太田変輩、覚悟して!

千原良継

第1話

 本当になんなのか。


 思い出しても頭にくる。ノーミソが沸騰するとはこの事か。

 ムカムカして、自室の壁を足でドンドンと蹴りまくってしまいたい。


 実際やってみたら、隣の弟の部屋の方から「ねーちゃん、煩い! 暴れんなバーカ!」などという姉を姉とも思わない暴言が聞こえてきたので、ドスドスと右拳の壁ドスでお返事してあげたら「う、煩くないです、お姉さま……」という震えた声が聞こえてきたので許してやった。慈悲深い姉をもって幸せね。


 それは、ともかくだ。


 本当になんなのか。全くもって許せない。今日のに比べれば、弟の暴言なんてニッコリ笑ってそよ風のごとく流してしまえるほどだ。壁ドスなんて無かった。


「あの変輩ゴリラ……!」


 枕元に置いているヌイグルミにマウントとってドスドスと両拳を叩きこむ。「ひぃいいいいいいい!」と言う怯えたような声が隣から聞こえてきたような気もするけど、気のせいでしょう。私は、今忙しい。


「あああああああああ! もう! 変輩ゴリラ!」


 思いのたけをありったけこめて、ヌイグルミに叩きこむ。全然スッキリしなかった。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 私が通う高校の野球部は、県内でも割と強い方だ。優勝、とまではいかなくても、毎年最低ベスト4まではいっている。守りよりも攻め重視。豪快さがウリのチームだ。

 仲が良い他校との練習試合では「脳筋揃いの馬鹿ばっかりだ! ピッチャーにはフルカウントまで粘ってファール狙って打って何球投げたか暗算させろ! 二桁いったら知恵熱で自滅する!」「うちの一年エースなめてんじゃねーぞ! そんな暗算ぐらい屁でもねーわ! なあ、安達あだち!」「……お? おおおおおお、おお! へ、へーきだし! よゆーだし! まだ11球目だし!」「「14球目だ、バーカ!」」「敵味方でハモんのやめてくれますぅ!?」などという怒号がいつも飛び交う。正直煩い。


「私達って野球部のマネージャーですよね、確か。練習試合見てると、いつも思うんですけど、保育園の先生やってる気がするんですよね……」「わかる」「超わかる」


 練習試合を見ながら思わず呟いた私の言葉に、両校の女子マネージャー達がこくこくと同意する。


 運動神経の塊のような男子達のプレイは、時々ハッとさせられるほどのものがあるのだけれど、いかんせん頭痛がしてくるほどの馬鹿っぽい言動で、魅力値が底辺を這いずりまわっている。


「おら、来いや安達ぃ! 俺様、加藤様のホームランで泣かしてやる!」


「やれるもんならやってみろ! 魔球【昨日の放課後雨宮女子高のツインテールとゲーセンデートしてたの見たっす加藤先輩】ボール!」


「なんで知ってんだよ、てめえええええ!」


「「「「「「「「加藤くうううううううううん!?」」」」」」」」


 あ、相手チームの四番バッターが三振でアウトになった。自軍スペースで四番バッターが謎の熱い歓迎を受けている。相変わらず、こことの練習試合はメンタルを削りあうラフプレイがまかりとおるなあ。


 しかし、なんだかんだで試合展開は一進一退を繰り返している。


 いまさっきの打球なんて、背後を抜けたと思ったのに、相手チームのセカンドが咄嗟に背中に回したミットでボールを弾き、走りこんできたファーストがヘッドスライディングで見事にキャッチしていた。さすが、「鉄壁」と言われる内野だ。全然隙が無い。


「なんであれに反応できるんですか……」「うちのセカンド反射神経半端ないからねえ」「ファーストの上野うえの君なんでボールの落下点に走りこめてるの」「何かボールのくる瞬間がなんとなく分かるとか言ってた」「マジか」「マジよ」


「二つ殺した! 後一人ぶっ殺せえ!」


 キャッチャーの加藤さんの声が響く。


「太田だ、注意しろ! 思い切りいけ! 練習試合だ、多少ぶつけても構わん!」


 いや、構うでしょ、それは。


 思わず内心で突っ込んでいると、バッターボックスに大柄な身体が現れた。ドスン、という地響きがしたような錯覚を覚える。


「悪いな、加藤。今日の俺は――調子がいい」


 空気を切り裂くようなスイング。軽く試しに振ったであろう、その音が私の所まで聞こえてきた。


 バットを構え、ピッチャーを視線で射ぬかんとばかりに睨む。ミチミチと全身の筋肉の音が聞こえてきそう。


「来い。この太田豪利おおたごうりが引導を渡してやる」


 低く自信に満ち溢れる落ち着いた声が、キャッチャーの加藤さんに届く――。


「なんか三球三振で二回死んだ四番ゴリラがウホウホ言ってるが気にすんな! 投げろ! 人類の勝利だ!」


「うるせえバ加藤! てめえの頭フルスイングすっぞぉ!?」


 あ、飛行機雲見つけた。いい天気だなあ。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「「お疲れ様でしたー!!」」


 結局、練習試合は引き分けで終わった。まあ、いつもの通り。九回までと決めているので、終了時間はだいたいいつも一緒です。聞いたところによると、十数年前一度決着をつけるべく最後までやったら、金曜から日曜までかかったとか嘘みたいな話がある。嘘だと思っています、私は。


「ハッハー! いやあ、やっぱりホームランは気持ちいいなあ加藤よ!」


「グ……まさかあのインコース振りぬくとは……」


「様子見のアウトコースのボールを投げさせた後に、カーブでインコース狙う癖が抜けてねえな加藤。もうちょっと手塚てづかのストレートを信じてやれよ?」


「……太田先輩が知的なアドバイス言ってる……」「お、おい、上野。俺、今日メットにボール直撃したっけ? 何か変な台詞が聞こえてきたんだが」「太田が人類に近づいている?」「まさか!?」「悪い冗談でしょ!?」


