第4話

 揺らめく蝋燭の火が祭壇の聖女を照らす。祭壇には新しい果物が供えられており、何者かがここで祈りを捧げていることが分かる。

「ジャンヌ・ダルクは15世紀のフランスに生まれた農夫の娘で、百年戦争で戦った。オルレアンの戦いでは神の声を聞いたとして戦の指揮を執り、兵たちを導きイギリスに勝利した。フランス王の戴冠式にも“神の証人”として参加したが、のちにルーアンで異端審問にかけられ、火刑に処された。今は教皇庁に聖女とされている」

 火鳥はジャンヌ・ダルクの肖像を見つめる。


「戦争で功績を挙げたのに、女を火あぶりだと、イカれてるな」

 水瀬が小部屋を覗き込み、祭壇の肖像を見上げた。不意に、ジャンヌの顔が一瞬いびつに歪んだ。美しい若い女性が醜悪な老婆に変化した。

「ヒッ、おっかねえ」

 水瀬は驚いて尻もちをつく。

「お前も見えたか、あの肖像画から邪悪な気を感じるな」

 小部屋から物音が聞こえた。奥にある別の部屋に通じる扉が開き、男が姿を現わした。水瀬は思わず口元を押さえる。


 男は30代後半だろうか、色白で細身、鼻髭を生やし、黒い髪はおかっぱにカットしている。赤いマントを羽織る姿はまるで中世ヨーロッパ貴族のコスプレのようだ。教会地下に設えた礼拝堂に住みつく男の異様さに、水瀬は青ざめる。火鳥は扉の隙間から男の挙動を観察している。

「ジャンヌ様、復活の日は間近です。聖歌隊の準備は整いつつあります」

 跪いて祈る男はくぐもった声で聖女の肖像に向かい、呟く。聖歌隊、という言葉に火鳥は目を細める。男は頭を垂れてしばらく無言になった。

「・・・わかりました。あと二人ですね。お任せください」

 男は眩しそうな顔でジャンヌの顔と向き合う。その表情は恍惚として、血走った目は極限まで見開かれている。男は手を差し伸べ、そこに添えられた幻の手に口づけた。そして再び奥の部屋へ戻っていく。


「やべえ奴だ。完全にイッちまってる」

 水瀬が唖然としている。

「あいつが闇金の債務者じゃないか、お前徴収してこいよ」

 火鳥に言われて、水瀬はそれを思い出す。

「しかし、親は何考えてるんだよ、こんなところに大きなガキを閉じ込めて」

「体裁を考えてここに閉じ込めたんだろう、引きこもりの息子を閉じ込めるには良い場所だ。好きで引きこもっているように思えるが」

 火鳥は再びジャンヌ・ダルクの肖像を見て、ふと気がついた。


「百年戦争でジャンヌ・ダルクに付き従った軍人がいる。ジル・ド・レだ。ブルターニュ地方の貴族で、幼くして両親を失い後見人の祖父から溺愛されて育った。戦では活躍し元帥となる名誉も得たが、ジャンヌの処刑後に彼はおぞましい悪行に手を染める」

 火鳥は続ける。錬金術や黒魔術に耽溺し、部下に何百人という少年を拉致した。特に美少年を好み、少年たちを集めた聖歌隊を作り歌声を楽しんだ後に喉を切り裂いて殺害した。性的搾取を楽しんだとも言われている。

