勘当ですわ!
クルストゥリア公爵家 書斎。当主であるディード公爵の帰りを待つ人影が二人。
一人は光を反射して揺れる金の巻き髪を二つ持っていた。金髪ドリルツインテ、悪役令嬢にして限界性癖お嬢様、メルナスその人である。
もう一人はメルナスと同じ金の髪、しかしドリルではなくストレート。メルナスによく似た顔つきを沈痛に歪める女性はメルナスの母、ルミリアであった。
「失礼いたします。……奥様、お嬢様、旦那様がお戻りになられました」
新たに入室したのはメイド服に身を包んだ黒髪。メルナス御付きのメイド、ニーナが同じく沈痛そうな面持ちで家の主の帰還を伝えた。
あの学院の一件の後、ニーナの勧めもあってメルナスは学院を抜け出し、実家である公爵家へと帰還していた。
今のライオットには何を言っても無駄、取り付く島もないだろう。しかし父であるディードならばメルナスの話を聞いてくれる。ライオットの決定にも異議を申し立ててくれるはずだという淡いニーナの期待があった。
一方、そんなニーナの提案を受けたメルナス本人は。
(もう覚悟も決めたし身辺整理も出来る分はしたし勘当追放いつでもバッチ来いって感じですわー)
完全に諦めていた。
帰宅後、一体何があったのかと駆け寄ってきたルミリアへの説明をニーナに丸投げし、さっきまで自室に引きこもっていたメルナスはこれからの展開を原作知識から推測して行動していた。
ちなみに母ルミリアは傷心の娘の内心を思い、泣きはらしていた為、目は化粧で誤魔化しきれないほど真っ赤である。
「大丈夫よ、メルちゃん。お父様ならきっと分かってくれるわ。私もメルちゃんの味方よ」
「うっす」
それが心配してくれている母親に対する態度か。
フォローするわけではないが、父が帰ってくるまでの短い時間に色々と忙しく働いていたメルナスは疲れ切っていた。対応がなおざりになってしまうのも無理はない……が仮にも公爵令嬢がしていい態度ではない。
ルミリアは憔悴しきった我が子の様子に再びハンカチで目元を拭った。
「……戻ったぞ」
ニーナの後を追うように入室する、髭を蓄えたダンディーな男、彼こそメルナスの父であり公爵家当主、そしてヴェルフェクス王国財務大臣、ディード・クルストゥリア。
纏う雰囲気は重苦しく、表情も硬いがそれはいつものことだった。
「あなた……! メルちゃんが、ライオット王子が……!」
耐えきれず夫に駆け寄ったルミリアを宥めつつも、視線でニーナに連れ出すように伝え、ニーナが従った事で書斎にはメルナスだけが残され、父と二人きり。
「お帰りなさいませ、お父様」
いくら疲れ切っているとはいえ、流石に厳格な父を相手に舐めた態度を取るのはマズイと知っているからか、淑女の仮面を被りなおしてメルナスが父を迎える。
なお内心ではこの後の既定路線をそのまま突っ走る気満々である。
「昼間、ライオット王子から私に宛てた書簡が届いた。内容については説明するまでもないな?」
「はい。承知しております。
暫し親子は見つめ合い、ディードは深く重い溜息を漏らした。
メルナスの対面へと座り、手に持っていた書簡をテーブルへと投げ出す。封から飛び出た手紙にはメルナスの予想通りの内容が羅列されている。読む気にもなれず、メルナスはすぐに興味なさげに視線を外した。
「何故、このような愚かな真似をした?」
厳しい、詰問する口調。此処に立っているのは父ではなく、公爵としてのディードであった。
「リオネ男爵令嬢が気に入らなかったからですわ。お父様相手だと流石に興奮しませんわね」
「なんて?」
「んんっ! ともかく婚約者であったライオット様の周りをちょろちょろする彼女が気に障ったんですの」
何か幻覚が聞こえた気がして聴き返したディードにメルナスは素知らぬ顔で繰り返した。もうこの娘さんは救いようがないのでさっさと沙汰を下した方が公爵家の為だと思われる。
「だとしてもこのような短絡的な……お前ならもっとやりようもあったろうに」
「
「……その様子だと覚悟は決めているようだな」
ディードは悪びれないメルナスに違和感を覚えた。自分の知る娘ならば、もっと言い訳を重ね、自分には非はなく、如何にリオネが気に入らない娘かを語って来るかと思っていたからだ。
だがどのような態度を取ろうとも、既に決断した決定を覆すつもりはない。
「如何様にも。全ては
再び大きな溜息を零し、ディードはさらに重くなった自身の口を開いた。
「証拠も出揃っている。婚約の破棄を回避する術もない……メルナス、お前は我が公爵家の恥だ。お前に今後、クルストゥリアの名を、貴族を名乗る資格はない」
「……それは、つまり」
「我が公爵家に、いいや、この王国にお前の居場所はなくなると思え。お前を勘当とし、国外へと追放する事で今回の件を収める」
王子から婚約破棄を突き付けられ、より盤石となるはずだった公爵家の未来を台無しにした。
だが一人の少女の愚行に対してあまりに重すぎる処罰。しかしそうしなければ今回の件を他の貴族たちにつけ込まれ、さらに公爵家は王国での力を失うことになる。家を守る為にはそうする他なかった。
メルナスが推測した通り、事はライオットとメルナス、当人同士の問題ではない。メルナスを陥れようとする他の貴族たちの思惑が深く絡んでいた。
ディードとしても苦渋の決断だった。だが当主として、そして王国の未来を左右する立場にある大臣として、今王宮内での発言権を失うわけにはいかない。ディードは父であることよりも多くの国民と国の金庫を預かる財務大臣であることを選んだ。
恨んでくれて構わない。いくら娘に非があろうとも味方である事が本来の父としての自身がすべきことなのだから。
「あ、はい。分かりましたわ。まあそうなりますわよねー」
「……うん、そうなるんだけどね」
なんか娘の反応、軽くないか?
