メルナスにとっては今もフェルは可愛い子犬のような先輩である。出会った当初の野良犬のような態度が恋しくもあった。心を許したフェルに対してあんまりな感想だ。その本心が知れれば間違いなくその頃に逆戻りだ。
「ぼ、僕は貴族で領主だぞ!? 誰に向かってそんな物を向けてるんだぁ!?」
「テメェこそ、誰に向かって剣を向けてるんだよ……!」
「うるさい! こいつはもう僕の物だ! 自分の物をどうしようと僕の勝手だ! いいからそれを捨てろ! こいつがどうなってもいいのか!?」
「……クズが」
下唇から血が滲むほどに噛みしめて、フェルは吐き捨てるように言って木刀を床に投げ捨てた。
「おい爺! お前は後でぶっ殺してやるからな! この僕を裏切りやがってぇ!」
「プルーキー様、どうかこのような事はおやめください……旦那様たちがこのことを知ったらどれだけ悲しむことか……」
「黙れ! 親父も母様ももう死んでるんだ! 今は僕が一番なんだよ!」
セバスは悲し気に目を伏せた。きっと在りし日の旦那様と奥方様を思い出しているのだろう。彼らが健在であれば、いいや没後に自分がもっとプルーキーに意見し、良き領主であるようにと進言していれば。そんな後悔が見て取れた。
だが血走ったプルーキーの目では理解できない。次の標的に目を向けるだけだ。
「ミケぇ……元はお前がいけないんだ……お前が大人しく僕の物になっていたら教会も安泰だったのになぁ……」
「領主様……」
その言葉は今のミケにとってはこれ以上ない鋭い刃として心に突き刺さる。
思えば逃げ出した神父の事もそうだ。慎ましくも平穏な生活を送っていたのに、自分が来てしまったばかりにプルーキーの目に留まり、気苦労をかけ続けてしまった。
もしもあの時、自分がプルーキーを受け入れていれば、今も神父とフェル、そしてメルナスと子供たちは平和に過ごせていたのかもしれない。
「そうだ、今からでも遅くないぞぉ……? こいつと一緒に僕の物になるって言うなら、教会の事も考えてやってもいい」
「それは……」
メルナスを犠牲にしては意味がない。誰かを犠牲にしては意味がない。そう決めたはずなのに、ミケの心は再び揺れていた。
プルーキーのこれは過去を掘り返し、罪悪感を思い起こさせる悪辣な手法、悪魔の囁きだ。決して耳を傾けてはいけない類のものだ。
(いい感じの下種っぷりですわね!)
お前は黙ってろ。
「僕の、貴族の部屋に勝手に上がり込んだんだ。お前ら平民にとってそれがどれだけ重い罪か分かるよなぁ……? お前も大人しく従うなら、そのことについても目を瞑ってやる。このガキは無事に帰してやる。ガキはガキ同士、教会で仲良く暮らせばいいさ」
「私、は……」
教会は無事に残り、教会を一番の拠り所としているフェルは帰れる。
メルナスだけが犠牲になるのではなく、メルナス一人に押し付けることなく、シスター長として自分も共に自らの身を捧げるのなら、女神はお許しになるだろうか。
それは違う。今のミケが求めているのは神の許しではなく、自分自身の許しに過ぎない。
罪悪感を拭い去る為の、自己犠牲の皮を被った自己満足の贖罪でしかない。
まだ若いシスター長であるミケは自分自身の弱い心に支配されようとしていた。
「そんなの聞くな! こいつが約束を守るわけがない!」
ミケを止めようとフェルが叫ぶ。それがプルーキーを刺激してしまった。
「お前は……黙ってろよぉ!」
「ぐっ!?」
木刀を捨て、丸腰となったフェルをプルーキーは蹴り飛ばした。
華奢なフェルの体はいとも容易く飛んで、床に転がることとなる。
「フェルさん!」
「おやめくださいっ、プルーキー様!」
「お前は帰してやる……けど、その生意気な口から出た言葉は許したわけじゃないんだぞ!」
「あっ、ぎっ……!?」
倒れ伏しながら、転がった木刀に手を伸ばそうとしたフェルの手が踏みつけられた。
ぐりぐりと足をねじる度、フェルの口から苦悶の声が漏れ出る。折れてこそいないが、暫く利き腕でまともに木刀を握る事も出来ないだろう。
もうフェルにもミケにもセバスにも、誰にも取れる選択肢はない。
メルナスがろくでもない性癖に芽生え、この村に追放されてしまった時点で決まってしまっていたのだ。
プルーキーはどうしようもない小悪党であったが、全てはメルナスの愚考が招いた結果。
自分が良ければそれでいい。追放され、原作から外れても悪役令嬢の本質は変わらない。どうしようもない
「……」
破滅した悪役令嬢はその追放先でも周囲を巻き込んで破滅する。
バッドエンド以外に迎えるエンディングは存在しない。性癖を拗らせた彼女にとって紛い物のハッピーエンドとなるだけだ。性根も性癖も永遠に救いようがない。
その証拠に踏みつけられるフェルを見るメルナスの目は羨ましそうに細まっている──
「……なさい」
目を細めたまま、メルナスは小さく囁くような声で何かを呟いた。
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