事件ですわ!
フェルミナことシスターフェルと知らない間に和解したメルナスの教会での日々は順調そのものであった。
子供たちもすっかりメルナスに心を許し──本性を見抜けない彼らがいつか悪い大人に騙されないことを願うばかりだ──フェルも口は悪いが先輩シスターとして接してくれている。
仕事にも慣れ、ある程度のルーティンが構築されつつある、だがメルナスには二つの気掛かりがあった。
一つは神父が逃げ出して以降、教会に神父が不在のままであること。
シスター長であるミケが王都にある教会の本部に手紙を出し、一日も早い新しい神父の着任をお願いしているが、一向に返事はない。
潤沢な資金もあることだし、観光がてら一度直接王都に出向いたらどうかとメルナスは提案しているが、ミケは中々頷いてくれない。まだまだ未熟なメルナスを置いていくのが不安なのかもしれない。
もう一つは未だに一度も見た事がない領主の存在。
どうしてなのかとミケに尋ねると言葉を濁されたが、これはフェルが教えてくれた。
「半年ぐらい前、シスター長が赴任して暫くしてから領主が早死にしてな。遊び人の息子に変わったんだ。自分の領地をほったらかして街に入り浸ってるよ」
フェルの貴族嫌いが加速したのはその遊び人の領主に変わったせいもあったようだ。
領主の務めも果たせないとは嘆かわしい、と
「ま、実質的な領主代理の執事長が優秀だからな。本人は代理なんて烏滸がましいとは言っちゃいるが」
「執事長……ああ、最初にご挨拶に伺った時にお会いしましたわ」
セバスの名が似合いそうな白髪と白髭の老紳士だった。そういうことなら彼にもっとしっかりと挨拶しておくべきだったかとメルナスは失敗を悟った。ダンディーではあったが枯れてそうなので義務的な会話しかしなかったのだった。
「お父様が使いを出した時には領主に話を通したと仰っておりましたし、まさか一ヵ月近く一度も戻らないとは思いもしませんでしたわ」
「隣国とはいえ公爵家からの使いが来たんだ。流石に大慌てで馬鹿領主を呼び戻したんだろうよ」
「公爵家の使いはともかく、追放された元公爵令嬢が来ても戻る理由にはならないというわけですか」
少し腹立たしいが、貴族とはそういうものだ。
元が付いた時点でメルナスに政治的価値はない。どれだけ無礼を働こうと首が飛ぶこともなく……実家に言えば国際問題にしそうだが、メルナスにその気はない。大人しく領主が気まぐれに戻ってくるのを待つだけだ。
「執事長に話を通したなら別にもういいような気もするがな。女好きでも有名な野郎だ。都会かぶれで田舎娘には興味がないらしいが、あんたの顔を見たら面倒な事になりそうだ」
「あら。それでしたらミケさんとフェルさんも大変だったんじゃありませんの?」
「シスター長はな。あたしみたいなちんちくりん、いくら馬鹿領主でも相手にはしねえよ。都会出身でもないしな」
「そうですの? こんなに可愛らしいお顔とそれに見合わないいいものも持っていますのに」
今も修道服の何処かに隠しているだろう木刀による一撃を思い出しながらしたメルナスの呟きだったが、フェルは勘違いをしたらしい。これは紛らわしい言い方をしたメルナスが悪い。
「ばっ、変なこと言ってんじゃねえよ!」
小柄な体格に見合わない、修道服を押し上げる二つの双丘を両手で庇い、頬を真っ赤にしたフェルが木刀を振り上げた。
「よっしゃ、バッチコーイ! ですわ!」
それを待ってましたと尻を向けたメルナス。照れ隠しに反射的に木刀を振り下ろしてしまう暴力系ツンデレヒロインフェル。案外良いコンビなのかもしれない。
「ふぉぉぉおおおおお!」
「なんでわざわざケツ向けたんだよ!?」
幼少期は優しい母に育てられ、その後もすぐにシスターとして生きてきたフェルにはメルナスの行動の意図はまったく分からない。もし知ってしまえば恐らく理解不能な趣味に頭をバグらせてしまうだろうからそのままの君でいてほしい。
「さて、夕食の準備も出来ましたし、後は森に散歩出たミケさんと子供たちの帰りを待つばかりですわね」
「お、おう。叩いて悪かったな……」
「お気になさらず」
多少の手加減はしているとはいえ、何事もなかったように振り向いて会話を続けるメルナスにフェルは若干引いていた。正しい反応である。ドン引け。
「にしても、ちょっと帰りが遅くないか? もう日が暮れちまうぞ」
「やんちゃなキールが帰りたくないと駄々でも捏ねているんじゃありませんの?」
「かもな。飯が冷めないうちに帰ってくればいいけど」
──しかし、完全に日が暮れてもミケと子供たちが帰って来ることはなかった。
「おかしい、いくら何でも遅すぎる」
完全に冷め切った食事を前に、フェルが不安を孕んだ声を上げた。
もう子供たちはおろか、畑仕事や狩りに出ている村人たちも家に戻る時間をとうに過ぎている。
「獣は森の方には出ないんでしたわよね?」