「……おっし、お前ら死ぬか!」


 ワイワイと試合が終わった後も騒がしい。仲が良い両校。


 試合が終わった後の水分補給のために、用意していたクーラーボックスからスポーツドリンクを手渡していく。


「はい、どうぞ」


「お、鹿倉かぐらあんがとな!」


 二年の青木あおき先輩に渡すと、グビグビ喉を鳴らして一気に流し込む。


「ぷはぁ! この一本のために生きてるな!」


「おっさん臭いですよ、青木先輩?」


「いいんだよ、ビール飲むときの予行練習だ」


 黙っていればモデル並みの容姿なのに言動がいちいちオジサンなのが残念な青木先輩である。


「ねえ、ほらぁ喉乾いたでしょ? これ飲んで落ち着こ?」「私が作ってきたレモネード飲んで欲しいなあ? とっても美味しいよ?」「ほら、口開けて? ゴクゴクしよ? ショタち君?」「あ、あの。俺の名前、安達……」「「「ショタち君?」」」「ええー……」


 同じクラスの安達君が、いつものごとく相手チームの女子マネ先輩方に囲まれている。先輩方、貴女たちのチームの皆さん自分達でクーラーボックス開けてますよ?


 あ、相手チームのみなさんが「下手に邪魔すると俺達が死ぬ」とか遠慮されてる。なら、いいか。


 キョロキョロと周りを見渡す。ええと、どこだろう。さっきまでは、バカ騒ぎの中心にいたのに……あ、いた。


 私は、クーラーボックスから冷えたドリンクを二本掴むと、ソロリソロリと近づいた。


 大きな背中を丸めながらスポーツバッグからタオルを出している彼の両耳に、両手に持った冷たいスポーツドリンクを押し当てながら声をかけた。


「太田先輩、お疲れ様です!」


「……!! ごわあああああああああっ!?」 


 猛獣のような声をあげ、慌てて太田先輩が振り返った。私の顔を見て、はぁとため息をつく。


「なんだ鹿倉か。脅かすんじゃない」


「ごわああ頂きました」


「む。そんな声は出してない」


「出してました。可愛い悲鳴ですね」


「うるせえ。早くドリンクくれ」


「はいはい」


 太田先輩にスポーツドリンクを渡す。ごくんごくんとものすごい勢いで無くなっていくのを何となく見ていると、先輩が眉をひそめた。


「何だ?」


「いえ、別に」


「そうか」


 太田先輩が、首を傾げながらドリンクを流し込む。喉ぼとけの物凄い動きを、気持ち悪いなあと思いながら眺めているうちに、あっという間に飲みつくされてしまった。


「二本目いきますか?」


「いや、もういい。……いいって言ってるのに、なんで蓋開けてるんだよ。つーか、口に押し込むな押し込むな! 飲まねえって! おい、こら、ふががっ!」


 スポーツドリンクの補給をおこなっていると、後ろの方からぼそぼそと囁く声が聞こえてきた。


「さすが、【猛獣使い】だな」「ナチュラルに躾けてますね」「太田にあんな風に絡めるのアイツだけだよな」「鹿倉は、見た目は清楚なのに、なんであんなに残念な好みしてるんだろうか」「ギャップが激しい」「知ってます? うちの高校で、【邪魔したい恋愛】案件第一位らしいですよ」「まあなあ、太田に恋愛とか許せんよなあ」「いや、でも放っておいても大丈夫みたいだけどな」「なんで?」「鹿倉のアプローチぜんぜん効かないらしい」「マジで?」「マジマジ」「うちらのアドバイス全部今の所壊滅だった」「猟犬と言われたお前たちのアドバイスでもか!?」「猟犬ってどういう意味よ」「……誰が言ったそのネーミング」「怖いわ! 耳元で囁くな!」


 いい加減にうるさくなってきたので、太田先輩の口にペットボトルを突っ込んだまま、振り返って先輩方に物申す。


「……失礼です。私は、先輩の事なんか何とも思ってませんよ?」


「ふーん」


 先輩方十数人から、きっちり揃ったハモリ声で返された。何故に。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「ひどい目にあった……」


 疲れた声を出しながら、太田先輩がペットボトルから口を離した。


「三本目いきます?」


「いかねえぞ!? こら、クーラーボックスから手ぇ放せ!」


「残念……」


「心底残念そうな顔しやがって……」


 恐ろしいものを見るような表情で私を見る太田先輩。失礼です。


 三本目となるはずだったペットボトルのキャップをもう開けてしまったので、仕方なく私はペットボトルに口を付けた。三本目は炭酸系だったのに。ウホウホむせるゴリラが見たか、訂正、ゲホゲホむせる太田先輩が見たかったのに。


 本当に残念だ。


「ああ、そういや鹿倉」


 ごくごくと飲んでる私に、太田先輩が声をかけてくる。


「昨日、お前が言っていた件なんだが。なんだったか、ほれ、『付き合ってください』とか言ってたやつなんだが」


「……! ……!? うぐっ!?」


 あまりの衝撃に飲んでいた炭酸を吹きだした。


「「「「「「「「「「……ほほぉ?」」」」」」」」」」


 背後で何やら不穏なハモリ声がしたような気がしたけども、気のせいだったに違いない。

 ……気のせいですよね? 気のせいだと言ってください。


 私の脳みそは、この後女子マネ先輩方の面倒くさい追及から如何に逃れるかフル回転しはじめていた。

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太田変輩、覚悟して! 千原良継 @chihara

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