第3話

 中華料理店“揚子江”で水瀬のおごりでランチを食べ、町の東はずれにある神社にやってきた。山間を走るバイパスを利用して約1時間。辺りは農村地帯だ。水瀬が脅しで半グレを埋めに来たのも頷ける。

 午前中は晴れ間も見えていた空が、厚い黒雲に覆われ始めた。湿った空気が肌に纏わり付き、森の匂いがきつくなる。水瀬は神社のある山が見える空き地にBMWを停めた。あぜ道を走ったため、足回りが泥で汚れており、大きな舌打ちをする。


「今にも雨が降りそうだね」

 智也が低く立ちこめるどんよりした雲を見上げる。太陽はすっかり隠れてしまい、夕方まで時間があるというのに、ずいぶんと薄暗い。それはこの周囲の陰鬱な雰囲気も相まってのことかもしれない。

「山のすぐ背後にバイパスが通っているな。あのトンネルは龍が淵トンネルという名前だった。よく自動車事故が起きるトンネルだ」

 火鳥はここにやってくる前に周囲を下調べしていた。龍が淵トンネルはカーブがきつく、正面衝突による死亡事故が絶えない場所だ。


「なんだか気味が悪いな、おっかねえ」

 狛犬を肩に乗せたままの水瀬が怯えている。狛犬は我が家が近づいたことで落ち着かない様子だ。水瀬の頭に顔を擦り付けて尻尾を振っている。

「ここに戻れて嬉しそうだ」

「なら、ハナからついてくるなよ」

 火鳥が面白くてたまらないというふうに、水瀬の頭上を見ながらニヤニヤしている。水瀬は大きくため息をつく。


「100年ほど前、この辺りは大きな池があったようだね。名前は龍神池」

 智也が今は広大な田んぼになっている場所を指さす。用水が発達して池が邪魔になり、埋め立ててしまったのだろう。

「龍神池に龍が淵トンネルか、この辺では水神を祀っていたんだな」

 神社も水神に関係があるのかもしれない。三人は神社のある小さな山へ向かってあぜ道を歩き出す。


「なんだかあの山、妙なもやに覆われてないか」

 水瀬が目を細めて山を見つめる。火鳥も気がついていた。山に黒い瘴気が纏わり付いている。

「なんだか頭が痛い」

 智也には見えないが、身体の不調がそれを感じ取っているようだ。山裾の神社の入り口にたどり着いた。鬱蒼と茂る木で狛犬の姿は隠れてしまっている。顔も分からないほど雨風に晒された狛犬はところどころ欠けてひどく苔むしていた。


 水瀬の肩についていた狛犬が飛び立ち、石像に吸い込まれていく。狛犬は元いた場所に帰ったのだ。

「狛犬は神の遣い、お前をここに連れてくるのが目的だったのかもしれない」

「なんだと、なんで俺なんだよ」

 火鳥の言葉に、水瀬は迷惑そうな顔を向ける。目の前に崩れかけた石段が続いている。森の木がアーチのように石段の上を覆い、参道は薄暗い。

「行ってみよう」

 火鳥は足を踏み出した。この先にはご神体の納められた社があるはずだ。


 石段を60段ほど上ると石の鳥居が現われた。足元から伸びる蔦に浸食されている。

「神社は神聖な場所のはずだけど、なんだか不気味だよ」

 町のいろいろな神社を訪問している智也もこの場所の異様な雰囲気に鳥肌を立てている。先ほどから無言の水瀬は本気で怖がっているのだろう。

 ガサッと音がして、頭上を何かが飛び交った気配がした。

「うおっ、何だ」

 水瀬が上を見上げると、森の木がゆらゆらと揺れている。

「鳥でも飛んだんじゃないか」

 火鳥はそう言いながら、額から流れる汗を拭った。鳥の大きさとは違うことに気付いていた。もっと大きな生き物だ。


 もう一つの鳥居が現われた。木の鳥居は足元が腐り、ひどく歪んで傾きかけている。その先に30段ほどで社に到着できそうだ。

「ひどいな、うち捨てられてずいぶん経っているようだ」

 よく見れば、鳥居の柱に爪でひっかいたような跡がいくつもある。火鳥は眉を顰めた。こんな爪を持つ獣は一体どんな大きさなのだろう。

「熊でもいるのかな」

 智也も鳥居の爪痕に注目する。

「いや、こんな小さな山に熊なんていないだろう」

 火鳥は首を振る。水瀬は恐怖が極限に達しているのか、無表情のまま固まっている。


 石段を登り詰めて社の前に経つ。小さな社だ。もう何年もうち捨てられているのだろう。木は腐り、すっかり朽ち果てていた。

「狛犬はこの惨状を訴えていたのかな」

 智也が社に祀られていたもののヒントが無いか周辺を調べている。背後に腐った荒縄や木片がうち捨てられているのを見つけた。

「俺に言われてもどうにもならねえぞ」

 水瀬は迷惑そうに頭をかく。


 智也が長方形の木の板を見つけ出した。周囲が彫刻されており、中央に文字が刻まれている。

「これは扁額だ」

 神社の鳥居や社についている看板のことだ。智也が張り付いた木の葉を払いのける。

「弥無瀬神社・・・みなせと読めるね」

 智也と火鳥が顔を見合わせ、次に水瀬の顔を見た。

「俺は関係ねえぞ、大体字が違うだろう」

 水瀬は眉根を顰めて首を振る。


「神社の名前は意味のない漢字を組み合わせて当て字にされることも多いよ。もしかして縁があるのかもしれないね」

 智也はタブレットを取り出し、弥無瀬神社の由来を調べ始める。下調べをした古地図には神社のマークはあったものの、名前も記載されていなかったため調べようが無かったのだ。関係のない記事が続くが、やっとそれらしい郷土史の資料を見つけた。

「弥無瀬神社は龍神池に住む龍神を祀った神社だった。池は100年前に埋め立てられたことで、信仰も薄れてしまったらしい」

 智也が記事を読み上げる。


「水に困らなくなって信仰する必要も無くなったのか、人間のやることは勝手だな」

 火鳥は肩を竦める。

「この山は龍神山と言って、泉があるらしい。そこに龍神を奉納したと書いてある」

 池を埋め立てて、体裁だけ整えるためにそういうことにしておいたのだろう。神社がこの惨状では泉もあるかどうか怪しいものだ。

「元の字は水瀬神社なんだって」

 智也の情報はそれで終わりだった。忘れ去られた神社ということだ。


「俺の血縁に宗教の人間はいなかったぞ」

 水瀬は早くこの場を去りたくてそわそわしている。

「お前が知りうるよりも、もっと古い縁故かもしれないぞ」

「だとしたらヤクザものの俺よりも、他の真っ当な血縁にでも取り憑けば良かったのによ」

 水瀬は狛犬に恨み節をぶつける。父親が荒くれ者で水瀬の家は一家離散、親戚筋も寄りつかないため親戚の顔など見たこともないのだが。


 不意に視界が暗くなった。完全に日が陰ったのかと火鳥は頭上を見上げた。木の枝が揺れて木の葉がパラパラと降ってくる。影はさらに濃くなり、何か重い、巨大なものが地面に降り立った。ドン、と腹に響くような地鳴りがする。

「うわっ、なんだ」

 水瀬は目の前にいる異形のものを見て、頓狂な声を上げる。智也もそれが見えるらしく、口を大きく上げて固まっている。火鳥はズレた眼鏡をくいと持ち上げた。

 目の前には熊のような、黒い毛むくじゃらの巨大な化け物が二本足で立ちはだかっていた。

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