もっとこう、お父様まで裏切るんですの! とかお父様の事を信じていましたのに! とか。涙ながらの恨み言を受け止めるつもりでいたのだが。
「そうなると思って、お父様から
「あ、ああ。やけに準備がいいな。というか勘当だよ? そんな後の事まで考えなくとも……」
「さっきまでは
この場合の置き土産ならもっと滅茶苦茶にしてやる、みたいな問題事なのでは? と父は思った。
メルナスに預けていた商会含めた諸々の事業は公爵家に結構な利益を齎していたのでありがたい限りではあるのだが、この局面でそんな事に気を回さなくとも全然気にしなかったのに。
「
「うん……」
ドライな娘にしょぼんとするディードだが、後にメルナスが残した新規事業案や事業改革案により莫大な利益が公爵家に齎され、お詫びどころかお釣りが出るレベルの成果を出すことになる。前世の知識を使ったチートなので当然である。
「今更学園には戻れませんし、このまま退学して正式に用意される婚約破棄の書面に署名するまでは置いてくださりますか?
「あ、ああ。書簡を受け取った時に正式なものをすぐに用意するとも言っていた。それまでお前は公爵家の娘だとも」
「あら、今後もう家名は名乗れないのでは? なんて、冗談ですわ。お父様のご寛大な御心に感謝いたします」
そんな風におどけてみせるメルナスはやはり、自分の知る娘でありながら一皮剥けたような貴族の顔をしていて、ディードは自分もライオットも早まった決断を下したのではないかと思わせた。
◇◆◇◆
父から勘当を言い渡されて五日。
メルナスは自室に引きこもり、食事以外では家族と顔を合わせない生活を送っていた。
「あ゛ー……気楽なもんですわぁ……」
訂正。重苦しい空気に耐えられず家族を避けて引きこもった自堕落な生活を満喫していた。
断罪イベントを回避出来なかった時点でメルナスの運命は決まった。原作通り勘当と国外追放の回避は不可能。
原作のメルナスはそれに納得できず、この一週間の軟禁状態の間に家の金庫から金を持ち出して逃げ出し、物語終盤でごろつきを雇ってリオネに復讐しようとするも失敗。ならば自らの手でとリオネを襲うがライオットの手で捕らえられ、余罪を含めて追及され、処刑されることになる(なおその結末はモノローグの数行で済まされる)。
勘当と追放は避けられなくとも、それに素直に従えば死亡エンドは避けられる。そうと分かればこの一週間は貴族から庶民へと落ちるモラトリアムだ。
幸い前世の知識のおかげで生き延びる術、というか庶民に落ちることを受け入れられれば生きていくことはそう難しくない。
しかも原作でどうだったかは知らないが、父から追放する時には庶民が一生暮らすのに不便しない分のお金を手切れ金として渡すと約束された。贅沢は出来ないが第二の人生、いや第三の人生を謳歌できると分かればこの堕落っぷりもむべなるかな。
「昼間からぐーたらしてワイン飲んでほろ酔い気分なんて前世では考えられませんわー」
前世どころか今世でもそんな貴族令嬢はいない。だがこれでも最初の一日、いや半日は気を張っていた。
元々家をすぐにでも追い出される可能性を考えて、色々と跡を濁さずに立ち去れるように引き継ぎ資料を作っていたのだが、ふたを開けてみればこの自由な謹慎生活である。
勘当と追放というから重罰のように聞こえるが、実際には裁かれるような罪状は公爵令嬢であるメルナスにはないし、王国からの罰ではなくあくまで公爵家内で収まる話だ。
前世の記憶を思い出したメルナスからすればご近所の目があるからお前ちょっと実家出て一人暮らししろ、と言われたぐらいの心持ちである。
それも国外とはいえ国境を挟んですぐ隣。その気になって早馬を飛ばせば此処、王都からも一日の距離。父からも変装して会いに行くし会いに来いと暗に言われていた。
言うなれば卒業後、就職前の休暇のようなもの。自堕落にもなろう。……前世の自分を他人として捉えている割には順応が過ぎるが。
