出会いと別れですわ!
「うっ、うっ、お、お達者で、お嬢様……!」
「あいあい。今までお世話になりましたわね、ローレンス」
公爵家を追放され、生まれ故郷であるヴェルフェクス王国を飛び出しお隣ノルフェスト王国、ソルランド領。
手荷物にローラーのついたキャリーケースを持って、メルナスはその地に足を下ろした。
幼い頃にメルナスが贈ったハンカチで溢れる涙と鼻水を拭う庭師兼御者のローレン爺の肩を気楽に叩いて慰める。
父と母はついてくるわけにはいかず、公爵家で別れは済ませてきた。それぞれ仕事で家を離れていた二人の兄も駆けつけ、親子そろってわんわんと泣かれてそれを宥めた後だ、慰め方もおざなりになろうというもの。
そうしながら、道中もずっと無言であったニーナに視線を向ける。
本来なら彼女とも公爵家での別れとなるはずだったのだが、御付きのメイドとしての最後の仕事であると此処まで同行してきた。
「ニーナも、お世話になりましたわね」
「……お嬢様がお生まれになってから十七年、嫁入りまで誠心誠意お仕えするつもりでおりました。それが、それがこのような形で辞することになろうとは……!」
「いやあなたがメイドになったのは
行き倒れていた孤児であったニーナを拾い、メイドとして雇うように父に嘆願したのはメルナス自身。それだけで十分感動的な話なのにこのメイド、捏造感動話を盛ってきた。悲劇のヒロインを気取るつもりはないが、その役をニーナに譲るのも面白くなかった。
「お嬢様……やはり私には納得出来ません!」
「無視すんじゃねーですわ。その無視は全然キュンキュンしませんわ」
「お嬢様、どうか私も共に! 私はお嬢様がこんな辺境の地で惨めに野垂れ死んでいくかと思うと、心が張り裂けそうなほど痛むのです!」
「わざわざ惨めとか野垂れとかつける必要ないですわよね」
わざとならばキュンとしたかもしれないが、完全に天然だと分かっているのでメルナスの琴線には触れなかったらしい。同じ天然でもリオネと違うのは長い付き合いであるが故か。
「心配しなくともぼちぼちやっていきますわよ。手切れ金で軍資金もたんまりとありますし」
「ううっ、本当に行ってしまわれるのですね……なら、ならせめて週に一度は顔を見せに帰ってらしてください……!」
「追放だって言ってるでしょうが。単身赴任のリーマンだってもっと頻度少ないですわよ」
「これは旦那様の願いでもあります……!」
「勘当した本人が言っちゃいます?」
原作ゲームのメルナスの公爵家での生活がどうだったのかは知らないが、この調子なら大人しく追放されてた方が原作メルナスでももっとマシな最後を送れたのではないか。ゲームのこととはいえ、不憫でならなかった。
「とーにーかーく!
「ほれ、ニーナ、ハンカチ貸してやるから」
「ずずっ、ずびっ、ずずずーっ! ……はい、お嬢様」
使い回されて鼻水塗れになった贈り物のハンカチを何とも言えない目で見つつ、泣き止んだニーナに頷き、腰に手を当ててさらに一喝。
「良し! ならさっさとお帰りなさい! お父様たちによろしくね!」
「ううっ、はい……!」
ニーナを乗せた馬車が走り出す。
「どうか、どうか、お元気でー!」
「うげ汚え! ですわ!」
窓から顔を出し、ニーナがハンカチを振るう。風に乗って流れてきた鼻水をお嬢様らしからぬ悲鳴を上げて避け終えた後にはもう、馬車は見えなくなっていた。こんな別れ方でいいのか?
「……泣きたいのは
しかし、流石のメルナスも一人になって本音がぽろりと零れる。
いくら原作を思い出し、自ら選んだ追放と言えども家族や幼い頃からの付き合いのニーナとの別れ。思う所がないわけではない。ローレンとの思い出はハンカチ贈ったぐらいで特にない。
「ふぅ!
