襲来ですわ!
その日、子供たちが寝静まった夜更け。
シスターミケの寝室の窓を叩く音が静かに響く。
こんな時間に、それもシスターの寝室を訪れるなど普通の人間がすることではない。ミケは警戒し、手近にあった箒を手にしてカーテンを開いた。
「セバスティンさん……?」
夜中の来訪者はミケも良く知る、先々代の頃よりブルベック家に仕える老執事、セバス。
警戒を解き、窓を開くとセバスは紳士的に頭を下げた。
「こんな時間に女性の寝室を尋ねる御無礼をお許し下され。ですが内密にお伝えしたいことがございまして……」
「まあ、一体何が?」
「我が主、プルーキー様の事にございます」
領主の名が出て、ミケは昼間メルナスたちから聞いた話を思い出し顔を青くした。まさかこんなに早く、まだ教会本部へ手紙を出してもいないのに、と。
「今日の夕方、主が屋敷にお戻りになられました。明日、こちらに伺うこととなるでしょう」
「その、ご用件は……? このエクィナス教会をお取り壊しにするというお話でしょうか?」
しかしセバスは首を横に振った。
そうではない、では信心深いわけではない領主様が一体何の用で? そこまで考えて、他に用があるとしたら一つしかない。
「シスターメルナスの事でございます。主は街で偶然お会いになられたシスターメルナスを大層気に入られたご様子で……彼女をメイドとして雇いたいと仰っているのです」
「そんな、メルナスさんを?」
ミケもこの国の王都からやってきた。当初は田舎者嫌い都会好きの領主からしつこく絡まれていた辟易した記憶はある。
けれどメルナスと会ったその日にグレースの街から村に戻るほどの気に入りようだったとはメルナスたちの話からは想像していなかった。
礼儀を知りながらも位や立場で人を見ないのはミケの美徳だが、元公爵令嬢というメルナスの属性を甘く見ていた。そういう箔がついた美女こそプルーキーが最も好む人種なのだと気付けなかった。
「私では主様を止めることは出来ません。ですがご存知の通りこの教会の権利はブルベック家の物。拒否すればどうなるか……」
セバスが非情な通告をしに来ただけではないことをミケはすぐに悟る。
メルナスの事を思うのならば身を隠せ、暗にそう言っている。あの我儘な領主が思い通りにならないことがあれば自分に当たられることも承知の上でミケや子供たちを助ける為に行った献身を聞き、彼女をメイドとすることを良しとしなかったのだ。
「お伝え下さりありがとうございます、セバスティンさん」
「いえ、私に出来るのはこれぐらいなものです。遅くに失礼をしました。まだ夜はお寒い、風邪など引かれませんように……」
華麗な一礼をし、セバスは去っていった。
その後ろ姿を見送り、ミケは決意を秘めた表情でメルナスとフェルの寝室へと向かった。
ノックを二度、返事を待たずして扉を開くと寝静まっていたメルナスの布団を容赦なく引き剥がした。
「メルナスさん、起きてくださいっ!」
「うぉわさぶなに!?」
「あ、間違えました」
寝込みを襲われ混乱して飛び起きたフェルに自分の頭をコツン。あざといが様になっている。
とばっちりのフェルは不憫ではあるが。
「なんですの騒々しい……」
対してメルナスは隣の騒ぎで意識を覚醒させたがフェルと違って心臓に悪い起き方ではない。こんな所でも悪運の強さを発揮していた。
「メルナスさん、大変なんです」
「ふぁああ……シスターミケ、夜更かしはお肌の大敵ですわよ……?」
「それどころではありませんっ。明日、領主様がメルナスさんをお訪ねにやってくるそうなんです」
「なっ、それってまさか……!?」
寝ぼけ眼を擦るメルナスを余所に、すぐに事態を把握したフェルは忌々しげに顔を顰める。
メルナスを叩き起こしに来たということは──実際叩き落とされたのはあたしだが──間違いなく昼間の邂逅に関係する何かがあったということだ。
「あなたを屋敷のメイドとして雇いたいと仰っているそうです。セバスティンさんが教えてくださいました」
「はぁ、
「寝ぼけてんな! あいつのメイドなんて婆さんぐらいしか残ってない、そんなところに行ったら何されるか分かったもんじゃないぞっ」
「そうですメルナスさんっ、起きてください!」
フェルとミケ、二人に前後左右に揺さぶられ、渋々メルナスは意識を覚醒させる。
休める時に休む、それは前世のOLも今世での公爵令嬢も変わらない必須のスキル。以前ほど時間に追われる生活ではなくなり、少し気が抜けていたメルナスは時間が掛かったが自らの両頬をバシンと打つと顔を赤くしながらも瞬時にいつもの表面上はキリッとした顔を取り戻す。
「ふぅ……さっそくのご指名とは、本当に気に入ってくださったようですわね」
「教会の権利書を盾にされてしまえば私たちではメルナスさんを庇うことは出来ません」
「構いませんわ。エクィナス教会そのものとシスター見習い、どちらを取るのが最良の選択かなんて分かり切っていますもの」
「いいえ。大恩あるメルナスさんを望まぬ場所へ行かせるつもりはありません」
本人としても望む所ではあるのだが、そうとは知らないミケはメルナスの両肩を抱き、真剣な表情で語る。
