シスターですわ!

 シスターとして教会に身を寄せて一週間。

 いくら前世の知識を持っているとはいえ、貴族の生活を謳歌してきたメルナスにとってシスター見習いとして過ごすこの一週間は地獄のような日々だったことだろう。


「ああ、メルナスさん、こちらにいらしたんですか。随分と早起きなのですね。一緒に皆の朝食の準備を──」

「くっ、このわたくしが早起きして朝食の準備など……! 終わりましたわ!」

「え、ええ。これをお一人で……?」


 かつては時間になれば食事が運ばれ、


「おい新入り、汚れた子供たちの服を洗っとけ。当然、冷えた井戸水であんた自身の手でな」

「くっ、このわたくしが冷水と洗濯板で手洗いなど……! 終わりましたわ!」

「お、おう。お疲れ……」


 メイドに脱がされた服は皺一つなく返って来て、


「メルナスさん、礼拝堂のお掃除を手伝っていただきたいのですが……」

「くっ、このわたくしが礼拝堂の隅々までお掃除など……! 終わりましたわ!」

「あ、あら? ありがとうございます……?」


 何も言わずとも身の回りは清潔に保たれ、


「新入り、神父はいねえが来週からまた教会を開くから挨拶ついでに村の人たちに伝えとけ。一人一人丁寧にな」

「くっ、このわたくしがこれからお世話になる村人たちにご挨拶など……! 終わりましたわ!」

「あ、ああ。おかえり……」


 相手の方からこぞって挨拶をされる立場であり、


「ねえシスター、一緒に遊ぼ……?」

「くっ、このわたくしが子供のお守など……! わたくし、お馬さんやりますわ! ブルヒッヒーン!」

「わーい! きゃっきゃっ!」


 平民の子供などとは決して目を合わせることもなかったメルナスにとって、間違いなく地獄であったことだろう……!

 そんな地獄の日々に耐えるメルナスを、一日と待たずに音を上げて逃げ出すと思いながら一週間眺めていた先輩シスター、フェルはというと。


「なあシスター長、あいつ本当に貴族のお嬢様だったのか……? いや口調はお嬢様そのものだけど……」

「はい。お隣のクルストゥリア家という貴族の一人娘だそうです」

「クルストゥリア……って公爵家じゃねえか!?」


 あまり色眼鏡で見てほしくはないと、元公爵令嬢であることは隠して家名だけを伝えたミケだったが、フェルはすぐにその家名が公爵家のものであることを言い当てた。


「確かにその通りですが、よく隣国の公爵家の名を知っていましたね」

「たまたまだ。……だけど本当にあれが公爵令嬢サマなのかよ。ガキどもにあんなオモチャにされたらあたしでも怒るぞ」

「きっと子供好きなのでしょう。良いことじゃないですか」

「それはそうかもだけど……」


 納得していない様子のフェルを尻目にミケは朗らかに笑って、夕食の準備が出来たとメルナスと子供たちを呼び寄せた。

 泥だらけになった子供たちは最初の警戒が嘘のように笑顔でメルナスに乗って駆けてくる。

 そして子供たち以上に汗と泥にまみれたメルナスも幸せそうに笑っていた。


わたくしは馬! 庶民に跨られて嘶く馬ですわー!)


 幸せの形は人それぞれである。それを否定する権利は誰にもないのだ。それはそれとして品性は疑わしい。


「さあ、中に入って。こら、レフィ、いつまでもメルナスさんに乗っていないの」

「はぁーい」

「ご苦労様、メルナスさん。着替えて汚れを落として来たら食事にしましょう」

「ブヒッ、ブヒヒィーン!」


 豚の間違いでは?




