らびちゃんの話
桐谷はる
第1話
池袋にある大型書店の最上階には、剥製や鉱石や骨董品をたくさん並べた小さくてきれいな雑貨店がある。輝石を削り出したつやつやのナイフや、金銀で飾った万華鏡、モルフォ蝶の羽を細工したイヤリングなど、夢物語から抜け出してきたような品を買うことができる。らびちゃんはそこに住んでいて、店員と客の目が逸れた隙に図鑑を読んだりして日々を過ごしている。
らびちゃんは木でできたウサギのオブジェだ。
何らかの幽霊がとりついている。動くし、しゃべる。気に入ったアンティークの指輪を盗んで隠しておくくらいは朝飯前だし、気が向けばずいぶん長いこと話す。大きさはちょうどリンゴくらい。ピーターラビットを貴族にしたような、可愛らしくて賢そうな顔をしている。
いつだったか彼の機嫌が良いときに(彼は結構な気分屋で、虫の居所が悪いタイミングで話しかけると、平気でひどい態度をとる)、生前はどういう人物だったのかを聞いてみた。らびちゃんはちょっと考えて、俺はフレディ・マーキュリーだと言った。たぶん嘘だ。世間では『ボヘミアン・ラプソディ』が大流行だったし、らびちゃんには覚えたての知識をすぐ使ってしまう底の浅いところがある。しょうもない嘘やでまかせも言う。
らびちゃん、ここに来る前はどこにいたの。
俺はバレンシアから来た。
スペインなんだ。
はは、つまんねえ土地だよ。オレンジしか食うもんがないんだぜ。
そうかなあ。らびちゃん、バレンシアオレンジって名前のイメージだけで言ってない?…あ、見てよ、バレンシア風パエリアだって。ウサギ肉と鶏肉とインゲン豆が入ってるんだ。
なんだって? ウサギ肉? バレンシアのやつらはそんな野蛮なものを食うってのか? それじゃあやめだ。俺は、ニューヨークから来た。
ふわふわの白い前足で、陳列棚の向こうに並ぶ年代物のカメラを指す。
あいつは俺と一緒にここに来たんだぜ。ああ見えてやばいやつなんだ。ニューヨークの次、この店の前からの付き合いだ。あいつの話を聞いたら驚くぜ。
聞かせてよ。
らびちゃんはふふんと笑い、カウンターに人がいないのをちらりと確かめてから、たっぷり溜めをきかせてしゃべり始めた。
******************
らびちゃんの話を聞いてしまって以来、カメラが怖くて何も手につかない。
本当に怖くて思い出すこともしたくない。カメラを連想させる全てのものが嫌だ。
時間が経つにつれて少しずつ治まってはきたものの、シャッター音のような音を聞くたびにぞっとする。当然、らびちゃんのことも雑貨屋のこともなるべく遠ざけておきたかった。足を運ぶ気にならないまま日々が過ぎ、いつのまにか季節が変わってしまった。
よう、来たのかよ。しばらくじゃねえか。
らびちゃんは長生きなので(というか置物なので)、時間の感覚が人とはずれている。
季節は変わり、年も変わって、らびちゃんを訪ねた今日はカメラの話を聞いてからちょうど二年目だ。僕はこの間に大学を卒業したし、就職して生活が激変したし、将来を共にしたいすてきな女性と出会って付き合ったけど駄目になったりした。見た目もだいぶ変わったと思う。しかし彼は相変わらず白くて可愛らしく、賢そうなウサギのオブジェだった。
らびちゃんは相変わらずだね。もう売れちゃったかと思ったよ。
そりゃそうだ。俺は高いからな。そうそう、あのカメラは売れちまったよ。
…本当に? まずいんじゃない?
そりゃそうだ。実にまずいさ。だからって俺に何ができるわけでもねえしよ。
誰が買ったかは知らないし、知りたくもない。僕は心から震え上がった。あんな恐ろしいものが世の中に出回っているなんて信じられない。どこにあるかわからないということは、つまりはいつ身近にあってもおかしくないということだ。明日にでもお守りをたくさん買おう、池袋氷川神社にお参りもしようと心に決める。先日も氷川神社にお参りに行ったら、帰り道にとんでもない幸運に恵まれた。僕はこの神社を一生信じていこうと決めている。
そろそろ俺だってどっかに行きてえな。この雑貨屋も悪かないけどさ。
らびちゃん、良かったら僕と一緒に来ないかい。
何言ってんだ、俺は高いんだぜ。
宝くじが当たったんだよ。
へえ、いくら?
僕は金額を言った。らびちゃんは、可愛らしい口元とつぶらなひとみを歪め、ハリソン・フォードみたいにやっとした。
いいねえ。実にいい。ぜひともバレンシアに連れてってくれよ。
そうだね、それからニューヨークもいいね。
僕とらびちゃんは意気揚々とレジに向かい、晴れて彼は僕の所有物となった。
それから僕らは十年をかけて世界中を冒険し、らびちゃんが彼の死に場所を見つけて波乱万丈の生涯を閉じる瞬間を見届けることになるのだけれど、それはまたいつか別の話。
らびちゃんの話 桐谷はる @kiriyaharu
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