追放ですわ!

 中庭に用意されたテーブルを二人で囲みつつ、酔い覚ましに頼んだレモンティーを口にしてその酸っぱさにメルナスは顔を顰める。

 砂糖をしれっとどばどばと投入し、満足する味になったところで俯くリオネにメルナスの方から声を掛けた。


「それで? 本日はどのようなご用件ですの?」


 今となっては何の恨みも妬みも、含む感情が一切ないメルナスの口調は優しかった(メルナス比)が、リオネはびくりと肩を震わせた。


(そんなに怯えなくともいいですのに。というかわたくしが主犯やってたイビリなんて全然マシな方ですわよ? ……っていけませんわ、完全にいじめっ子の身勝手な言い分ですの)


 まだまだお嬢様気分が抜けきらない自分を自省して、咳払いを一つ。


「ご安心くださいな。わたくしはもう何も出来ませんわ。学園の生徒ではなくなり、貴族ですらもうすぐなくなるのですから。あなたがこうして訪ねて来なかったら、もう二度と顔を合わせることもありませんでした。次はないでしょうから、言いたい事があるのなら今の内に全部言っておいた方がすっきりしますわよ」

「え……生徒じゃないって、それに貴族ですらって、どういう……?」

「明後日、婚約破棄の書面にサインをした後に勘当されて隣国に追放されることになっていますの。……聞いておりませんの?」


 原作ではどうだったか、と記憶を辿って、そういえば断罪イベントの後に暗転して追放されることになった、と短く書かれただけだったなと思い出す。本来なら婚約破棄が正式になされた後に知るはずだったのだろう。

 それがどういうわけか今、リオネが一人でメルナスを訪ねてきたことで原作からずれているのだ。


「国外追放だなんてっ、そんな……!」

「納得出来ませんか? そうですわよね。けれど公爵令嬢と男爵令嬢ですもの。いくら証拠と証言を集めたところで、流石にそれ以上のお咎めはありませんわ。納得してください、とは言いませんけれど」


 リオネに対する数々の悪行、申し訳ないとは思っているがそれで死罪なんてことにはなりはしないし、そうなればメルナスとて受け入れられない。リオネが納得できずともこれで手打ちとするしかないのだ。


「そうではありません! いくら何でも公爵令嬢であるメルナス様にそんな仕打ち、酷すぎます!」

「はい?」

「メルナス様にはその、酷いことを言われたりしました……でも私はやめてもらえればそれだけで良かったのに……それにライオット様が集めてくださった証拠を読ませていただきましたが、メルナス様にされた事以外の方が多かったですっ。あそこまで酷いことをメルナス様はなさっていません!」


 何やら雲行きが怪しくなってきた。

 ひょっとしてだがリオネはわたくしを庇おうとしているのか? 悪役令嬢であるわたくしを?

 そんなまさかと考えたが、リオネの瞳には涙さえ浮かんでいて、嘘や皮肉を言っている様子はない。


(え、なんて良い娘なの)


 原作よりも人が良すぎる。ゲームではなく、リオネを操るプレイヤーがいないのだからある意味、原作と違って当然なのかもしれないが、それにしたって良い子がすぎた。


「で、でもほら、あなたはライオット様をお慕いしているのでしょ? 婚約が破棄されてわたくしが追放されればあなたたちの仲を邪魔するものはいません……とは言えませんが、目の上のタンコブがいなくなるんですのよ? 棚ぼただと思えばいいじゃありませんの」

「確かに私はライオット様をお慕いしております……でも幼い頃からの婚約者であるメルナス様を押し退けて、身分も違う私などが王子様であるライオット様と結ばれるなんて……そんなの、許されません」