その優しさは他に向けた方が世のためなのだが。
「領主様がいつ訪れるかまでは分かりません。ですから今からメルナスさんには身を隠してもらいます。メルナスさんがいなくなったことにしてしまえば領主様も諦めになるはずです」
「そうは言いますが狭い村ですわ。領主様から隠れられる場所なんてありますの?」
もしも匿っていると知れたら協力者もただでは済まない。そんな危険な役目を村人に押し付けるとは思えず、かと言って誰も知らない地下室などない教会では隠れようがない。いないと言い張ってもまず真っ先に教会内を家探ししそうなもの、現実的な案とは思えなかった。
まだ人の心が残っていたメルナスはミケの気持ちを無下には出来ず、方法がないと諭せば諦めてくれるだろうと提案自体は拒絶しなかったが、ミケは自信満々に答える。
「あります。とっておきの場所が」
「……まさか本当に地下室が?」
「いえ、そんなものはどこの教会にもありませんが?」
ちょっぴり期待していたメルナスは裏切られた気持ちになった。
◇◆◇◆
明朝。
ミケの迅速な判断は正しく、領主プルーキーはセバスを供に朝早く教会を訪れていた。
「やあシスター長、久しぶりに見たがやはり君も中々の容姿をしているねぇ……」
「おはようございます、領主様。こんな朝早くにどのようなご用件でしょうか?」
ミケにしては珍しい硬い表情。かつて言い寄られた経験から嫌悪とまでいかなくとも好ましくは思えないらしい。それでも十分に慈悲深い心の持ち主だと言えるが。
「いやなに、此処に新しくやってきたシスターがいるだろう? メルナスと言ったかな」
「はい。……いいえ、おりました、というのが正しいですね」
「むぅ?」
「メルナスさんは昨晩の内にこの教会を去りました」
「……どういうことだね?」
一気にプルーキーの機嫌が悪化したのが伝わる。言い寄られ、拒絶する度にもそうだった。感情の起伏が激しい、まるで子供がそのまま大きくなったような性格に困り果てた。
「元貴族様にしてはよく耐えた方ですが、お嬢様に教会暮らしは難しかったってことですよ」
礼拝堂の奥から現れたフェルが皮肉交じりにミケの言葉を捕捉する。
子供を嫌うプルーキーにその見た目から邪険にされているフェルの登場にさらに機嫌が悪くなったが、ミケ一人に相手させるよりもそちらの方が説得力も増し、怒りの矛先も分散するだろうという考えからだった。いわゆるヘイト管理、ターゲット管理である。
「子供が口を挟むものじゃないなぁ……」
「誰が子供だっ! ……ですか。あたしは立派なシスターです」
感情の起伏が激しいのはフェルも同じだが、
「部屋にこんな書き置きが残されていました」
ミケが取り出したのはデカデカと『実家に帰らせていただきますわ!!』と書かれた羊皮紙だった。証拠としてメルナスに書かせたものだ。『こんな教会に居られませんわ! 私は自分の家に帰らせていただきますわ!!』との二択でこちらが選ばれた。
「追放された貴族に帰る実家などあるものか。匿っているんじゃないだろうな?」
「まさかそのようなことは。領主様がどのような用件でいらっしゃっているのかも分かりませんし、匿う理由などありません」
「むぅ……」
余計なことばかりする執事が告げ口をしたのかとプルーキーは己の背後を睨んだが、セバスは動じず静かに佇むだけだ。
「こんな寂れた教会で追放後の人生を歩むのは気の毒だろうと僕がメイドとして雇ってやろうと思ってね」
「それはまた。領主様に慈悲を向けられているとも知らずに逃げ出すなんてまったく礼儀知らずな奴ですね」
「……口を慎みたまえよ、君に話しているわけではないんだ」
肩を竦めて白々しく言うフェルを睨むと、納得していない様子のプルーキーは礼拝堂の中を見渡し、
「夜に女一人で外に出るとも思えない。ひょっとすると隠れているのかもしれない。探させてもらうとしよう」
「プルーキー様、教会内を家探しするなどそれはあまりに恐れ多い事でございます」
「ええいうるさい! 僕は領主で、この教会も僕の物だ! 自分の物を好きにして何が悪い!?」
セバスの言葉に激情し、厳しく叱責するプルーキーをミケが慌てて止める。
忠告してくれたセバスが責められるのを黙って見ていることなど出来なかった。
「おやめくださいっ。領主様、お好きにお探しになってください。けれど教会には子供たちもいます。どうか乱暴な真似だけはしないようにお願いいたします」
「ふん、だったらちょろちょろして僕の邪魔にならないようによく言っておけ!」
ズンズンと教会全体が揺れているのではないかと錯覚する地響きを鳴らし、プルーキーはずかずかと礼拝堂の奥へと踏み込んでいく。
「フェルさん、子供たちをお願いします」
「分かった。ガキどもには指一本触れさせない」
ミケは頷き、セバスと共にプルーキーの後を追った。
絶対に見つからない自信はある。けれど、それでも女神に祈らずはいられなかった。
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