第3話

 ステンドグラスがあしらわれた古い木製の扉を開くと、中ではオルガンの曲に合わせて聖歌隊が賛美歌を歌っていた。壇上に並ぶのは中高年の男女だ。地元住民のコーラスグループだろう。

「ヤミ金に借金をした奴のプロフィール分かるか」

 火鳥が扉の前で立ち止まり、水瀬に尋ねる。質問の意図が分からず、水瀬は眉根を寄せる。

「38歳男、無職だ。なんでそんなこと聞くんだよ」

 火鳥はそれを聞いて、教会堂の中へ入っていく。


「おい、お前はなんでここに来たんだ」

 黒いロングコートに両手を突っ込んだ水瀬も火鳥の後について入ってきた。

「人探しだ」

 火鳥は教会堂の内部を見回す。中央に赤色の絨毯を敷いた通路、その両脇に木製の椅子が並んでいる。窓にはステンドグラスが嵌め込まれ、冬の日差しが差し込んで内部を幻想的な色に染めている。正面には大きな十字架のある祭壇、その脇には控え室があるようだ。


 賛美歌に耳を傾けていた神父が訪問者に気付き、こちらに近付いてくる。細身の60代くらいの初老の男だ。白髪を撫でつけ、穏やかな笑みを浮かべている。

「礼拝にいらしたのですか」

 神父は水瀬のヤクザな風貌にも驚く様子はない。職業で差別はしないという意思表示だろう。

「いえ、借金の取り立てです。息子さんはいますか」

 火鳥がいけしゃあしゃあと用件を伝える。水瀬は慌てて横に立つ火鳥の腕を肘で小突く。


「私に息子はおりません。それに、借金など・・・聞いた覚えはありませんが」

 神父は困った様子で首を傾げる。しらばっくれているのではなく、本当に心当たりが無いようだ。

「お、おう、そうだよな。何かの間違いだ。悪かったよ」

 水瀬が慌ててフォローを入れる。

「そうでしたか。お時間が許せば見学して帰られても良いですよ」

 神父は会釈をして祭壇の方へ戻っていく。火鳥は祭壇の近くに歩み寄り、聖歌隊を眺めている。水瀬はどうも居心地が悪いようで、椅子の背に腰掛けてそわそわしている。


「神父さん、ここでは子供の聖歌隊もあるんですか」

「いえ、大人だけですよ。時々お子さんを連れてこられる方もおられますけどね」

 火鳥は神父に礼を言うと、踵を返した。教会堂を出て、柵沿いに歩いていく。

「火鳥お前、なんで借金取り立ての話をしたんだよ」

「お前が言い出しにくそうだったから、代わりに聞いてやったんだよ」

 水瀬は不満げに唇をへの字に曲げて、頭をかく。正直、神だ仏だの前で借金の取り立てをするのは気が引けていたこともあった。書類に適当な公共施設の住所を偽って書く者もいる。この教会も虚偽の申請に使われたのだろう。


 柵が途切れた教会の敷地内に、申し訳程度の遊具がある小さな公園があった。サンタやトナカイなどの置物が並び、イルミネーションが設えられている。子供が喜びそうな場所だ。今も学校帰りの子供たちが遊んでいる。

「君たち、この子見たことあるかな」

 火鳥が男児の一人にコートの胸ポケットから写真を取り出して見せた。

「うん、見たことある」

 時々この公園で遊んでいたという。


「俺は帰るぜ、ここは居心地が悪い」

 水瀬はタバコを口にくわえてライターを弄ぶ。

「やはり、お前も感じているか。ここには瘴気が漂っている」

 火鳥は目の前にそびえ立つ教会堂を見上げる。夕陽が射して、冷たい石造りの塔は赤く染まっている。

 火鳥の母はこの世のものでない者が“見える”人だった。その血を受け継いだ火鳥も多少の霊感がある。本人はいたって鈍感だが、霊媒体質の水瀬が近くにいると不思議と霊感が強くなる。今も水瀬が近くにいるせいか、教会堂から異様な雰囲気を感じ取っていた。


「なんだよ、ここ曰く付きなのか」

 水瀬が身震いする。

「わからない。だが、何かを隠している気がする。お前、借金の取り立てがまだだろう」

「は、そりゃそうだけどよ」

 水瀬は早くこの場を去りたくて、そわそわしている。

「今晩10時、ここに集合だ」

 水瀬があからさまに嫌な顔をする。火鳥はにんまりと笑みを浮かべた。


 ***


「クソ、寒ぃ」

 教会堂を挟んだ道路の向かいで水瀬はタバコを吹かしている。夜10時、時間通りに火鳥がやってきた。教会堂の明かりは落とされ、周辺も住宅地とあって通りを照らすのは街灯の光のみだ。

「よし、行くぞ」

 火鳥が教会堂の階段を上り、扉に手をかける。

「待て、何をするつもりだ」

「人を探している」

「はぁ」

「この付近で子供が失踪している。この教会には何かある」

 火鳥はポケットから針金のような工具を取り出し、鍵穴をいじり始めた。古い鍵はカチャリと音を立て、すんなりと開いた。


「不法侵入か」

 水瀬は呆れている。

「神父は嘘をついている。あの男には息子がいるはずだ。この先の古本屋の老店主に聞いた。おそらく30代、しばらく姿を見ていないと言っていた」

 火鳥は扉のドアノブを静かに回す。人通りが無いことを確認し、教会堂の中へ身体を滑り込ませた。

「30代か、借金の男と年齢が一致するな。」

「名字は土井か」

「そうだ、何故知っている」

 水瀬は驚いて目を丸める。

「神父の名字だ」

 火鳥は軋む通路を祭壇に向かって歩いて行く。教会堂は冷気に包まれており、ステンドグラスを通して落ちる青い月の光がさらに冷感を増す。


 火鳥は祭壇の前に立った。足元の赤い絨毯を捲ると、床に据え付けられた観音開きの扉があった。火鳥と水瀬で扉を引っ張る。ギィと蝶番が軋んで扉が開いた。下には石の階段が続いている。覗き込めば、奥から光が漏れているようだ。

「こんなところに誰がいるのか、あの神父か」

 水瀬は鳥肌が立つのを感じた。

「いや、彼の家は同じ町内の戸建てだ。この先にいるのは、おそらく神父の息子だ」

 火鳥は階段を降りていく。水瀬も仕方なく後を追った。


 石段を降りた先には、暗く細い通路が続いている。火鳥と水瀬は、奥から漏れる明かりを目指して先へ進んでいく。

「おっかねえ、何でこんな場所に息子がいるんだよ」

「外に出せないような息子だから閉じ込めているか、もしくは引きこもりか」

 分厚い木製の扉の向こうから明かりが漏れている。火鳥は隙間から中の様子を覗き込む。

 中は石造りの小部屋になっており、無数の蝋燭の火が揺らめいている。正面には祭壇が設えられており、金髪の若い白人女性の絵が掲げられていた。女性は剣を掲げ、白銀の鎧を纏い、民衆を導いている。


「誰だあれ、聖母マリアじゃないのかよ」

 鎧を着た女性は、聖母にしては雄々しい姿だ。

「あれは、ジャンヌ・ダルクだ」

 火鳥が口にした名前に、水瀬は首を傾げる。

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