 ◇◆◇◆




「それではこれで本日の礼拝は終了となりますわ! 皆様に女神フローレンスの御加護をあらんことを、ですわ!」


 神父がいないながらも開かれた教会で行われた公礼拝は恙なく終了した。

 祈りは真摯なものではあるが、そうお堅いものでもない。メルナスの前世でたとえるなら病院の待合室のような、地域の交流の場に近い。

 村人たちがそれぞれの仕事に勤しむ毎日を送る中、宗教儀式という名目で週に一度集まる場を提供する。そうした団結こそが苦難を乗り越える力となり、女神の加護となるのだ──というのはメルナスの持論だが。


「メルナスちゃんが来てから一層教会が華やかになったねえ」

「あら嬉しい事を仰ってくださりますのね! おほほっ、高嶺の花も悪くはありませんが野に咲く花もいいものですわ」

「んだんだ。しっかりしてるし気立てもいい。どうだい、シスターやめてうちの息子に貰われちゃくれねえか」

「ちょっと好青年過ぎてわたくしには勿体ないですわね。もっと小汚い……もとい野性的な方が好みですの」


 そんなメルナスはこの一週間ですっかり村に溶け込んでいた。

 挨拶回りや日々の買い出しなどで交流していたおかげだろう。肝心の領主様はどうやら出張か何からしく未だに屋敷には戻っていないが。

 だが領主がいないながらも平和な日々を過ごせているのは良いことだ。ちなみに山賊被害はここ数年は出ていないらしい。


「さーて、お次はお昼の準備ですわねっ。お野菜のおすそ分けをいただいたのでお野菜たっぷりのポトフを作りますわよ! くっ、このわたくしがあり物からメニューを考えるなどっ」


 村人たちを見送り、野菜が一杯に詰まった籠を抱えてよたよたと炊事場へと向かうメルナスだったが、その道中で誰かにぶつかり体勢を崩して尻もちをついてしまう。


「あいたた……」

「ちょっと面貸せ、新入り」


 激突事故の相手は先輩シスターフェル。メルナスを見る目は鋭く、敵意すら感じさせる。

 なおメルナスが来るのを待ってわざとぶつかりに行ったのだが、小柄なフェルも押されて尻もちをついていた。


「え、でもわたくし、これから昼食の用意が……」

「シスター長に任せとけ。第一、お貴族が料理なんざするかよ」


 メルナスが来てからは三食に一食はメルナス作であるのだが、そういう事ではないのだろうとメルナスは察し、神妙に頷いた。


「分かりましたわ。行先は人気のない校舎裏……もとい教会裏でよろしいかしら?」

「ああ」


 明らかに友好的ではない様子の相手に自分から人気のない場所を提案するメルナスに、やっぱりこいつおかしいと思いながらも表情には出さないフェル。胸に留めず言ってやるべきだ。……それはそれで喜ぶので無駄であるが。


(これは先輩による後輩イビリですわね! 出る杭は打たれる奴ですわ! 村の若い衆を用意していたりするんでしょうか! 人気のない場所でわたくし、何をされてしまうんでしょうかねえ!)


 こいつ無敵か?

 あまりに酷い内心を隠して、いや表情に漏れてはいるが、メルナスはるんるん気分でフェルの後を追った。

 当然ながら、教会の裏には誰もいない。村の若い衆は今頃家で午後の仕事に向けて英気を養っている頃だ。


「お前、一体何を企んでる」

「企む? 言っている意味が分かりませんわ」


 暫し無言を挟んで、背を向けたままフェルが口を開いた。

 メルナスに対する疑念が籠った声であった。


(キター! ですわ! 難癖ですわ! 適当な理由でイビられてしまいますわー!)


