第2話

 午後四時、約束通り水瀬は火鳥探偵社にやってきた。まだ肩が重い。きっと狛犬が居座っているのだろう。火鳥が近くにいなければ鈍感な水瀬には狛犬の姿を認識することはできないのだ。

 事務所のソファには木島智也が座っていた。智也は地元大学に通う大学3回生で、民俗学を専攻している。爽やか好青年で身長もそこそこ高く、スポーツ系のサークルにでも所属していればモテるだろうに、本人はオタク気質で、休みの日はフィールドワークに費やしている。


「狛犬は厳密には犬じゃないんだよ」

 智也が神妙な顔で語り始める。

「狛犬は獅子や犬に似た形をした想像上の獣だよ。神社やお寺の入り口の両脇に阿吽の対で置かれていて、神道では神の使いとされている」

 水瀬は頷きながらコーヒーを口に含む。

「その起源はペルシャ、インドにおけるライオンを象った像で、エジプトやメソポタミアに遡るんだ。エジプトのスフィンクスが最たる例だよ」

 得意分野だけあって、智也はどんどん話を膨らませていく。火鳥は感心しながら聞いているが、水瀬はどんどん眉根を寄せていく。


「で、結局俺はどうすればいいんだ」

「えっ?」

 水瀬の問いに、智也は首を傾げる。

「言ってなかったな、こいつ狛犬に取り憑かれてるんだよ、ウケるだろう」

 火鳥が水瀬の肩口を指さしてニヤニヤ笑っている。

「えっ、狛犬が・・・」

 智也は口をあんぐり開けて驚いている。智也は目を細めて水瀬の肩を凝視するが、霊感の無い人間には姿が見えないのだ。

「どうやったら追い払えるんだ」

「狛犬に取り憑かれるなんて、聞いたことがないよ」

 智也は困って火鳥に助けを求める。


「一日経って取り殺されていないところを見ると、悪気はないんじゃないか」

 火鳥が飄々と言い放つ。

「な・・・お前、それを確認するために一日放っておいたのかよ」

 水瀬は激怒して起ちあがる。その剣幕に智也は肩を竦めた。

「まあ、そう怒るな、俺も考えていたんだよ。智也は神社巡りが趣味だろう」

 火鳥に言われて智也はタブレットを取り出し、画像ファイルから神社の写真を探している。


「神社によって狛犬の形が違うんだよ。それで、水瀬さんに憑いている狛犬のいる神社が分かれば何かヒントがあるんじゃないかなって思ってね」

 智也の建設的な意見に、水瀬はソファに倒れ込んでため息をついた。

「火鳥より頼りになるぜ」

 火鳥は平然とコーヒーを啜っている。何かに気が付いたように水瀬を方を見た。

「その狛犬、ここに座らせることはできないか」

「はぁ?」

 水瀬は頓狂な声を上げた。

「お前に懐いているなら言うこと聞くんじゃ無いか。見比べるなら座ってる姿の方が分かりやすいだろう」


 水瀬は肩にいるものを見た。頭に手を乗せたり、尻尾で頬を叩いてみたり、確かに懐かれているような気もする。

「お座り」

 水瀬の言葉に、狛犬がテーブルの脇にちょこんと座った。

「ま、マジか」

「うん、いいぞ」

 火鳥は我が意を得たりと頷く。

 

 智也はタブレットの画面をテーブルに置いて画像を拡大した。この町で一番大きな神社の狛犬の写真だ。白い石で作られており、厳めしい顔をしている。

「こんなに綺麗じゃない。もっと苔むしてるな」

 水瀬は狛犬と画面を真剣に見比べる。じゃあ、と智也は別の画像を開く。


「違うな、片方は頭に角がある。これは両方とも角が無い」

「もっと毛がふさふさしてるな」

「色はついてない」

 智也の写真のストック数も大したものだが、なかなかぴったりくるものが見つからない。火鳥と水瀬、智也は三人で腕組をしたまま唸っている。


「俺も町のすべての神社仏閣を巡っているわけじゃないけど、一体どこの神社の狛犬なんだろう」

 智也は見えないもどかしさもあり、困った表情を浮かべている。

「水瀬、神社で何か悪さしたとか、覚えはないのか」

「バカ言うな、俺はこれでも信心深いんだよ」

 無宗教だけどな、と意味不明なことをいいながら水瀬は胸を張る。お座りをしていた狛犬がタブレットに前足で触れた。写真がスクロールしていき、画像が映し出される。


 鬱蒼とした森と、朽ちた鳥居のある石段の写真だ。よく見れば、石段の両脇に狛犬が鎮座している。

「智也、ここはどこだ」

「これは・・・東の町外れだったと思う。石段の上には小さな社があるだけで名前も分からないような神社だったよ。いつか調べてみようと思って、忘れてた」

 水瀬は写真を見て、渋い顔をしている。


「何か思い出したか」

「ああ、思い出した。特殊詐欺の受け子をやってやがった半グレ共をシメるために脅しでここに連れてきたんだ」

 水瀬は頭を抱える。山の中で自分の墓穴を掘らせようとしたところで泣きを入れた。警察署の前に証拠と一緒に放り出してやった。今やヤクザよりも義理や道義を弁えない輩の方が金を荒稼ぎできる時代だ。世知辛い、と水瀬は舌打ちをする。その話を聞いて智也は白目を剥いている。


「そのときに連れてきたんだな、この神社に戻してこい」

「え、俺一人で行くのか。ここ気味が悪くてよ。一人で行きたくねえよ」

 人を山に埋めようとした男が怖いと泣きついてくるのはどういうことなのか。

「仕方ないから付き合ってやるか。今日はもう日が暮れるな。智也、この神社のこと調べられるか」

 廃神社が怪談ブログのネタになるかもしれない、損得勘定で火鳥は水瀬に付き合ってやることにした。きっと智也も興味があるだろう。水瀬はありがたがって上機嫌で事務所を出て行った。


「狛犬が神の使いと言っていたな。何故水瀬に憑いたのか、それも気にはなるな」

 火鳥は縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。水瀬が立ち上がると、狛犬はその肩にひょいと飛び乗って一緒に帰っていった。狛犬は水瀬に何かを伝えにきたのではないだろうか。

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