悲しみは胸にしまって、明るい声でメルナスは笑う。
既に教会への話は父ディードがつけてくれている。何事も初めが肝心だ。明るく笑顔で元気に挨拶、一日でも早く立派なシスターになる為にも、いつまでも落ち込んではいられない。
心機一転、キャリーケースを引きずりながらメルナスが歩き出す。
身を寄せる教会がある村までは此処からそれほど離れていない。これからシスターとして世話になる元令嬢が馬車で乗り付けては心証が悪かろうと途中で下ろしてもらったのだ。
ニーナは僻地とは言っていたが別に未開の地でもなんでもない。この辺りは長閑だが、国境に面する地域だ。近くには通商の要ともなっている大きな街もある。ただそちらが重要視されるばかりにこちらはあまり目が行き届いていないようでもあるが。
──と、モラトリアム中に書物で読み込んだ浅い知識を思い出しながら進むメルナスに忍び寄る怪しい影。
「おーっと待ちなぁ! げへへ、その身なりは隣国の貴族だろう? こんな所に一人でいるなんて、何やら訳ありみたいだが運がなかったな。金目の物を差し出すだけなら命だけは助けてやるよ」
「ひっ……!」
前途多難。ニーナたちと別れてすぐに野生の山賊A、Bとエンカウントしてしまった限界性癖お嬢様メルナス。
刃物をちらつかせながら脅されれば、いかに図太く限界性癖に目覚め始めた彼女であっても怯え、震え、悲鳴を上げることしか出来ないのか。
「おっと、悲鳴を上げても無駄だぜ? オレたちゃこの辺りで噂の泣く子も黙る山賊よ。誰も助けになんて来やしねえぜ」
キャリーケースの中には手切れ金として渡された大量の金貨が詰まっている。それを奪われてしまえば、無償の愛を与えてくれる教会と言えど追放された公爵令嬢という厄介そうな人間を受け入れてくれるか分からない。
諦めるな、誰かに届くと信じて悲鳴を上げて助けを呼ぶんだ、メルナス!
「ひっ、ひっ────ヒャッハー! 山賊ですわー!」
なんて?
「え、あ、うん。山賊だけど……」
「ちょーっとお待ちになってくださいね! 山賊と言えば服をビリビリ破いて乱暴するもの! 破く服は多い方がいいですものね! 今すぐ黒タイツ履きますから! 破かれた黒タイツと白い素肌とのコントラストは滾りますわよー!」
「いや金目のもの……」
「あーはいはい! 網タイツの方が破きやすいですわよね! 勿論用意してありますわ!」
「網目じゃなくて金目……」
キャリーケースを開けて穴の大きめな煽情的な網タイツを取り出したメルナスはケースを椅子代わりに靴を脱いでいそいそと網タイツを履こうとし始める。
だが震える手足のせいで中々通させてくれない。ひょっとするといきなりすっとんきょうな事を叫んだのも内心の恐怖を隠して時間を稼ぐ為の奇策だったのか。
(やっべ、追放早々山賊に出会えるなんて思っていませんでしたわ! 滾ってしまって上手く履けませんわ! 破かれる前に
そんなわけはなかった。
前世の記憶を取り戻しながらも、未だに自分の性癖が何であるのか自覚がないメルナス。しかし一度琴線に触れてしまえばその暴走は彼女自身にも止められない。このまま山賊に身ぐるみを剥がされ、ここでは記すことの出来ないような目に合ってお気の毒でもないがメルナスの悠々自適な第三の人生は始まった直後に終了しました。
「お、おい兄者、こいつなんだかおかしいぞ……?」
「あ、ああ。怪しすぎる……」
とならないのが悪運の強いメルナスである。
慣れない網タイツに四苦八苦する限界性癖お嬢様(元)を余所に及び腰となる山賊二人組。疑わず欲望に素直にいけば酒池肉林も夢ではないのだが。
「もしかしてこいつはおとりで、今にオレたちを捕まえに騎士連中がやってくるんじゃ……」
「それだっ。訳ありだとは思っちゃいたがどう考えてもおかしすぎる、こんな貴族の娘がいるはずねえ」
美人局扱いされているなど夢にも思わない──というより聞こえていない──メルナスは焦る心を必死に落ち着かせながらようやく片足をタイツに通したところだった。
「兄者、ここは退いた方が身のためじゃないか?」
「そうだな。初犯で捕まるなんて山賊の名が泣いちまうぜ……!」
どうやら話はまとまったらしかった。
夢中になっているメルナスに気付かれないように山賊たちはそーっと踵を返し、
「やーっと履けましたわ! さあ! どうぞ! 勿論
「すたこらさっさー!」
「あらほらさっさー!」
メルナスが顔を上げる頃には山賊たちは遥か遠く。そのまま森の中の木々に紛れて視界から消え去ってしまっていた。
残されたのは両手を広げる網タイツ姿のメルナス一人だけであった。
「ど、どうして逃げるんですのー! 鴨が葱を背負ってお鍋に火をつけてるんですわよー!?」
今日一番の大声に鳥たちが飛び立っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます