悲しき過去ですわ!
その後、昼食に呼びに来たミケをフェルは何でもないと誤魔化し、食事はいらないと部屋に籠ってしまった。
メルナスもあえて事情を説明することはなく、フェルの分を肩代わりして一日の仕事を終える。
硬めのベッドに身を預け、天井をぼんやりと眺める。眠りに落ちるまでの何もない、静かな時間。一週間が過ぎ、精神だけでなく貴族生活で弛んでいた肉体の方も順応してきたようで、それほど疲労は感じない。
公爵令嬢としての最後の一週間はぐーたらすることに夢中で、シスター見習いとなってからは日々の仕事で、中々落ち着いて考える時間がなかったメルナスだが、この機会に前世の記憶について考えてみることにした。
原作乙女ゲーム『プリンセス★スクール』に関しての記憶はもう役に立たないのでひとまず置いておいて、知りたいのは前世の記憶が蘇ったあの瞬間から自分の心と体に起きた変化の事だ。
ゲームでも実際の現実でも、メルナス・クルストゥリアは悪役令嬢という役割に相応しい立ち振る舞いと性格をしていた。
いや、ゲームほど
ともかくかつてのメルナスは貴族として、公爵令嬢として、選ばれた者としての誇りを持ち、自分以外の全てを見下し、世界は自分を中心に回っている、自分の思い通りにならない事はないと信じてやまなかった。
ゲームの主人公であるリオネへの嫌がらせも、きっかけは彼女と自分の婚約者ライオットが良い仲になってきたから。
自分の夫に相応しい、自分を王妃としてくれる相手だと信じていた婚約者──それを愛と呼ぶかは怪しいが──が位の低い男爵令嬢と気付けば仲良くしている。それが気に入らなかった。
目障りなリオネを排除しようと嫌味な発言を繰り返し、時には取り巻きたちを使って直接的な嫌がらせも行った。リオネはメルナスにされたのはライオットが集めた罪状のほんの一部だと言っていたが、そんなことはないだろう。確かに取り巻きたちが勝手にエスカレートし、それに自分を傘にして他の令嬢たちもより過激な嫌がらせしていたようだが。
しかしライオットの目に留まったのは会う度に嫌味と皮肉を飛ばすメルナスだった。ライオットがメルナスの断罪のため、嫌がらせの証拠を集めているのを察知した他の令嬢たちは全ての罪をメルナスに被せ、自分たちは断罪側に回った。
(迂闊なのはライオットだけでなく、
能力は間違いなく優秀だった。社交界で生きていく術にも長けていたはずだった。
そんなメルナスの目を曇らせていたのは、もしかすると父ディードに語った通り、以前のメルナスは自分でも気づいていない本心ではライオットに惹かれていたのかもしれない。だとしたら不器用な事だ。令嬢たちにしてやられるのも無理はない。
(ま、今の
そう、これだ。
以前までの自分は多少なりともライオットが魅力的に映っていた。断罪され、裏切られて百年の恋も冷めたのか? いいや、そうではない。
その原因は間違いなく、前世の記憶を取り戻した時から自分の中に目覚めた何かにある。
初めてそれを感じたのはまさに記憶を取り戻したその直後、自分を囲む貴族たちの蔑みと嘲笑にだ。
(ああ、今思い出してもぶるっと来ますわぁ……)
今まで見下していた木っ端貴族たちのあの目、忘れられない。あれだけでご飯が進む永遠のオカズとなるだろう。
それに浸っている内に何も出来ないまま原作通りに進んだのだが。
次に感じたのはメイドのニーナ、それにリオネ。
視線、熱、平手打ち。ぶっかけ紅茶はともかく、特にリオネの平手打ちは良かった。直前の鬼畜な提案も良かった。
ここまでなら自分はショックで被虐趣味に目覚めてしまったのだと思える。
いわゆる痛いのが気持ちいい、という倒錯趣味だ。一般的ではないが、そういった趣味を持つ貴族は案外多いとも聞く。
だが──
(なーんかそれよりも
それが何なのかを思い出す為にメルナスは前世の記憶を辿っていた。
前世の記憶がなければ、被虐趣味だと納得も出来ただろう。けれどそうだと思おうとすると、ずっと喉に小骨が引っ掛かったように何かが引っ掛かったように感じる。
(うーん、ゲーム以外の事はあんまりはっきりとは思い出せませんわ……)
被虐趣味であるのも間違いではないはずなのだ。
昼間のフェルの一撃は痺れた。痛いのが気持ちいいとはああいう事だ。