「ああ。危険な獣が出るのは反対の山の方だ。けどもしかしたら怪我でもして動けなくなってるのかも……」
「ここ数日は雨も何も降っていませんし、平和な森で四人全員が一斉に怪我をするとは思えませんわ」
「だけど現に誰も帰って来ないじゃねえか!」
複雑に入り組んだ深い森というわけでもない。誰か一人でも無事なら子供だけでも教会に助けを呼びに来ることは容易なはず。なのに一人として帰って来ないのは妙だ。怪我以外の他の理由があるはずだとメルナスは推察していた。
「落ち着きなさい。今此処にいる私たちが焦ってもどうにもなりませんわよ」
ぴしゃりとした冷たい口調の正論にフェルは口を噤んだ。
メルナスの冷静さが憎らしくもあったが、その通りだと思ったからだ。
「すみません。言い過ぎましたわ。駄目ですわね、まだ貴族気分が抜けていないなんて」
「その口調から変えなきゃどうしようもねえだろ。……あんたの言う通りだ。あたしらが焦っても意味はねえ」
「この口調を変えるのは中々骨が折れますの。けれど此処で黙って待っていてもどうにもならないのも事実ですわ」
真剣な口調でそう言って、メルナスは立ち上がる。
リオネという恋敵の一挙一動に心を波立たせていた無様な悪役令嬢はもういない。
元貴族、元公爵令嬢としての知識と教養、冷静さ(と余計な性癖)だけが残ったのが今の見習いシスターメルナスだ。
「優秀な領主代理さまにお願いしましょう。彼に村人たちにミケさんたちの捜索を手伝うよう頼んでもらいますの」
「分かった。多分、それが一番だ」
互いに頷き返し、手の付けられていない食事を残して二人は領主の屋敷へと足早に駆けていった。
◇◆◇◆
初日に訪れて以来となる領主の屋敷。公爵家には遠く及ばないが、それでもサバート村で最も大きな建物の扉を叩く。
「おい、いるんだろ! 開けてくれ!」
やがて開かれた扉の向こうには礼儀知らずな急な訪問にも嫌な顔を見せない、片眼鏡の老執事が立っていた。
「これはシスターフェルと……シスターメルナス、どうなされました?」
「夜分の訪問となり申し訳ありません。領主様のお力をお借りしたく参りました」
「ただ事ではなさそうですな。生憎と主であるプルーキー様は不在ですが、私でよければ話を聞かせてください」
老執事、セバスティンの対応と判断は迅速であった。
シスターと子供たちが森から帰って来ないと聞くと屋敷から有事の際の村の組織図リストを持ち出し、そのリストを元に三人は民家を尋ね、すぐに捜索隊を結成した。
「シスターミケも子供たちにも森には慣れているはずです。それでも戻って来ないという事は何か不測の事態が起こったに違いがありません。分かれることはせず、集団で固まって森に入りましょう」
快く集まった男たちに説明するセバスと焦りの表情を浮かべるフェルにメルナスは松明を掲げて近づくと、セバスには村に残るようにと告げた。
「あなたはご老体ですし、何より村にはなくてはならない存在。もしもがあってはいけませんわ」
「お気遣いは有り難いですが彼らを呼び集めた者として同行する義務があります」
「その義務は
有無を言わせない貴族の迫力にセバスは暫しの逡巡を経て、分かりましたと頷いた。
そして焦りから待ちきれないと逸るフェルにもまた、教会で待っているようにと伝える。
「はあ!? ふざけんなっ、あたしも一緒に行くに決まってるだろ!」
「もし入れ違いでシスターたちが帰ってきた時、それを迎え入れる家族は残っていないといけませんわ」
「だったらお前が残れ! 元ボンボンのお前より森に入るならあたしの方が役に立つ!」
「温室育ちではありますが、これでも狩りや害獣退治に同行した経験もありますわ。それにフェルさんの体で彼らと足並みを揃えるのは難しいでしょう」
「うぐっ……」
メルナスの語る正論はいつもフェルの耳に痛い。
最初からそうだった。普段は子犬のようにぶんぶんと尻尾を振ってじゃれついてくるにも関わらず、激情に身を任せるといつもそうして釘を刺してくる。
「これ以上問答している時間は勿体ありませんわ。叱責も恨み言も後でいくらでも聞きます。今は
「……分かった、分かったよ! 全員無事で戻って来なかったら承知しないからな!」
「勿論です。食事を温めなおして待っていてくださいな」
心情は納得していない。けれど、今求められているのは自分の激情ではなくメルナスの冷静さであると分かってしまう。フェルは苦虫を嚙み潰したような表情で提案を承諾した。
(無事にミケさんや子供たちを見つけた後で彼らの報酬として夜の森でいただかれてしまう役割は譲れませんわ!)
メルナスは変わらず蛆虫のような思考をしていた。
(さあ! とっとと見つけて楽しい夜にしますわよー!)
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