「いやいやいや! 恋は戦争ですのよ! そんな甘っちょろいこと言ってないで蹴落とすつもりで来ていいんですのよ!?」

「だとしてもこんなメルナス様を陥れるような方法は間違っています! この恋が許されるのだとしたら、私はメルナス様と正々堂々と戦います!」

「かーっ! 甘いですわ甘いですわ! この砂糖どばどばレモンティーよりも甘ったるいですわ! あなたは勝者! 私は敗者! 勝者は勝者らしくふんぞり返っておーっほっほっほと笑えばいいんですわ! むしろ笑ってください! なんか散々見下してたあなたに笑われると思ったら滾ってきましたわ!」


 淑女が出していい音ではない音を喉から発し、このままではよりにもよって一番の被害者であるリオネの心に良くないものを残してしまうとメルナスは必死に説得する。……説得か?


「それにわたくしはライオット様なんてよく考えたら別にそんな好きでもなかったですわ! あんな堅物イケメン気障王子なんてこっちから願い下げですわ! あなたにくれてあげますから精々お幸せになりなさいな!」

「なっ、いくらメルナス様でもライオット様の悪口は許せませんっ、撤回してください!」

「そうそれ! それですわ! その強気な目いいですわー! そういうのもっとくださいまし!」


 まだ公爵令嬢のはずだが、とてもそうとは思えない自分の欲望に忠実で浅ましい姿だった。


「意味の分からないこと言ってないで私と一緒にライオット様に会ってください! あの証拠が出鱈目だってお話するんです! そうすれば追放もなくなるはずです! そしてまた学園に戻ってきてください!」

「公衆の面前で断罪された後でいけしゃあしゃあと学園に戻れと!? 可愛い顔してそんな鬼畜なプレイをよく思いつきますわね! ちょっと魅力的で心が揺れてしまいますわ!」


 貴族社会においては階級、家格は絶対。いくら勘当が決まっているとはいえ現役公爵令嬢相手に男爵令嬢がこのように強要めいた口調で訴えればお家取り潰し待ったなしなのだが、そんなことは両者ともに頭にない。

 二人を見守るニーナなど親の仇のような目でリオネを睨んでいた。しかし、ヒートアップを続ける二人の口論もメルナスの溜息で終わりを告げる。


「非情に残念ですけど、その提案には頷けませんわ」

「どうしてですか!? 今回の事はメルナス様も納得出来ていないはずです!」

「大勢の貴族たちの前でわたくしはろくに罪を否定できないまま、無様を晒しましたわ。それをあなたはともかく、断罪した側のライオット様の方から取り下げてみなさい。公爵家が黙っていません。今度はライオット様の信頼が地に落ち、引いては王家の信用問題にまで発展、ライオット様は王子ではいられなくなりますわ」


 たとえ王でも暴君となればやがては討たれる。未だ王ではないライオットならば猶更だ。優秀で誠実な現国王の事、息子であっても忠臣である公爵家の娘に対する侮辱と冤罪には罰を与えるだろう。

 ただでさえ未来の王となる三人の王子にそれぞれ派閥が分かれているのだ、その一角が消えれば貴族社会のパワーバランスは大きく崩れ、混乱が生じる。その割を最も食うのは民だ──と丁寧に説明するメルナスだが、実際にはそんなことになって原作が崩壊した物語の舞台に残るのが嫌なだけである。


「そんな……」


 しかしゲームならいざしらず、現実にライオットと婚約関係にあったメルナスからすれば、今回の件でのライオットは少々迂闊と独断がすぎる。

 恨みはしないが、もう少しリオネと話し合った上で婚約の解消とイジメの解決方法を模索するべきだった。このままでは追放された後の二人の関係が心配だ。


(まあそっちもそっちで別に知ったこっちゃねーんですが)


 前世の記憶を取り戻す前の自分にとってライオットは将来結ばれると信じて疑わなかった相手だが、そこにしっかりとした愛があったかというとそうでもない。未来の王妃になるべく教育を受けてきたメルナスに相応しい相手はライオットだと思っていただけ。