厳格な父にされた詰問に何も感じる所がなかったのも、肉親相手という事で納得出来る……はずなのだが、やはり呑み込めない何かがある。
それにたとえばライオット。イケメンな元婚約者。たとえば彼に折檻されるのを想像する。
(うっわ、めっちゃ腹立ちますわー)
思えば断罪現場でも完全にメルナスが全ての嫌がらせの犯人だと決めつけ、上から目線で偉そうにごちゃごちゃと言っていた。しかし、それを思い出しても感じるのは今更な怒りばかり。他の者にされたような高揚感はない。
父とライオットと、それ以外。二人に何か共通点があれば、それを見つけられれば霞がかった前世の記憶も晴れる気がする。
「……ま、そのうちぽろっと思い出すでしょう。思い出さずとも困るわけではありませんし」
暫くうんうんと唸った後、あっさりと考えるのをやめて手足を開いて大の字に寝転ぶ。ニーナが見たら嘆き悲しむ光景である。
日々にそれなりに満足して生きているメルナスにとって既に解放された原作も、他人事のような前世の記憶にも思い悩む必要はない。
ここにいるのはちょっと被虐的な趣味があるだけの元公爵令嬢のシスター見習い。その今だけがあればそれで良かった。
「さーて、明日も頑張りますわよー」
瞼を閉じ、ゆっくりとメルナスは眠りへと落ちて──
「……おい」
「はい?」
「あたしはずっとスルーかよ!? 普通に部屋に入って、普通に寝ようとしてんなよ!?」
いくことはなく、隣のベッドで蹲っていたフェルが威嚇するように声を上げた。
部屋数に限りがあるので初日からずっと二人は相部屋であった。
「えー、今日はもう遅いですし明日にしませんこと? 目を閉じて肩に残ったじんわりとした痛みを感じながら眠りにつきたいですわ」
きっと今夜は良い夢を見れそうだと思っていたメルナスが横やりに気怠げに返すと、フェルはバツが悪そうに言葉を詰まらせた。
「……悪かったよ。乱暴して」
「こんなの乱暴に入りませんわ。もっとこう、男どもが寄って集って来ないと」
「貴族から寄付があって、それを持って神父様が逃げて、そんであんたが来て……また貴族にあたしの居場所を奪われるんじゃないかって不安だったんだ」
メルナスの妄言を無視して、フェルはぽつりぽつりと内に抱えていた暗い感情を吐露する。
フェルの過去に全く興味のないメルナスは肩から感じる心地良い痛みを堪能していた。聞けよ。
「あの国を追い出されて、仕事を探してこの国にやってきた。けどその途中で母様はこの教会にあたしを預けていなくなっちまった。……最初は捨てられたんだと思った。でも気付いたんだ、追い出された時にはもう、母様は何かの病気に罹ってたんだって。それで旅を続けられなくなった母様はあたしだけでも生きられるように此処に預けてくれたんだって」
明かされるフェルの不幸な過去。残された最後の居場所であるこのエクィナス教会を守ろうとするのも無理はない。
たしかに個人的な恨みと八つ当たりも混じっていたかもしれないが、それを責める者はいないだろう。
(これ絶対痣になってますわよねー。
一番責める権利がある当事者もこの調子なので罪の意識とか持たなくていいと思う。
「あんたは貴族ってだけで色眼鏡で見てた身勝手なあたしの怒りを受け止めた。……母様が愛した親父と同じように、もしかしたらあんたが本当の貴族ってやつなのかもしれないな。すぐにはあんたの事を信じられないけど、これからはあんた自身をしっかりと見てみるよ。……その、悪かった。ごめんなさい」
素直になれない、信じ切れない、そんなフェルの精一杯の謝罪。
きっとこれからはフェルは瞳を曇らせることなく、自分が見たメルナスの姿を信じることだろう。
(次はあのぶっといのでお尻とかぶっ叩いてほしいですわね。考えただけで滾ってきますわー!)
「……はっ、謝られるようなことは何もないってか。ほんと、変わったお貴族様だよ」
いや、今でも曇ったままだった。
「おやすみ。明日からまた、よろしくな」
(フェルさんは小柄ですし子供たちみたいにお馬さんになった
もう永眠させてやればいいと思うよ。
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