「まさに野獣だな、胸クソ悪ぃ」

 水瀬は吐き捨てるように言う。


「息子の名前は達郎だったな。おそらく、達郎は歪んだ信仰の元に自分をジル・ド・レになぞらえて子供を生け贄にしてジャンヌ・ダルクに捧げようとしている」

「なんだと」

 水瀬は思わず叫びそうになり、口元に手を当てる。

「子供を探すぞ、達郎に借金返済の督促だ」

 火鳥は小部屋に足を踏み入れる。死角で見えなかった壁には金髪の少女のフィギュアやイラストが無数に飾られていた。


「スマホゲームのキャラクターだな。歴史人物をデフォルメしたキャラで、これはジャンヌダルクのようだ」

 火鳥がフィギュアを持ち上げて、スタンドの背面を確認する。有名なスマホゲームのタイトルと、キャラクター名“ジャンヌ・ダルク”と書いてあった。

「スマホゲームからジャンヌ・ダルクにハマったって訳か」

 水瀬は理解できないという顔をしている。

「借金の理由はこれだな。スマホゲームでは欲しいキャラクターやアイテムを入手するために、月に10万単位で課金をする者もいるらしい」

 この様子だと、かなり入れ込んでいるだろう。夥しい数のフィギュアにも金がかかっているに違いない。

「ゲームに10万、信じられねえ。高級クラブで美味い酒が飲めるぜ」

 水瀬はため息をつく。火鳥は奥の部屋の扉に手をかけた。音を立てないよう、静かに扉を開く。


 奥の部屋はがらんとした倉庫になっていた。天井から裸電球がつり下がり、石壁に影を作り出す。パイプベッドに毛布が置かれ、カップ麺やお菓子の袋が散乱している。部屋の隅に三人の子供の姿があった。パジャマを着て寒そうに凍えている。憔悴しきった表情には恐怖が貼り付いていた。

「さあ、お前たち、歌の練習だ。まったく上達しないじゃないか、そんなので聖女様の復活を祝う聖歌隊が務まるのか」

 達郎が革製の一本鞭を振るう。子供たちは怖れて、縮こまる。その中には依頼人の子、航大もいた。電柱の張り紙の写真で見た蓮太もいる。もう一人も掠われてここに連れ去られたのだろう。


「おい、やめろ」

 水瀬が大声で怒鳴る。それに驚いた達郎が振り向いた。その顔はおぞましい狂気に歪んでいる。水瀬は大股歩きで達郎に近付き、拳を固めて生白い頬をぶん殴った。細身の達郎は吹っ飛んで石壁に激突する。

「立てるか」

 火鳥が子供たちの腕を取る。ふらふらと立ち上がった子供たちは、怯えた目で火鳥を見上げる。

「藤倉航大だな」

 火鳥が指さし確認する。航大はゆるゆると頷いた。これで依頼が果たせる。


「逃げろ、階段を上れば教会に出る。外に出て近くの家のドアを叩いて助けを呼べ」

 火鳥は子供たちの背を押す。

「ありがとう、おじちゃん」

 子供たちは覚束ない足取りで走り出した。壁にぶつかって倒れた達郎がゆらりと立ち上がる。

「お、やるか」

 水瀬がファイティングポーズになる。

「引きこもりのもやし野郎に負けるかよ」

 水瀬は余裕の笑みを浮かべている。達郎は白目を剥きながら突進してくる。

「うごぉおおお」

 獣のような叫びとその異様な姿に、水瀬は思わず飛び退いて避ける。達郎は勢いあまって床に転がるが、すぐに起き上がりまた向かってきた。


「火鳥、こいつヤク中なのかよ」

 威勢の良かった水瀬も押されている。

「いや、おそらくジャンヌ・ダルクになりすました悪霊だ。達郎の妄執を利用して悪さをしているんだ」

 達郎は火鳥に向き直り、襲いかかる。火鳥は達郎の突進を器用にかわした。床に落とした鞭を広い上げ、石壁を叩いた。鞭のしなる音に、達郎は怯えている。火鳥はニンマリと笑みを浮かべる。


「悪霊よ、立ち去れ」

 火鳥は叫びながら鞭を振るう。武器を手にした途端、豹変した火鳥に水瀬は呆れている。

「うぎゃぁぁあ」

「子供の魂を解放しろ、外に出て働け、借金を返すのだ」

 火鳥は叫び続ける。達郎は頭を抱えて蹲る。

「水瀬、そこのロープで達郎を縛れ。引きこもりは終わりだ」

「お、おう」

 水瀬はロープで達郎をぐるぐる巻きにした。火鳥と水瀬で喚き散らす達郎を引き摺りながら、教会堂への階段を上る。


 祭壇に上がると、燭台に火が灯されていた。逃げたと思っていた子供たちの姿がまだそこにあった。オルガンの傍に固まって怯えている。

「お前ら、どうして逃げなかった」

 火鳥が訊ねる。

「逃がすわけにはいかない」

 威厳のある声が教会堂に響く。そこには猟銃を掲げた土井神父が、十字架を背に立っていた。

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