第2話

 二人は火鳥探偵社の事務所内を覗き込み、顔を見合わせた。応接スペースには見るからにヤクザという風体の男と、その舎弟がどっかりと腰掛けている。

「やっぱりやめましょう」

 女が男のコートの袖を引いた。二人とも30代後半か、40代だろうか。上品な身なりと後ろ暗さのないところからすると夫婦のようだ。

「いや、もう頼るところが無いじゃないか」

 男にそう説得され、火鳥に案内されて男女は事務所に足を踏み入れた。


 真里が慌ててテーブルを片付ける。

「じゃあな、ごちそうさん」

 水瀬は空気を読み、舎弟と共に依頼人と入れ替わりに出て行く。智也と真里も後に続いた。依頼人は神妙な面持ちでソファに腰を掛ける。

「あの、失礼ですが暴力団の方と関わりがあるんですか」

 男性が気まずそうに切り出す。

「彼は昼はコンビニのバイト、夜はホストクラブで働きながら生き別れた家族を探していましてね。今日引き合わせが出来たところだったんです」

 火鳥の適当なでまかせに、二人はそうでしたか、と頷いている。


「息子が行方知れずなんです」

 女性が躊躇いがちに切り出した。12月に入って、小学校に通う三年生の息子が行方不明になったということだった。名前は藤倉 航大こうた、12月3日の朝、学校があるのに2階の子供部屋から降りてこないのを心配した妻が見にいったところ、ふとんはもぬけの空で、すでに冷たかったという。家には誰かが押し入った形跡は無かった。

「警察にも届けていますが、手がかりが無くて」

 藤倉氏は膝の上で手を組んで、力無く頭を振る。火鳥は二人の前に新しくドリップしたコーヒーを出す。


「実は、他の探偵社にも依頼をしているんです」

 藤倉氏の妻は申し訳なさそうに火鳥の顔を盗み見る。それはそうだろう、突然この閑古鳥の鳴く胡散臭い個人探偵社に依頼するものはそういない。

「それは全然構いませんよ。そちらでは何か手がかりはありましたか」

 火鳥は営業スマイルを返す。

「いえ、まったく」


「失礼ですが、航大くんは何かに悩んでいませんでしたか」

 二人は顔を見合わせていいえ、と否定する。

「お二人の夫婦仲は良好ですか」

 平然と答えにくい質問を続ける火鳥に、藤倉氏は眉根を寄せるが、妻がそれを諫める。今は藁にもすがりたいようだ。

「ええ、問題ないと思います」

 妻が答え、藤倉氏も相づちを打つ。

「航大くんが自宅に帰りたくない理由は見当たらないということですね。何か変わったことはありませんか、どんな些細なことでも」


 学校での友人関係や、担任の教師のことも聞き出すが、特に問題を抱えているようには思えなかった。

「これが航大です」

 思い出したように妻が写真を取り出す。遊園地で撮影されたもので、親子三人の幸せそうな笑顔の写真だ。最近のものであり、表情を見る限り家族関係に問題は無さそうだ。色白で、目のぱっちりした整った顔立ちの子だ。

「わかりました。何か追加で聞きたいことや、分かったことがあれば連絡します」

「よろしくお願いします」

 藤倉夫妻は深々と頭を下げる。


 事務所のドアに手をかけた妻が、何かを思い出した様子で振り返る。

「そういえば、航大がいなくなる前夜、賛美歌が聞こえた気がしたんです」

「賛美歌ですか」

 この時期はクリスマスシーズンで、街中では雰囲気作りで賛美歌を流している店もある。

 しかし、藤倉氏の自宅は住宅街の一角だ。街の騒音が聞こえてくるとは考えにくい。

「幼い子供が合唱するような歌声でした」

「隣の家のテレビの音じゃないのか、そんな話は関係ないだろう」

 藤倉氏が妻を諫めながら事務所のドアを閉めた。


 二人を見送って、火鳥は皮張りの椅子に腰掛けた。子供の失踪は事件、事故に巻き込まれたか誘拐、家出の可能性が考えられる。年齢と家庭環境からして家出の可能性は低そうだ。しかし、航大は夜中に起き出して、一人で家を出た。行き先は一体どこなのか。

 火鳥はパソコンで学校から自宅までの周辺地図を拡大して確認する。地図を頭に入れて、火鳥は立ち上がった。古いトレンチコートを羽織り、マフラーを首に巻いて事務所に鍵を掛け非常階段を降りていく。


 火鳥は航大の通う真影小学校に向かった。丁度、学校帰りの小学生たちが校門から大勢出てきた。航大と同じ三年生以上高学年だ。

 小学校から古い住宅街を抜けると商店街にぶち当たる。子供たちはアーケードの中を通るよう言いつけられているようで、脇道に逸れることなく集団で帰っていく。火鳥もその後を歩いてついていく。

 商店街を抜けた大通りには、広い横断歩道があり、帰宅時間には保護者が有志で見守りをしてるようだ。


 商店街の先は古いオフィスビルや、問屋、住宅が入り交じった地区に入る。周辺に自宅がある子供たちがバイバイと声を上げて帰っていく。その先は航大の住む新興住宅地だ。葉が落ちて寒々しい街路樹の通りを歩く。吹きすさぶ木枯らしに、火鳥は思わず肩を竦め、ポケットに手をつっこんだ。

 ふと、電柱に気になる張り紙を見つけた。

「村田蓮矢くんを探しています、か」

 十歳の子供が行方不明と書いてある。失踪時期は12月5日、航大がいなくなった時期に近い。しかも、朝両親が子供部屋をのぞいたら姿が無かったというシチュエーションも同じだ。


 子供の失踪がこんな狭い範囲で頻繁に起きるだろうか、火鳥は縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。村田連矢の写真をまじまじと見つめる。色白で、かわいらしい面持ちの子だ。

「いわゆる美少年が狙われているのか」

 火鳥は考えながら歩みを進める。不意に、どこかから賛美歌が聞こえてきた。火鳥は足を速める。四辻を曲がれば、古い石造りの教会があった。賛美歌はここから聞こえてくるようだ。


「お、火鳥じゃねえか」

 水瀬が鉄柵の門の前に立ってタバコを吹かしている。

「なんでお前がここにいる」

「それは俺のセリフだ。帰り道によ、取り立て先があるのを思い出して寄ってみたんだが、まさか教会とはな」

 やりにくいぜ、と水瀬は肩を竦める。

「教会に取り立てか」

「ヤミ金の借金の債務者の住所がここらしい」

 ふうん、と水瀬を一瞥し、火鳥は教会への階段を昇り始めた。

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