 能力と将来に惹かれていたのであって、人柄は二の次だった、というよりは自分の夫になるのだからそれは素晴らしい人なのだと思っていただけだ。

 今となってはライオットとリオネがどうなろうと嫉妬に身を焦がすことはない。皮肉でもなんでもなく、どうぞご自由にお幸せにという感想しか抱けない。


(だけどもわたくしの件が尾を引いて破局、なんてのも面白くねーですわね)


 後腐れなく貴族を辞めて第三の人生を送りたい。自分はもう受け入れてるのだから二人も悪役令嬢倒したやったーと能天気に喜んでもらいたいものだ。

 仕方ない、とメルナスは渋々ながらとある一手を選んだ。


「で、でも他に何か方法があるはずです……!」


 まだ食い下がるリオネを前に深呼吸を一つ。


「ええいやかましい女ですわ! さっきからぐちぐちと! このメルナス・クルストゥリアが何処の馬の骨とも分からない男爵令嬢風情に情けを掛けられるなど不愉快極まりありませんわ! そもそもあなたは最初から気に入らなかったんですの! あなたと顔を合わせているだけで臍でお紅茶が沸くぐらいイラっとしますわー!」

「え……」


 原作らしく。悪役は悪役らしく。もう一度、自分の意思でメルナス・クルストゥリアという役に殉じることを選ぶ。

 リオネが原作以上のお人良しのいい子ちゃんなら、原作以上に思いつく限りの暴言を並べ立てることでヘイトを向けてしまえばいい。


「あー! 口を開かないでほしいですわー! 口から芋臭さが溢れて田舎臭さが移ってしまいますわー! あーくっさ! くっさいっ、はーっ、くっさぁー! ニーナ!」

「は、はい、お嬢様」

「田舎菌ターッチ! はい今あなたに田舎臭さが移りましたわ! いやーくっさいですわー! もうわたくしは無敵バリアー張ったから匂いは移りませんわー!」


 ただ悲しいかな、前世と今世の知識が混ざりあったことで悪口が小学生レベルに低下していた。

 かつてリオネをいじめていたメルナスは混ざりっけのない純度百パーセントお嬢様であったが、今のメルナスは前世という異物が混じった似非お嬢様、その弊害であった。


「そ、そんな、酷いです、メルナス様……」


 が、その心ない──語彙もない──悪口がリオネの心を深く傷つけた!


「そ、そんな、酷いです、お嬢様……」


 ニーナの心も傷つけた!


「おーっほっほっほ! 田舎臭い小娘の顔なんてもう二度と見たくありませんわ! とっとと帰ってライオット様の胸でも吸ってればいいんですわー!」

「……っ!」


 極悪卑劣な悪役令嬢の暴言に耐えきれずにリオネは涙を溢れさせる。だがまだメルナスは止まらない。やるなら徹底的でなければならない。


「あー泣きましたわ! だっせーですわ! 泣虫弱虫毛虫ですわー! おほっ、おほほっ、おーほっほっほほー! ですわー!」


 リオネは席を立つと逃げるように背を向けて走り出す。その背に向かってなおもメルナスは暴言を吐き続ける。それがいけなかった。


「んほぉっ!」

「お嬢様ァ!?」


 最後の駄目押しがリオネの堪忍袋の緒を切れさせた。踵を返し、つかつかとメルナスに歩み寄るとおおきく振りかぶって平手を一発。メルナスの頬に大きな紅葉が咲く。

 まさか男爵令嬢が公爵令嬢に手を上げるとは。信じられない光景を目の当たりにし、ニーナの頭は真っ白となり、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


「もう知りません! メルナス様のおたんこなす!」


 そしてその間にリオネは捨て台詞を吐き、今度こそ公爵家を跡にした。


「ふ、ふへ、ふひひ……い、いいもん持ってますわ……あっ、この後からジンジンくるのたまんないかもですわ……」


 この二日後にメルナスは公爵家を跡にした。というか追放された。

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