 他に誰もいなかったのは残念だがそれはそれとして状況を楽しむメルナス。

 この一週間、メルナスを観察し、その賢明な姿に絆されかけながらも信じ切れずに意を決して呼び出したフェルが不憫だ。

 フェルは振り向き、完全に敵意の籠った視線でメルナスを射抜く。


「何をしたのか知らないが、追放された公爵令嬢がシスターなんてやれるはずがねえ! シスター長たちは騙せてもあたしは騙されない! 大人しくシスターやってるふりして何を企んでる!? 何を待ってるんだ!」

「くっ、このわたくしに対してなんという物言いですの!」

「はっ、尻尾を出したなっ。貴族なんて皆そうだ、あたしらを見下して同じ人とも思っちゃいねえ!」


 今日まで散々使ってきた言い回しだが、場面が場面だけにフェルにはメルナスが悪役令嬢が本性を現したように見えているのだろう。

 曇った目では真実は見通せない……が、別に見通す必要もない真実なので問題ない。


「この教会はあたしの家なんだ。お前の復讐の道具にされてたまるか」

「へえ? だとして、どうする気ですの?」


 と、ここでメルナスが周囲をきょろきょろと見渡す。

 これは何処からか屈強な男どもが集まってきてあんなことやこんなことをされるパターンだと確信していた。


(まったくもうっ、焦らし上手なんですからっ。がっかりしたところにサプライズだなんて粋な計らいですわ! ノエルさんちの息子のブッシさんとかわたくし好みの体型なので是非登板してほしいですわー!)


 繰り返すが当然、誰も現れることはない。ノエルさんちのブッシくんは親子で街に買い物に出かけている。日頃の感謝を込めて母ノエルにプレゼントを買ってあげるつもりだ。


「力づくでも出ていってもらう」

「ほう。まさかとは思いますが、あなたがお相手してくださるおつもりで?」


 台詞から悪役感と強キャラ感が溢れ出しているメルナスに、フェルは修道服の何処に仕込んでいたのか、木を削って手作りした木刀を向ける。

 剣先に震えはない。虚勢ではなく、多少腕に覚えはあるようだ。


「ほうほう! それでそれで? その硬くて太いモノでわたくしをどうするおつもりなんですの!?」

「決まってんだろ、こうしてやるんだよ──!」


 振り下ろされる木刀が迫って来る。メルナスにはそれがスローモーションのようにゆっくりと見えていた。けれど体は動かない。動いたとしても避けなかったが。

 もしもこれがリオネだったならば、原作主人公であったなら、どこからともなくイケメン王子様が生えてきて受け止めて庇ってくれたのだろう。しかし、ここにいるのは主人公ではなく悪役令嬢。

 悪役令嬢の務めとは王子様と恋に落ちることではなく、やられて情けなくぎゃふんと叫ぶことである。

 無情にも木刀はメルナスの肩を強かに打ち付けた。


「きゃううん!」


 ……上がったのは痛みに悶える悲鳴ではなく、恍惚とした黄色い──或いは桃色い──悲鳴であった。


(こ──っれはやべーですわ! 貴族やってたら絶対に味わえないレベルの痛みですわ──!)


 目覚めた性癖は殴打すらも悦びに変えてしまっていた。もう公爵令嬢には戻れそうもない。

 だがメルナスは痛みへの耐性を獲得したわけではない。一昨日箪笥の角に小指をぶつけた時などは貴族どころか女が出していい声ではない叫びを上げて小一時間泣き叫んでいた。

 そんなメルナスが木刀の打撃に恍惚の声を上げる余裕があるのは、シチュエーションにある。

 シスターとして心から染まり切っておらず、元公爵令嬢という肩書がまだ色濃く残っているメルナス。

 それに対峙し、身分知らずにも敵意を向ける僻地の一般不良シスター。

 追放される前のメルナスなら、いや前世の記憶を取り戻す、性癖に目覚める前のメルナスであれば、絶対に見下し、嫌悪し、侮蔑していた相手からの暴力。逆転してしまった立場。

 ありとあらゆる要素がメルナスにとって屈辱となって襲い掛かる。それこそがメルナスにとって何よりの興奮材料だった!

 言うなればシチュエーションと自分に酔っていた。


「これ以上痛い目みたくなかったら今すぐ出てけ!」


 腰砕け、地面に座り込んだメルナスを見下し、フェルが叫ぶ。

 見上げる者と見下す者が物理的にも逆転した時、メルナスは。


(最っっっ高ですわぁ、たまりませんわぁ……見ていますか、前世のわたくしわたくしはあなたではないけれど、あなたの夢は、憧れは、わたくしが叶えましたわよ……)


 涎と涙を垂らして打ち震えていた。完全にイってしまっているやばい顔をしていた。

 義憤に燃えるフェルには醜態と映っても痴態とは映らないのは幸いか。


「ふふっ、ふひっ……おやりになりますわね、フェルミナ嬢……」

「っ……!?」


 もはや逆転の余地はない。このまま精神は満たされながら、肉体が悲鳴を上げて限界を超えるまでメルナスは嬲られ続けることになる、はずだった。

 しかし頬を上気させ、潤んだ瞳でフェルを見上げたメルナスが呼んだ名に、フェルは目に見えて動揺し、剣先をブレさせた。


「なん、で……どこでその名前を……!?」

「フェルミナ・キャロッツ。クルストゥリア家の遠い親戚であるキャロッツ伯爵家の使用人との間に生まれた子でしょう? 伯爵の寵愛を受け、隠れて暮らしていたのを正妻に見つかって母と共に追い出されたと聞いていますわ」


 ここでメルナスの口から明かされる衝撃の事実。なんと二人は遠い親戚関係にあったらしい。

 メルナスはその事に最初から気付いていたのだ。気付いた上で、親戚にぶたれて悦んでいたのだ。救いようがない。


「知ってたのか……っ!? どうして、一度も会ったことがないはずなのに」


 使用人の子となれば余程の事がなければ貴族としては認められない。

 シスターフェル──フェルミナも伯爵の妻にその存在が知られるまでは平民として、父の顔も知らないまま母と共に静かに暮らしていた。

 父親が誰であるか、傍流とはいえ公爵家に連なる血が流れていることは教わっていたが、メルナスとは互いに面識などあるはずもない。


「目元が伯爵そっくりですもの。あと身長も」


 メルナスも伯爵と深い繋がりがあったわけではない。会ったのは片手で数えられる程度に過ぎない。

 思い出した前世の原作知識にもフェルミナは登場しない。それでもフェルとフェルミナを結び付けられたのは公爵令嬢として受けた厳しい教育の賜物だろう。無駄にハイスペックである。


「くっ、うっ……」


 一歩、フェルミナが後ずさる。

 フェルミナがメルナスを追い出そうとしたのは今の自分の家族を守る為、そのはずだった。

 だが一体自分が何者であったのかを知られ、考えないように義憤で覆い隠していたもう一つの理由が脳裏にちらついて離れない。

 自分たち親子を排斥した貴族に対する個人的な恨み。家族を言い訳にした個人的な八つ当たり、そんな後ろ暗い理由が自らを駆り立てた本当の理由なのではないかという疑念。

 打たれた肩を押さえ、涙を滲ませながらも笑みを消さないメルナスに、それを見通されているようだった。


「あら、どうしましたの。この程度で満足出来るはずがないでしょう。さあ、もっと打ち込んできなさいな」

「満足……? 違う、あたしは、ただ、みんなの為に……」


 絶望的に会話がすれ違っていた。

 ぶつぶつと違う、違うと繰り返し、思考の袋小路へと至ってしまったフェルミナに痺れを切らしたメルナスが地面へと向いていた木刀の先端を掴む。


「さあどうしました! わたくしは逃げも隠れもしませんわ! もっと! 強く! 激しく! 叩きなさいな!」

「ひっ……」

「さあ! さあさあさあさあ!」


 ゴリゴリと額に木刀を擦り付けて迫るメルナスに動揺するフェルミナが恐怖を感じるのも無理はない。目は血走っているし。

 やがて力が抜け、フェルミナの手から取り落ちた木刀が地面に転がる。

 自らの浅はかで幼稚な復讐心を突き付けられたフェルミナは膝をつき、涙を流していた。


(一発で終わりなんて! 泣きたいのはこっちの方ですわ!!!!)


 お前は自分で壁に頭でも叩きつけてろよもう。

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