ちなみにこんなだが追放後の身の振り方についても一応は考えていた。
手切れ金を使って適当な家を買って悠々自適なスローライフ。
もしくは教会のシスターとして慎ましやかに健やかに生きていくか。
原作通り逃げて復讐? 御冗談を。
スローライフというのも憧れはあるが、実際に自給自足の農業生活をするとなると知識があまりに足りない。前世の仕事に忙殺された記憶のせいで憧れだけが先行している感じはある。
一方シスターとして生きる方法。公爵家の一人娘であるメルナスには縁のない話だが、貴族の中には末女を嫁ぎ先が見つかるまでシスターとして育てる家もある。淑女は貞淑であれ、そんな共通認識のための売れ残り防止だ。
ヴェルフェクス王国も、追放先であるお隣、ノルフェスト王国も崇める神は変わらず、フローレンス教のみの一神教。作法などは淑女として身に着けている。余計なプライドのない今のメルナスなら自己責任のスローライフよりは生きやすいだろう。
人の口に戸は立てられない。メルナスの正体も察せられ、勘当された訳ありの元公爵令嬢となれば難色を示すかもしれないが、手切れ金を寄付すれば問題ない。教会も世知辛いのだ。
「そうなるとこんなぐーたらは出来ませんわよねえ。うん、禁酒しますか」
ほろ酔い気分で出した結論だったが、前世と違い、そして貴族の面倒臭い柵からも解放されれば酒に逃げなければならないほどのストレスを抱えることもない。
残ったグラスの中身を飲み干したメルナスはあっさりと禁酒を宣言し、ソファに身を投げ出した。
「せっかく前世知識を手に入れたんだし、有効活用してイージーに生きたいですわねえ。原作知識は今更役に立ちませんけど」
原作の流れは思い出したが、前世の全てを思い出したわけではない。頭痛と共に流れ込んできた記憶は無駄に長い映画を無理やり見せられたような感覚で、だんだんと薄れていってさえいる。
だが、それはそれで良いのだろうとメルナスは考えていた。
どうやら前世の自分、彼女は順風満帆とは言えない生涯を送ったらしい。そんな彼女と今の自分を完全に同一視してしまっていれば、きっと欲が出てしまう。前世の分まで、とか。物語の主人公になってやる、とか。それは余計だ。
前世の彼女のような生き方は御免だ。公爵令嬢の立場に無様にしがみ付く原作の私のような生き方も御免だ。というか死んでるし。
欲をかかずに楽にのんびり生きるで十分じゃないか。原作ゲームの自分ではなく、それをプレイした彼女としての記憶を得た公爵令嬢メルナスはそんな風に現状とこれからを受け止めていた。
それよりも気になるのはあの時から感じ始めた未知の感覚だ、と思考をシフトする。以前までの自分では決して考えられなかったような嗜好に目覚めている気がする。それが一体何なのか、それを一体なんと呼ぶのか。前世の記憶からあと少しのところまで出かかっているのだが、まだ分からない。
あの高揚感を覚えさせられる嗜好を、前世では一体なんと呼ばれていたのだったか。
「お嬢様、失礼いたします」
そんな深く考えない方が絶対に良い思考の深みにはまり始めたメルナスをノックの音が呼び戻した。
ソファに寝ころんだまま、顔だけを上げるとメイドのニーナが硬い表情で立っていた。
流石にだらしなさすぎて愛想を尽かされて軽蔑されてしまったかも、と考えるとそれはそれでまた興奮した。
「あら、もう昼食の時間かしら。お父様もお母様も出ていますし、簡単な物でいいですわよー」
このまま呑気にだらしない事を言えばお嬢様には向けないような目で見てもらえるかもしれない、そんな終わっている思考で手をひらひらと振ったメルナスだが、ニーナの用件は別のようだった。
僅かに逡巡し──勘当と追放が決まり自暴自棄になっているお嬢様に心を痛めて──ニーナが口を開く。
「あの男爵令嬢……リオネ様がお嬢様を訪ねて来られました」
「なにそれ知らない展開」
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